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宝石店『さらさ』 〜星屑磨きと小さなバラ〜  作者: いろは紅葉
第四章:六月のローズクオーツ
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6.薔薇の貴婦人

 ほかほかと、湯気の立つホットレモネードを飲むわたしたちのテーブルにやってきたマダム、ナリガネさん。

 ど、どうしてこんなところにナリガネさんが!?

 逃げようにも、ナリガネさんはわたしの退路を断つ位置に立っている。

 どうしよう……!


「身体は大丈夫そうねぇ、椎野(しいの)ユキちゃん。この前は心配したのよぉ」

「あ……、ご心配、おかけしました」


 軽く頭を下げる。この前は突然逃げて、あげく体調を崩してしまったことになっているだろうから。

 まさか、(昨日もだけど)こんなところで会うなんて思いもしなかった。

 でも、あれ?

 わたしはふと違和感を覚える。

 そっと顔を上げると、


「ナリガネさん、今日はシンプルっスね」

「そうよぉ、今日はマダム会がないからぁ」


 マダム会……?

 いや、すごく気になるけど今はそっちじゃなくて。


 ゆるく巻いてセットされた髪、ベージュベースのゴールドシャドウ、肌色にあったボルドー系のルージュ。

 香水はほんのり控えめなローズ系。落ち着いた水色のワンピースには、動きに合わせて青いバラが浮き上がるよう一面に刺繍が施されている。

 そして彩りを添えるのは、ゴールドの枠に大きく鮮やかな青い石――ブルーサファイア?――と、周りを飾るメレダイヤ。セットのピアス、ネックレス、指輪。

 そこにいるのは、上品かつ調和したコーディネートの、素敵なご婦人だった。


 思わず見つめてしまう。

 宝飾品アレルギーは、出ない。

 マダムアレルギーも。


「あたくしのことはいいのよぉ。それより、その裸石(ルース)、どうするのぉ? その話をしてたんじゃなぁい?」


 そういえばそうだった。

 だけど、この状況で話の続きってできるかな……?

 わたしはちらっと、タツキさんの顔を盗み見る。


「……そっスね」


 あ、視線を裸石――ピンクの星屑――に戻した。けっこう精神つよい。

 けど、やっぱりやりづらいなー!


「あたくしのことは気にしないでいいわよぉ。適当に座るからぁ」


 そう言って、ナリガネさんは手近な席に座った。

 わたしたちの真横のテーブル席に。

 ……やりづらい!


「ええと。椎野サン、ネックレスだけじゃないスか。着けてるジュエリー。この前ナリガネさんが言ってたように、寂しいってか……、もっと飾ってもいいんじゃないかって思うんスよね」

「はあ……」


 そうよそうよ、と、隣のマダムが頷いている。


「それで、ちょっと探してみたんスよ。そのネックレスと合いそうなバラ彫りのローズクオーツ」

「それが、このふたつなんですね」


 話の流れからいって、そういうことなんだろう。

 わたしが持ってる星屑とそっくりな、小さなバラ。

 わざわざ探していてくれたんだ。職人の血が騒いだのかな?


「それでっスね――」

「ピアスにしちゃえばいいのよぉ。椎野ユキちゃん、ピアスホールも開いてるじゃなぁい?」


 マダムが乱入! タツキさんがちょっと固まってる。もちろん、わたしも。

 ナリガネさん、いつわたしの耳たぶチェックしたんだろう……。

 どう反応しようか迷っていると、ナリガネさんは、自分で注文したらしいホットレモネードのグラスに口をつける。


「若い子は肌がきれいで輝いているんだからぁ、小さくてかわいいものも似合うのよぉ。あたくしも、何十年か前は小ぶりなジュエリーでおしゃれしていたわぁ」


 若いころはお金もなかったからねぇ。と、ナリガネさんは続ける。

 ひとり言みたいに言うものだから、危うく聞き流すところだった。

 ナリガネさんも、若いころはお金がなかった、の?


