Funny when you're dead how people start listenin'
主人公が生きている貴重なパートですが、いかんせん血塗れになるので苦手な方は死んじゃったのか、可哀想にと思って飛ばしてください
風が吹く。磯だまりっぽい臭いがした。
物音がした気がして、頬に靡く髪を払い振り返るが誰もいない。
誰もいない中庭で荷物を抱え直した。
低木がサラサラと揺れる。
今日は遅くなってしまった。明日はデートの予定だから早く帰りたかったのに。
御者の人に急いで帰ってってお願いしよう。体の隅々までケアして寝るのだ。それで、可愛いねって言ってもらいたい。
期待に胸が膨らむ。
私と彼は幼い時からの許嫁。それでも、私達はとても仲が良い。
どれだけ仲が良いかというと一人暮らしをする彼の家にここ一年入り浸っているくらい。
ベタベタしてはくれないし、たまにツーンってするけどいつでも本当は優しくて頼りになる大好きなお兄さん。
制服のスカートがはためいた。
あと1ヶ月でこの制服ともお別れ。私は卒業と同時に彼と結婚する。
私が学生の間にもうちょっとデートしたいな。
私だけ制服を着て、街にでて、彼をからかうんだ。うら若き女学生を誑かす悪い男だって。
そしたら眉間をしわしわにして拗ねちゃうかな。騎士になんてことを言うんだ、冗談でもよしてくれって。
でも、拗ねた顔も大好き。
「早く会いたいな、ニコラ」
私はポツリと呟く。
ニコラも私に会いたいって思ってくれているといいけれど。
頬にポツリと何かが垂れる。
雨が降り始めた。
今日は夜から翌朝にかけて、雨が降るときいた気がする。
立ち止まってカバンから傘を探していていた。
私は、急に大きな手に後ろから引っ張られた。
「誰…?」
「……」
「やっ?!ちょっと待って、何?!」
固い身体に背後から抱え込まれ、手足をバタつかせる。
知らない身体の感触だった。ニコラじゃない。知らなくて大きくて私より強そうな身体だ。
背筋を冷たいものが駆け抜けた。
冷や汗と雨粒が頬を伝う。
怖い。怖い。怖い。
嫌だ。
「……」
「いや!!離して!」
「うっ!」
咄嗟に口元に一番近い、相手の指を噛んだ。
ゴリッという気持ち悪い歯応えがして後ろの人物からの力がふと緩む。
逃げなきゃ。
無我夢中の私はそいつを突き飛ばそうと、身体を捻ろうとして。
そいつの顔を見る前にうつ伏せで押し倒された。
まだぬかるんでいない地面は硬くて、顎と右頬を擦りむく。
ピアスが耳の裏に当たり、激しく痛んだ。
呻く私にのしかかる影で視界が暗くなった。
豆のあるゴツゴツした手が私の首にかかる。
背筋に何か冷たいものが駆け上がるのと同時に気道が圧迫される。
「かはっ…」
陸に出た魚のように口をパクパク開ける私。
空気を吸っているのに、肺に届かないで口腔内でぐるぐると巡るばかり。苦しさは増すばかり。
なんとか自由になった左手でそいつの手首を掴むけれど体勢が安定しないからか力が入らない。
爪を立てるけれど、そいつは気にしないみたいだ。
「や、…離し、て……」
私の声に、まるで黙れとでも言うかの如く、首を絞める力が強まった。
雨脚が強まった。顔が冷たい。血が巡っていないのか体も冷えてきた。
怖い。
怖いよ。
ニコラ。
助けて、怖い。
寒いよ。
気持ち悪いよ。
苦しいよ。
助けて、ニコラ。
怖い。
チカチカと明滅しながら目の前が黒くなる。
手が痺れて地面に落ちた。
急に空気が入ってきて、鉄の味とともに噎せこむ。
鼻の奥と喉の奥の痛みを誤魔化しながら、息を吸い込もうと、したら、
お腹が急に熱くなって。
それから急に寒くなって。
抜け出そうと踏ん張っていた足が、ずるりと地面を擦って。
そいつが私の耳に何かを囁いた。
それで、終わった。
多孔質の岩のような惨い有り様の肢体が浮かんでいた。
赤褐色の血の海に、映える白い肌が悲しい。
グレーテはお姫様じゃないから。
物語のように、素敵な騎士も、王子様も、誰もグレーテを助けに来てはくれなかった。