3 石化の魔眼
今まさに男は愉悦に浸っていた。
「いやぁ~!? お願い、もうやめてぇ~!?」
男の目の前で若い女が泣き叫んでいたからだ。
いや、重要なのはそこではない。
〝女が喚きながら石化していく様〟が堪らなく美しかったのである。
「素晴らしい。名も知らぬ人間の女よ。お前は今とても輝いている。さあ、仕上げだ」
「い、いやああああああああ――……」
ゆっくりと喉元まで進行していた石化の呪いが、ついに女を一体の石像へと完成させる。
「……ふう」
そして訪れる静寂に、男は一人充実感を覚える。
これで何百人目になるかは分からないが、やはりこの最後の一瞬に勝る瞬間はない。
ああ、人間の断末魔とはなんと美しいのだろうか。
とくに女はいい。
感情の高ぶらせ方が男とは段違いだ。
それに、と男は今し方完成した石像の頬を撫でる。
「やはりアトリエを飾るには美しいものに限る。なあ、そうだろう?」
男が振り返る。
そこにはずらりと苦悶に満ちた表情の石像が無造作に並んでいた。
ある者は恐怖に身体を抱き、またある者は逃げようと床を這う途中で石化していた。
中でもお気に入りは親子が互いに手を伸ばし合っている石像だ。
決して届かないと知りながらもなお互いの名を呼び、手を伸ばし続けながら石と化したのだ。
あれは、とてもよかった。
やはり親しき者同士の方が感情も高ぶるというもの。
今度は目の前で娘でも殺してみようか。
いや、犯した方がいいか。
うむ、そうだ。
犯してから殺そう。
その方が長く楽しめそうだ。
「次のテーマは〝憎悪〟――これにしよう」
新しいひらめきの到来に男の胸が沸く。
と。
「――ああ、最高にいいテーマだな。お前ら神にはぴったりだ」
玉座の間に見知らぬ男の声が響いた。
少なくとも、いつも女たちを運んでくる男どもの声ではなかった。
だから問う。
「誰だ貴様は?」
すると、男はその黄金の瞳をこちらに向けて言った。
「――テュポーン。お前ら神を皆殺しにする男の名だ」
◇
やっと見つけた……っ、と俺は溢れ出しそうになる感情を必死に抑える。
低位の神どもは今までに何人も殺してきたが、ここまでの大物ははじめてだった。
見た目の年齢は二〇代前半くらいだろうか。
どこか陰のある痩躯の男だ。
「それはまた大きく出たな、人間。忌むべき獣の名まで用いて我らを愚弄するとは、よほど死に急ぎたいと見える。いや、むしろ死ね」
びゅっ! と男の指先から光が放たれる。
それは真っ直ぐこちらへと飛んできて、
――どばんっ!
容赦なく俺の顔面にぶち当たった。
が。
「そう焦るなよ、神さま」
「――っ!?」
俺が仰け反っていた姿勢を戻しながら言うと、男は状況が理解出来なかったのか、眉をハの字にしながら唖然としていた。
最中、俺は虚空に右腕を突っ込み、そこからあるものを取り出して言った。
「俺としてはさっさとぶっ殺してやりたいんだが、こいつがお前に挨拶させろとうるさくてな」
それは異形の生首が埋め込まれた古い盾だった。
そう、盾の女神の本体だ。
「久しぶりだな――ペルセウス」
男に会えたのがよほど嬉しかったのだろう。
開口一番、盾の女神はそう口元を歪めて言った。
――ペルセウス。
オリュンポスの神々を束ねる雷帝ゼウスの実子にして、盾の女神の首を刎ね、さらにはその両目を抉り取った者だ。
「……メデューサ? 何故貴様がここにいる? 姉上が廃棄したと聞いたが?」
「ああ、捨てられたよ。ゴミクズのようにね。永い……本当に永い時間だった……」
「なるほど。だから復讐に来たと? わざわざこんな人間風情に、忌むべき獣の名前までつけて。随分と堕ちたものだな」
「クックックッ、本当にそう思うよ。お前たち姉弟のせいで、私はこんな惨めな姿へと成り下がった。しかも当人の与り知らぬところで〝目〟まで使われてな。これ以上の屈辱が一体どこにあると思う?」
「さあ? それは私の知るところではないな」
ただ、とペルセウスの瞳の色が変わる。
まるで生きているかのように色彩の蠢く魔性の瞳だ。
「この〝魔眼〟だけは唯一貴様の美点と言ってもいい。数ある石化術の中でも最上位の代物だ」
「それは光栄なことだな。で、その魔眼でこの男も石にすると?」
「知れたことを。すでに発動した魔眼から逃れる術はない。貴様の相手はあとでじっくりとしてやる。せいぜい恐怖に打ち震えているがいい」
ペルセウスがそう吐き捨てるように言うと、盾の女神が思わず吹き出した。
「だとさ? あの男はお前を石像にして愛でたいらしい」
「それは笑えない冗談だな。で、いい加減挨拶は済んだのか? そろそろ殺すぞ」
「ああ、存分に殺し尽くすといい。私はいつものように……って、おい。少しは丁寧に扱え」
話の途中で盾の女神を放り投げた俺に、抗議の声が飛んでくる。
が、俺はそれを完全に無視し、戦闘姿勢を取った。
「……っ!?」
そしてその時になって、はじめてペルセウスも違和感に気づいたらしい。
当然だろう。
最上位の石化術とやらが発動しているにもかかわらず、目の前の男は平然と動き続けていたのだから。
「な、何故石にならない!? 神ですら縛る魔眼だぞ!?」
「そりゃ決まってるだろ」
愕然と後退るペルセウスに、俺は笑みを浮かべて言った。
「それは俺が神殺しの獣――テュポーンだからだ!」
どぱんっ! と地を蹴り、ペルセウスに肉薄――その顔を掴んで城壁に叩きつける。
「ぐうっ!?」
そのまま壁を突き破って城外へとペルセウスを投げ飛ばすと、やつは両足首から光の翼を生やして宙を舞った。
「おのれ! たかが人間風情が調子に乗るなッ!」
そうして、神と神殺しの戦いが始まった。