8 森の女神
「ふふ」
ヘパイストスたちが死んだという知らせを聞き、アルテミスは高揚していた。
いや、正確には〝ヘラクレスが殺された〟ということに、彼女は胸の高鳴りを覚えていたのだ。
ヘラクレスはなかなかいい狩りの腕をしていた。
アルテミス同様、武具の装飾にも拘らず、とにかく最高の装備で互いに狩りの腕を競い合ったこともあった。
もちろん狩猟の神であるアルテミスには敵わなかったが、それでも実に楽しい時間だった覚えがある。
そんなヘラクレスが鍛冶神――ヘパイストスとともに殺されたという。
恐らくはヘラクレスのことだ。
ヘパイストスの打った最高の武具類を身につけて戦いに臨んだことだろう。
最近は人間を材料にしていると聞いていたが、まあそれはどうでもいい。
とにかくやつは全力を以て戦い、そして敗れ去った。
メデューサの連れているという人間に狩られたのだ。
そう、人間に。
以前はアルテミスも人間の狩人と腕を競っていたが、どれもヘラクレスはおろか、低位の神にすら及ばないレベルだった。
当然だろう。
人間は神に管理される劣等種。
決して神を上回るようには出来てはいないのだから。
だがそれを覆した人間がいる。
しかも不滅の神をも殺せるという。
素晴らしい研鑽。
素晴らしい才覚。
さぞかし強いのだろう。
「是非会ってみたい……っ」
ぐっと拳を握った後、アルテミスは自慢の弓を構える。
そして。
「――《カリスト・コール》ッ!」
一筋の矢を天へと向けて放ったのだった。
◇
「まさか女神さまから直々にお呼びがかかるとはな」
ククッと右肩の白蛇がおかしそうに笑う。
「そういうお前も女神だろ。まあ、お前が女神だったからこそ、アルテミスの呼びかけが届いたわけだが」
深い森の中を歩く道すがら、昨日のことを思い出す。
神の気を探って世界を渡り歩いていたところ、突如上空から術式による攻撃――いや、呼び出しを受けたのである。
問題はその威力が山一つ吹き飛ばすレベルのものだったことだが、大方俺の力を測りたかったのだろう。
あの程度で朽ちるのであれば、会う価値などないのだと。
「それで、本当にほかの神どもが現れる可能性はないんだな?」
「ああ。あれは昔から群れるのを嫌う女神でな。勝手に現れる可能性はあるだろうが、あいつ自身が手助けを頼むことはまずあり得ん。なんだ? 臆したのか?」
「馬鹿を言え。残りの神どもを一網打尽に出来ないのかと聞いているんだ」
「はっはっはっ、そうだったな。お前はそういうやつだった。いやはや、頼もしすぎてハグでもしてやりたいくらいだよ。まあ首しかないわけだが」
「……」
俺が白蛇に呆れたような視線を向けていると、唐突に視界が開ける。
分かっていたことだが、アルテミスの結界内に入ったらしい。
まず目に付いたのは、傘のように大きく枝葉を広げる一本の大樹だった。
というより、大樹を基礎として造られた住居である。
近くには小川も流れており、せせらぎと鳥のさえずりが心地のよさを感じさせている。
神の住処でなければ、しばらく逗留したいくらい心安まる場所だ。
が。
「――あ、こ、こんにちは!」
どうやらここに住んでいるのはアルテミスだけではなかったらしい。
大樹の近くで水汲み用のバケツを運んでいた少女が明るく声をかけてくる。
年齢は10代前半くらいだろうか。
笑顔の似合う素朴な少女だ。
「は、はじめまして。わたしはニュムといいます。女神さまのお客さまですか?」
バケツを置き、ぱたぱたと少女が駆けてくる。
見た感じ、この子はただの人間のようだ。
「ああ、そうだ。俺はテュポーン。女神アルテミスに呼ばれてここにきた。お前はアルテミスの奴隷か?」
「えっ?」
言っている意味がよく分からなかったのか、少女――ニュムがぽかんとする。
なので、俺は「いや、なんでもない」とかぶりを振って問い直した。
「お前はアルテミスに仕えているのか?」
「あ、はい。女神さまは森で倒れていたわたしを助けてくださいまして、ご恩返しにとここで働かせていただいているんです」
「そうか」
一言そう返し、俺は再度問いかける。
「それで、アルテミスはどこにいる?」
「えっと、先ほどお夕食を獲りに出かけられたので、そろそろお戻りになられるのではないかと……あっ」
――ずんっ!
その時、タイミングよく何かが上空から降ってくる。
ニュムの視線を追うように振り返ってみると、そこには脳天に矢の刺さった大きなイノシシ型の魔物と、それを射貫いたであろう若い女の姿があった。
狩猟の女神――アルテミスだ。
「ほう、意外と早かったな」
嬉しそうに笑い、アルテミスが魔物を引きずりながらこちらへと向かってくる。
無駄な脂肪の一切ない鍛え上げられた身体だ。
以前どこかの世界で見たエルフ……いや、アマゾネスと呼ばれる女戦士たちの方が近しいかもしれない。
恰好も最低限の布地だけで、機動力に特化した感じだ。
「お、お帰りなさいませ、女神さま」
「ああ、今帰った。必要な分だけ取ったら、残りはいつも通り保存しておけ。それと、夕食は三人……いや、四人分だ」
「わ、分かりましたっ」
大きく頷き、ニュムが解体道具を取りに家へと駆けていく。
最中、俺はアルテミスに鋭い視線で問うた。
「何故人の子を連れている?」
「別に深い意味はない。だがしいて言うなら、あいつの作る飯が美味いからだ」
「戯れ言を。神に食事は必要ないはずだ」
「確かに。我ら神に食事は必要ない。ゆえに食事はただの嗜好品。ならばそれを楽しんで何が悪い?」
「……」
俺が訝しげな顔をしていると、アルテミスが肩を竦めて言った。
「まあとりあえず飯くらいは食っていけ。元より毒など入ってはいないが、ヘラクレスを殺せるほどの男だ。毒如きで臆したりはすまい?」
「当然だ」
「ならばついてくるがいい、神殺し。我が家の晩餐に招待しよう」
アルテミスが何を考えているのかは分からないが、俺は彼女の招待を正面から受けることにしたのだった。




