開幕
「この記録、おかしくないっすか?」
余所から回ってきたデータを見た職員が声を上げる。
「例の月次データのことか?」
おかしい、と思っていたのはその職員だけではなかったらしい。
「まあ、おかしいから回ってきたんだろうさ」
「そうは言っても、ねえ……」
住民減を示すデータ、とでも言えば良いだろうか。
「ほら、事件の影響とか」
「いくら連続だからって、事件だけでこんな……」
桁2つ、違うんじゃないっすか?
最初の職員はそう呟いていた。
季節が変わった頃、少女は足を止めた。
「……奇遇ですね」
会いたくなかった、とは思う。
しかし、会わなければならないとは思っていた。
「私に、何しました?」
「会って早々とは余程、気になっていたとみえる」
とは言え、探すにもどうしたら良いかは分からない。
「当たり前じゃないですか」
「そろそろ蟲毒の蓋が開くからね」
だから、アテもなくうろつくくらいしか方法はなかった。
「はぐらかさないでください」
「はぐらかしてもいいかな、と思ってる」
しかし会えた。会ってしまった。ということは。
「そう、言われては返す言葉がないんですが……」
「まあでも、はぐらかそうとは思ってないぞ」
ほかでもない、この男が会いに来たということだ。
でなければ邂逅するはずがない。
「……じゃあ、なんで教える気になったんですか?」
切り口を変える。
「蟲毒の蓋が開くからさ」
同じ答え。
「それは……具体的にどういうことなんですか?」
聞きたくないとは思いつつも、つい口を突いて出る。
「終わったんだよ」
要領を得ない。
「何がですか?」
短く聞き返す。
「悪霊の、いや怨霊の涵養がな」
聞くべきではなかったかもしれない。
「何百、何千というサンプルから回収された人間社会の悪意が数多の血肉を得て顕現する」
虐待された幼子、虐められた児童、挫折した学生。
パワハラに苦しむ平社員もいれば、エリートもいる。
セクハラを受けた人もいれば汚名を着せられた人もいる。
無実の罪を責められた人は社会復帰が絶望的だ。
人間が同胞を吊るし上げる事例も方法も枚挙に暇はない。
挙げればキリがない怨嗟の数々も、本当なら復讐を望む人がその数だけいるはずだ。
「だが彼らには叶わない。俺だけが叶える」
「…………それは、結局あなたもその人達を利用するということですか?」
「そうであるともいえるし、そういうわけではないともいえる」
少なくとも、彼らの望みが直接果たされることはない。
「そして今や、お前も俺のようなものだ」
「私が……?」
「お前を内部から蚕食した遺志は、元のお前自身を食い荒らした」
「それが、あの時の……」
「人が変わったようだっただろう?変わったんだ。変えたのだから」
血の気が引いていくような感覚を受けながらも、話はまだ続く。
「今の人格だって主格はお前だ。元のお前だ。しかし、もうこちら側だ」
「私が、化け物……?」
「だから生き残るだろう、次の世界でも。誰が勝とうとな」
「それは、あなたが負けることもあるということですか?」
踏み留まるようにして返す。
「充分に考えられるだろう。その時はそうだな、お前が新たなイヴだ。イザナミでも良い」
「つまり私の子孫が、あなたの目的を果たすと?」
「どれだけの時間がかかるかはわからないがな」
「私で途絶えさせてしまえば良いと思いませんか?」
「好きにするが良い。尤も、そうは言ってられない世になっているだろうけどな」
男がやりたいことは具体的に何なのか、今だ判然としないところはある。
しかしながら大それたことをしたいことは間違いないらしい。
「人類は滅びるべきだ」
「滅ぼす、の間違いじゃないですか?」
「どちらでも良い」
「その方が世界のためだとでも?」
「自分のためだ」
「エゴですね」
「みんなエゴさ」
「……じゃあ」
僅かに溜める。
「私も、エゴイスティックに生きることにします」
少女も、既にあちら側であった。