2.女店主かの子さん
初仕事前、タツキさんの「従業員的行動」に目を白黒させる。
そんなやりとりで五分消費。店長であるかの子さん(そう呼ぶようにと言われた)がやってきたのが一分後。
よかった、こんな間抜けなところ見られなくて。
「初日だから、まずはお店の中のことを教えるわね」
ちょっとしたワンルームみたいなバックヤード、従業員用の裏口、さっちゃんのトイレの場所、さっちゃんのお世話道具のある場所、さっちゃんのお世話について(マニュアルをもらった。タツキさんお手製)などなど。
「さっちゃんへの接し方を見て大丈夫だと思ったのだけど、猫と暮らしたことがあるのかしら?」
「はい。実家に一匹いまして。さっちゃんほどじゃないんですが、なつっこいんです!」
思わず頬が緩む。実家にいるサバ白、そろそろおばあちゃんになるうちの子だ。帰るといつも激写する手が止まらなくて、スマートフォンのアルバムはほとんど猫画像でいっぱいだ。
「よかったわ。さっちゃんは接しやすい子だけど、慣れている人の方が私も安心するのよね」
かの子さんは出窓に目を向ける。陽を浴びるさっちゃんの黒い毛が、ほんのり青く光っている。首輪のチャームは、優しいピンク。大きさはわたしの星屑よりひと回り小さい雫型。
あれ? でも、なんか……。
「かの子さん。さっちゃんの今日のチャーム、この前と違いますよね」
「ええ、そうよ」
「あの。気のせいか、すごく眩しくて。ファイアがすごく鮮やかじゃないですか……?」
ファイア。ものすごくざっくりと言えば、光の屈折が繰り返されることで見える、七色の輝きだ。身近なものだとガラスやプリズム。宝石店的に言えば、ダイヤモンド。
そう、ダイヤモンド。
「あの……もしかして、あのチャーム……」
ひとつの推測が、わたしの心をざわざわさせる。さっちゃんのチャームは虹色に輝いている。
かの子さんは優しい大人の笑みを浮かべて、
「アーガイル産」
「ヒッ」
アーガイル産とは、オーストラリアにあるアーガイル鉱山から取れたということ。ちなみに、ピンクダイヤモンドの産地として有名だ。
「宝石って、見た目だけだとほとんどわからないじゃない? ユキちゃんは目がいいのね」
「あの、あの……!」
「大丈夫よ。キュービックジルコニアだって、きれいにきらきらするから。よほど見慣れている人でもなければわからないわよ」
やっぱり、ファンシーピンクなわけですね……。
ファンシーカラーダイヤモンド。それは、無色透明のダイヤモンドよりも高価なものだ。色味がきれいならば、なおさらに。
わたしの心は一瞬、遠くへ旅立った。
「そういえばユキちゃん、タツキくんが感心してたわよ。『チェーンもペンダントトップもきれいにしてある』って。落とす汚れがあまりなかったみたい」
タツキさん、そんなこと言ってたんだ。
「わたし、クリーニングは好きなんです。前の職場にいたときも、お客さまからお預かりしたジュエリーをきれいにすることについ夢中になっちゃったりして」
使い込まれたチェーンをお預かりしたときなんて、とてもわくわくしたものだ。超音波洗浄機に入れると、隙間に入り込んだ汚れが砂みたいに落ちていって、正直快感だった。
もちろん、それはサービスの一環ではあるけれどメインじゃない。メインの仕事はもちろん、宝飾品を販売することで。
ああ、開いて欲しくない思い出の蓋が……。
「じゃあ、お店に慣れるまで、クリーニングはユキちゃんにお任せするわね」
微妙な間にはあえて触れずに、かの子さんは微笑んだ。自然な流れで、クリーニングの道具があるところに誘導される。
超音波洗浄機。先の丸いピンセット。小さなルーペ。貴金属洗浄液。ゴールド、シルバーそれぞれの洗浄液。柔らかい毛質の歯ブラシに、クリーナークロス。ティッシュはいろんなことに使えるから必須。
大丈夫。ここまでいろいろ見ても、拒否感は出てこない。大丈夫。
「洗浄液の在庫はここね。あとはお客さまにお茶を出してもらうわね。このお店、外からだと宝石店ってわかりづらいでしょ? 半分、わざとではあるんだけど。ユキちゃんみたいに、さっちゃんにつられて入ってくる人もいるの。そういう人にお客様になってもらうために、『取って食べたりしません』て安心してもらう必要があるのよ」
無理なお勧めをすると、お客様に嫌われてしまうもの。かの子さんは言った。
「宝石を好きな人にはもちろんだけど、今まであまり馴染みがなかった人にも、身近に感じて欲しいの。このきれいな『星屑』たちをね」
星屑。お店の名前にもなっている言葉。わたしの心に、ずっと残っている言葉。
この前は慌ただしくて気にしてなかったけど、偶然ってすごいな。
そのまま、わたしはお茶のセットが置かれているところに案内される。
「適度にリラックスしてもらう目的で、『さらさ』の内装は喫茶店をイメージしているの。ユキちゃんはさっちゃんにつられたから、猫カフェだと思ったみたいだけれど」
「あ、あはは」
正直、さっちゃんしか目に入ってませんでした。だって、完全な飼い猫って見ていて安心感あるし。
「それで、うちは緑茶とコーヒーとジュースを……あら」
コーヒーメーカーにポット、小さな冷蔵庫に棚と説明してくれていたかの子さんの手が止まる。
「ユキちゃん。ちょっとお願いを聞いてくれる?」