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宝石店『さらさ』 〜星屑磨きと小さなバラ〜  作者: いろは紅葉
第四章:六月のローズクオーツ
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9.六月のローズクオーツ(後)

「誕生日って、職場でケーキ食べるだけで終わっていいものかしら。そんなものかしら? いいえ、きっと違うわ。少なくとも今日はね」


 この私がそんなことで終わらせるものですかと、妖しげな美女は全身で宣言した。言外に。言葉よりも雄弁に。

 え、なにごと。

 これ以上何があるというんだろう。背中を、妙な予感が撫でていく。


「ねえ、タツキくん?」

「……なんスか」

「しらばっくれないの。私にはお見通しよ」


 ぱちん! と、指でいい音を鳴らすかの子さん。彼女の中で、何かのエンジンがかかったらしい。

 きっとこれはあれだよね、誰も止められないやつだ。さっちゃん以外。

 そっと視線を膝に向けると、さっちゃんは目を閉じて、黒くてまんまるな毛玉クッションに擬態していた。テーブルの影にいるから、顔がどこかも判然としない。

 とりあえず、さっちゃんが膝にいる限り、わたしはこの場から逃げられない。


 自分が置かれている状況を確認したところで目線を戻す。かの子さんとタツキさんのやりとりが、いつの間にか一段落している。タツキさんが、クッショントレイに小さな箱を載せていた。


椎野(しいの)サン」

「はい」

「なんで今かしこまったんスか」

「いや、なんかそんな雰囲気かなって」

「……。これ、開けてください」


 美丈夫が空気を押し流した。

 これ以上続けるとさすがに怒られそうなので、わたしは素直にクッショントレイの箱に注目する。

 直径四センチくらいの、小さな丸い箱。乳白色の影がかかる白い紙製で、光沢がある茶色いリボンの飾りがワンポイント。

 何か入っている。

 開けろと言われたんだから当然だけど。口には出さずに、わたしは両手を使って箱を開けた。


 蓋を開けてこんにちは。

 箱に収められていた星屑(・・)が、そう言いたげに姿を現した。

 星屑。わたしの鎖骨下で揺れているバラ彫りのローズクオーツと、ほぼ同じ石がふたつ、並んでいた。この前、蜂蜜カフェで見せてくれたものが。


「ピアス……」


 そう、ピアス。

 そっとひとつ、引き抜いてみる。タツキさんはそのまま動かない。わたしが落とさないように、そのままクッショントレイを持ってくれている。今はその好意に甘えよう。


 改めて、小さな星屑を観察してみる。

 大きさも形もツヤ消しの表面も、わたしの星屑といっしょ。ひっくり返してみて、もっと驚いた。

 星屑をつかむ、K18刻印有りのピンクゴールドのピアスパーツ。桔梗を思わせる透かしが入ったパーツまで、わたしの星屑ネックレスといっしょ。


 あるんだろうか、そんなこと。


 わたしが持っているバラの星屑は、少なく見積もって十五年以上前に作られたものだ。こんな特殊な形をしたパーツの、まるで、ネックレスとセットみたいな品を目にするだなんて。


「どう? 気に入ったかしら」


 かの子さんの声で現実に戻される。顔を上げれば、いつもみたいに読めない表情をしているタツキさんと、微笑みを浮かべるかの子さん。


「最近のタツキくんの成果。実はがんばってたのよ、この子」

「子供扱いはやめてくれませんか」


 タツキさんが、どことなく居心地悪そうに眉を歪めた。 

 ともかく、わかったことといえば、最近タツキさんが工房にこもりきりだった理由。

 定番パーツならともかく、透かし細工の、しかも十五年以上前のパーツを。廃盤になっていてもおかしくないのに。

 偶然なんだろうか?

