プロローグ ~運命は断罪の場にて~
※この物語はフィクションです。登場する人物、団体、名称は架空であり、実在のものとは関係ありません。
※基本主人公「リィン」の一人称視点で話が進行します。それ以外の場合は、三人称視点で話が進行しますのでご注意下さい。
※この物語には、所謂百合的描写が含まれております。お読みの際はご注意下さい。
季節は春。色とりどりの草花がその生命を溌剌とさせ、人々の目を大いに楽しませるであろう。
肌で息吹を感じるもよし、菓子などを持ち寄ってお茶会を催すのもよい。或いは、いっそ寝転んで大地に身をゆだねるのも良いかもしれない。
しかして人は星の恵みの大なるを感じ、神に感謝の祈りを捧げ、季節の移ろいを楽しむものであろう。
夜の帳が下され、豪奢な屋敷に煌びやかな衣装を身に纏った若者たちが相集う。絢爛豪華なこの集いは、即ち「夜会」と称されるものだ。
若者たちは貴族の子息令嬢であり、それぞれが値踏みをしたり、装飾品でマウントを取りあったりなど忙しなく、庭園に咲く花のことなど気にも留めぬであろう。
夜会の喧騒も賑やかしく、若者たちが思い思いに楽しむ中、陰鬱な表情を滲ませる少女がいた。
彼女の名は「セリーナ」という。ここ、エルタニア王国の公爵家、マルクトゥス家の令嬢である。
「最悪ですわ…」
彼女は今、修羅場の真っ最中であった。
彼女には婚約者がいる。現国王の第二王子であるジュリアンは、幼少時に現国王ロイ十三世とマルクトゥス公爵により引き合わされ、
婚約をすることとなった。これは公爵家から王家に輿入れをさせることによって、両家の繋がりを強固にすると共に、支配体制をより盤石にすることが狙いである。所謂政略結婚だ。
婚約が成立してから彼女の環境は一変した。未来の王妃、ひいては王族に連なるものとして相応しからん為に徹底的に教育されることとなる。
つまり、彼女の人生の殆どがジュリアンの為に費やされることとなった。未来の妻として、王になるであろう人に相応しいように。
最初は義務感だけであった。だが、次第にジュリアンに惹かれていった。幼き頃より唯一、身近に接していた同世代の異性であったということもあるであろう。
顔立ちもなかなか悪くない。むしろ好みの部類だ。内心満更でもなかった。
しかし運命とは時として残酷であり、また人生とは儘ならぬものである。機械仕掛けの時計の歯車が1ミリでもずれたなら、噛み合わずうまく動かぬように。
木の葉を揺らす程度の微風が、星の裏側では大地を削る程の嵐となるように。
切っ掛けの大小に関わらず、物事は互いに影響を及ぼす。ものの善し悪しに関わらずだ。人はこれを因果と呼んだ。
「今一度、ご説明願いませんでしょうか?」
セリーナは、震えそうになる声をなんとか堪え、再度王子に説明を求めた。
「俺は、お前との婚約を破棄し、こちらの令嬢、ミディアナと婚約すると言ったのだ」
気絶してしまいそうな程の頭痛と脱力感がセリーナを襲う。まるで足元が崩れ去り、大きな穴がてしまったかのような感覚だ。
今まさに、彼女の人生の歯車が大きくずれた瞬間だった。
思えば、最初から嫌な予感がしていた。夜会では、婚約者や許嫁が居るものは男子はその相手をエスコートする。そのような古くからの慣習がある。
しかし、彼女のエスコートをするはずのジュリアンは迎えに来ず、急遽従兄であるロレンツォ伯爵子息にエスコートを頼み込んだのだ。
公爵令嬢が、一人で会場に入場することは、かなりの恥であるからだ。
かくして会場入りしたセリーナが目にしたものは、先に会場入りしていたジュリアン王子と、その傍に侍る何某かの令嬢であった。
そして、一方的に告げられた婚約破棄。更にはミディアナ嬢との婚約宣言。既にセリーナの頭は、その処理能力を超えパンク寸前だった。
それからも、王子からセリーナに対する,〝断罪〟が続いた。断罪、なのだろう。全く身に覚えの無い罪で彼女は今、叱責を受けている。