「あの……。ナリガネさんの若いころって、景気がものすごくよかったんじゃないんですか?」


 気づけば、疑問が口をついて出ていた。


「まあ、元気はあったかしらねぇ。でもぉ、若いとあんまりお給料はもらえないからぁ。今の若い人が貯金に回す分のいくらかを使う方に回していたってかんじかしらぁ」


 ナリガネさんは、グラスの中身を豪快に飲み干す。


「若いころに買った小ぶりなジュエリーもぉ、旦那にプレゼントされた豪華なジュエリーもぉ、ずっと大切に持ってるわぁ」

「ずっと、ですか?」

「ええ、そうよぉ」


 大きな縦爪の婚約指輪(エンゲージリング)はさすがに着けられなくなっちゃったわねぇ。

 おほほほほ。と、ナリガネさんは笑った。


「すごく景気がよかったから、高価なジュエリーをたくさん買ってるんだと思ってました……」

「ちょ、椎野サン」

「まあ、そういう人もたくさんいたわねぇ」


 口を挟もうとしたタツキさんを気にすることもなく、ナリガネさんは、懐かしそうな目をして言った。


「色々思ったりしたこともあったけどぉ、人のことだものぉ、どうすることもできないのよねぇ。自分が持ってるものを大切にするしかないじゃなぁい?」


 ほぅ、と息をついて、ナリガネさんは指輪をなぞる。目を引く大きな青い石も、周りを飾るメレダイヤも、土台になっている幅広のゴールドの腕も。年齢を重ねて太く、しわもシミもあるナリガネさんの手を自然ときれいに見せている。

 わたしの視線に気づいたのか、


「この前も言ったかしらねぇ。あたくしくらいの歳になるとねぇ、これくらい華やかじゃないと、逆に貧相になっちゃうのよぉ」


 逆にぃ、椎野ユキちゃんみたいに若いとねぇ、若さとケンカしちゃうから似合わないのよねぇと、ナリガネさんは笑う。


『さらさ』店長のかの子さんも、華やかなジュエリーをきれいに着ける人だと思っているけど。

 ナリガネさんも、……違う方向で着けこなす人なんだろうな。

 なんとなく、なんとなく。

 何かが、わたしの中で腑に落ちた。しっくりときた。


「あたくしのことはいいじゃなぁい? 天野(あまの)竜樹(たつき)くん、もう口を開けていいのよぉ?」


 ナリガネさんが、置物のように存在感をなくしていたタツキさんに水を向ける。

 タツキさんのフルネーム久しぶりに聞いたなぁ。


「っと……」


 タツキさんは何回か視線をさまよわせたあと、


「ホットケーキ、食べましょうか」


 その言葉が合図だったかのように、ジャストタイミングで焼き立てホットケーキが運ばれてきた。

 そのあと、ナリガネさんが頼んでいたホットケーキも運ばれてきて、わたしたちは三人でおやつタイムを迎えたのだった。



 帰るころには、外の雨はやんでいた。

 雲が晴れたわけじゃないけど、空がなんとなく暖かい色になったように見える。

 わたしとタツキさんは、店のドアを出たところに並んで立っていた。


「けっきょく、奢られちゃいましたね……」

「……そっスね……」


 そう。わたしたちは、ナリガネさんのマダムパワーに押されて、お金を出させてもらえなかった。一円たりとも。本当に。ランチまでごちそうされて。

 宝石店の従業員とお客様として、どうなんだろう。いや、よくないよね?

 そうは思うんだけど、遠慮もしたんだけど、


『ほほほほほ! キャラットのダイアリング(1.0ct(カラット)のダイアモンドの指輪)が似合うようになってから遠慮しなさぁい!』


 突如巻き起こったマダムパワーによって、反論を封じられてしまった。

 あんなに速い動きで伝票持っていかれたの初めてだよ……。

 そして、ナリガネさんは突風のようにお帰りになったのだ。

 いやあ、すごかった。


「椎野サン」


 タツキさんが口を開いて、わたしを見下ろす。


「今日はだいぶアレだったんスけど、俺、いいもの仕上げますんで」

「あ、はい。楽しみにしてます」


 わたしは頷いた。頷いたんだけど、も。

 何のことだっけ?

 聞き直すこともできずに、わたしは駅まで送ってもらってしまった。

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