ばんぱいあの夢は見ない
それは、私がクレープ屋の前で足を止めるのと同じだと彼女は語った。
甘く、食欲をそそる匂いがするそうだ。
「なので、血をください!」
どんな校則が定められた学校なのかは知らないが、ピンクアッシュに染められた長い髪を揺らしてセーラー服姿の少女は笑った。
中学、高校とも、制服がブレザーだった私は、どうにもセーラー服と学ランという存在はコスプレのような印象を持ってしまう。大学生になってしまった今、どちらも私には関係ないけれど。
閑話休題、それはともかく。
紺色の襟の下で結ばれる赤色のスカーフが、鮮やかに彼女を引き立てている。
チェック柄のプリーツスカートは中身を隠す気があるのかもわからない丈でひらひらと太ももを彷徨い。
ラインを覆い隠す程やんわりと体を包んだクリーム色のカーディガンは明らかにサイズが合っていないだろう。彼女の体を実際より更に小さく見せている。
少し派手ではあるけれど、至って普通の女子高校生である。
「ちょっとでいいので! 蚊みたいに痒くしないので!」
発言以外は。
大学の帰り、クレープの屋台にふらふらと吸い寄せられた私に吸い寄せられたのが彼女だ。
チョコバナナカスタードクリームクレープにかぶりつく私に、可愛らしく頬を染め何やら意気込んだ様子で近づいてきたのだ。
自意識過剰ながら、告白でもされるのかと思って断り文句を三個くらい考えていた。
「血を吸わせてくれませんか」
告白の方がよっぽどマシだった。
「吸血鬼ってやつ?」
「ヴァンパイアです!」
「ばんぱいあ?」
「ヴァンパイア!」
イラストや漫画くらいでしかその存在を見たことがない私には、どうにも判断がつかない。
そうなんですか。では血をどうぞ。
そう差し出せるほど寛容でもないし、そもそも信じるつもりもない。
「証拠は?」
口の端に付いたチョコを舐めながら尋ねる私に、彼女は何故か複雑そうに顔を歪めた。答えに悩んでいるようだ。
「……うーん、難しいですねえ。血を飲みたがっているあたりで信用してくれたら嬉しかったんですけど」
ぶつぶつと難しい顔で呟く彼女はやはり普通の高校生にしか見えず、何か罰ゲームでもやらされているのだろうかと思う。そういう設定を演じているというなら、まだ多少は納得が出来るというものだ。
「……例えば、その日傘は、日光に当たったら駄目だからってこと?」
立場としてはおかしいが、ヒントを与える気持ちで先程からずっとさしている紺色の日傘を指差せば、ああ、と彼女は頷く。
吸血鬼は日光に当たると灰になる。定番といえば定番の弱点だ。そういう設定も大事にしているということなのだろうか。
「そうですねぇ。日射しに当たると日焼けしちゃいますからっ! あたし、肌には気を遣ってるんですよ!」
設定にも気を遣ったらどうだろう。
目を眇める私に気がついたのか、わたわたと傘の柄を持っていない方の手を振り乱し、彼女は言葉を探す。
「えっとえっと、炎で焼かれると死ぬと思います!」
それは私も死ぬ。
「胸を杭で打たれても死ぬと思います!」
それも私も死ぬ。
「……うう」
「……」
なんだか不憫になってきた。
眉尻を情けなく垂らした顔を見ていると自分が女子高生を苛めているかのようで、周囲に誤解なのだと訴えたくなってくる。
「……君、名前は?」
「あ、リオ、です」
「そう、リオ。気を付けて帰ってね。じゃ」
「え?」
これが、自称吸血鬼、じゃなくて、ば、ヴァンパイア・リオとのファーストコンタクト。
その三日後、大学のカフェで課題をやっていた私の元に、リオは満面の笑みで現れた。
