3.寿司屋の牛丼
十二月二十三日。クリスマス商戦は最終局面を迎えた。迎えてしまった。
クリスマス商戦といいつつ、「決戦」は二十四日のクリスマスイブ。だいたいがそう。
だから、駆け込み組は今日来る可能性が高い。
「時間が取れなかった人たちのためにがんばるのよ、わたしたちは」
開店前、女店主かの子さんが言っていた。
事情は人の数だけあれど、年末はみんなにやってくると。
その言葉に込められたいろいろに想像を巡らせ――
――人のことに想像を巡らせる余裕なんてなかった。あるはずがなかった。
こんな日に。クリスマスイブの前日に。
人、人、人。
星屑、星屑、星屑。
汚れ、とって、きれいに。
わたしが思い出せるのはそれくらいだった。
表に出していた看板を店内にしまって、閉店札を掛ける。
「お、終わっ……た……」
わたしは、その場にずるずるとへたりこんでしまった。
店内に応える人はいない。
なんとか後ろを見てみると、イスに座ってテーブルに突っ伏すかの子さん。床に伸びてるつやつやさっちゃん。
さっちゃんは途中でバックヤードにいてもらったけど、人間三人はお昼も食べられなかったからね……。
「どうぞ」
にゅっと、わたしの視界の外から差し出されるマグカップ。へとへとじゃなかったら飛び上がってたね。
差出人はもちろん、
「あったかいほうじ茶っス」
「……ありがとうございます」
わたしがマグカップを受け取ると、タツキさんに両脇をひょいと持ち上げられ、立たされた。
「店のテーブル使ってください」
俺はカーテン閉めてくるんで。と、タツキさん。
ありがたいけど、ほんと、ひと言声かけて欲しいな!
そうは思いつつ。口に出して言うほど元気が残っていないわたしは、大人しく店内の接客テーブルセットのイスに座った。
タツキさんはかの子さんとさっちゃんにも飲み物を用意して、
「みんな腹減ってまよね? 適当になんか買ってきますんで」
ささっと、バックヤードにある裏口から外に出ていった。
「おねがぁい……」
かの子さんが、右手をふにゃりとあげて、ぺたんと下ろした。
「ユキちゃん、テーブルのお菓子、食べていいからねぇ……」
「ありがとうございます。いただきます」
テーブルのお菓子カゴのひと口チョコを取って、フィルムを剥がす。口の中に放り込んだとたん、甘いにおいと、舌の上で溶ける感触が。すごく、安らぐ。
もうひと粒放り込んで、ほうじ茶をすする。あったかくて甘くて、ああ、小さな幸せ。
「タツキくんきっとすぐ帰ってくるから、食べ過ぎちゃだめよ……」
突っ伏したままのかの子さんに返事をしようとしたとき、
「戻りました」
裏口からタツキさんが戻ってきた。手にビニール袋を提げて。
「タツキさん、おか」
「タツキくんお帰りー!」
かの子さんが元気よく立ち上がる。さっきまでぐったりしてたのに。
わたしが呆気にとられていると、
「食事にしましょう。ユキちゃんも早くいらっしゃい!」
バックヤードのテーブルには、商店街にある寿司店のロゴ入りビニール袋が置かれていた。
タツキさんはお茶の用意をしていて、かの子さんは席について脱力している。
かの子さんに手招きされたわたしもイスを引いて、
「タツキさん、お寿司買ってきてくれたんですか?」
「そう思うでしょ?」
にっ、と、かの子さんはいたずらを思いついたように笑う。
なんだろ……?
「開けてみてください。どんなメニューか書いてあるんで」
タツキさんがやってきた。簡単なお茶のセットをテーブルに置いて、三人分のほうじ茶を淹れる。
わたしは言われたままに、ビニール袋を覗き込む。中には、使い捨て素材のフタ付き丼が入っていて、
「『寿司屋の牛丼』……?」
寿司屋の牛丼。フタに、そう印字されたシールが貼ってある。
「寿司屋の、牛丼?」
「牛丼っスね。寿司屋の」
「そう。『寿司屋の牛丼』よ」
復唱? されても。
「ここの店主が趣味で作ってるメニューなんスけど、うまいんスよ」
「趣味」
趣味。
「趣味なのよ、ご主人の」
強調されても。
んなーん。と、さっちゃんがひと声鳴いた。
「あー、味噌汁持ってきます。インスタントっスけど。丼物だけだと飽きますし」
「ありがとうねー」
「食べきれるかなあ……」
この使い捨て丼、けっこう大きいよね。ご飯の量かなりありそうだし。
「残ったら俺もらいますんで」
「えっ」
えっ。そりゃ、残す罪悪感はなくなるけど……。うーん。
「並ひとつ、大盛ふたつ買ってきたんで」
「それなら特盛ひとつに並ふたつでよかったんじゃないですかね……?」
疑問を口にするわたしの前に、すっと一枚、色紙のチラシが差し出された。
『店主の趣味とこだわりが詰まった牛丼
寿司屋の牛丼
並盛 380円(税込) 大盛 500円(税込)』
ああ、二パターンだけなんだ。
目線を上げると、チラシを差し出してきたかの子さんが、「ふふっ」と笑っている。
わたしは無言で、自分とタツキさんの丼のフタを開ける。ほかほかの湯気が解き放たれ、調味料の甘辛いにおいと、肉のにおいが立ち上る。胃と唾液の分泌が刺激されるけど、わたしは自分の牛丼三分の一をタツキさんの丼にもりもりと移した。
食べ残しを渡すくらいならこうしてやる。
フタを閉めたところで、お盆にお味噌汁を載せたタツキさんが戻ってきた。フタが浮いた牛丼をちらっと見て、なにも言わずに配膳する。
「はいはい、冷めないうちに食べましょうね。今日はケーキも用意してるから」
ケーキ! 牛丼移しておいて正解だった!
さっちゃんのお皿に猫まっしぐらなチューブ食が盛り付けられ、さっちゃんが食いついたところで、
『いただきます』
わたしたちはやっと、暖かい食事にありついた。
牛丼を食べた。お味噌汁も飲んだ。ケーキも食べた。ぐったりする前に片づけも終えた。
そんなところでどっと疲れを思い出し、かの子さんとわたしはぐったりとテーブルに伸びている。さっちゃんはのびーっと身体を伸ばしていて、タツキさんはイスに座って、
「あれ、タツキさーん?」
「……」
返事がない。
疲れで重い身体をよっこいしょとイスから起こして、タツキさんの前に回り込んでみる。
……寝てる。
腕を組んで、目を閉じて、顔を少し下に傾けて。わずかに肩が上下している。
「お疲れなんですね」
わたしはのろのろと背を向けて、伸び伸びしているさっちゃんの両脇に手を差し入れ、持ち上げる。
「んんにゅ」と声を出したさっちゃんを、そのままタツキさんの膝に下ろす。さっちゃんはぐるぐるぐると膝の上で回って、腰を下ろしたりまた立ち上がったりしながらポジションを確かめて、座り込んだ。
よし。
満足してくるりと反転したわたしに、
「大晦日」
わりとはっきりした低い声が。
「大晦日、除夜の鐘、聞きに行きませんか」




