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天国良いとこ一度はおいで

 


『全く……君は本当に余計なことしかしないんだから僕の許可なく動かないでよね』


『反省してます、すみません』


『どうだか』


『それで、今、ニコラはどうしてますか?余りの姿に衝撃を受けて……その後に夢を見た記憶はあるんですけど』


『君ってば、本当にそればかりだね……。ま、いいさ。君が小瓶の中で優雅に休んでいる間に親切な僕が付け回しておいてあげたよ。あれから君の愛しのニコラは徹夜で作業して朝に寮に帰って寝た。そろそろ昼だから起きる頃じゃないかな』


『流石です、ファウスト様!イケメンで心優しくて超有能!』


『全く、君ってば本当に現金な娘だよね』


 悪い気はしていないようだ。


『もちろん、ニコラのお部屋の場所も知っていらっしゃったり……?』


『当たり前だろう?君と違って僕の頭脳は優秀なんだよ。案内してあげるから、おいで?』


 パッと両腕を広げるファウストさん。たおやかなのにどこか男性的な美貌でフレスコ画の聖母よろしい雰囲気を醸し出した。

 よく家族や友達にして貰ったなと懐かしみながら私は彼の胸に勢いよく飛び込む。

 ファウストさんは一瞬面食らった表情をした後で、私の髪を撫でた。


『ペットを飼う酔狂の気持ちが不本意ながら僅かに理解できたよ……』


『……?何か言いましたか?』


『いいや、別に。さ、君ってば鈍いし愚図だから僕がこのまま運んであげるよ。光栄だろう?』


 ファウストさんが私の両脇をむんずと掴んで抱き上げると左腕の上に私を据えて抱っこした。

 私と体格差があるからできるのだろう。手が膝裏に当たってくすぐったい。


『子供に戻った気分です。ファウストさん意外と筋肉あるんですね。肉体派ですか?運動お好きです?』


 私の顔をすぐ横にある端正な顔が鼻で嗤う。先程まではファウストさんが抜群のプロポーションであるせいで距離が離れていたのに、今は間近に極上の顔があるせいで少しドキリとした。

 睫毛が長くて、鼻筋と顎のラインが感嘆するほど素晴らしい。


『僕がトレーニングだの、労働だの、煩わしいことをするわけないだろう?それに僕は生まれつき完璧だから必要ない。それよりも僕に運んで貰えることに感謝してよね』


 汚れ一つない白革靴。内羽でストレートチップのフォーマルなデザインのもので、ファウストさんが宙を蹴る。

 穴一つ開いてないはずの背広から翼が生え、ふわり私達は浮かび上がった。

 浮遊感に私がしがみつくと彼は満足そうに笑った。


『このままニコラの部屋まで連れていってあげるよ?……それともグレーテ、このまま現世から一緒におさらばしようか?飛んで逝く?』


 ギョッとして彼の顔を見る。不敵な笑みを浮かべる彼は冗談か本気なのか分からない。

 私は慌てて口を開く。


『いやぁ、まだまだ、現世にいたいなぁ、なんて!わ、叶えてくれます?!わー、ファウストさん。人の子の矮小な願いを叶えてくれるいい方ですね!見た目だけでなく、性根も素敵ですね!まさか、そんな素晴らしい人格の方が本人の意思を無視して天の国に誘拐なんてしないですよね』


 捲し立てて横目で確認すると、空いている右の掌を上に向けてファウストさんは肩を竦めた。


『……まぁ、良いけど。その調子で僕を崇めてよね。まあ、僕は君が望むなら何時だって現世から連れ去ってあげるし。なんなら君が望まなくても退屈なら一緒に連れて帰って良いけど』


『そんな、約束が違うじゃないですか!!ニコラを見守ってて良いって言ってたじゃないですか!!』


『確かに僕は言ったね、君が崇めて、更に歌いますなんていう頓珍漢なことを言い出したから、愉快で。阿呆も突き抜けると才能だよね。……で?君はその支払いをしたのかな?』