前と同じく制服姿の彼女は、私服の大学生たちの中では浮いているが、本人は気にした様子もない。
「みーつーさんっ! 来ちゃった!」
語尾にハートマークでも引っ付いていそうな甘ったるい呼びかけに、ノートパソコンのキーボードへ押し込んだ指が離れず、画面には『んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんn』と呪いのように文字が連なっていく。
「蜜さん蜜さん! 何してるんですかっ?」
しかもどこで知ったのやら、私の名前を繰り返すものだから、少しばかり背筋がぞっとした。
「レポートですねレポート! 大学生っぽい!」
「なんで、名前知ってるの……?」
「……んふふ!」
楽しそうに笑う彼女は答える気はないようだ。溜め息が漏れる。レポートの下半分を埋め尽くす『ん』を消しながら、目の前の空いた席に座る姿を見つめた。
「じゃあどうして大学にいるの?」
両耳の下で二つ結びにした髪型は三日前よりやや幼く見える。
しかし、髪がよけて露になった耳にはピアスがいくつも付いていて、年相応さはまたしても見失った。
「それは勿論、大学見学ですよー。受験生なんで!」
フープピアスやスタッドピアスが光る耳を見ていると、私が気に入ったと思ったのか、耳をぐいぐい近づけてきたので押し戻した。
ごちゃごちゃと付いたピアスの中には十字架デザインのものも見つかったが、最早揚げ足を取るのも面倒だ。
「私がここにいるって、よくわかったね」
「蜜さんへの愛の力ですね!」
「……だからなんで名前知ってるの」
「んふふ!」
謎の多い女子高生である。長い袖で口元を隠す彼女から悪意は見つからないが、不気味であることに違いはない。
「……何か、飲み物でも奢ってあげるから、大学見学したら帰りなよ」
「飲み物ですか? なら蜜さんのあまーいけつえ、」
「ミルクティーでいいかな?」
「……ぶう」
結局、我が儘爆発の女子高生に負けて、ミルクティーを奢った後は、学校内を案内することになった。
日傘をさしたセーラー服のピンクアッシュ髪は存分に目立ち、隣を歩く私は居心地が悪く。
しかし、人目につかないところを通ろうとするものなら、リオが怪しく目を細めて私の首やら腕を見ている気がして、それも躊躇われた。
「……あのさあ、私じゃなく学校を見なよ」
「美味しそうな蜜さんがいけないんですよー! なんでそんなに甘そうなんです! なんでそんなにとろける香りなんです!」
「知らん」
うっとり、頬に手を当てる姿は、一見恋する乙女だ。これで、好きな同級生などについて語っているならまだ微笑ましいのに。
「蜜、って名前がぴったりですよねえ。まさに蜂蜜みたいなとろあま感……」
冗談、のはずなのに、彼女を見ているとあくまで本当のことを言っているように見えて、戸惑う。最近の女の子はここまで演技力を常備しているものなのだろうか。
余った袖で口元を隠すのが癖なのか、くすくすと笑みを溢す口は見えない。
尖った牙でも見つけられれば少しは信じる要素になるかも、と考えた私を見抜くように、どこかチェシャ猫を連想させる弧を描いた目がこちらを捉えていた。
「一口だけでもいいんですよ?」
「嫌」
「ぶう」
「あれ? みっちゃん?」
学内を一通り回り、校舎内のベンチに座って小休止しているところに、声をかけられた。
「あー、先輩。これから授業ですか?」
明るめのブラウンに染められた髪をお洒落にセットした、整った顔立ちの男性。知り合いの先輩だった。
爽やかな笑みで片手を上げて近づいてきた彼に、リオは何故か怯えるように、そして警戒するように私の腕にしがみついてきた。
