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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

命の選択

作者: 立川みどり

 あるとき、ある国の首都のある病院に、有名な実業家が運び込まれた。大企業の社長であり、政治家にもコネクションが多く、その病院の院長とも親しい人物だった。

 その直前、ひとりの青年が同じ病院に救急搬送され、集中治療室に入ろうとしていた。あとから搬送された社長と同じ会社の臨時雇用の従業員という人物である。

 空いている集中治療室は、その青年が入るはずだった一室だけ。本来なら、社長を別の病院に搬送してもらう状況である。

 だが、その病院はその国で最も高度な設備が整った病院。それに、他の病院に運んでも集中治療室や病室の空きがなかなか見つからない可能性もある。

 その集中治療室に社長を入れてほしいという企業側の要望もあり、有名な実業家とのつきあいを大事にしたいという思惑もあって、院長は、臨時雇用の青年が入るはずだった集中治療室に社長を入れ、可能な限り最善の治療を施した。その甲斐あって社長は一命をとりとめ、数週間で退院して、やがて職場に復帰した。一方、ろくに治療もしてもらえないまま放置された青年は、そのまま帰らぬ人となった。


 五年の歳月が過ぎたとき、院長がこよなく愛し、期待をかけていたハイティーンの孫息子が父や祖父に反発して家出をし、捜索の末、別の都市の病院に麻薬中毒で搬送されて死亡したことがわかった。

 孫息子の遺体の前で号泣しながら、院長は、その病院に疑惑を抱いた。孫が亡くなったのと同じ日、この都市を訪問中の政治家が心臓発作で同じ病院に救急搬送され、一命をとりとめたのを知っていたからである。

 政治家を助けるために全力を注ぐあまり、孫は放置されて死亡したのではないか。

 そんな疑惑を胸に、院長はその病院を恨んだ。


 孫の死を受け入れられずに悶々とする院長が足を運んだのは、親友の天才科学者の家である。あまりにも奇抜な研究ばかりするためにマッドサイエンティストと後ろ指をさされることも多い親友だが、じつは本物の天才だということを、院長はよく知っていた。

「相談がある」と、院長は親友に事の次第を話した。

「ちゃんと治療されていれば、孫は助かったんじゃないかと思う。それを確かめたいんだ」

「どうやって?」

「おまえはパラレルワールドなるものを研究していただろう? 過去の偶然の出来事によって未来が変わる。もしも過去にこういうことがあったら、そこで歴史が枝分かれして、こういう別の未来もあり得たのではないか? それをパラレルワールドと言うんだろう? で、そんな数々のパラレルワールドを見ることのできる機械をつくったと言ってたじゃないか」

「たしかにそういう機械はつくったが……。実験にも成功しているが……。しかし、タイムマシンじゃないんだぞ。パラレルワールドは見るだけだ。歴史の分岐点にタイムトラベルして歴史を改変する……なんてことはできないぞ」

「わかっている。孫を助けることはできない。知ることしかできない。それでも知りたい。あの病院が孫を見殺しにしたのなら、許してはおけない」

 科学者は嘆息し、院長を機械の前に連れて行った。一見パソコンのモニターのようにも見える機械だった。

 院長が持参した孫の写真を見ると、死亡した日時、病院名や所在地などを聞きながら機械を操作する。まもなくモニターに、その病院が映し出された。

 有名な政治家が交通事故で運び込まれて緊張する病院。ベッドに拘束された状態で放置された麻薬中毒の少年。

「やっぱり」と、院長は歯噛みした。

「ここで適切な治療を受けていれば、孫は助かったんだな」

「そういうパラレルワールドがあるか探してみよう」

 科学者はしばらく機械を操作して言った。

「その政治家がこの病院に運び込まれなかった場合のパラレルワールドが見つかった」

 モニターにそのパラレルワールドが映し出された。

 少年は、ベッドに拘束されたところまでは同じだったが、それほど長くは放置されず、まもなく女性の看護師が訪れ、必要な検査のために拘束を緩めた。そのとたん、ぐったりしていた少年の目がかっと見開き、看護師の顔につかみかかった。

 驚いてその手をひきはがそうとする看護師を突き飛ばし、拘束をはずしてベッドから降りた少年は、怯えたような形相で意味のない叫び声を上げながら、手近にあった椅子を手に取り、起き上がろうとする看護師に向かって何度も振り下ろした。

 まもなく看護師は動かなくなり、そこに入ってきた医師に向かって椅子を投げつけると、少年は、恐ろしいものから逃げるように窓のほうに向かい、窓から身を乗り出して転落した。