『ぐぬぬぬ……』


『やめなよ、変な顔しないでくれる?君の美点が減るだろう?ただでさえ少ないのに。こう、せめて真顔くらいに………?なんだい、急に。手を上げて』


『グレーテ、今から歌います!!』


『はぁ………まあ、いいけどさ』


 存在消滅の危機がかかっていた私は抱き上げられたまま歌い出す。

 正直、足を一纏めにされて、ファウストさんの腕に座っている体勢ではやりづらいけれど……背に腹は変えられない。

 肩を引き、胸をはり、喉を震わせる。もちろん、バランスを崩さないように彼の首に手を回して。本当は腕はリラックスさせた方がいいんだけどね。


 ファウストさんは私の声を聴いて逡巡したように空中で一周ゆっくり飛んだ後、純白の羽根をゆっくり動かして騎士宿舎の方に向かってくれた。

 歌え歌えという割に、ファウストさんは文句が多かった。私が即興で作った《格好いいファウストさんは国で一番素敵!》という題名の曲、はセンスを溝に棄てているからという理由で止められてしまったので、仕方なく王都で人気の《夏至前夜の幻》という演劇の曲を披露することになったし、囁くような調子の部分では耳が痒くなると文句をつけるし、伸びやかな高音のビブラートが見せ場の部分では耳元で煩いからボリュームを下げろと注文をつける。

 観客の態度じゃなかった。


 ファウストさんは宿舎の壁や扉をすり抜けながらが言う。


『そろそろ着くよ、コマドリさん』


『……あの、さっきから薄々感じていたんですけど、その変な呼び方って私の死体が理由だったりします……?』


『いや?純粋に五月蝿くて誰にでも懐きそうな警戒心の薄い人間だと思って。頭も軽そうだし。鳥は飛ぶために脳の容量を減らしているんだよ、知っていた?』


『……左様ですか』


 コマドリは胸に赤い模様がついていることで有名な鳥である。

 よく歌う鳥、五月蝿い鳥、飛べる鳥なら幾らでも候補がいる。

 その中から刺殺されて血が溢れたみたいと表現される模様のコマドリを選択する辺りに、ファウストさんの底意地の悪さが………いや、何も言うまい。

 機嫌を損ねたら天の国に誘拐されそうだし。それは困る。


 ファウストさんと私は先程より、気持ち大きな扉の部屋が並ぶ廊下を浮いていた。その中の一つの扉にスッと入る。


『この付近が恐らく幹部候補の部屋だ。さらに奥には長官の部屋があった。で、この薄汚い玄関が君の愛しのニコラの部屋。………うわ、この観葉植物、鉢土が乾いてるよ。放置しているな?高い品種なのに、可哀想に。帰り際に僕が貰っちゃおうかな……』


 形の良い唇をツンと尖らせてぶつぶつと文句を言っている。


 私はそっと廊下を進み、奥の部屋に入った。


『うわぁ……!お洒落……』


 染みだらけの木材が丸出しの陰気臭い廊下と違って部屋は壁とインテリアに統一感があり、小綺麗な印象だった。

 ここ何日か掃除していないからなのかうっすら白い埃が積もっているのが些か残念だが。


 遅れてファウストさんが部屋に首を突っ込む。前傾姿勢だから、ドアから生首が生えているように見えて少し怖い。


『お洒落?!この黒一色のインテリア軍団のどこがお洒落って言ってるの?!その無駄に大きな目は節穴かい?!……』


『黒だけじゃないです。ラグは緑ですよ?あ、あそこのマットと絵も緑色!それに、観葉植物が多くて癒されるお部屋ですね……』


 青々とした緑が机や窓際、棚の上に置かれている。切り花ではなくしっかりした葉をつける鉢に植わったものをメインに観賞している辺りにニコラの大人なセンスが垣間見えた。


『……正気?君、正気なの?理解してボケてる?それとみ僕に言わせたいの?』


『何をですか?……あ、写真立てが倒れてる。幽霊だと直せないのが歯痒いですね』


『……分かった、分かったよ、グレーテ……君って鏡は見ない人間なんだね?この黒と緑ばかりの狂気の私室の中で平然としている辺り、君って大物だよね……いや、大物じゃなきゃ僕に縋り付かないか……』


 呟くファウストさん。疲れきったような表情で前髪をかきあげる憂い顔も美しかった。


 ニコラの部屋はそこだけで生活の全てを済ませられそうな機能的な部屋だった。

 窓際に黒いベッドシーツのシングルベッドがあって、机と、私の背丈を優に越す棚が2つ。出入り口付近にある洋服ダンスは半開きで、中には騎士団の仕事着が掛かっている。

 奥まった場所には簡易的なキッチンがあり、本格的な料理をするにはスペースが狭いが、湯を沸かして簡素な朝食位なら作れそうだ。


『ニコラってお料理できるんでしょうか……?』


 侯爵家嫡男なのでする必要は無さそうだが。


『さぁ?でも戦線の真っ只中にいたんだろ?食事もまともに用意できないボンボンは邪魔なんじゃない?それに洗い物溜まってるし。汚いんだけど?……グレーテ、本当にこの男が好きなの?もう忘れれば?掃除が苦手な人間にろくなやつはいないよ?』


