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宝石店『さらさ』 〜星屑磨きと小さなバラ〜  作者: いろは紅葉
第四章:六月のローズクオーツ
24/30

8.六月のローズクオーツ(中)

 閉店間際の『さらさ』、バックヤード。シンプルでいながら艶がある飴色テーブルの端の席についているわたしは、(ゆえ)あって動けない。

 理由はひと言で説明できる。膝に、当店の看板猫である黒猫のさっちゃんが乗っているから。


 さっき店の入口で見せたじっとりした態度はなりをひそめて、さっちゃんはリラックスポーズをとっている。ばーっと三日月形に四肢を投げ出して、ゆったりと前足を毛づくろい。あわせて動く後頭部の毛皮に照明の明かりが反射している。ゴロゴロ、喉を鳴らしてごきげんみたい。

 頭のてっぺんから後ろ、背中をちょっと撫でさせてもらう。ふわっと柔らかい。わたしの幸せタイム……。


 と、さっちゃんを満喫だけしているわけにはいかなかった。

 突発的アレルギー(・・・・・)発症からの初出勤。閉店時間ギリギリを指定されたから、正確には出勤とは言えないのかもしれない、けど。

 今、わたしから見えているこの状況を、どうとらえればいいんだろう。


 目の前にはテーブル。わたしの位置から縦長に伸びた、長方形の木目。上には太くて鮮やかな糸で織ったランチョンマットが三か所に。

 そう、いつもは置かれてないのに三か所に。

 わたしの前に一枚、わたしの左右、テーブルの長辺に一枚ずつ。

 ときどきタツキさんがやってきて、お皿とかスプーンにフォーク、グラスなんかを並べていく。ラメラメしたうかれ帽子をかぶせられたわたしが何か聞こうとしても、「少し待っててください」と相手にしてくれない。

 んー、この様子はなんというか……。


「あら、素敵な帽子じゃない」


 聞こえた声に、顔を上げる。

 にこにこ笑うかの子さんが、片手にガラスの花瓶を持って歩いてきた。

 もう片手には、アジサイみたいに青いバラの束。


「きれいでしょ? ナリガネさんが持ってきてくれたの」

「ナリガネさんが、ですか?」

「ええ、そうよ。ナリガネさんはバラが好きで、お家で育ててもいるの。これはブルームーンっていう品種なんですって」


 かの子さんはテーブルに花瓶を置いて、バラを生けた。

 バックヤードの雰囲気が華やかになる。


「『誕生日のお祝いなら、これくらい華やかでないとねぇ』って」

「え?」

「タツキくん、始められるかしらー?」

「へい」


 店の方から、タツキさんも入ってきた。かの子さんはバックヤードの冷蔵庫へ。中から洋菓子店の箱を取り出した。春先、ハルお兄ちゃんと深月さんにお出しした、白鳥のシュークリームを売っているお店のロゴが入っている。

 タツキさんはいつの間にか、ポットが載ったトレイを持って、カップに中身を注いでいく。


「麦茶っスよ。今日は肌寒いんで、ホットで」


 ふたりはてきぱきと用意を進めていく。テーブルの上はあっという間に、ちょっとしたティータイムに様変わりした。

 テーブルの真ん中に、種類が違うケーキが丸く並べられる。カップには、湯気立つ琥珀色の麦茶。

 普通にカフェでもやっていけそう、宝石店『さらさ』……。

 呆気(あっけ)にとられるように見とれていると、ふたりもランチョンマットの前に座った。


「お誕生日おめでとう、ユキちゃん」

「おめでとうございます」


 両手を艶っぽく合わせて笑うかの子さんと、会釈をするタツキさん。タツキさんは若干、いつもより表情が柔らかいように見える。


「え、え……?」


 わたしは事態が飲み込めなくて、ふたりの顔と、膝の上のさっちゃんを何度も見た。何度も見て、何度もまばたきをしてから、


「あり、ありがとうございます……。二十四歳に、なりました!」


 噛んでしまった。相変わらず締まらないなー、わたし。

 最近こういうお祝いはなかったし、自分でも忘れていたから、ちょっとくすぐったい。

 こういう反応でよかったのかな。気恥ずかしくて顔が赤い気がする。お茶の暖かさのせいにすることにして、わたしはカップに口を付けた。

 ああ、それにしても。


「ブルーベリーのレアチーズケーキ、おいしいですね……!」


 かの子さんが取り分けてくれた、小ぶりだけれどブルーベリー粒が山盛りなレアチーズケーキ。ほんのりとした酸味がアクセントになって、ケーキの甘みが引き立つことといったら。


「ユキちゃん、これ、ちょっと季節が早いんだけどね」


 次に差し出されたのは、マンゴーのひんやりタルト。全体がゼラチンで覆われた、冷たいひと切れ。

 自分の誕生日の席で差し出された甘味を、遠慮するわたしではない。


「いただきます!」


 ブロック状にカットされたマンゴーのひとかけにフォークを刺す。すっと、わずかな抵抗感。ゼラチンをちょっとだけ道連れにして持ち上げられたマンゴーは、口の中で舌につぶされて果汁をあふれさせた。ふた口目はさっくりと冷たいタルト生地も一緒に。