「なんてこった」

 麻薬の禁断症状で狂暴化し、殺人を犯して転落死。放置されて死ぬよりなお悪いではないか。

「孫が助かったパラレルワールドはないのか。いまも生きている未来は?」

 科学者も、あまりの悲惨なパラレルワールドにショックを受け、よい未来はあり得なかったのかと懸命に探す。あったとしても過去を変えようがないのはわかっているのだが。

「ああ、あった。彼が、家出をしたものの麻薬には走らず、父や祖父とは別のタイプの医師を目指そうとしているパラレルワールドがあった。その分岐点となったのはこの時点だな」

 モニターに、バッグを持った家出少年が公園のベンチに腰掛け、やはり大きなバッグを持った青年と話をしている場面が映し出された。

「パパもママもじいちゃんも、ぼくをできそこないのダメ人間だと思ってるんだ」

 院長は目をむいた。父の跡を継ぐのは嫌だと言う孫を叱咤激励したことはあったが、なじったことはない。むしろ期待をかけていたのだ。それなのに孫は、期待されていないと思っていたのだろうか。

「どうして?」と、少年の隣に座った青年が訊ねた。

「ぼくが医者になりたくないって言ったから」

「何かなりたい職業があるのかい?」

「いや。何になりたいのかわからない。でも、とにかく医者にはなりたくない。医者がりっぱな仕事とは思えないんだ」

「そりゃまた、なんで?」

 青年は不思議そうに首をかしげた。

「俺なんか、お医者さんに命を助けられたことあったから、りっぱな仕事だと思うけどな」

「命を助けられたこと?」

「うん。五年ぐらい前だったかな。そのとき勤めていた会社で伝染病の社内感染が発生して、俺もいきなり倒れて救急車で病院に運ばれたんだ。首都の大きな病院だったんだが、俺が倒れてしばらくしてから、その会社の社長も同じ病気で倒れたらしくてさ。朦朧とした意識で、俺を集中治療室に入れるのをやめて社長を入れろと会社から言ってきたというような話が聞こえたんだ。『そんなことできるか』と怒鳴り返している声も。で、俺は集中治療室で治療を受けて回復したんだ」

「へえ。りっぱなお医者さんだね。ぼくのパパやじいちゃんとは大違いだ。なんて病院?」

 青年が病院の名前と医師の名前を言うと、少年も、それを見ていた院長も目を見開いた。それは院長の病院だった。その医師は、人道にこだわって院長に反対したことが何度かあった。

「じいちゃんが院長やってる病院だ。じいちゃんやパパは、企業の経営者や政治家のような社会的地位が高い人と、そうじゃない人とがかち合ったとき、社会的地位が高い人を優先するって。いままでに何度かそういうことがあったって噂を聞いたんだ」

「たんなる噂じゃないのか?」

 青年はそう言ったが、院長は、それが単なる噂ではないと知っていた。たしかにそういうことは、これまでに何度かあった。あたりまえのことだと思っており、疑問に思ったことはなかった。それで後回しにした患者が死亡した時にはさすがに心が痛んだが、仕方がなかったと思い、後悔したことはなかった。

 青年は言葉をつづけた。

「俺はちゃんと助けてもらえたよ。二年近く勤めた会社とはいえ、身分は一年ごとに契約更新する臨時雇いで、業績不振だから次回は更新できないなんて宣告されていた。社内でいちばん立場の弱い人間たちのひとりだったんだ。それで会社は、俺よりも、一時間ほど後に倒れた社長を優先するようにと、病院に要求したんだ。でも、病院は……というか、そのお医者さんは会社側の要求を斥け、俺を助けてくれた」

「そうか。じゃあ、そのお医者さんがいい人だったんだ」

「うん。社長はそのあと別の病院に運ばれて、俺も社長も助かったわけだけど、もしもお医者さんが会社の要求を受け入れて社長を優先していれば、俺は死んでいただろうな。社長は救急車に乗っていたからすぐに別の病院に運ばれたわけだけど、俺はいったん病院に受け入れられていたわけだからね。病院も、先に搬送された患者を別の病院に運んでくれと救急隊員に頼むわけにはいかないだろうから」

「だろうね。そんなことしたら、社会的地位で差別したってことがばれちゃうもんね」

(五年前?)

 院長は眉をしかめて記憶をたどった。

 たしか、知人の企業経営者が感染症で救急搬送されてきたとき、やはり親しかったその企業の重役に頼まれ、先に搬送されていた同社の臨時雇いの従業員を後回しにして、社長の治療をした。後回しにした従業員が死亡したと聞いた時には苦い思いをしたが、治療前に手遅れで死亡したという診断で問題にならなかったこともあり、そのまま忘れていた。

(まさか、あのときの?)