『まあ、確かに汚いですが……掃除ができなくても、ニコラは他に良いところがあるので……』


 油汚れやソースで茶色いお皿が重なっている。汚れたままの食器類が、流し台にひしめき合っているのは数日分の洗い物が溜まっているからだろう。

 生きてる状態で側に寄ったら臭そうだ。鼻が使えなくて良かった。まあ、鼻というか死んでるから臓器全般がお役目放棄しているけど。


 私とファウストさんでニコラの部屋をああでもないこうでもないなんて楽しくお喋りしている間に、廊下に続く扉以外の唯一の扉が前触れなく開いた。

 トイレかなと予想して何となく接近しなかった部屋は、シャワーとトイレがついた水回り用の部屋だったらしい。

 体格の良い赤毛の青年に支えられて、バスローブに身を包み、立っているのは銀髪とウォールナッツのお洒落なニコラである。シャワーを浴びた直後だからか身体から湯気が立っていた。


『ニコラ!』


 脂ぎってぎとぎとして、全体的にくすんだ灰色っぽくなっていた髪も薄汚れた身体も清潔感に満ちていた。

 服も着替えていつもの格好いいニコラに戻っている。

 私の呼び掛けに、項垂れていたニコラがバッと顔を上げた。活力の無さそうな目が血走っている。

 私はその迫力にちょっと驚いてしまい、側にいたファウストさんの裾を掴んだ。


「グレーテの声がした」


「おいおい、嘘だろ。ニコラ、お前、遂に幻聴まで……」


 赤毛の男性が気の毒そうな視線でニコラを見ながら椅子に座らせる。椅子は一脚しかないので彼自身はそこら辺に落ちていた背の高い踏み台を椅子代わりにしていた。


『誰あれ?あの、ニコラじゃない方』


『ウィルフレド様ですね。お会いしたことがあります。ニコラの御友人の一人です』


『友達いるんだ?意外』


 寄り目ぎみだが髭がワイルドで素敵な赤毛のウィルフレドさんはニコラの学園の同級生で伯爵家の嫡男。そして、騎士団の同期だったはずだ。ニコラの家と同じく武門の誉れ高い家柄だとか、なんだとか。


「嘘じゃない。グレーテの気配がする。この間も感じた。三徹目で朦朧としながらグレーテ二号を抱えて仕事をしていた時に。グレーテが仕事場に来ていたような気配がしたんだ」


「色々質問はあるがグレーテ二号って何だ?」


「観葉植物。今は机の上にあるぞ?」


 そこには前にぼろぼろのニコラが顔を埋めていたプランターがあった。


「……お前、さてはとうとう壊れたな?」


 ウィルフレドさんはニコラにコーヒーを用意するから待っていろと言い残して離席した。ケトルに水を注ぎ、火にかけている。

 ファウストさんが私を振り返った。


『……君の婚約者、いつもこんな感じで頭おかしいの?』


『うーん、普段の方がキラキラしてますね。でも私の気配を感じ取れるってすごくないですか?!さすがニコラ。何でもできる!格好いい!』


 先ほどからニコラには幽霊は見えない筈なのに私と目が何回かあっている気がするのだ。

 嬉しくてピョンピョン跳ねてしまう。


『破れ鍋に綴じ蓋……』


 呆れたようなファウストさんを放置して私はニコラに話しかける。


『ニコラ、ニコラ!元気だして、私はここにいるよ、死んじゃったけど元気だよ!あと、身嗜みはきちんとしてね!折角格好いいのに勿体ないよ!まあ、ぼろぼろでも格好いいんだけど。ニコラは中身も良いからね!外見だけじゃなくて!』


 ニコラはやっぱり私の声が聞こえないから反応はしてくれない。

 でも、私の気配が分かる鋭くて素晴らしい感覚のニコラなら私の気持ちが伝播して元気になるかもしれないと語りかける。ポジティブモンスターというファウストさんの声が背後からしたが……気にしないぞ!


