表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

さよなら、1号

作者: Yuki-N


   1


 俺がバイトからアパートに帰ると、俺がいる。俺はベッドに寝転がって、ポンコツ芸人のコントを、へへへ、へへへと、IQの低さ丸出しな笑い声をたてながら観ていた。

「勤労、ご苦労」

 寝転がっている俺――まぎらわしいので俺2号とする――は、帰ってきた俺――こっちが俺1号だ—―に視線を一瞬だけ投げ、偉そうに言った。

「なんか、おまえ、むかつく」

 俺1号はスニーカーを脱いであがると、はずしたマスクを丸めて2号に投げつけた。2号はそれを右手で打ち返す。

「きたねえな」

「俺がしてたマスクだろ」

「おまえは俺じゃねえんだよ」

「でも、おまえは俺だろうが」

 2号と不毛な言い争いをしていても、苛つきが募るだけだ。


 いつから俺が2人に増殖したのか、実ははっきりと覚えていない。気がついた時には俺1号と2号がいて、さらに事態を複雑にしているのが、1号と2号の意識が時々入れ替わることだ。1号だった俺はある時、1号の記憶を持ったまま2号になり、そこでは2号の記憶もまた俺のものになり、そうしてしばらく2号として過ごしていると、ふいにまた1号に戻る。戻った時には、そこまでの記憶とともに、俺が直近で2号だった間の1号の記憶もまた俺のものになるのだ。

 そうして俺1号の記憶と俺2号の記憶は組紐でも編むかのように、混然一体となり、それでいて今現在の意識と記憶はやっぱり別物で、でもやがて、今は過去になり、1号と2号で共有されていく。


 いっそ単純に1号と2号に増殖したのであれば、別々の2人の人間として生きていくことも出来たのだろうが、記憶と意識の組紐状態のため、それもまた難しい。だから、一人が外に出ているときには、一人は必ずアパートに残ることにしている。

 俺1号は冷凍庫から冷凍パスタを取り出し、外袋を切って中を取り出し、電子レンジに放り込む。それから、缶酎ハイ。

「おまえ、で、愛実ちゃんを誘えたのかよ」

 2号が相変わらず寝転んだままで聞いてくる。

「うるせえ」

「どうだったんだよ」

「そのうち、意識が入れ替われば分かるだろう」

「なんだそうか、結局、誘えなかったのか」

 2号がバカにしたように鼻で笑った。

「今日は客が多くて忙しかったんだよ」

 俺は中古リサイクルショップで週4で働いている。愛実ちゃんはそこのバイト仲間だ。大学2年なので、俺より2つ年下ということになる。

 俺は大学で上京したが、志望校には入れず、モチベーションは上がらなかった。むしろライブハウスでのバイトが面白くて、大学はさぼりがちになった。そのままどんどんバイト中心になっていき、結局、大学は2年で中退した。

 ただ、去年、コロナ禍になると事態は急変した。ライブハウスでは人員整理をせざるをえなくなり、俺はあっさり職を失ったのだ。

 さして貯金があるわけでもなく、さすがに俺は焦った。

 それで、端からバイトを応募しまくり、結局、いまのリサイクルショップに落ち着いたのだ。時給はほぼ最低賃金で、資金的には全然楽にはならない。なにしろ、働いている俺は1人なのに、メシを食う俺は2人いるのだ。もっとバイトを増やしたいのだが、リサイクルショップ側にニーズはない。だから、もう一つ、別のバイトを入れようかと思案している。

 俺が愛実ちゃんを誘いにくいのには、こうした俺の経済面、それから多分、「引け目」という精神面での現状もある。

 電子レンジの温め時間が終わり、チンと知らせてくる。

 俺はテーブルの皿にパスタをあけ、生卵を落としてかき混ぜる。格安スーパーで買ってきた128円パスタ。卵は10個98円のパック。意外と美味い。美味いが、しかし。

 テレビでコントが終わり、音楽番組に変わる。流行りの曲だ。誰だっけ? ミュージシャンの名前が出てこない。なんだか、同じところを、ぐるぐる回っている感じの曲だ。

 新型コロナウイルス感染拡大による自粛は、いわばトンネルだ。ワクチンも出来たし、いつか、このトンネルを抜ける日は来るのだろう。そうなれば、また、ライブハウスの仕事にも戻れるかもしれない。

 でもその一方で、俺はうすうす気づき始めてもいる。

 そもそも、コロナ禍になる前だって、俺はライブハウスで、所詮は単なるバイトに過ぎなかった。バイトのシフトは深夜も含めて随分と入っていたけれど、俺にはこれといった技術もなく、知識もなく。

