2 最強の男、降臨す
「い、いや!? 助けておじいちゃん!?」
「お、おやめください! その子は私のたった一人の家族なのです! ど、どうか、どうかご容赦を……っ」
「うるせえジジイ! 老いぼれは引っ込んでろ!」
――ごっ。
「ぐふっ!?」
「おじいちゃん!?」
男に殴られ、祖父が地面に倒れ込む。
少女――リタは必死に祖父のことを呼ぶが、彼にその手は届かない。
「おじいちゃん!? おじいちゃん!? おじ……うぐっ!?」
「お前もいい加減ぎゃあぎゃあ喚くな! 死にてぇのか!?」
男に顔を掴まれ、凄まれる。
リタが堪えるように口を噤むと、男は鼻で笑いながら仲間の男に声をかけた。
「おい、これで全部か?」
「ああ。ひい、ふう、みい……まあこれだけいれば十分だろ。今回もなかなかの上玉揃いだな」
仲間の男が舌舐めずりしながら集められた女たちを見やる。
皆一様に恐怖に震え、身体を寄せ合っていた。
彼女たちは生け贄。
この世界を統べる神への供物となるべく選ばれた者たちである。
当然、それはリタも同じだった。
いや、リタだけではない。
リタの姉も、彼女らの母も、この数ヶ月で皆神への供物として男たちに連れて行かれ、そして誰も帰っては来なかった。
もちろん最初は村の男たちも彼らに抵抗し、幾度か追い返したこともあった。
だがある時、天を翔る一人の男が現れ、抵抗する者たち全ての命を奪った。
男の力は圧倒的で、誰一人近づくことすら出来なかった。
そして皆その時に悟ったのだ。
――この男こそが〝神〟なのだと。
リタが全てを諦めて俯いていると、ふいに男の一人がこんなことを言い出した。
「なあ、俺たち今まで結構な数の女を差し出してきたよな?」
「まあ、そうだな。優に100人は超えてるだろうな」
「ならよ、たまには一人くらい俺たちがいただいちまってもいいんじゃねえか? 今までのご褒美的な感じでよ」
「「「「――っ!?」」」」
ちらり、と男に視線を向けられ、女たちが顔を強張らせる。
すると、仲間の男も遅れて女たちを見やり、
「いや、二人だ」
そういやらしく笑みを浮かべた。
なんて、酷い人たちなのだろうとリタは思った。
きっと彼らにとって、リタたちは〝女〟というただの消耗品にしかすぎないのだろう。
だから平気で、しかも笑いながらこんな酷いことが出来るのだ。
「――うっ!?」
悲しみに暮れるリタの顎が強引に引き上げられる。
目の前に見えたのは、厳つい男の顔だった。
生臭い口臭にリタが顔を顰めていると、男は大きく顔を歪めて言った。
「実はよ、俺は前からこういう年端もいかないガキをめちゃくちゃにしてみたかったんだ」
「痛いっ!?」
無理矢理髪を引っ張られ、リタの顔が苦痛に歪む。
リタが声を上げれば上げるほど、男は喜んでいるようだった。
どうしてこんな目に遭わなければいけないのだろう。
母も、姉も、そしてリタも、皆慎ましやかに暮らしていただけなのに。
なのにどうして……。
「ひっぐ……いやだ……いやだよぅ……」
堪えきれず涙が溢れ出す。
すると、やはり男は笑みを浮かべ、その無骨な拳を大きく振り上げた。
「おっと、俺はさっき喚くなって言ったよな? 言うことを聞けない悪い子にはお仕置きが必要だ。そうだろう?」
「――っ!?」
ぐっと身体を丸め、リタは襲い来るであろう激しい痛みに恐怖する。
きっとこのまま殴られ、たくさん痛い思いをしたあとに殺されてしまうのだろう。
怖い、怖い、怖い、怖い……っ。
そんな自分の未来にリタが身体を震わせていた――その時だ。
「――うげえっ!?」
「……?」
突如男が悲鳴を上げ、リタを拘束する力が弱まる。
一体何が起こったのか。
リタがゆっくり目を開けると、そこには男の首を片手で締め上げている男性の姿があった。
絹のような白髪に、鋭く光る金色の瞳。
上半身は裸だが、身体中に痣のような模様が入っている。