 小さな疑問が脳裏をよぎる。


「まあ……そういうことで。これでセットになりましたよね」


 ずいと、心持ちクッショントレイをわたしに押し出してくるタツキさん。

 わたしは手にしたピアスを箱に戻す。蓋を閉める。


「ユキちゃん?」


 かの子さんが怪訝な声を出すのが聞こえるけど、わたしは、


「で。従業員割引と誕生日割引、併用できますか?」


 まっすぐタツキさんを見つめた。


「ユキちゃん、それは誕生日の……」

「本当はできないっスね。でも」


 かの子さんの声を遮って、タツキさんがどこからか電卓を取り出す。


「店長」

「かの子さん、でしょ?」


 あ、こういう状況でもそこはつっこむんだ。


「……かの子さん。どうしましょうか」

「どう、って」


 戸惑いを取り戻したかの子さんが、わたしを見てくる。


「わたし、まだ『さらさ』のジュエリー、持ってないんですよね」


 そう。お直しをいくつか頼んだだけ。それに、なんと言っても。


「仕事仲間からのプレゼントがジュエリーって、ちょっとこう……『重い』気がするんです!」


 いちばんの理由がこれ。

 繊細な彫りのローズクオーツがふたつに、K18ピンクゴールドのピアスパーツがひと組。芯はしっかりと太い。ピンクゴールドは、イエローゴールドよりも若干値が高い。少なく見ても、万はいくはず。

 わたしの仕事と『さらさ』自体にプラスになるといっても、丸ごとプレゼントというのはちょっと、受け取りがたい。ケーキとはわけが違う。


「どうしましょうか、かの子さん」


 タツキさんがまた、かの子さんに問いかける。

 かの子さんはもう一度わたしに視線を投げてから、仕方ないわね、とため息をついた。そしてタツキさんからやや強引に電卓を受け取って、「これは○○原石さんからで、このパーツは□□貴金属さん、そして工賃がこれ。だから売値は……」キーを叩いていく。


「いつもよりもすこーし、気持ち引いてみたわ。どうかしら」


 と、電卓の数字を提示するかの子さん。タツキさんも横から覗き込んで、なるほど、と頷いた。

 この金額ならわたしでも手が届く。というか、やっぱりやりすぎじゃないだろうか。

 ま、いいか。誕生日だし。


「買います!」

「売ったわ!」


 無事、交渉成立。

 さっそく財布から代金を出して(精算は明日に回すから金庫にしまう)、わたしは新たな「星屑」を手に入れた。

 タツキさんが再度、箱を載せたクッショントレイを押し出してくる。無言で。

 わかってますよ。


「じゃあ着けますね」


 今度は遠慮なく蓋を開け、鏡を見ながら、両耳のピアスホールに貴金属の細いパーツを通す。

 両耳、首元。

 三つの小さなピンクのバラが、わたしをちょっとだけ華やかにしてくれた。


「似合ってるわよ、ユキちゃん。これからどんどん使ってね」

「はい、もちろん! タツキさんも、ありがとうございます」


 タツキさんはふっと息を吐いて、


「どういたしまして」


 笑ったように見えた。ほんの、ちょっとだけ。

 これで、わたしのバラは三つ。

 そうだ。バラといえば。


「そういえば、バラの本数にも意味があるんですよね? 三つ――三本だとどういう意味になるんですか?」


 わたしは聞いた。特に何の含みもなく、単純に。

 その瞬間、タツキさんの表情が明らかに変化した。まずいことが見つかったという感じに。

 かの子さんは、口の両端を三日月みたいに釣り上げて、


「あら。三本のバラといったら――」

「お開きですよ、かの子さん。もうこんな時間じゃないスか」


 不自然に割り込んできたタツキさんが、時計を指さした。けっこうな時間が経っていたことに、わたしも初めて気づく。

 いつの間にか雨もあがって、外は明るくなっていた。夏至も過ぎて、日の長さは夏の訪れが近いことを伝えている。


 バラの意味についてはうやむやなまま、わたしたちは片付けを始めて、解散した。

 明日は始業から仕事だ。まっすぐ帰ろう。

 わたしはそっと、耳の星屑に触れた。

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