4.ハルお兄ちゃんの用事って
思い出した『星屑』の記憶は、とてもきれいで。
ただ、この思い出話には曖昧な点がある。
ハルお兄ちゃんと流れ星を見に行ったこと、『星屑』という言葉をくれたことは本当だ。でも、ネックレスのくだりがちょっと疑わしい。
だって、このときもらったネックレスは、今わたしが身につけているものだから。
ローズクオーツは比較的手に入れやすい石だけど、小学生の男の子が気軽に贈れるものとは思えない。桔梗みたいな石留めとチェーンには、ちゃんとK18の刻印がある。余裕で万を超える金額になるだろう。
だからネックレスに関しては、「私の親がたまたま持っていたものを譲られた」という方がまだ現実感がある。
そうやってしばし思い出に浸っていると、
「そのネックレス」
ハルお兄ちゃんが指さす。わたしのネックレスを。
え、まさか。
「似合ってるね!」
このときの気持ちをなんとしよう。
お手本みたいにずっこけそうになるのをなんとかこらえて、えへへ、と笑ってごまかした。
「今日はお休み? たくさん買い物してるけど」
ハルお兄ちゃんが、わたしの腕に下がる買い物袋を指す。
コーヒーとか、けっこう買ったもんなあ。
「これはおつかいで……。お兄ちゃんこそ、お休み?」
私服だし。いやでも、私服可の職場かもしれない。
「おれは休みだよ。用事があるから有給使ったんだ」
有給。有給とおっしゃいましたか。
ハルお兄ちゃんの笑顔も「有給」という言葉もまぶしい! ハルお兄ちゃんにはホワイトな環境がよく似合うよ……。
「シュークリームでお待ちのお客様、お待たせしました」
ちょうど会話が途切れたところで、店員さんが声をかけてくれた。
お会計を済ませる。
けっこう箱が大きいな……気をつけて運ばなきゃ。
「じゃあ、わたし行くね。またね!」
「うん、ユキちゃんがんばってね」
お店のドアで店員さんから袋を受け取り、わたしは外に出た。
ちらっとだけ振り返ったとき、お兄ちゃんは何かのお会計をしていた。
用事ってなんだったんだろう。
少しだけ気にしつつ、わたしは『星屑さらさ』への道を急いだ。
短い帰路だけど、なんせシュークリームの箱が大きい。白鳥の飾りが崩れやしないかと、ちょっとひやひやしながら慎重に歩く。
保冷剤を入れてもらったから、クリームが溶けたりしないとは思うけど。
コーヒー店の袋の位置を直して、また歩く。
「あれ、ユキちゃん?」
うしろから聞き覚えがある声。ついさっき聞いたばかりの。
なんとか振り返ると、わたしが持っているのと同じ洋菓子店の紙袋を提げたハルお兄ちゃんが歩いてきていた。
なんで?
「ユキちゃんもこっち方面?」
疑問符ばかり浮かべるわたしの代わりに、ハルお兄ちゃんが答え半分の質問を投げてくれる。だからわたしも、
「お兄ちゃんも?」
と返してみた。
そういえば、成人して何年も経つのに、「お兄ちゃん」て呼び方は……我ながらどうかと思う。
他の呼び方が思いつかないんだよね……。
「ケーキの箱、持ちづらそうだね」
「あー、うん」
苦笑いで答える。
わたしの身長はハルお兄ちゃんより頭半分くらい低いから、余計にそう見えるんだろう。
「帰るまで長いの?」
「ううん、そんなには。すぐそこだから」
「そっか。じゃあ、そっちのコーヒーの袋、途中まで持つよ。おれはもう少し歩くから」
「え? でも」
「なんだか危なっかしくてさ。余計なお世話だとは思うんだけど、ケーキ持ってるし」
「う、うーん」
そこを突かれると痛いなあ。
迷っているうちに、ハルお兄ちゃんはごく自然な動作でわたしからコーヒー店の袋を持って行ってしまった。
「じゃあ、行こうか」
「あ、うん。ありがとう……」
わたしとハルお兄ちゃんは、人通りのまばらな街中を並んで歩き出した。
歩き出して五分くらい。本当にあっという間に、わたしは宝石店『さらさ』に戻ってきた。
