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綺麗な花には棘ばかり

 


『なにボーッとしてるんだい?折角地味な城が珍しく飾り付けられている日にアホ面晒さないでくれる?』


『いひゃい……』


 ニコラの姿を見て感傷的になっていた所に割り込んでくるのは当然ファウストさんである。

 頬っぺたをむぎゅっと摘ままれて私は涙目だ。既に肉体のない私に干渉して痛みを感じさせるファウストさんは本当に意地悪である。


『なんですか、乙女の憂いを邪魔して!私は悲しみに浸ってたんですよ!もうニコラとダンスできないのか、とか!ニコラはバッチリ夜会服なのに死んだ私は制服のままですし……せめて贈ってくれたドレスは着てから死にたかったなとか』


 私の今の服装は襲われた日のまま、由緒正しい王立学園の制服姿である。

 入学当初はスカートの柄の可愛さとスタイリッシュなジャケットのデザインに興奮した大好きな制服だったが、もっと綺麗なドレスで最期の時を迎えたかったという未練が出てきた。あと、せめてウェディングドレスは着てから死にたかったなぁ……。卒業したらニコラと結婚の予定だったのに。プリンセスラインのふわふわのドレスを着る予定だったのに。

 ファウストさんは肩を竦める。


『君はそんな繊細な精神は持ち合わせてないだろう?さっさと立ち直ってくれないかい?君につられて僕まで暗くなるのは、御免だ。それに、服に不満があるなら着替えればいいだろう』


『着替えるなんて無理ですよ、私は幽霊なんですよ?』


 ファウストさんは眉間に皺を寄せる。そして、手を付き出して、私のおでこにデコピンをするではないか!凄い痛い。


『痛いです!』


『お馬鹿。このお馬鹿。ねえ、僕の話を聞いてたの?前に話したよね、君は既に魂だけの存在でその姿は生前を思い出しているに過ぎないって。君は魂だけの存在なんだよ、だから何にだって為れる。服装だって変えられるんだよ』


『そう言われましても……』


 そんな急に言われてもやり方が分からない。


 パートナーが居らず、壁の方に一人で歩いていくニコラの姿が視界の角に映る。

 その孤独な背中に胸が締め付けられて哀しくなった。私がドレスを着て側にいたら楽しいパーティーにしたのに。


 眉頭を下げながらファウストさんを私は見上げた。

 ドレスに変身も出来なければ、ニコラの側で励ますことも出来ない自分の無力さをひしひし感じた。


『……その、棄てられた子犬がすがってきている気分にさせる目付きを今すぐにやめてくれない?』


『……すみません』


『どうせ君は君の愛しのニコラのことを考えてその目付きなんでしょ?まったく……側に男がいる時に別の男のことを考えるのはマナー違反と教えてくれる友人は居なかったのかい?僕は信じられないね』


『…………すみません』


 落ち込む私にファウストさんは大きく溜め息をついた。


『……僕は風流なことで名を馳せてるからね、例え人間達が僕を視認できなくてもこういう場では人間の正装をして楽しむんだよ。今日もそのつもりだ。……君の姿もついでに変えてあげるよ』


『……え?』


『ほら早く来てくれない?僕の気分はすぐに変わるんだよ』


『あの……』


 腕を引っ張られ、おでこに手を当てられる。触れる部分がほんのり温かい。これが魔力の感触だろうか?


『どれだい、着たいドレスって……ああ、これ?うわ、銀に灰色と水色の刺繍だなんてセンスが皆無じゃないか。独占欲ドレスだね。最悪。気持ち悪い。……ねぇ、デザインは同じにするから色だけ変えて良いよね?僕のセンスが許さないんだけど。この色味。良いよね?』


『え?あの、まあ……はい……』


 嫌なものを視界にいれたような表情で迫ってくるファウストさんに私は押しきられる。

 本当はニコラが贈ってくれたのと全く一緒のものが良かったけれど、ファウストさんの勢いが凄まじかったのだ。


『よし』


 ファウストさんがパチンと指を鳴らす。

 すると目の前が真っ白になり、温かい光が全身を包んだ。


『もういいよ』


 私は恐る恐る目を開く。


『わぁ……!』


 私はニコラから贈られたドレスと全く同じデザインのドレスを着ていた。上品なAラインのローブデコルテで、スカート部分は可憐なオーガンジー。裾から蔦が這うように複雑な刺繍が入っている。胸元には幾つもの真珠が縫い付けられていて輝いていた。