「おい、ニコラ。コーヒーだ」


 ウィルフレドさんがニコラの前にマグカップを置いた。言わずもがな、まっ黒である。コーヒーも黒い液体だからどこまで内容量があるか見にくい。

 ニコラの部屋は食器はワンセットしかないらしくウィルフレドさんは小さめのスープ皿でコーヒーを飲んでいる。

 シンクに目をやれば、山のようにあった洗い物が半分にまで減っていた。コーヒーを淹れる間に済ませたのだろう。素晴らしい友人である。


「やっと人間らしい見た目になったが、落ち着いたか?」


「……まぁ」


「焦ったぞ。お前の上官から俺にニコラが死にかけてるから面倒見てくれって命令がくだった時は。俺、今年は配属された部門違うからな?」


「迷惑かけたな」


「そこは別に友達なんだから気にしないけどよ」


 ウィルフレドさんはニカッと笑う。情熱的な赤毛も相まって太陽みたいな人だ。

 騎士団好きの親友がしばらく追っかけをしていたけれど理解できるなと思った。ニコラは最高だけど、ウィルフレドさんには、兄貴っぽさというか、ワイルドで男らしい魅力がある。

 ちなみに親友はウィルフレドさんが婚約した後三日三晩泣き通して、その後、新しい憧れの人と運命的に出会ったらしい。ミーハーな彼女に幸あれ。


 ウィルフレドさんはニコラを暫く見つめて表情を曇らせた。


「グレーテちゃんの捜査、進んだか?」


 ニコラは力無く首を振る。


「そうか……一体どこに……」


 辺りを沈黙が支配した。


『私、ここにいるんですけどね』


 私の呟きは当然届かない。


『聞こえるわけ無いんだから大人しく見守りなよ』


 ファウストさんは私の頭に肘を置いて鼻で小馬鹿にしたような声を出す。この圧倒的高身長め……私の可憐な身長は肘置きのためじゃないんだぞと、ムッとしたところで、ニコラも私の頭に顎をよく乗せてたなと懐かしくなった。


「グレーテは、あいつはよく目立つ。黙っていても目立つから。とんでもないことに巻き込まれたんじゃないかと……俺は……。それに現場に、あんなに血が……」


 ニコラが言葉を詰まらせながら、呟く。

 掠れる声だ。


「まだ、あの血痕がグレーテちゃんのものだと決まった訳じゃないだろ?万一グレーテちゃんの怪我でもさ、誘拐犯が手当てをしてるかもしれないだろ?あんなに可愛いんだもの、怪我なんてしたら可哀想で放っておけないだろ」


「………俺の婚約者だぞ、ウィルにもやらん」


「んなこた分かってるさ。将来出世頭になる侯爵嫡男を葬式会場で一本釣りした幸運なグレーテちゃんだろ?……まぁラッキーだったのはお前の方かもしれんけど。………とにかくあの子はツイてる。だからな、きっと無事だ。諦めるな。お前が諦めちゃダメだ」


 ウィルフレドさんがニコラの震える肩を抱く。


「……グレーテ…」


 顔を覆うニコラの背を優しくウィルフレドさんが撫でていた。

 いつもは便りがいのあるニコラの背中が小さく見える。打ち拉がれ、憔悴しきっているニコラに私は胸が苦しくなった。


『………どうしましょう、ファウストさん。私、刺されて死んじゃいましたって凄い伝えにくいです…申し訳ない……』


 ファウストさんの耳元で相談すると彼は呆れたような顔をした。


『こういう時は人間、遺される方が絶望するよね。死んじゃった方はどうしようもないし。

生き返るなんて魔法じゃなきゃ無理だよ。まあ、いつものことさ。』


『ドライですね……もっと心を痛めても良いんですよ?』


『心を?痛めたところで?僕らは見守るとしかできないし。生産性のないことはしない主義だし、時間は大事にしたいんだよね、僕。君の愛しのニコラが泣いてる間に、僕、すること無いし買い物の予定立ててるから。落ち着いたら教えて』


 ファウストさんは呆気からんとして懐から皮の手帳を取り出す。どこからともなく立派な羽ペンを取り出すと真剣に頁を捲りだした。


『もう!ファウストさんもニコラを心配してくださいよ。イケメンで心優しいニコラがこんなに憔悴しきっているのに!冷血漢!鬼!悪魔!』


『………。』


 私の言葉に反応して無言で肘で私の脳天をグリグリ痛め付けるファウストさんにヘッドアタックで対抗しつつ、私はニコラに届かない慰めの言葉を送り続けた。脳天にはお腹が緩くなるツボがあるというけれど、幽霊には効くまい。気にせず対抗する。

 私の大好きな人が少しでも元気になってくれることを祈って、私は男二人の熱い友情を見守っていた。

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