 見殺しにしてしまった青年の顔を思い出そうとしたが、ちらっと見ただけなので覚えていない。

「ここできみに出会えてよかったよ」と、画面の青年が少年に言った。

「そのとき助けてくれたお医者さんがいまはこの街の病院で働いていると偶然わかってね。で、そこの病院で雑役のアルバイトを募集しているのも見かけてね。アルバイトしながら病院関係の資格をとれる勉強もできるって。いま失業中なので応募してみようかと思って来たんだが、ふんぎりがつかなかったんだ。きみと話していて決心がついたよ」

「そうなの?」

 少年が不思議そうに首をかしげた。

「五年前のことを人に話して、改めて鮮明に思い出したら、どうしてもそこで働きたくなった。それに、きみと話していて勇気が湧いてきた」

 少年はますます怪訝そうな顔をする。

「きみ、おじいさんやおとうさんにダメ人間と言われたって言っただろ?」

「うん」

「きみが全然ダメ人間じゃないというのは話していてわかる。迷いはあるけど、いろいろ考えてるし。迷いがあるのも、いいやつだからだし。そもそもきみぐらいの年でいろいろ迷いがあるのはあたりまえだし。いま、俺にやる気を出させてくれたし。そう思うと、俺もダメ人間じゃないよなという気になって、ファイトが出てきたんだ」

「おにいさんがダメ人間のはずないだろ? いい人だし。じいちゃんやパパやママよりずっといろいろ考えているし」

「世間一般ではダメ人間に分類されるんじゃないかな。臨時雇用の仕事しか見つからなくて、業績が悪くなるとすぐリストラされるし。まじめに働いていても、そういうときに能力を認められたことないし。彼女ができても、つきあってすぐ振られちゃったし。高給取りで奥さんもいるやつにダメ人間と言われたことあるし」

「そんなやつのいうこと本気にすることないよ。そんな理由で人にダメ人間って言うやつのほうが、よっぽどダメ人間なんだ」

「うん、俺もそう思う。そういうやつは、ダメ人間……というより、何かだいじなものを持っていないか、忘れているか、気がついていないかなんだと思う」

「ぼくのじいちゃんやパパやママもそうなのかなあ」

「そうかもな」

「だいじなものを持っていないって思いたくはないなあ。それぞれ、いいところもあるんだもの。忘れているか、気がついていないかかな」

「年を取って忘れたか、偉くなりすぎて忘れちゃったのかもな」

「あ、そうかも」

 青年は、あははと愉快そうに笑って、少年の肩をぽんぽん叩いた。

「きみのおかげで、いままで俺にひどいこと言ったやつらを許す気になってきたよ。やっぱりここで出会えてよかったよ」

「ぼくもおにいさんと出会えてよかったよ。なんだかぼくもファイトが出てきた。じいちゃんたちを批判するばかりではしょうがない。そのアルバイトの募集、ぼくも行ってみたいな」

「おお、いっしょに応募しようぜ」

 そこから先は見るまでもなかった。偶然知り合った青年に勇気づけられた少年は、麻薬に走ることなく、自分の道を歩き出したのだ。

「ひょっとして」と、院長は科学者にたずねた。

「この世界で孫がこの青年と出会えなかったのは、彼が故人だからか?」

「ちょっと待て」と、科学者が機械を操作した。

「うん、この世界では亡くなっているな。さっき話題に出ていた五年前に」

 画面に、五年前の院長の病院が映し出された。ストレッチャーに乗せられて集中治療室に向かっていた青年。そこに、別の患者を集中治療室に入れるので、その患者は一般病棟に入れるようにという指示が伝えられる。指示を受けた医師は、さきほど青年の話題に出ていた医師ではなく、院長に従順な医師。先ほど見たパラレルワールドとはたまたま医師のシフトが違っていたのだ。

 青年の乗せられたストレッチャーは廊下を引き返していき、代わりに運ばれてきた患者は、院長の知人の企業経営者だった。

「なんてこった」

 院長は顔を手で覆った。

(生きていれば孫を助けてくれたはずの青年を、私は見殺しにしてしまったのか。軽い命だと決め込んで。軽い命なんてなかったのに)

 院長は声を出して泣き崩れた。



コロナの報道で何度か目にした「命の選択」だの「命の選別」という言葉。医療崩壊した国では人工呼吸器など重症患者全員に使えず、使わないと助からないけど使えば助かりそうという患者優先になったようですが……。そういうぎりぎりの状況でないときに、社会的地位などによる差別で命の選択をする医者がいたとしたら……と想像して書きました。日本も含めて、特定の国や病院のモデルはありません。念のため。

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