 色味は普段ファウストさんが着ているような純白の布と銀糸の組み合わせだが、それ以外は私の家に届いたものと同一である。

 私の黒髪は結い上げられていて、僅かに頭が重いのはニコラがドレスに同包してきた真珠の髪飾りが着いているからだろう。

 一拍遅れて右の耳朶が熱くなる。

 はっと手をやればそこにピアスがあった。 鏡には映らないから確認できないけれど、念入りに触れば間違いない。ニコラが今日も着けてきてくれたお揃いのピアスである。


 ファウストさんは失くしたピアスまで再現してくれたのか。普段は素っ気なくて意地悪なファウストさんの思い遣りに胸が熱くなった。


『ありがとうございます!』


 私は彼の方に意識を向ける。


『あ……』


 そこにはちょっと生意気そうに頬を歪めた、この世のものとは思えない程美しい生き物がいた。


『何?僕が麗しすぎて、浮気したくなった?ふふふ。僕はこんなお馬鹿な小鳥さんはごめんだけどね。そもそも人間なんて対象外だし』


 夜会姿のファウストさんはこの国の貴公子が束になっても叶わない姿だった。


 櫛通りに良さそうな銀髪はオールバックにしてあって、前髪を撫で付けているお陰で幅の広い二重のアーモンド型の目が惜しげもなく見せられ、銀の虹彩の中には星屑のように輝く不思議な光が幾つも確認できる。

 それまで私はオールバックはちょっと古臭いけど体面のために仕方なくする髪型の一種だと思い込んでいたが、勘違いだったことを知った。

 前髪が時々解れて、何本かの毛束が目の端にかかるのを、煩わしそうに眉を寄せて直すのすら、ファウストさんは艶やかだ。


 まさに人外の美しさ。形の良い唇はほんのりと色づき、理想的なバランスから僅かに高い頬骨が、男性らしい逞しさと仄かな色気をだしている。


 普段は純白のスリーピースなのに、今回は真逆の漆黒のものを身に付けているのも素敵だ。銀髪銀目と白い肌がよく映える。

 ニコラは光に当たると青緑っぽくなる布で仕立てていたが、ファウストさんは全ての光を吸収してしまうような布だ。悪い大人のファウストさんだからよく似合うような、そんな素材だった。

 先ほどまで、落ち込んでいたはずなのに、この広い会場で言い尽くせぬほど素晴らしい彼を認識できるのは自分一人だと思うと擽ったいような嬉しいような気分にさせる、そんな出で立ちをしていた。


『…綺麗……天井の天使の絵より何倍も……』


『ふーん?まあ、ありきたりな褒め言葉だけど悪くないんじゃない?実際に僕の姿を見て何人も画家が筆を折ったしね。描けないってさ』


『見せた……?魔法とかでですか?』


『うん、画家に僕を見せたらどうするのか興味が沸いた時期があってね。あんなに簡単に挫折するとは思わなかったよ。あんなことで心が折れるなら彼らはどうせ大した作品は描けなかっただろうしね。余り気にしてはいないけど』


『自然に他人の人生を歪めた話をぶちこみましたね……。その後の可哀想な画家さん達の人生が気になります』


『全員の人生は覚えてないけど、一番最後に筆を折った男はパン屋になってたよ。天職だったんじゃない?彼、絵の才能なかったし。そこそこ成功してたよ』


『それはよかったです……』


 画家としてのキャリアを人外に挫折させられた彼らの中にも、他の生き甲斐を見つけてくれた人がいたのは、せめてもの救いである。

 話を聞かされた此方の精神にも優しい。


 私とファウストさんは壁にもたれ掛かるニコラの正面に距離をとってふわふわ浮いていた。


 紳士淑女が入場して、足元の大理石の覗く空間が狭くなる。やはり身分の高い人の方が財力のある傾向があるようで、女性のドレスの絢爛さの印象は侯爵位までが入場した時と、全招待者が入場した時と大きな差がない。

