9.六月のローズクオーツ(後)
「誕生日って、職場でケーキ食べるだけで終わっていいものかしら。そんなものかしら? いいえ、きっと違うわ。少なくとも今日はね」
この私がそんなことで終わらせるものですかと、妖しげな美女は全身で宣言した。言外に。言葉よりも雄弁に。
え、なにごと。
これ以上何があるというんだろう。背中を、妙な予感が撫でていく。
「ねえ、タツキくん?」
「……なんスか」
「しらばっくれないの。私にはお見通しよ」
ぱちん! と、指でいい音を鳴らすかの子さん。彼女の中で、何かのエンジンがかかったらしい。
きっとこれはあれだよね、誰も止められないやつだ。さっちゃん以外。
そっと視線を膝に向けると、さっちゃんは目を閉じて、黒くてまんまるな毛玉クッションに擬態していた。テーブルの影にいるから、顔がどこかも判然としない。
とりあえず、さっちゃんが膝にいる限り、わたしはこの場から逃げられない。
自分が置かれている状況を確認したところで目線を戻す。かの子さんとタツキさんのやりとりが、いつの間にか一段落している。タツキさんが、クッショントレイに小さな箱を載せていた。
「椎野サン」
「はい」
「なんで今かしこまったんスか」
「いや、なんかそんな雰囲気かなって」
「……。これ、開けてください」
美丈夫が空気を押し流した。
これ以上続けるとさすがに怒られそうなので、わたしは素直にクッショントレイの箱に注目する。
直径四センチくらいの、小さな丸い箱。乳白色の影がかかる白い紙製で、光沢がある茶色いリボンの飾りがワンポイント。
何か入っている。
開けろと言われたんだから当然だけど。口には出さずに、わたしは両手を使って箱を開けた。
蓋を開けてこんにちは。
箱に収められていた星屑が、そう言いたげに姿を現した。
星屑。わたしの鎖骨下で揺れているバラ彫りのローズクオーツと、ほぼ同じ石がふたつ、並んでいた。この前、蜂蜜カフェで見せてくれたものが。
「ピアス……」
そう、ピアス。
そっとひとつ、引き抜いてみる。タツキさんはそのまま動かない。わたしが落とさないように、そのままクッショントレイを持ってくれている。今はその好意に甘えよう。
改めて、小さな星屑を観察してみる。
大きさも形もツヤ消しの表面も、わたしの星屑といっしょ。ひっくり返してみて、もっと驚いた。
星屑をつかむ、K18刻印有りのピンクゴールドのピアスパーツ。桔梗を思わせる透かしが入ったパーツまで、わたしの星屑ネックレスといっしょ。
あるんだろうか、そんなこと。
わたしが持っているバラの星屑は、少なく見積もって十五年以上前に作られたものだ。こんな特殊な形をしたパーツの、まるで、ネックレスとセットみたいな品を目にするだなんて。
「どう? 気に入ったかしら」
かの子さんの声で現実に戻される。顔を上げれば、いつもみたいに読めない表情をしているタツキさんと、微笑みを浮かべるかの子さん。
「最近のタツキくんの成果。実はがんばってたのよ、この子」
「子供扱いはやめてくれませんか」
タツキさんが、どことなく居心地悪そうに眉を歪めた。
ともかく、わかったことといえば、最近タツキさんが工房にこもりきりだった理由。
定番パーツならともかく、透かし細工の、しかも十五年以上前のパーツを。廃盤になっていてもおかしくないのに。
偶然なんだろうか?
小さな疑問が脳裏をよぎる。
「まあ……そういうことで。これでセットになりましたよね」
ずいと、心持ちクッショントレイをわたしに押し出してくるタツキさん。
わたしは手にしたピアスを箱に戻す。蓋を閉める。
「ユキちゃん?」
かの子さんが怪訝な声を出すのが聞こえるけど、わたしは、
「で。従業員割引と誕生日割引、併用できますか?」
まっすぐタツキさんを見つめた。
「ユキちゃん、それは誕生日の……」
「本当はできないっスね。でも」
かの子さんの声を遮って、タツキさんがどこからか電卓を取り出す。
「店長」
「かの子さん、でしょ?」
あ、こういう状況でもそこはつっこむんだ。
「……かの子さん。どうしましょうか」
「どう、って」
戸惑いを取り戻したかの子さんが、わたしを見てくる。
「わたし、まだ『さらさ』のジュエリー、持ってないんですよね」
そう。お直しをいくつか頼んだだけ。それに、なんと言っても。
「仕事仲間からのプレゼントがジュエリーって、ちょっとこう……『重い』気がするんです!」
いちばんの理由がこれ。
繊細な彫りのローズクオーツがふたつに、K18ピンクゴールドのピアスパーツがひと組。芯はしっかりと太い。ピンクゴールドは、イエローゴールドよりも若干値が高い。少なく見ても、万はいくはず。
わたしの仕事と『さらさ』自体にプラスになるといっても、丸ごとプレゼントというのはちょっと、受け取りがたい。ケーキとはわけが違う。
「どうしましょうか、かの子さん」
タツキさんがまた、かの子さんに問いかける。
かの子さんはもう一度わたしに視線を投げてから、仕方ないわね、とため息をついた。そしてタツキさんからやや強引に電卓を受け取って、「これは○○原石さんからで、このパーツは□□貴金属さん、そして工賃がこれ。だから売値は……」キーを叩いていく。
「いつもよりもすこーし、気持ち引いてみたわ。どうかしら」
と、電卓の数字を提示するかの子さん。タツキさんも横から覗き込んで、なるほど、と頷いた。
この金額ならわたしでも手が届く。というか、やっぱりやりすぎじゃないだろうか。
ま、いいか。誕生日だし。
「買います!」
「売ったわ!」
無事、交渉成立。
さっそく財布から代金を出して(精算は明日に回すから金庫にしまう)、わたしは新たな「星屑」を手に入れた。
タツキさんが再度、箱を載せたクッショントレイを押し出してくる。無言で。
わかってますよ。
「じゃあ着けますね」
今度は遠慮なく蓋を開け、鏡を見ながら、両耳のピアスホールに貴金属の細いパーツを通す。
両耳、首元。
三つの小さなピンクのバラが、わたしをちょっとだけ華やかにしてくれた。
「似合ってるわよ、ユキちゃん。これからどんどん使ってね」
「はい、もちろん! タツキさんも、ありがとうございます」
タツキさんはふっと息を吐いて、
「どういたしまして」
笑ったように見えた。ほんの、ちょっとだけ。
これで、わたしのバラは三つ。
そうだ。バラといえば。
「そういえば、バラの本数にも意味があるんですよね? 三つ――三本だとどういう意味になるんですか?」
わたしは聞いた。特に何の含みもなく、単純に。
その瞬間、タツキさんの表情が明らかに変化した。まずいことが見つかったという感じに。
かの子さんは、口の両端を三日月みたいに釣り上げて、
「あら。三本のバラといったら――」
「お開きですよ、かの子さん。もうこんな時間じゃないスか」
不自然に割り込んできたタツキさんが、時計を指さした。けっこうな時間が経っていたことに、わたしも初めて気づく。
いつの間にか雨もあがって、外は明るくなっていた。夏至も過ぎて、日の長さは夏の訪れが近いことを伝えている。
バラの意味についてはうやむやなまま、わたしたちは片付けを始めて、解散した。
明日は始業から仕事だ。まっすぐ帰ろう。
わたしはそっと、耳の星屑に触れた。




