1.あの人は十月生まれ
あまりにも暑い夏が過ぎて、過ごしやすい秋もいつの間にか終わっていた。
イチョウやモミジの見ごろもそろそろ終わり。だけど、斜め向かいに見えるアサガオはまだ咲いてるんだよね……なんでかな……。
「よーし、きれいになった」
勤めて半年になる宝石店『さらさ』。入口前の道を掃き終えて、わたしは暖かい店内に引き返す。
冬というにはまだ少し暖かい、師走の上旬。これから来る嵐、クリスマス商戦前の最後の静けさ。
「あらぁ、椎野ユキちゃん。ご苦労さまぁ」
独特な口調でのんびりと声をかけてくれたのは、上品な濃紺ジャケットと冬色スカートを着こなした薔薇貴婦人こと、ナリガネさん。
今日はかの子さんと宝石トークに花を咲かせていた。ときおり「マダム会」なる単語が聞こえてきたような気がするけど、気のせいだと思う。たぶん。きっと。絶対に。
「ありがとうございます。あれ、かの子さんは」
「裏に行ってるわぁ。ユキちゃんが入ってくる直前まで天野竜樹くんもいたんだけどねぇ」
「ええっ」
一瞬なのかもしれないけど、ナリガネさんひとりになってたの?
まずいよね? 扱う商品の種類上、とってもまずいよね?
「不用心よねぇ。マダムの誓いをしたあたくしじゃなかったらどうなっていたかしらぁ」
……わたしは何も聞かなかった、うん。
カウンター裏から、看板猫である黒猫のさっちゃんがわたしを見ている。
そうだね、さっちゃんがいてくれたね。
しゃがみこんで頭をなでると、さっちゃんは目を細めてのどを鳴らした。かわいい。
「そういえばぁ、天野竜樹くんて秋生まれじゃなぁい?」
「え?」
秋生まれって、誕生日? タツキさんの?
わたしが思考停止に陥っていると、
「そうそう。二十六歳になったのよ」
バックヤードのドアから、かの子さんが現れた。
暖かそうな湯気の立つコーヒーと、お茶菓子をナリガネさんの前に置く。
「二十六歳にって……、えと、その前にですね。タツキさんの誕生日っていつなんですか?」
「十月よ」
「じゅっ」
十月って、十月って、ふた月も前!?
「な、なんで教えてくれなかったんですか!? お祝いとか、プレゼントとか!」
「タツキくん、恥ずかしがるのよねえ。だからいつもどおりにしてるのよ」
「ほーんとぉ、もらえるものはもらっておけばいいのにねぇ」
ほほほほ、うふふふふ。和やかに笑いあうご婦人ふたり。
慣れてるんだろうなあ……。
でも、わたしは「そうなんですね」と納得してはいけない。
だって、
「あの、わたしのときは色々としていただきましたよね……?」
ケーキとか、ピアスとか!
「でもほら、ユキちゃんピアスは自分でお金出したじゃない。ケーキはおやつ。みんなでよく食べるでしょ」
「そ、そうですけど」
「いいのよぉ、天野竜樹くんも大人なんだからぁ。本人が納得してるんだしぃ」
ほほほほ、うふふふふ。微笑みふたたび。
いやでも、それでも、なんというか!
わたしが言葉を見つけられないでいると、店の奥から「かちゃり」と音がした。
「なんかにぎやかっスけど、どうしたんスか」
ぬぼっと。長身美丈夫こと、『さらさ』のクラフトマン、タツキさんが現れた。
今日のループタイは図案化されたバラだ。最近バラをつけてくる日が多い。絶妙なマーブルピンクだけど、素材はなんだろう。おじいさんがら譲られたものなら、サンゴとかありえるのかな……。怖い。
いや、今は見とれてる場合じゃなかった。でもあとで見せてもらおう。
「あの。タツキさんの誕生日って……」
「あー……」
タツキさんは気まずそうに視線を逸らし、頭をかいた。
「店長」
「かの子さん、でしょ?」
にこやかに返されて、タツキさんは黙った。
うん、黙るよね。隣に吹き出すのを堪えてるナリガネさんも並んでるし。圧がすごい。さっちゃんも見ないふりしてる。
「わたしの誕生日はお祝いしてもらったのに、タツキさんは日付も知らなかったなんて、なんというか」
「あー、いいんスよ。俺、そういうの苦手なんで」
「でも……」
そう言われても、気になるものは気になる。
いやでも、わたしだけが気にしてもタツキさんを困らせちゃうことになる、のか。
それはだめ。だめだよね。
椎野ユキ、二十四歳。干支が二回周ってきた大人。ここは潔く、
「じゃあ、ピンキーリングのモデルやってください」
「わかりました。タツキさんがそこまで言うなら……え?」
話が変わってる?
今、なんて。
「決断早くて助かります。今からクリスマスは間に合わないんで、バレンタインやホワイトデーに向けて作ろうと思うんスよ。で、イメージをつかむのに協力してください」
タツキさんがそう言った途端、「あらぁー」「やるじゃない」とマダムたちが歓声をあげる。
タツキさんがちらっと睨むけど、「あら、こわーい」と余計に盛り上がる。
そういうところあるよね!
「じゃあ、さっそくサイズ測らせてください」
「え? あ、はい?」
よくわからないまま返事をすると、タツキさんは右手にゲージリングの束を持って、私の左手を引いた。
あれ? いや、サイズ測るならまあ、そうなるけど?
どう反応していいかわからず固まるわたし。タツキさんはそんなわたしの、
薬指にゲージを通した。
明らかに、その場の時間が止まった。
「あら! あらあらあら!」
きゃーっ!! とはしゃぐマダムたちの声で正気を取り戻し、わたしは少し腰を落として、
「うぐっ」
長身美丈夫のみぞおちにタックル。頭から、トップスピードで。
タツキさんが身体を折って半歩下がる。
「違うじゃないですか! 小指じゃないじゃないですか!!」
しかもサイズぴったりだし! なんでか肌当たり滑らかな内甲丸ゲージだったし!!
宝石店『さらさ』で扱うファッションリングは基本的に内側が平らだ。内側が丸い内甲丸のリングっていったら、高価な品か、
「婚約指輪? 結婚指輪?」
「どっちかしらぁ」
にやにやにやと、マダムたちが笑う。さっちゃんはいつの間にか姿が見えない。
「に゛ゃーんっ!!」
椎野ユキ、二十四歳。
大人が出さない声で、ひと暴れ。
ちゃんと、モデルのお手伝いは約束しましたよ。お説教したあとで。