 むしろ大貴族しかいないほうが会場全体が雑然としていなくて華やかなくらいだった。今年のドレスの流行りが嵩張る形のドレスだから例年より会場が狭く感じるのだ。


『うーん、やっぱり夜会は混沌としていていいね。一級品の布で仕立てた素晴らしい衣服に、嘘ばかり吐く小汚い魂が包まれてる。なまじっか審美眼が確かでまともなデザインのものを身に纏っているから余計に悲惨だよ。これぞ、まさに人間の真骨頂って感じだよね』


『元人間として抗議したい発言です……もっと人間は綺麗なはずです……』


 もっと人間は優しく温かくて賢い存在のはずである。そんな虚飾にまみれた悪魔じみたものじゃないはずだ。そう思いたい。


『ふーん?君が主張するのは勝手だけど、嘘を吐く生き物は人間だけだよ?これは事実さ。神も、天使も、妖精も、悪魔も、動物も、虫けらだって嘘を吐かないのに。醜くて嫌になっちゃうね』


『……左様ですか』


『君は能天気に生きすぎてて嘘偽り無く過ごしてきたから理解できないんだろうけどね。……今まで嘘を吐いたこと、ないでしょ?』


『記憶にあるかぎりでは』


 特に悪いことはしてこなかったし、悪いことや、失敗をしてもすぐに謝ってきた。何か失敗をした時にそれを帳消しにするコツは挽回するか、まだ傷が浅い内に相手が怒るのを躊躇うくらいの勢いで必死に誠心誠意謝るかだ。大概はこれで上手くいく。ポイントは誠意を確り相手に伝えることである。兄や姉が怒られるのをただぼんやりと眺めていた訳ではないのだ。これこそが末っ子のサバイバル術。


『だろうね。18年の人生で一回も嘘を吐いたことがないからそんなに魂が真っ白なんだろうよ。君は脊髄反射で生きているんだね、きっと。虫けらみたいに。羨ましい限りだよ』


『馬鹿にしてます?』


『褒めてるよ、魂が綺麗なことに越したことはないでしょ?虫けらだって蝶や玉虫なんか素晴らしいじゃないか。僕のコレクションにあるよ』


『左様ですか……』


 納得できない顔をする私にファウストさんが思案顔をする。


『僕は本当に褒めてるんだけどなぁ。んー………例えば、あれ。君と同じ年代の人間でしょ?見た目も特に秀でてないけど中身が汚い』


 ファウストさんが指を指したのはワンショルダーのマーメイドラインのドレスを着た大人っぽい美人である。猫のような切れ長で色っぽい一重瞼に目尻にかけて濃くなるグラデーションのアイメイク、深紅の口紅でくっきり縁取られたぽってりした唇と、すっきりした鼻筋にやや面長の顔。髪は片方に垂らして緩く編み込んでいる。


『どうしたんだい?凝視して』


『いや……その、知り合いです……』


 ファウストさんに酷評された女性は、どこかで見掛けたことがあると思ったら学園の知り合いだった。

 学校では地味な印象だったけれど彼女は化粧で化けるタイプの女性だったようだ。メイクがよく似合っている。制服姿でもナイスバディーの片鱗はあったから夜会で輝くタイプの女性だったんだろう。