とても生命力に溢れた二〇歳くらいの男性だ。
「げ、があ……っ!?」
苦しそうに暴れる男に男性は問う。
「何がそんなに楽しい? 弱者をいたぶることの何がそんなに楽しいんだ?」
――めきっ。
「ぐ、か……っ!?」
「て、てめえ! いきなり何しやがる!? 俺たちに逆らってただで済むとでも思ってるのか!?」
仲間の男が腰の鉈を取り出して吼える。
だが男性は彼に目もくれず、目の前の男を締め上げ続けていた。
「舐めやがって! くたばりやがれ!」
仲間の男が激高して男性に襲いかかる。
「危ない!」
リタは精一杯男性に危険を知らせるが、
「――《ヴァイパーバインド》」
――ずりゅっ。
「ぐわっ!? な、なんだこれ!? 身体が沈んでいく!?」
彼が呟くと同時に仲間の男が黒い泥のようなものに拘束され、そのまま地面に引きずり込まれていく。
しかも。
「い、いてえ!? 何かが俺の身体に噛みついて……ひぎいっ!? た、助け……助けてくれ!? い、痛い痛い痛い痛い!? あ、足が食い千切られる!?」
泥の中ではさらに恐ろしいことが起こっているようだ。
と。
「なんだ、お前は助かりたいのか?」
その時になって、はじめて男性が男を見やって言った。
「た、助けてくださいお願いします!? 俺はただ命令されただけなんです!? 女たちも全員解放します!? だからお願いです助けてください!?」
「そうか。お前はただ命令されただけなのか」
「そうなんです!? だから――」
「――ならお前に用はない。せいぜい苦しんでから死ね」
「えっ……? い、ぎゃあああああああああああああああああああっっ!?」
一瞬呆けた後、男の姿が悲鳴とともに泥の中へと消える。
しばらく泥が跳ねたりしていたが、それもやがて静かになった。
恐らく彼はもう生きてはいないだろう。
「――げはっ!?」
リタたちが唖然とする中、男性が男を無造作に放り投げる。
激しく咳き込む男を見下ろし、男性は問うた。
「それで、お前たちの飼い主はどこにいる?」
「ひっ!? そ、それを教えたら俺を見逃してくれるのか!?」
「それはお前の態度次第だ。どうする?」
男性に睨まれ、すっかり怯えきっていた男は、震える手で遙か遠方を指差して言った。
「あ、あの山のさらに向こうにでかい湖がある! その真ん中にぼろぼろの城があって、女たちはいつもそこに運んでるんだ! だからあのお方がいらっしゃるとしたら、たぶんそこのはずだ!」
「なるほど。よく分かった」
「こ、これで助けてくれるんだよな!?」
期待を胸に、男が問う。
すると、男性は「いや」と首を横に振って言った。
「お前はさっきその子を殴ろうとしたな? その態度が気にくわない。だからお前も死ね」
「そ、そんなぁ!?」
ぎゅるりっ、と沼から伸びてきた触手のようなものが男の身体に巻きつく。
「い、嫌だ!? 死にたくない!? だ、誰か助け……っ!? い、嫌だあああああああああああああああああああっっ!?」
――べきごきぶちゅっ!
男が沼の中に呑み込まれた直後、一瞬だけ噴水のように泥が跳ねる。
そうして男たちが揃って泥の中に消えると、泥自身も地面に吸い込まれるように消えていった。
最中、呆然と固まり続けていたリタたちのことなど気に留めることもなく、男性が一人歩き始める。
「「「「ひっ!?」」」」
だが当然、あんなことがあったあとだ。
女たちは化け物でも見るかのような目で男性から距離を取る。
そしてそうなることが男性も分かっていたのだろう。
とくに気にする素振りも見せず、歩みを続けていた。
「……っ」
しかしそれではダメだと拳を握り、リタは精一杯大きな声で言った。
「――あ、ありがとう、お兄ちゃーん! 助けてくれて、本当にありがとーっ!」
すると、男性は前を向いたままではあったものの、片手を上げて応えてくれたのだった。