「おー。どしたのその子。見学? 妹……にしては、似てないか」
「知り合いの、杭で胸打たれたら死ぬ系女子高生です」
「なんだそれ」
けらけらと笑うと、彼はリオの顔を覗き込むように屈んだ。
「えーと、初めまして、みっちゃんの後輩ちゃん? ゆっくりしていきなね」
「……」
人見知り、なんて言葉が似合わない子だと思っていたけれど、そうでもないのかもしれない。しかし、それにしても尋常ではない反応な気もする。男性が苦手なのか、それかもしかしたら元々先輩のことを知っていたのだろうか。
先輩の視線から逃げるように、私の二の腕に頭をぐりぐりと押し付けるリオ。くすぐったい。
「ありゃ、怖がられちったな。ごめんごめん。じゃあ俺行くわ」
彼は不快そうにするでもなく、困ったように頭を掻くと、手を振って近くの教室に入っていった。
ううむ、爽やか。女子に人気なのもわかる。
それを見送りながら、べったりくっついたリオを引き剥がす。
「どうかしたの? 知ってる人だった?」
「……知らない人です」
溌剌とした態度は何処へやら、萎んだ声で彼女は、でも、と付け足した。
「蜜さん、あの人はだめです」
あの時は、顔の整った男性に嫌な思い出でもあるのだろうか、なんて呑気に考えていたけれど、彼女の忠告は正しかった。
リオの学校見学に付き合った日から一週間後。
私は不気味に笑う先輩に組み敷かれていた。
「あのー、これは一体どういう、」
「横取りされそうだったから、ついね?」
口角を上げる様はいつも通り、爽やかで女子に人気の先輩だ。可笑しいのは体勢のみ。
あまり使われていない教室で椅子を繋げ、豪快に無防備にうたた寝していたところ、起きたら彼がいたのだ。
「……横取り?」
「あれからあのなんとか系女子高生には会ってないよね?」
なんとか系女子高生。ああ、杭で胸打たれたら死ぬ系女子高生のことか。あれ、炎で焼かれたら死ぬ系女子高生だっけ?
ちなみに何を隠そう、私は杭で胸打たれたら死ぬ系女子大生である。というより、人類皆杭で胸打たれたら死ぬのである。お揃いだね。
現実逃避おしまい。誰かこの状況の解説よろしく。私は解説は無理なので解脱したい。
「みっちゃんに目をつけてるの、俺くらいだと思ったんだけどなあ。女子高生なんかに気づかれないでよ」
「はあ……」
右手は痛いの一歩手前くらいの力で押さえられているので、左手のみで近くにあるはずの自分の鞄を手探りで引き寄せる。行為を悟られないために何を言っているのかわからない先輩から目は逸らさず、鞄の中を漁った。
危機感ばかりが先導していたが、もしやこの状況。俗に言う、モテ期というやつか? 美少女と美青年から言い寄られてドキドキってやつか? 多分違う。
「えーいや、先輩落ち着きましょう。なんかちょっとこの状況はおかしいです」
「そう?」
余裕そうに目を細める彼は私の上から退く気はないようだ。
「……え?」
目。目が。
その目を見て、一瞬背中を冷たいものが通ったような感覚がした。
赤。朱。緋。
彼の目が普段どんな色をしていたかなんて、思い出そうとしても思い出せないけれど、違和感を感じない程に日本人らしく黒か茶色だったのだろう。
それが今は薔薇のように、あの女子高生が欲しがっていた血液のように、真っ赤に染まっている。
……あ、疲れ目?
「ちょ、待って!」
首筋に口を寄せられ、思わず身を捩る。
「……何?」
じたばたと抵抗する私から一度顔を離して、面倒そうに見下ろしてくる彼は、どう見てもいつもと様子が違う。優しい先輩から優しさをマイナスしたみたいな。じゃあこれはただの先輩か。成る程、やったね! 違う!