『ふーん。同級生かい?』


『ええ、まあ……その、一応』


『どうしたんだい、はっきりしないね。君の長所ってなんでもポンポン返すところだと思っていたんだけれど』


『うーん……』


 彼女とは死後に思い出して回想するほど深い関係でもなく会いたいわけでもないので、すっかり忘れていたとはさすがに説明しづらい。

 私がモゴモゴしている間に、彼女はスルリと人の合間を縫って私達の目の前を横切り、会場の端に立つニコラの方に近づいた。


「ニコラウス様、お久しぶりでございます。今日はお一人なんですの?」


 ニコラは返事もせずにワイングラスに視線を落としたままであるが、周囲の参加者に紛れている騎士様達がそっと聞き耳を立てるために配置を変えた。


「……」


「相変わらずクールでいらっしゃるのね。素敵ですこと。私と一曲踊りませんか?」


 ニコラが射ぬくような視線で彼女を睨み付ける。

 彼女の剥き出しの肩がピクリと震えた。


『ははーん。僕、君とあの子の関係、なんとなく理解してきたよ。あれだね?泥沼だね?泥棒猫志願者だ』


 とても楽しそうな調子でファウストさんが言う。口笛でも吹きそうな勢いであるが、当事者の私は胃が痛い。

 いや、もう私に胃はないんだけど、胃が痛くなるくらいストレスが凄い。


 まさかこんなピリピリのニコラに話し掛けにくるとは彼女も大概チャレンジャーである。帯剣していたら即座に切り捨てられそうな雰囲気なのに。ほら、周囲の参加者が恐れをなして一歩引いている。

 彼女も心なしか顔が青いではないか、何故挑戦したのか……。

 彼女が無謀にもニコラにすり寄り、ニコラの腕に豊かな自身の胸を当てようとした時だ。


「まあ、婚約者のいる男性に対してとてもお上品な振る舞いをなさいますのね、ラウラ様」


 卵形の顔に緩く巻いたブロンドに碧眼の可愛らしい小柄な少女の刺々しい声がした。

 彼女の南国の海のようなその目と同色の派手なボール・ガウンは、裾にかけて広がった大きなシルエットで流行の最先端である。更に、私と同じように真珠がドレスに縫い付けられているので余計に豪華な印象だった。


「ノール侯爵令嬢……」


 忌々しそうなラウラの顔。遂に高らかに口笛を吹いたファウストさん。口笛もお上手なんですね。


『また新手が参戦してきたよ。いやはや、笑顔で嫌みだなんて貴族令嬢は素晴らしいね、グレーテ、君も見習ったら?』


『ファウストさん、お上品に貶すのをやめてください、片方は親友なんです……』


 私は顔を覆う。

 そう、ラウラを止めたノール侯爵令嬢は私の親友である。大方、私のためにニコラをラウラから守ろうとしているのだろう。

 しかし、私は不安であった。親友が何かしでかさないか……。


 ノール侯爵家の一人娘の彼女は色々と規格外の女である。ご両親がどちらの性別の子が産まれても良いようにと用意した名前を、可愛くないと拒否し、周囲の人間に名字呼び、もしくは愛称呼びを強制している彼女は、センスは良いが派手好きで、騎士団大好きのミーハーで、そして旦那は入り婿だから侯爵家の名前につられるだろし私がどんな人間だろうと不足はないと堂々と公言して、淑やかさをかなぐり捨て、好き勝手行動して生きている。


 そして、強気で、真っ直ぐで、正々堂々して、浮気・意地悪等この世の不道徳が大嫌いな正義一直線の愛すべき私の親友はラウラと絶望的に相性が悪い。


 いくら親友が派手小生意気可愛くてもそろそろ婿の来手がなくなるのではないかと戦々恐々している彼女の両親が卒倒するような発言を夜会でラウラ相手にしないか心配である。


『どっちが親友……なんて聞くまでもないね。参戦してきた、あの派手な小娘かい?金髪にド派手なドレスに、大きな宝石のついた髪飾りがついた?』


『そうです。あの二人めちゃくちゃ仲が悪いんですよ……、いつもは私が止めていたんですけれど死んじゃったんでどうなることやら……』


『なんで喧嘩を止めていたんだい?君の愛しのニコラを狙う泥棒猫なんだろう?ぼこぼこにしちゃえば安心じゃないのかい?』


『それはそうなんですけど、なんというか、見ていてくだされば分かります……』


『ふーん?とにかく見物なんだね。分かった』


 親友はニコラを庇うようにラウラの前で仁王立ちをしている。

 背が低く、裾が広がったドレスを着ているので可愛らしい風貌のはずなのだが、如何せん態度が大きいせいでそう感じさせない。

 ニコラは彼女の行動に少し驚いた様子だが、親友とは私を通じた友人同士であるので、ラウラと異なり敵対的な視線は向けていない。


「あら、ノール侯爵令嬢。私はただ珍しくニコラウス様がお一人でいらっしゃったからご挨拶しただけですわよ?邪推していらっしゃるのではなくて?」


 不敵に嗤うラウラを親友が睨み付ける。

 ああ、親友、ダメだよ。折角子兎のように可愛いクリクリの目をしているのに、三角にして凄んでは。

 ほら、潜入している騎士様がドン引きしている。


「そうなんですか、ラウラ様の中の常識では親しくもない格上の男性に、それも婚約者のいる男性に下の名前で呼び掛けるのは普通なんですね、寡聞にして存じ上げませんでしたわ。失礼いたしました」


