憲法にガダマーは要らない
部屋には白衣を着た研究者が三人と背広のスーツを着た監視役の政府関係者が二人いる。それに護衛の人間が何人かだ。厳粛で物々しい雰囲気が充満している。滅多にない機会でみな緊張しているようだ。中央には憲法がある。それを囲むようにして様子を伺っている。どこに逃げるわけでもないのに、一瞬でも目を離すとどこかへ行ってしまうのではないか、そんな緊張感がひしひしと伝わってくる。換気扇の音だけがよく聞こえる。
白衣の男の一人が手袋をはめて早速作業を始めようとする。ここからは長丁場の仕事になる。失敗は許されない。この作業が国家のこれからを左右するのだから。といっても彼らがする仕事は、決して難しいことではないはずのものである。憲法をもう一度読む。それだけだ。
扉が開き、まず入ってきたのは子供だった。外の地面の土がついた土足で入ってきた。続いて入ってきたのは女だ。ヒールを履いた「カツカツ」と言う音が響く。ここでは今まで一度も聞かれなかった音だった。突然の来客に驚き、警戒していた護衛もひとまずほっとひと安心したようだ。
「すいません。この子がどうしてもと言って聞かないので。急に走り出してしまって」女が申し訳なさそうにいう。
「この子はあなたのお子さんなんですか?困るなぁ。ここは関係者以外立ち入り禁止なんですよ」
「ごめんね君。ここは君が入ってきてはいけない場所なんだ。」
子供は中央の憲法に興味津々で目を輝かせていた。男たちの言うことはまるで聞こえていないようだった。
「見たい見たい!見せて見せて!」
子供の背丈では、憲法が見えないのだ。誰かが持ち上げてやらねば彼が憲法を見ることはできない。
「せっかくの機会ですし、どうしてもダメでしょうか。せめて一眼見るだけでも」
女は子供の姿を見て、男たちの顔を伺いながら聞いた。
「ダメに決まっているでしょう!憲法ですよ!私たちはいま憲法を扱っているのですよ!?」
「あなただって大人ならわかるでしょう。ここは憲法解釈委員会の人間しか入れないのですよ。第一こんな子供が憲法を見て何になると言うんですか。何もわからないでしょう。子供やあなたのような一般人が見るような代物じゃないんですよ」
「ささ、早く退出していただかないと」
女は、男たちのこうした対応に不満があるようだった。
「そうですか。それは残念です」
「わかってくださればいいんです。私たちも怒りたいわけではありませんから」
研究者はにっこりと笑って答えた。
「お子さんの管理はしっかりしてくださいね。子供がかわいそうだ」
「いえ、この子は私の子供というわけではないのですが…。まぁ、いいです。失礼しました。」
女は、子供の手を半ば強引に引いて部屋から出て行こうとしたが、子供は抵抗した。
「お手伝いしましょう」
護衛の一人が子供を持ち上げ、部屋の外まで運んでいった。男には、子供は軽いものだった。
子供と女は追い出された。部屋には、最初と同じメンツが残った。まるで、何も起こらなかったようだ。子供の靴についていた土が床に落ちていた。
「おい、君。そこの汚い土を掃除しておいてくれ」
僕は、床に膝をつけ、右手で土をつまんでは左手の中に収めていった。そして、僕は部屋を後にした。