「なん、の、冗談ですか……? あの女子高生と示し合わせた、たちの悪い悪戯か何かですか?」
「冗談? 悪戯? ……違うよ」
その香りがいけないんだよ。
囁くと、彼は私の首を指先でそっと撫でた。ぶわり、鳥肌が全身を襲う。
うわあ恐い怖い、何この人。気持ち悪い気色悪いおぞましい。
「ははっ、酷いこと考えてそうな顔」
「酷いことしてる人に言われたくない、です!」
吐き捨てた言葉と同時、左手でどうにか掴んだボールペンのペン先を出し、私の右手を押さえつける先輩の手へと振り下ろす。
「っい……!」
低く声をあげ、パッと私の手を離した先輩は、左手を押さえて体を起こした。
焦りのためか、利き手じゃないせいか、ほとんど力加減なんて気にすることもできず、先輩の手を潜ったボールペンの先にはピンクっぽいような赤っぽいような何かが付いていて、反射的に放り捨てた。何も見ていない。私は何も見ていない。
「正当防衛、で、いいですよね?」
素早く起き上がり、彼から距離をとる。
と、その時。
「蜜さんに手を出すなー!」
女子高生が飛び込んできた。
どうしてここにいるのか。
訊く間もなく、リオは大暴れした。
背負っていたリュックサックを下ろし、それを両手で掴むと先輩の頭をバシンバシンと激しく叩き、更に脛を重点的に蹴りつけていた。
お洒落な日傘までも今の彼女が持つと立派な武器である。剣道のように思い切りよく振りかぶると、何度も何度も先輩の頭へとぶつけている。
まるで癇癪を起こした子どもだ。
荒ぶる彼女を見ているうちに冷静になった私は、床から拾い上げたボールペンはあまり見ないようゴミ箱に捨てた。生々しいのはあまり好きではない。
そして、にゃーにゃー甲高く喚くリオの襟首を掴んで引き寄せた。
「うひゃっ」
「もういいよ」
もういい、というのは、先輩がもうすっかり意識を失っていたから。
重そうなリュックで頭を叩かれ、打ち所が悪かったのか床にぐったり倒れ込んでしまったのだ。彼の表情は見えないけれど、今起きたとしても先程のような強引な行動に出られるとも思えない。
そもそも、これでは過剰防衛ではないかと小心者としては大変びくびくしてしまう。
「でも、蜜さん……」
「いいから。何か甘い物でも食べて帰ろ」
「甘い物!」
大きな瞳がきらきらと輝くのを見て、彼女が次に何を言うのかわかった気がする。
「蜜さんください!」
「駅前のカフェでも行ってケーキ食べようね」
「……ぶう」
口を尖らせた彼女は随分幼く、間抜けな仕草につい微笑ましさを感じてしまう。
まだ出会って三回目なのに、うっかり安心感まで覚えてしまいそうだ。何これ、やだなあ。吊り橋効果ってやつ?
「蜜さん」
呼びかけられて、返事の代わりに首を傾げた。
リオの目が、先輩のように赤く染まっているように見えて、一瞬どぎりと心臓が嫌な動きをする。
「頑固な蜜さんも、流石に今回のことであたしのこと、信じたでしょう?」
何やらやけに重そうなリュックをよいしょよいしょと背負いながら、彼女は上目遣いでにいと妖しく笑った。
「……」
「蜜さん?」
「……はは」
ああ、なんだ。
なんてことはない。気づけばもう夕方だ。外では夕陽が自身の光を学校中に広げているのが見えた。先輩も、この彼女の目も、きっと。
「そうだねえ」
「あっ、あっ、じゃあ血を、」
「まさか先輩が性犯罪者だったとは。リオの言うこと信じておけばよかった」
「……」
今更だけど、大学にも警察にも知らせず、ここに放置しておいていいのだろうか。
渋い顔で私を見つめるリオをよそに、気絶した先輩へと少しだけ距離を詰める。
「生きてるよね?」
「……そうそう死なないと思いますよ。焼かれてもいないですし、杭で打たれてもいないですから」
「はあ? 何の話?」
「夢がない蜜さんにはわからない話です」
夢がない私にはわからないらしいので、先輩へ手を合わせてから、ケーキの夢を見て駅へと歩いた。
やや派手めで強引でちょっと頭おかしいっぽいくせに敬語は崩さない女子高生って可愛くないですか?(寝言)
主人公はきっともう暫くばんぱいあについては信じないと思います。
お読みいただきありがとうございます。