周囲も最初こそ黙って聞いていたが、次第に困惑、そして嘲笑へと変わっていった。曰く『王子に捨てられた愚かな女』『卑劣な手段でミディアナ嬢をイジメていた悪女』だと。
当然セリーナ自身も王子に反論した。だが、暖簾に腕押しで王子は取り合わず。ミディアナ嬢は泣き出し、王子とその取り巻きはヒートアップした。
野次馬達を巻き込んで、会場のボルテージは上がりに上がった。セリーナを罵倒する声がそこかしこから上がり、頼みの綱である従兄のロレンツォは、王子の手前何も言えずオロオロとしている。
もはや孤立無援であった。
『ここに来なければ良かった。思えば、あの手紙に従っていればこのようなことには…』
夜会の数日前、セリーナのもとに一通の手紙が届いた。差出人の名前は無し。宛名は公爵令嬢セリーナ殿とある。無礼と思いつつも一応中身を確認した。
曰く『此度の夜会は極めて剣呑。御令嬢にあらせられては、かまえて、御出席致しませぬようお願い申し上げ奉る。』
その時は誰かの悪戯と思い、手紙を捨てた。しかし、手紙は連日届いた。内容はいずれも同じ。流石に頭にきて、然るべき所に届け出ようかと思っていたところだったが、悪戯や脅迫の類にしてはやけに丁寧な文章でもある。この手紙の差出人はいったい私に何を伝えたいのだろうかと。そして、夜会前日。再び手紙が届いた。内容はいつもと同じ。ただ一文だけ、付け加えられていた。
『御嬢様を貶めんが為の謀あり』と。
事ここに至って、ようやく理解した。あの手紙は、〝これ〟のことを言っていたのだと。事前に今回のことを察知し、セリーナへ忠告していたのだと。
しかし、時すでに遅し。今更どうにもならなかった。どのみち公爵家の令嬢として、夜会に出ぬわけにはいかなかった。家名に泥を塗る行為は許されないのだ。
もはやこれまで。己の不明を恥じるべきか。己が不運を呪うべきか。せめて最後まで立っていよう。零れそうな涙を必死に堪え、立ち続けやろう。
それが、彼女の最後の抵抗であり、矜持だ。私は公爵家の令嬢だ、泣いてはやらん。タダで負けてなるものかと。すると。
「お待ちください」
覚悟を決め、運命を受け入れようか。そのように考えていた彼女の前に、一人の少女が進み出た。翡翠の瞳に腰まで伸ばされた美しい黒髪が、白いドレスによく映えている。ピンと伸びた背すじは、女性の中でもかなりの長身であろう。声を張りあげた訳でもないのに、少女の一声で会場はしんと静まり返った。
『すごい…』
セリーナは心の中で感嘆の声を漏らした。このような女性が居たのかと。学園では見かけたことがなかったが、いったい何処の家の御令嬢であろうか。
少女は王子に背を向けセリーナと向かい合うと、頭を下げて挨拶をした。
「お初にお目にかかります。私の名は、リィン・クリオス。男爵家の次女に御座います」
クリオス男爵家は、先の大戦で功を上げ、国境付近に新たな領地を拝領した家だと記憶している。国王陛下曰く、武功抜群であると。その男爵家の令嬢が、この場に躍り出た意図とはなんであろうか。もしかしてと、希望を抱かずにはいられなかった。
「静観するべきかと悩みましたが、居ても立っても居られず。お助けに上がるのが遅くなりました」
申し訳ありませんでしたと深々と頭を下げるリィンの姿に、セリーナは再び涙が零れそうになる。私にも味方がいたのだ。
『もしかすると…手紙の送り主はこの方なのかもしれない』
確信にも似た思いが込み上げてくる。この方は私を救ってくれるのか。最悪の場合、私と共に地獄に落ちるかもしれないのに。セリーナの心に勇気が湧いてくる。彼女は最早独りではない。
『さて、どの様にして助けるか』
少女の目はギラついていた。それは、獲物を狙う猛禽のそれに似た鋭さであった。だが表には出さない。まずは一戦、弁舌をもって仕掛けてみるか。力技はその後でもよい。
反撃開始。今ここに、悪役令嬢セリーナと〝私〟の戦いの火蓋が切って落とされたのであった。
地獄に仏。捨てる神あれば拾う神あり。かくして、悪役令嬢のレッテルを貼られてしまった少女の運命は、新たな歯車をもって今再び動き出したのである。