 あのライブハウス、ほとんど個人経営だから、きっとコロナが無くなっても正社員なんか雇わない。

 あー、俺は何をしたいんだったっけなあ。

 パスタを啜りながら、思いを過去に飛ばす。

 何か、やりたいこと、あったんじゃないかと。

 でも、そんなもの、無かった。

 高校の時には、ただ単に東京に出ようと思っていただけで。

 それ以上のものは、無かったのだ。

 ベッドの上で、俺2号が居眠りを始めたようで、気持ちの良さそうな寝息が聞こえてくる。



   2


 俺が2号に入れ替わり、数日たった夜。

 まさに3食昼寝付き、いや、晩飯を早めに食べて、そのあとうつらうつら、夜寝を楽しんでいた時、慌ただしく玄関ドアが開いた。

「おい!」

 帰宅したての俺1号が俺2号に言った。

「やばいぞ」

「なんだ、どうした?」

「愛実ちゃんが来る」

「いつ?」

「もうあと30分くらいで」

「マジか」

 さすがに俺2号は飛び起きた。

「何でそう言うことに」

「それは、今度、入れ替わった時に確認してくれ。今は時間がない」

「どうしろって言うんだよ」

「悪いが、部屋を空けていてくれ」

 それを聞き、俺2号は怒りで眠気が吹っ飛ぶのを感じた。1号も結局は俺なので、2号の俺にも、1号の考えていることが手に取るように分かった。

 1号は、俺が2人いることを愛実ちゃんに伏せておいて、それでこの部屋でチャンスがあればと思っている。せめてキスくらいはと。

 もちろん、2号の俺としては、1号ばかりに、そんなおいしい身勝手を許すわけにはいかなかった。

「ダメだ」

 俺2号は断固として言った。

「俺はここから動かない」

「おいおい」

 1号は揉み手でもしそうな勢いだった。

「分かるだろう、俺。こんな、俺が2人いるなんて、愛実ちゃんに知られるわけには」

「だが、それはダメだ」

「いいじゃないか。どうせ今度入れ替われば、愛実ちゃんとの記憶はおまえの記憶にもなる」

「それでも、ダメだ。記憶はしょせん、過去のイメージだ。ナマじゃない。ナマの感触じゃない、それは生きちゃいない、死んでる」

「なあ、頼むよ」

 1号が2号を立たせようと引っ張る。

 俺2号は断固、立たない。

「おい、いいのかよ、こんな、2人いるところを見られても」

「それでも仕方ないな」

「だって、うまくいけば、この先、おまえが愛実ちゃんとデートすることだって出来るんだぞ」

 たしかに、それは魅力的な話ではあった。

 1号に先を越されはしても、いずれ、2号の俺にもチャンスはある。そこで、さらに先に行ってやる。そこで、1号を出し抜いてやればいい。

 今日は仕方ないか。

 愛実ちゃんを誘うことに成功した1号に花を持たせるか。

 だが。

 インターフォンが鳴った。

「愛実です、着きましたあ」

 玄関ドアの向こうから、愛実ちゃんの声が聞こえたのだ。

 俺2人は顔を見合わせた。

「どうすんだよ、早えよ」

 罵る俺2号に、

「とにかく、とにかくだ。俺が出る。おまえは風呂に隠れていろ。それで、俺は愛実ちゃんを連れて、外へ行く」

 了解するしかなかった。

 俺は、薄汚れた部屋着のままで、スマホだけ持って風呂場に逃げ込んだ。明かりも消したままにしておいた。

 玄関の開く気配。

 話し声。

 風呂場のドアをきっちり閉めてしまったので、何を話しているかまでは聞こえない。

 二人の会話は3分くらい続いただろうか。

 やがて、玄関ドアが閉められ、外から鍵をかける音が響く。

 用心のため、それから数分は風呂場で待ち、それでようやく部屋に戻った。

 蛍光灯は点けっぱなしだったが、テレビは消えていて、妙にがらんとして感じられた。

 俺は何だか気が抜けて、ひとつ、ため息をついた。

 折り畳み椅子に座る。

 この、訳の分からない生活は、この後、どれだけ続くのだろう。

 俺はどこへ向かっているのだろう。

 それとも、どこへも向かってはいない、のだろうか。

 急に、1号の声が聞きたくなった。俺が俺を恋しく思うわけもない。そうではなくて、俺は置いて行かれそうな不安に襲われたのだ。1号が、1号だけが、愛実ちゃんと一緒になって、唯一の俺になって、2号の俺は消滅していきそうな、そういう不安に、俺の脳のすべてが埋め尽くされたのだ。

 だから、俺2号はスマホで俺1号に電話をした。

 愛実ちゃんとデート中であるのは分かっている。だから、電話には出ないかもしれない。それでも、居ても立っても居られなくなって、俺は電話したのだ。

 そこで。

 予想外のことが起きた。

 スマホから聞こえてきたのは、

「この番号は現在使われておりません」

 という冷たいメッセージだった。



   3


 それで、俺の不安は爆発した。

 もう、ダメだった。

 俺は部屋着のままで、玄関ドアを開けた。

 まぶしかった。

 太陽の光だ。

 何だと?

 今は夜のはずじゃないか。

 1号がバイトを終えて帰宅して、それで、愛実ちゃんがすぐに来るといって、それで……。

 ――ありえない。

 こんなの、ありえない。

 だが、俺2号を包んだのは、まぎれもなく、真昼間の陽光なのだ。

 俺は目を細めながら、アパートの外廊下を歩いた。

 何が起きているのか、俺にはまったく分からなかった。

 俺は夢遊病者のように階段を降り、道に出た。

 季節は春のようだった。

 ええと、春で合っているのか?

 なんだかもう、さっきまでの記憶が曖昧なのだった。

 だんだん、目が明るさに慣れてきた。

 目だけじゃない、体のすべてのパーツが、外に慣れてきた。

 外の空気はおいしかった。

 俺は両手を広げて、大きく深呼吸した。

 もう一度、1号に電話をした。

 使われていませんのメッセージ。

 SNSで、1号を呼び出そうかとも考えた。

 でも、止めた。

 俺はスマホを放って捨てた。

 もう、どうでもいい。

 1号のことも、愛実ちゃんのことも、将来のことも。

 どうでもいいから、ただ、生きて行こうか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