ハルお兄ちゃんにお礼を言ってシュークリームを受け取り、二重扉を押し開ける。
「戻りましたー」
とわたしが言って、
「こんにちはー」
と、ハルお兄ちゃんがふたつ目のドアを押さえてご来店。
「え?」
どうしてハルお兄ちゃんが? と聞くより前に、ハルお兄ちゃんはにこっと笑って、
「お約束していた花香です」
呆けるわたしの背中を軽く押した。まずは中に入ろうよ、と。
「いらっしゃいませ、花香様」
かの子さんがゆったりと、だけどムダのない動きでハルお兄ちゃんをお迎えした。
「少し早く来てしまいましたが、大丈夫でしたか?」
「ええ、お気になさらずに」
こちらへどうぞ。と、かの子さんはガラス天板のローテーブルとソファ席へとご案内する。
出窓で外を眺めていたさっちゃんがソファに下り、当然といった顔で対面に座った。かの子さんも当たり前のようにさっちゃんを抱き上げて座り、隣に下ろす。
お待ちしておりました、花香様。と。
わたしは、いまだに理解が追いつかない。ドアを開けてからの流れを、ただ目で追っている。
「椎野サン、こっち」
トントンと、わたしの肩をつついたのはタツキさんだった。目立たないように、冷蔵庫を指さしている。
そうだ、シュークリーム!
わたしは慌てて、だけど洋菓子店の箱を傾けないように移動する。タツキさんは流れるような動作でわたしからコーヒー店の袋を受け取り、粉の緑茶を準備し始めた。
「ハルはちょっと薄めだったよな」
「ああ、うん。ありがとう、タツキ」
今の、タツキさんとハルお兄ちゃんだよね?
わたしがシュークリームをしまっている冷蔵庫の腹話術じゃないよね?
「花香様は、タツキくんのお友達でしたね」
「え!?」
かの子さんはさらっと言ったけど、わたしは全然流せなかった。
顔をあげてゆっくり振り返ると、ハルお兄ちゃんにかの子さん、タツキさん、さっちゃんまでもがわたしに視線を向けていた。
「あ、あの、おふたりは……?」
「幼馴染みたいなもんっスよ。小学校でクラスがずっと一緒で、それ以来の」
どういうお友達ですか、と言い終わる前に答えてくれたのはタツキさんだった。
「そういえば、ユキちゃんはここで働いてたんだね。知らなかったよ」
「あ、うん……。今日が初めて、でして」
頭がついていかない。この場合はお客様に対する話し方がいいのかな?
「あら、ユキちゃんもお友達?」
「幼馴染なんです。家が近かったので」
かの子さんに答えたのはハルお兄ちゃん。「これ、みなさんでどうぞ」と、さっきの洋菓子店の紙袋をかの子さんに渡している。ちらっと見えた中身は、焼き菓子の詰め合わせらしい。
これで一応、お互いのおおまかな関係は明らかになった。
でも、お兄ちゃんはどんな用事で『さらさ』に来たんだろう?
かの子さんと約束してたみたいだけど……。
「お連れ様は?」
「そろそろ来ます。仕事が少し長引いてるみたいで」
お連れ様。そのひと言が、わたしの心をざわりと撫でた。
そのとき。
「こんにちはー」
カラカランと、来客を知らせるベルの音。二重扉の店内側を押し開けて、ひとりの女性が入店した。
ピンクがかった茶色いセミロングヘアがふわりと揺れる。七分丈の白いシフォンブラウスと春らしいラベンダー色のスキニーパンツを着た活発そうな女性は、店内を見回して、
「ハル!」
ハルお兄ちゃんに笑顔を向けた。
「すみません、思ったよりも仕事が長引いてしまって」
そして、わたしとタツキさんに気づいて会釈をしてくれる。
ソファから立ち上がったかの子さんが、お待ちしておりました、と案内する。ハルお兄ちゃんの隣へと。
……わたしは知っている。この女性のこと。
「有沢深月です、よろしくお願いします」
髪型と髪色が変わっているけれど、有沢深月さん――深月さんの印象は、わたしが中学生だったあのころから変わらない。
ハルお兄ちゃんの彼女。
わたしの、失恋の象徴。