表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宝石店『さらさ』 〜星屑磨きと小さなバラ〜  作者: いろは紅葉
第二章:思い出、ルビー、輝け「星屑」
8/30

5.エンゲージ

 幼馴染のハルお兄ちゃんは、お客さまの「花香(はなか)様」として現れた。深月(みづき)さん――わたしの失恋の象徴とともに。


 わたしは「いらっしゃいませ」と言葉にして、ゆっくりと冷蔵庫を閉めた。

 入れ替わりに、タツキさんがお茶をふたつ、お盆に載せて運んでいく。お茶は、ハルお兄ちゃんと深月さんの前に置かれた。


「この前はありがとうございました。おかげでだいたいのデザインが絞り込めてきました」


 深月さんが切り出した。ハンドバッグから付箋つきの小さな冊子を取り出して、ぱらぱらとめくる。

 改めて言葉にすることでもないけれど、その小冊子はカタログだ。婚約・結婚指輪エンゲージ・マリッジリングの。


「まず気になっているのはこれなんですが」


 深月さんがカタログを広げて、ローテーブルの上に置く。その上にさっちゃんが座り込む。

 自然。あまりにも自然な動作だった。誰も反応することができないくらいに。

 なー。と、さっちゃんは目を細めてひと声鳴いた。


「はいはい」


 タツキさんが片手でひょいとさっちゃんを抱き上げて、かの子さんの隣に下ろす。慣れてるなあ。

 ハルお兄ちゃんが、なんだか楽しそうにその様子を見ている。深月さんも苦笑い。

 ……幸せそうだ。

 いや、なんでわたしは。気持ちを下に引きずられている場合じゃないから……。

 カウンター下の物を取るふりをして、わたしは深呼吸をする。


椎野(しいの)サン」


 顔を上げるといつの間にか隣にタツキさんがいて、思わず声をあげそうになった。

 なんなの、忍びの者なの?


「コーヒー準備するんで、俺が運んだらシュークリーム持ってく準備してください。皿なんかはあそこで」

「は、はいっ」


 声が上ずってしまった。落ち着こう、落ち着こう。


「じゃあ、お願いしますんで」


 タツキさんはコーヒーメーカーの方へ行ってしまった。なんとなくだけど、タツキさんて自宅にサイフォン持ってそうなイメージがある。ここが本当に喫茶店だったら、きっとこだわりのコーヒー(というか、珈琲)を出してそう。


 いやいや、わたしはちゃんと仕事をしよう。


 教えてもらった棚からお皿を出し、トレイに並べる。フォークも用意して、と。

 冷蔵庫から洋菓子店の箱を出して開ける。横三列、二羽ずつ整列した白鳥たち。翼のあいだにアラザンを背負っておしゃれしている。

 二客のコーヒーカップを載せたトレイを運ぶタツキさんがわたしの視界に入った。

 そろそろかな?

 わたしは端にいる白鳥二羽に狙いを定めて拾い上げる。お皿に載せる。フォークを添える。

 タツキさんが戻ってきた。


「じゃ、お願いします」


 バトンタッチだ。わたしは白鳥たちのトレイを手に、ローテーブルへと向かう。



 三人の話は盛り上がっていた。


「婚約指輪かネックレスか、まだちょっと迷っていて。母なんかは、『婚約指輪は邪魔だから、ずっとタンスにしまってる』なんて言ってます」

「そうね。お母様のころは、縦爪が派手なデザインが主流でしたから。今はほら、指輪の代わりにネックレスを婚約の品にしたり、結婚指輪と重ねづけできるデザインも増えていますよ」

「へえ。色々あるんですね」


 ローテーブルにカタログや雑誌、サンプル品が広げられている。

 この短時間で、いつの間に。


「こちら、どうぞ」


 なんとか話の切れ目を見つけて、わたしは白鳥たちを差し入れた。深月さんとハルお兄ちゃん、ローテーブルの端から回ってそれぞれに。

 さっちゃんは、かの子さんの隣で腹ばいに座り込んでいる。そういえば、タツキさんお手製の「さっちゃんマニュアル」には、「食べ物や飲み物が載っているところには絶対乗らない。賢い」とメモ書きしてあったなあ。


「わあ、かわいい!」


 喜ぶ深月さんと、


「さっきはこれのおつかいしてたんだね」


 納得するハルお兄ちゃん。

 わたしも、このためだとは知らなかったよ……。

 カウンターに戻ろうとしたとき、ふと、深月さんの首元に目が行った。

 ラウンドブリリアントカットの小さな赤い石。銀色のチェーンのネックレス。シンプルで、今日の服装のアクセントになっている一品だ。

 だけどなんだか、くすんでいるように見える。石自体の色味かもしれないけど、チェーンの輝きもどことなく鈍い。

 これは、もしや。

 かの子さんを見る。かの子さんもわたしを見て、「お願いね」と頷いた。


「深月様。深月さん。素敵なネックレスを着けていらっしゃいますね。深月さんの雰囲気にぴったり」


 にこにこと、かの子さんが話しかける。

 深月さんがハルお兄ちゃんを見て、少しはにかんだように笑って、


「いつかの誕生日に、彼からもらったんです。これ、わたしにとって初めての宝石なんです」

「まあ、プレゼントなの! 素敵だわ」

「おれはちゃんとしたネックレスを選ぶのなんて初めてで、人に聞いたりあちこち店を回ったりしましたよ」


 あれは新卒のころだったかな、とハルお兄ちゃんは頭をかいた。

 そっか、『初めて』、か……。

 落胆を顔に出さないようにしているわたしの前で、三人の話は進む。


「あら、それなら大事に着けているのもわかるわ。もうずっと着け続けてらっしゃるのでしょ?」

「え! どうしてわかるんですか!?」


 深月さんが驚く。かの子さんをはじめ、わたしたち――『さらさ』の従業員が予想していただろうことは、当たっていたみたいだ。

 かの子さんは大人の余裕を感じさせる笑みを浮かべて、


「わかりますとも。だから数分だけ、そのネックレス、わたしたちに預けてみません?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