 おいしい……でもお腹に溜まる……。今日はご飯、入らないかもしれない。

 かの子さんとタツキさんも、それぞれ好きなひと切れを口に運んでいる。わたしだけが上げ膳据え膳をいただいているわけではないのだ。


「おふたりとも、ありがとうございます。とってもおいしいです!」


 いたれりつくせり。わたしは幸福感|(と満腹感)に包まれていた。

 胸に抱えた気まずい気持ちが、少し薄れていく。


「ところで椎野(しいの)サン。ふたつ用件が」


 タツキさんの声は、明らかに空気を変えるものだった。


「まずひとつ。真珠のネックレス、糸替え終わりました」


 ごそごそと、テーブル下からグレーのベロアケースを取り出すタツキさん。


「確認お願いします」


 そして、わたしの隣に来て、クッショントレイに載せたベロアケースを開ける。

 バラバラだった真珠たちは、しっとりとしたカーブを描いた連なりを見せてくれた。

 絹糸、サイドノット。クラスプから両端三玉ずつの間に、ていねいな結び目。淡い真珠のてり(・・)も、どことなく……いや、タツキさんが磨いてくれたんだろう。とてもきれい。


「着けますか」

「いえ! 自分でできます!」


 当たり前のようにネックレスを手に取ってくるから、反射的に答えてしまった。

 そうだよ、タツキさんはこういう人だった。


「じゃあ、私がやるわね。タツキくん、鏡取ってくれるかしら」

「へい」


 かの子さんが代わってくれた。


「ネックレス、一旦外すわね」

「はい、お願いします」


 かの子さんが後ろに回り、わたしの星屑を外してクッショントレイに載せる。そしてタツキさんから真珠のネックレスを受け取って、


「真珠はね、こういうアレンジもあったでしょ?」


 真珠のネックレスに、わたしの星屑を巻き付けた。そのまま、わたしに着けてくれる。

 連なる真珠に、絡まるようなピンクゴールドのチェーン。乳白色と真珠光沢のいちばん下で、星屑――ピンクの小さなバラが揺れている。


「わたしのネックレスでも、できるんですね」

「そうよ。ジュエリーを傷めないアレンジだったら、私はどんどんお勧めしちゃうわ」


 そう言って、かの子さんは自分の右手を見せてくれた。人差し指と薬指に指輪。薬指は、細いものを重ね着けしている。

 こうやって実例を見せられると、自由でいいんだなって思える。アレンジの前に、わたしは手持ちのジュエリーが少ないんだけども。


「ユキちゃんが持っているのはローズクオーツと真珠だけなのよね?」


 思っていたことを、ずばり問いかけられてしまった。

 前職も同業なら、聞かれても不思議じゃないよね……。宝石店の従業員なら、普段から自分のジュエリーを身に着けているだろうし。かの子さんはさすが店長だけあって、色々と着けこなしている。


「はい……。真鍮(しんちゅう)のアクセサリーならそれなりに持っているんですけど、本物(ジュエリー)はこう、お値段がですね」


 初めてのジュエリーは、ハルお兄ちゃんからもらった(かもしれない)星屑で。

 ふたつ目は、必要に駆られて買ったこの真珠。


「元々アクセサリーとか、身に着けるものは好きなんです。でもジュエリーは、揃えるのにはまとまったお金が必要ですよね。それにわたし、ちょっと変わったデザインが好きなんです」


 宝石とデザインの組み合わせは多種多様。だけど目にするものは、いわゆる「定番品」が多かった。わたしの好みはデザイナーズ寄りで、定番品よりも値が張っていて。

 だから、学生時代のわたしは真鍮製のアクセサリーを好んで集めていた。ジュエリーよりも断然値段が手頃で、デザインも品数も多かったから。


「あんまりお金をかけられなかったっていうのが、本当のところなんですけどね」

「そうねえ。若い人が気軽に集められるものじゃあないわねえ」


 今の時代だとなおさらね。と、かの子さん。

 そう、わたしは不況の申し子なのだ! 貯金、あんまり得意じゃないんだよね……。

 でも、ナリガネさんも、若いころはお金がなかったって言ってたっけ。


「俺の祖父みたいな蒐集(しゅうしゅう)癖があるなら、なんやかやで譲ってもらえたりしますけど。椎野サンのご両親は、ジュエリーに興味ないんでしたよね」

「それだと、集めるのは難しいかもね」


 タツキさんとかの子さんが、納得したようにわたしを見る。


「でも、せっかく『さらさ』にいるんだから、ネックレスとピアスを着けたら素敵よね。ね? タツキくん」

「そう思いますね」

「そうですね……。揃えたい、とは思います」 

「ところで、今日は誕生日なのよね、ユキちゃん?」


 にやり。かの子さんが目が光った気がした。

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