プロローグ
猛る炎の中、ゴブリンどもの慰みものにされている妹の姿を前に、俺は為す術なく地に伏し続けていた。
四肢と片目、そして喉を潰された今の俺では、彼女――メアを助けることなど到底出来なかったからだ。
殴られ、焼かれ、今もなお汚されていく最愛の妹を、まるで催事が如くあざ笑いながら見下ろすのは大柄の男。
〝雷帝〟と呼ばれる神々の王――ゼウスである。
きっかけは些細なことだった。
ゼウスがメアを気に入り、彼女を妾の一人にと求婚してきたのだ。
だがメアはそれを断った。
理由は単純――自分のようなものが神々の王たるゼウスと釣り合うはずがないと、内気な彼女はそう考えたのである。
だから懇切丁寧に、メアは最大限の勇気を振り絞り、そうお断りの言葉を彼に返した。
するとどうだ。
ゼウスは〝自分のものにならないならいらない〟と、村ごと魔物の群れに襲わせたのだ。
きっとはじめから妾にする気などなかったのだろう。
そうして催されたのがこの狂宴。
老若男女問わず男は全員殺され、女はそのほとんどが尊厳を奪われた後、やはり皆無残にも殺された。
こんな暴挙があっていいのか。
こんな理不尽なことがあっていいのか。
メアはただ純粋に神であるゼウスを尊重しただけなのに、なのにこんな……っ。
「あ、が……っ」
薄れゆく意識の中、俺は懸命に血塗れの右手を伸ばす。
だが当然、その手が最愛の者に届くことはなく、
「ゲヒッ」
――ごっ。
「――」
無慈悲にも、俺の頭にゴブリンの棍棒が振り下ろされたのだった。
◇
次に目を覚ました時、俺は薄暗い部屋の中にいた。
いや、部屋なのかは分からない。
が、灯り――燭台のついた石の壁が真っ先に目に入ってきたのである。
「――ぐ、が……っ!?」
最中、全身に激痛が走る。
そうだ……。
俺たちはゼウスに……。
「――っ!?」
はっと正気を取り戻した俺は、必死にメアの姿を捜す。
激痛に苛まれる身体に鞭を打ち、潰れた四肢で懸命に地を這い彼女を捜す。
捜して、
捜して、
そうして、
「!」
俺は、ついに彼女の姿を見つける。
「が、あ……っ」
ボロ雑巾のように捨てられ、冷たい床に一糸纏わぬ姿で横たわっていた妹の骸を。
「ぐ、うぅ……っ」
まだほのかに温もりの残る小さな身体をぎゅっと抱き寄せ、俺は感情の赴くまま涙で顔をぐしゃぐしゃにする。
痛かったろう。
怖かったろう。
こんなに傷だらけになって……。
こんな冷たく暗い場所に捨てられて……。
『お兄ちゃん』
優しく微笑むメアの姿を思い出し、俺は怒りに身体を震わせる。
何故この子がこんな目に遭わなくてはならない。
何故こんな惨たらしく殺されなければならない。
何故、
何故、
――何故だ!
「……っ!」
許さない!
絶対に許さない!
殺してやる!
殺してやる!
必ずこの手で殺してやる!
神も魔物も――全部まとめて皆殺しにしてやるッ!
と。
「――神が憎いか?」
「――っ!?」
ふいにくぐもった女の声が聞こえ、俺は一瞬メアが息を吹き返したのかと錯覚する。
だが聞き慣れた妹の声音を間違うはずなどない。
ならば一体誰なのか。
俺はメアの身体を抱く力を一層強め、辺りを警戒する。
すると。
「恐れる必要はない。今の私にお前たちをどうこう出来る力などないのだから」
「!」
俺たちの前方にあった何かがほのかに輝き、その全容を晒してくる。
それは朽ち果てた一つの〝盾〟だった。
いや、盾というにはあまりにも歪な代物だった。
何せ、
「醜いだろう? 私にはもう見ることも叶わないが、さぞかし醜い姿であろうよ」
「――っ!?」
盾の中央に異形の生首が埋め込まれていたからだ。
恐らくは女性であろうその生首の肌は死人のように白く、両目はくり抜かれている上、頭髪はうねうねと蛇のように蠢いていた。
まさに異形。
だが確かに彼女の言うとおり、あれでは何も出来ないだろう。
魔物の一種だろうか。
訝しむ俺に、生首は言う。
「ここは神の廃棄場。文字通りやつらのゴミ捨て場だ。とはいえ、ここを使う者など限られているが。処女神……いや、さしずめ雷帝辺りか。あれは意外と綺麗好きだからな」
「……っ」
〝雷帝〟と聞き、俺の怒りが再度高ぶる。
やはり俺たちをこんな場所に捨てたのは……っ。
ぎりっ、と歯の軋む音が辺りに響く。
「ああ、感じるぞ。お前の憎しみを。その激しい怒りの感情を」
そうだ。
俺はゼウスが憎い。
最愛の妹を奪ったあの雷帝を……いや、神どもを根絶やしにしてやりたいほどに!
「ああ、そうだろうとも。だが神は神であるがゆえに不滅。人の身でやつらに仇なすことは叶わぬ」
だったら人であることなど捨ててやる!
「その意志に偽りはないか?」
当たり前だ!
「いいだろう。ならばお前に力を与えてやる。我が権能を使い、異なる世界にお前を転生させてやろう」
「――っ!?」
権、能……!?
彼女の言葉に、俺は唖然とする。
〝権能〟は神にのみ与えられた、神が神たり得る力。
つまりこの異形は……。
「そう、私は神。お前の忌むべき仇の一人であり、またお前と同じく神に弄ばれた者だ」
神……っ。
自然と身体が強張る中、異形……いや、盾の女神は言う。
「私を殺したければ好きにするがいい。だがそれは全てが終わったあと――お前がオリュンポスの神々を皆殺しにしたあとのことだ」
「……」
しばしの逡巡の後、俺は静かに頷く。
すると、盾の女神はその色素の薄い口元を嬉しそうに歪めて言った。
「では早速始めるとしよう。ただし一度の転生で勝てるほど神は甘くはない。ゆえにお前は繰り返さなければならない。寿命が尽きる度に幾度も、幾度も、幾度も転生を繰り返し、やがてお前は人を超え、不滅の神すらをも超える存在となるのだ」
そして、と女神は続ける。
「その代償を私はお前に要求する」
「?」
代償?
眉根を寄せる俺に、女神は言った。
「そうだ。私が望む唯一のもの。それは富でもなければ名声でもない。私をこのような姿にしてくれた悪逆の女神――〝アテナの肉体〟だ」
女神アテナの肉体……。
それを一体何に使うのかは分からないが、どうせ殺す神の一人だ。
いくらでもくれてやる。
「いいだろう。ならば契約成立だ。さあ――神殺しを始めよう」
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