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僕たちの場合  作者: 伊織愁
7/12

~予選会場の町~⑤

 怒号と悲鳴が登山口付近に響き渡る。 薫たちは、予選のゴールまで、後もう少しの距離まで来ていた。

追いすがって来る『刑事』役を蹴りつけて引き離す。 『刑事』役に囲まれた状況をどうやって抜け出して来たかというと。



――少し前

 「俺、絶対に伊織くんとこの会社には、入りたくない」


 薫は、目を細めて掠れた声をだす。 額には、じんわりと汗が滲んでいる。 後ろに、良人、ビリィ、瑛太が、背中合わせで『刑事』役と向かい合っている。 真後ろの瑛太が眼鏡を上げて溜め息を吐く。


 「薫、あんまりやり過ぎるなよ。 あの肘鉄は、止めとけ」

瑛太の忠告に薫は軽い調子で答える。 薫もちゃんと人を見てやっているので、目の前の『刑事』役にはしない。

 「了解」


 薫たちは、同時に目の前の『刑事』役に向かって走り出す。 喧嘩慣れしていない『刑事』役の男たちは、狼狽えた様子を見せる。 一人一人と軽く蹴りつける。 殴りつけてくる攻撃をかわしながら、徐々に前へ進んで行く。 人を殴り慣れていない人間の攻撃は、単純で読みやすい、簡単にかわせる。

 攻撃をかわしながら相手が疲れるのを待つと、『刑事』役たちの囲いから抜け出した。 引き離す為に本気で、走り出す。 『刑事』役は大分お疲れの様で、追いかけて来れない。 薫たちは、余裕で予選のゴールまで来た。


 体力と意地が残っている『刑事』役が追いすがって来る。 『刑事』役の攻撃をかわすと体勢を崩した男が無様に転げる。 『刑事』役の男には、同情しかない。 

 登山口のゴールに、先にゴールしていた鈴子と志緒の姿が見える。 鈴子の腕には「イオリ」が大人しく抱かれていた。 ゴールした薫たちは、無事に予選を突破した。


 「疲れた~~! もう、今日は一歩も動けない!!」

嘘だ。 薫は、伊織に促されれば走れるだろう。 気持ちの問題だ。 薫たちの側にイベント担当者なる人、明神が近づいて来た。

 「お疲れ様です。 皆さま、本戦出場おめでとうございます」

薫たちに丁寧にお辞儀をする。 本戦出場というがイベント事態が出来レースで、参加者は薫たちだけである。 その事をおくびにも出さず明神は、笑顔で宣った。 流石、会長の秘書だ。


 「本戦は、明日の朝八時から始まりす。 スタート場所はここ、登山口です。 八時までに準備をして、スタート地点に集合して下さい。 今日はもう、何もありませんので夕食までゆっくりして下さい。 それと、皆さまに、伊織さまから伝言があります」

薫たちの頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。 明神は、人の良い笑顔を薫たちに向けて宣った。

 「『お前ら夕食後、説教だ』だそうです」

 「え! なんで!!」

薫一人だけが、説教の理由が分からず不満を叫ぶ。 他の面々は、『やっぱりな』と呆れた様子で薫を見つめる。



――楽しい夕食後、伊織の説教が終わった後『勉強会』が開催された。

 薫たちが泊ったのは、小さい頃から馴染みがある、相葉家の別荘だ。 元々あった場所から、相葉グループの一流ホテルの屋上に移築して、少し改装してある。 馴染みがある物が残ってる事で薫たちは、少しホッとした。 別荘に入ると坂木さんがいて、相葉グループのスタッフと夕食の準備をしていた。


 「あっれ! 坂木さんも来てたの? 休みじゃなかったんだ……」

 「朝から機嫌が悪かったのって、こっちの仕事に遅刻しそうだったから?」

薫と良人が慌てたように確認した。

 「そういう事になりますね。 それよりも君たちが着ている服、自分たちで洗濯してくださいね。 今日中に干さないと、明日帰る時までに乾きませんよ。 荷物はもう、部屋に運んでありますからね。 お風呂も沸いてますから、入って下さい」


 薫たちがお風呂から出たら、もう、夕食の用意が出来ているであろう。 いた世り尽くせりである。

坂木が作った夕食をとても美味しく頂いた後は、楽しい伊織の『お説教』が待っている。

 場所は、別荘にある二十畳の和室、中央にお膳が二台並んで置かれていて、人数分の座布団が引かれている。 薫たちは、お膳を背に伊織の前に正座して並んで座っている。 少し、離れた場所に紫苑もいる。 伊織の説教が長引いたら止める為だ。


 「人の足元で爆竹を鳴らすなんて! なんて、危ない事をするんだ! 間違ったら大火傷を負うんだぞ!! 良人もビリィも分かってるのか? 嬉々として参加するんじゃない! そういう時は、瑛太とすずが止めないと駄目だろ!! こいつら止まらないんだから! それと薫。 あの肘鉄はなんだ? 当てるだけじゃなくて、抉っただろ。 何処であんな危ない技、覚えたんだ。 あの肘鉄は二度と使うな。 入りが浅かったら良かったけど……絶対に二度とするな!」


 言いたい事を一気に言って、伊織は深いため息を吐いた。 薫たちは、黙って伊織の説教を正座して聞いていた。 『正座で説教なんて、虐待だ』という声が聞こえてきそうだ。

 伊織は、全員に足を崩すように促した。 残りの爆竹は紫苑によって没収されていて。 明日の本戦が終わった後の打ち上げで、紫苑の手によって、正しいやり方で鳴らされるだろう。 


 伊織は薫たちに向かってもう一つの問題を切り出した。

 「で、あの子猫は誰が飼うんだ? お前ら、動物を飼う事がどういうことか分かってるのか?」

薫が顔を上げて伊織を見つめると、当然のように伊織を指をさして言った。

 「もちろん。 伊織くん家で! 名前も、もう『イオリ』ってつけたし」

伊織は頭を抱えて項垂れる。 側で聞いていた紫苑が噴きだして、肩を小刻みに揺らして笑っている。

 「人を指さすな。 なんで、俺の名前をつけてるんだよ」

ビリィが子猫を抱き上げて伊織に見せる。 伊織の視界に子猫の顔がアップにされた。

 「ほら! おでこの模様が、伊織くんの前髪にそっくりでしょ? だから、皆で相談して決めたんだ」

 「それに薫が、伊織くんも自分に似ていて、同じ名前だったら無下にはしないんじゃないかって」

鈴子が子猫の頭を撫でながら、可愛いと目を細めている。

 「意外に策士よね。 蛯原」

志緒も子猫の手を握って顔を蕩けさせている。 伊織と紫苑は、目を合わせて苦笑するしかない。 



――伊織による『勉強会』が始まる。

 「んで? なんで俺ら勉強なんてしてんの?」

薫は、説教が済んだら、良人とゲームをしようと思っていた。 別荘にもゲームが一通り揃っている。

薫以外の他の面々は、真面目に課題に取り組んでいる。

 「お前ら、月曜提出の課題があるだろうが。 俺の家の用事の所為で、出来なかったら、課題を出した先生に悪いだろう。 つべこべ言わずにやれ」

伊織に窘められて、薫は課題に取り掛かった。 課題に向かいながら、薫の頭の中は、イベントで勝利して、欲しい物が貰える妄想でいっぱいだった。 薫は気づいていなかった。 薫が欲しい『電動キックボード』は、貰っても、十八歳になって運転免許を取らないと乗れない事に。

『僕たちの場合』を読んで頂き誠にありがとうございます。

気に入って頂ければ幸いです。

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