6.「星屑」磨き
――数分だけ、そのネックレス、わたしたちに預けてみません?
深月さんとハルお兄ちゃんはふたりとも、「きょとん」という言葉がぴったりな表情を浮かべた。
まあ、無理もないかな。
そう思いつつ、わたしもうずうずしている。
はやく、はやく。
ネックレスをいつでも受け取れるように、ジュエリー用のクッショントレイをすぐ近くに置いて。
「ここは『星屑さらさ宝石店』。地球の鉱物である宝石を、星屑として扱うお店。深月さん、あなたの大切な星屑、輝かせてみせるわ」
かの子さんはにっこりと笑う。さっきまでとはうって変わって、優しい笑みを。
なー。と、さっちゃんも同意するように鳴く。
果たして、どれが深月さんの背中を押したのだろう。
彼女はチェーンを外して、わたしが差し出したクッショントレイに赤い石のネックレスを預けてくれた。
「ちなみに、プレゼントされたきっかけは何だったのかしら?」
「私の誕生日プレゼントです。社会人になって初めての誕生日だからって、彼が色々、誕生石を使ったものを探してくれたみたいで」
「あら。じゃあ、ルビーかしら。素敵なプレゼントですね」
かの子さんが、以前書いてもらったという来店カルテを見る。深月さんが頷いた。
クリーニングでお預かりします、と断って、わたしはその場をあとにする。
向かうは超音波洗浄機とクリーニングセット一式がある一角だ。
誕生石は国によって違いはあるけれど、ルビーは日本では七月の石だ。コランダムという鉱物で赤色のものを言う。モース硬度は9。
石を留めている台の刻印は「Pt900」。チェーンは「Pt850」のベネチアン、ともにプラチナ。
ハルお兄ちゃんが新卒のころでプラチナ、ルビーのジュエリーか……。正直、かなりうらやましい。
まあいい、今はそんな私情は置いておこう。
わたしは今、この「星屑」に、もっと輝いてもらうためにここにいる。
まずは石のチェック。先が丸いピンセットでそっとつまみ、軽く揺らしてみる。動かない。爪の緩みはなし、大丈夫。
石と台の隙間、石の裏側に黒っぽい付着物。考えられるのは皮脂とホコリが混じりあった汚れだ。チェーンも若干輝きが鈍いから、こっちも隙間に汚れがあると考える。
深月さんたちの自己申告を信じれば、石の硬度からして割れはしないだろう。ルーペで見えるような亀裂もなかった。
というわけで、貴金属洗浄液入りの水が入った超音波洗浄機にネックレスをセット。チェーンが絡まらないように、指輪を掛けるところにぐるりと渡す。
あとは簡単、スイッチオン。
水とネックレス、全体が振動している。そして、さらさらと黒い砂みたいな汚れが底に落ちていく。
わたしはこの瞬間が好きだ。ジュエリーが、きれいになっている証拠でもあるから。
深月さん、ずっと身につけて、大切にしてきたんだろうなあ……。
わたしだって自分の「星屑」をいつも身につけているけれど、宝石店に勤めるまでは、クリーニングのやりかたなんてわからなかった。だから、初めて磨いたときはかなりの衝撃を受けたっけ。
ちなみに、ローズクオーツのモース硬度は7だから、超音波洗浄機にかけていいかは微妙なところ。わたしは自分のものだから自己責任でやってしまうけど、お客さまの石は貴金属洗浄液にひたして、ブラッシングだけにしている。
スイッチを切ってからネックレスを取り出す。
振動中に指を入れると危ない。超音波は全方向から針で刺されるような刺激を発生させるということだから。指にささくれや傷があるときは絶対にダメ。痛みで悶絶したこと、あるんだよね……。洗剤が傷口に沁みた、強烈に。
さて、最後の仕上げ。ネックレスを手のひらに載せて、毛先が柔らかい歯ブラシでペンダントトップ、チェーンを優しく磨く。超音波が及ばなかったところも、これでだいたいなんとかなったはず。もし、どうしても取れない汚れが残っていたら、専門職に相談することになる。そのときは深月さんの判断を仰ごう。
水を入れた容器にネックレス全体を入れてすすげばだいたい終わり。ティッシュにそっと水気を吸わせて、全体をチェック。
爪の緩みなし、石に異常なし。そして――
「お待たせしました」
クッショントレイ上のネックレスを見て、深月さんは目を丸くした。
「え? これ、ほんとに私の……?」
ローテーブルに置いたトレイに、おそるおそるといった様子で顔を近づける。
金属光沢が美しいプラチナのチェーン、透き通るペンダントトップの赤い石。深月さんの、赤い星屑。
深月さんが、大切な星屑と再会した瞬間だった。
「大事に身に着けているものほど、磨くと輝くのよ」
かの子さんが、深月さんの前に鏡を持ってきた。わたしは失礼しますと断ってから、彼女の後ろに回ってネックレスを着けさせてもらう。
深月さんはわたしに「ありがとう」とお礼を言ってくれたあと、
「ハル、どう?」
嬉しそうに、ハルお兄ちゃんにネックレスを強調して見せる。
このときのハルお兄ちゃんの様子を、なんと言い表せばいいだろう。
ひと言で言えば、ハルお兄ちゃんは声もなく感激していた。
「ちょ、ハル? ハル??」
深月さんは焦って、何度もハルお兄ちゃんの顔の前で手を振る。
「あの日と……あの誕生日のときと同じだなって、思ってさ」
絞り出すように、涙をこらえるように。なんとかやっとという様子で、ハルお兄ちゃんは言葉にした。
つられたように、深月さんも目の端にじんわりと涙をにじませている。
ど、どうしよう。これは全然予想してなかった。
内心おろおろするわたしは、救いを求めてかの子さんを見る。かの子さんは笑顔だ。ふたりを見る目は、この上なく楽しそう。
わたしにはまったく気づいてくれない。
か、かの子さーん!!
そのとき、視界にすっと人影が入った。タツキさんだ。
「湯飲み下げますね」
最初に出した緑茶の湯飲みを静かに回収し、わたしに目配せ。
あ、ついてこいってことかな?
気配を消して歩くタツキさんの広い背中を追って、わたしもその場から退散した。
タツキさんは回収した湯飲みを流しに置いて、新しくコーヒーの準備を始めた。手を動かしながら、
「俺がこれ持って行くとき、まだ手をつけてないようだったら新しいのと交換してきてください。シュークリーム」
「なるほど……」
せっかくのシュークリーム、溶けちゃうもんね。
「持ち帰ってきたのはあとで食べちゃっていいっスよ。味は落ちてるかもしれないですけど」
シュークリーム! 急にやる気が出てきた!
にゃーん。と、カウンターに移動してきていたさっちゃんが鳴いた。