 嫌味な言い方で注意しているが内容はそう変なものではない。

 向こうにいる年嵩の見知らぬおば様がうんうんと頷いている。よく言ったというところだろう。

 妾がいるとか、燕がいるとか、そういう家庭の問題はあるかも知れないけれど、それはそれ。貴族の結婚はある程度政略的なものであるので夜会には夫婦同伴である。しかも王族主宰のパーティーのパートナーは正妻が圧倒的に多い。


 そういう場でラウラのように、妻のいる男性、婚約者のいる男性、所謂売約済みの男性にあからさまに公でシナを作る女は女性に、特に年配の女性に嫌われる。

 正妻で貞淑な妻は婚約者の女性に同情するし、不倫している女性は政略結婚の意味が理解できるから影でこっそり大人の遊びをして楽しんでいるのだ。既婚者やそれに準ずる男性に公にあからさまなアプローチをするような女を見下している………というのは親友から聞いた受け売りであるが、会場の空気はラウラに冷ややかである。


 ラウラの伯爵令嬢という半端に高い位も不利に働いている。伯爵家出身の癖にそんなことも分からないの?というように。

 ラウラ自身、成績もそこそこ良くて頭は悪くない筈なのに毎回懲りずにニコラに粉をかけて、白い目で見られるのを繰り返しているのが不思議でならない。


 ラウラは乾いた唇を舌で嘗める。少し大きい前歯に紅が付着した。


「私はただ、変な意味はなくてニコラウス様が寂しそうにしていらっしゃったから仲良くしたいだけですわ。騎士団にご熱心なノール侯爵令嬢こそ何か秘めた思いがおありなのでは?噂ではニコラウス様と同じ日に行き、同じクチュールでドレスを注文されたとか?」


 それは初耳である。

 親友は視線をあげ、ニコラの顔と、全身を嘗めるようにじっとり観察すると、馬鹿にしたような顔をした。


「それは私の家が取り扱っている真珠を融通して欲しいと頼まれたからです。ドレスに使いたいって。グレーテのためだって言うから()()()()行ってあげたんです。……私がライト侯爵が好き?面白いご冗談ね。筋肉と背丈が足りませんわ、圧倒的に。あと、顔がタイプじゃないです。グレーテとそっくりな双子の弟がいればよかったのに……あの子のお兄さんは親しみやすい感じの顔なのよね。残念。しかも、既婚者だし。最近は髭生やしだしたし。」


 案外繊細なニコラが複雑そうに顔をしかめる。

 あれは、お前に褒められても嬉しくないけど貶されるのは不本意だという表情だ……!

 そして遠巻きに親友を熱っぽく眺めていた細身の少年が顔を覆って、周囲の男性に慰められていた。紳士的な資産家で有名なお髭がダンディーな歳上の男性もちょっと傷ついた顔をしてシガールームに向かっている。

 ああ、親友。失言のせいでまたしても君は出逢いを現在進行形で失っているよ……。


「く、口だけならなんとでも言えるわ」


「貴女と違って私は信用があるんです。なんでもグレーテのものを欲しがる賎しい貴女と違って、ね。第一、グレーテにぞっこんのライト侯爵が他の女に興味があるわけないじゃない」


