4.きらきら『さらさ』、土砂降り豪雨
年内最後の一週間もあっという間。これが年末だよねと思いながら、年越しまであと数時間。
わたしは年末番組を見ながら、こたつでみかんを食べていた。こたつ布団越しの膝上には、さっちゃんが香箱を組んで座っている。これぞ正しき冬の姿だ。いとおかし。
ところで、わたしの部屋にこたつはない。そしてここは他人の部屋だ。
サイズが大きすぎる借りものの服を着て、機械的にミカンを口に運ぶわたし。
どうしてこうなった。
さっちゃんの大あくびを見ながら思い出す。何時間か前のことを。
十二月三十一日、大晦日。どうやったって大晦日。
みんなで「寿司屋の牛丼」を食べた十二月二十三日を生き延びて、翌日と翌々日のクリスマス・イヴとクリスマスも普通に忙しくて。
覚えているのは、脳裏をちらちら過るフェアリー・マダムなナリガネさん。あと、機械のような正確さでラッピングしていくタツキさんの手元、かな。クリスマス仕様でリボン二重にしたり、カールさせたり、本当に器用だった……。
そういう仕事のあれこれも、昨日の十二月三十日まで。
宝石店『さらさ』は、今日からお正月の三が日までお休みだ。だから、『さらさ』に集まったわたしたちは、
「じゃあ、始めましょうか」
かの子さんがスタートを宣言した。動きやすくてラフな服装の上に、エプロンとバンダナを身に着けて。わたしとタツキさんも似たような格好だ。側に、ゴム手袋やマスクも用意してある。
そう。今日は大晦日。大掃除の大晦日。
軽く打ち合わせした通りに、わたしたちは分担場所へ散っていく。
上背のあるタツキさんが高いところのほこりと汚れを落とし。重いテーブルやイスもタツキさんが動かして。
わたしとかの子さんが、自分の受け持ちをきれいにして。
「にゃー」
バックヤードからさっちゃんの声がする。
今日はケージに入ってもらってたからね、そろそろ構われたくなったのかもしれない。
「じゃあ、ちょっと休憩ね」
「はーい」
「っス」
さっちゃんに呼ばれたらひとまず休憩。
そんな風にして、わたしたちは『さらさ』店内をきれいにしていった。
時刻はいつの間にか夕方。大掃除が終わった『さらさ』の店内は、なんだかさっぱりすっきりしたように感じられた。
ピカピカになったショーケースに戻すものは戻して、金庫にしまうものはしまって。
カーテンは朝一で洗って吊るしてある。冬の乾燥した空気にさらされて、たぶんもう乾いてるんじゃないかな。
「タツキくん、ユキちゃん、お疲れさま。お茶でも飲みましょ」
ふう、とひと息吐いて、かの子さんが終わりを宣言した。
「にゃー」
「さっちゃんもね」
そして、足元にすり寄るさっちゃんを撫でた。
カーテンから微かに届く洗剤の香りの中、わたしたちは労いのティータイム。
緑茶、ほうじ茶、お茶請けにはタツキさんがいつの間にか買ってきていたあんまんにひと口羊羹。
いつもの素敵ないただきものもいいけど、こういう気軽なものもいいよね。
目の前には、細長いパックの猫用おやつを無心に舐めるさっちゃん。実に微笑ましい。年末はこれくらい穏やかでいい。
そうしてこうして、余韻を感じる時間も過ぎて行き。
「今年は本当にお世話になりました。よいお年を」
ひと足先に店を出るわたしに、残るそれぞれが軽く言葉を返してくる。よいお年を、と。
「空模様が危なかったから、早く帰った方がいいっスよ」
「あれ、そうなんですか? 急ぎますね」
カサはないけど、まあ大丈夫かな?
従業員用ドアを閉めて、年内最後の商店街へと足を向ける。
いつもより静かな道。夜だけど、浮き足立つような空気感。なんとなく聞こえてくるにぎわいは、近くにある神社からかな? わたしもつられてそわそわする。
これから、ひとり暮らしの部屋に戻るのかあ……。
『年末年始はどうするの?』
実家の家族から聞かれてはいたけれど。段取りというものが元々苦手な上に、想像以上の忙しさでなんやかやと計画できず。
実家の猫と年末年始を過ごせないなんて、なんたる失態だろう。なるべく早いうちに帰省しよう。
そう決意した、その時。
ぽつり、とか、そんなやさしい予告はなかつた。
一瞬にしてわたしの視界を埋め尽くす線、線、線。
夜色を映して黒く灰色なゲリラ豪雨が、ものすごい音を立ててあたりの建物や道を叩く。
わたし込みで。
とっさにバッグは守った。だけどわたし自身は、びっちゃりといってしまった。
「……えー……」
激しい雨に打たれ、ジトジトに濡れそぼりながら、声が出る。
「ちょ……何やってるんスか」
轟音の中から声がした。
返事をする前に、わたしを打っていた雨が止まって、代わりに頭上からボコボコと音が。差し出されたカサの布地が、水滴を弾く音が。
「ズブ濡れで突っ立ってるのは、怖いっスよ」
振り返ると、カサを差し出してくれた美丈夫が、珍しく――この人にしては、本当に珍しく――表情筋を歪めていた。バッグ以外、ジットリと湿ったわたしを前にして。とてもとても、気の毒そうに。
「タツキさぁーん……」
「とりあえず店に戻りましょう」
荷物持ちますから。ひょいとバッグを持たれ、くるりと反転、来た道を引き返すよう進路修正された。
鮮やかな手際だ……。
ちらりとタツキさんの横顔を見上げてみる。肩越しに顎が見えた。お互いの腕がくっつきそうな距離だからね、身長差が大きいと首を痛める角度になるよね。
わたしの視線をどう思っているのか、そもそも気づいているのかわからないタツキさんは、
「ほら、歩いて」
とん。と、わたしの背中を軽く押した。押し出されて、一歩目を踏み出す。
「店まで行けば色々ありますし、店長がなんとかしてくれるはずっスから」
「はい……」
どこからか取り出されたフェイスタオルを頭にかぶり、ズブ濡れなわたしと美丈夫は、ひとつのカサで『さらさ』を目指す。
目指して、目視して。
あと五メートルくらい。あと少しでたどり着く。
ふたりでほっと安堵の息をつこうかという、そのとき。
『さらさ』の従業員駐車場から、赤くておしゃれな形の車が出てきた。
こちらに気づかず、迷わず、まっすぐに。
赤い――かの子さんの車はそのまま発車した。呆然と見つめるわたしの視界から、ナンバープレートが小さくなって消えていく。
「……あの。お店の鍵は……」
「店長が持ってます」
「今からかの子さんに電話すれば」
「あの人、運転中は端末いじらないんスよ」
「優良ドライバーですね……」
「そっスね……」
会話はそこで途切れた。
ゲリラ豪雨が激しくわたしたちに降り注ぐ。やけに強く、いやに白く景色を隠しながら。
「……今から駅に向かえば」
「さっそく運転見合わせになったみたいっスよ」
「タクシーは……」
「椎野サンち方面、道路冠水したらしいっスよ」
「……」
八方塞がりじゃないか。
表情が「無」になりかけるわたし。
けど。
「あの」
美丈夫が、どこかためらいがちに、
「俺の家、来ますか」
すぐそこなんで。と続いた言葉は、正直ほとんど耳に入らなかった。