「それは……」


『ああ、親友。言葉が、言葉がきついよ。もうちょっとマイルドに……ほら、ご両親の顔色が悪いよ』


 ノール侯爵は紙のように白く血の気を無くした自身の妻を支えている。侯爵夫人は卒倒しそうであった。

 周囲の人は親友とラウラの会話に聞き耳を立てている。


 ラウラはかなり厳しい口調で責められているが、学園に通っているであろう私達と同年代の参加者は彼女に一切同情している素振りはない。

 普通はご令嬢が言い争いをしていると、勢力が二手に分かれているものである。もしくは虐められて可哀想という同情の視線が弱い方に向くか。

 それが、親友の後ろに応援するように近づく子女や子息はいても、ラウラの側には誰も行かない。


 私にはそれが、異様な光景に見えた。


 ファウストさんは合点がいったようで、ポンっと手を叩く。


『なるほど、あのラウラって娘。嫌われているんだね。ほとんど全員に。だから君は彼女に同情して悪口を言わないし、文句も言わないんだ』


『……。』


 私は黙り込む。図星だったから。

 そう、ラウラは学園の嫌われ者だった。

 授業で二人組を組む時は大抵余っていたし、友達も居なかったし、婚約者もいなかった。それがとても不憫で、私は何をされても彼女を責めなかった。親友や、同級生や後輩の方が怒っていたくらいだ。


『で、どうせあのラウラって子、今みたいな調子で学園で過ごしていたんだろ。周囲から可愛い可愛いされているグレーテ姫ちゃんに意地悪でもしたのかな?』


 小馬鹿にしたような口調でファウストさんは続ける。


『言いたくないです』


『ふーん?でも、面白そうだから、覗かせて?何されたの?』


 信じられない程整った容姿で彼はにっこりと微笑み、私の額に手を当てた。


 そこがほんのり温かくなる。私がニコラから贈られたドレスのデザインを私の記憶から探ったように、何が起こったのか私の記憶に目を通すつもりなのだろう。

 私はしばし尻込みをした後、そっと視界を閉ざした。


 

―――ラウラは最初はクラスの目立たない娘だった。大人しくて眼鏡をして、背表紙が擦りきれて丸まった本を読んでいて。私の好きな本も読んでいたから仲良くなれそうなんて思った。


―――突然、眼鏡を外したラウラは急に攻撃的になった。「なんでニコラウス様とあんたが婚約しているのよ!別れなさいよね」

 彼女を遠巻きにするクラスメイト。怒る親友。

「ちょっと?!いきなりグレーテに何言っているの?!」

 言い争いは公爵令嬢であるジュリエッタが仲裁するまでつづいた。


―――「あれ?ニコラから貰ったペンダントがない?」数日後、ラウラが一週間の謹慎になり、教師経由でペンダントが還ってきた。


―――ハンカチや使いかけのペン。書きかけのメモがなくなったけれど私は気がつかない振りをした。食堂のおばちゃんが慰めてくれた。優しいなぁ。


―――「あれ?鞄がない?」その日はラウラを除くクラス全員が私の鞄を探してくれた。数日後、返却され、またしてもラウラは謹慎になる。


―――私のクラスの皆は善良で、学園の人も言いがかりをつけられる私に同情的だった。だから全員が問題児のラウラを避けた。グループ作りの時は優しいジュリエッタが声をかけるまで皆彼女に近寄らなかった。ラウラは一人で立っていた。


―――お茶会にもトラブルメーカーの彼女は呼ばれない。お菓子を摘まみながら同級生と東屋で雑談していた最中に私が視線を感じて振り向けば、憎々しげにこちらを睨み付けるラウラが離れたところに―――



『最悪。もうやめる。何この記憶?最後、怖くないのかい?ホラーじゃないのかい?君、よくこんな目に遭ってて恨まれる覚えがないって嘯いたね?恨みが濃縮されているじゃない?』


『最後にラウラは停学になったのでここ半年ほど会ってないんですよね。そのせいか余り印象に残ってなくて。ファウストさんのせいで嫌な記憶を思い出しましたよ。多分ニコラと結婚するのに浮かれてて最近は忘れていたんですね』


『これまで僕は君にお馬鹿だ、鳥頭だって冗談で言ってきたけれど、どうやら真実だったのかな……?』


 呆れてものが言えないよと、ファウストさんが眉をしかめた。


『それに、私って実はラウラと直接話したことが殆どないんですよね。同じ伯爵家でも派閥が違ったからか幼少期のお茶会なんかも殆ど一緒じゃなくて……だから、一方的に絡まれるだけ?で。正直余り思い出もなくて……』


『君って図太いのか、薄情なのか……まあ、君は死んでいるんだし気にしたところでもう遅いからいいんだけどさ』


小さい呟きと同時に頭をガシガシ撫でられた。

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