5.雨の日、ホットレモネード、ふたつのバラ
昨日の天気が嘘みたいに、今朝は梅雨らしいにおいがする。
朝の薄暗い部屋。雨音に混じって、スマートフォンのアラームが鳴る。もぞもぞと手を伸ばして音を止めた。
そして、画面のトークアプリの通知に気付く。
「タツキさん……?」
送信主は、スワンボートを漕ぐ趣味があると発覚したばかりの美丈夫、タツキさんだった。
『今日はかの子さんが体調不良で、店は休みです。昨日行きそびれたお茶の続きでもどうですか』
奢りますんで。と、文章は続いていた。
雨の日の外出なんて久しぶり。
そこそこ気温が低くて寒いけど、裾の長い服だと濡れちゃうよね。雨が降るたびレインブーツを買おうと思いはすれど、けっきょく買いそびれてしまう。
ああでもない、こうでもない。
悩んだ末に、わたしは生地が厚めの生成り色ワンピースに黒タイツ、カーキ色のボタンなしカーディガンを合わせた。
そして、鎖骨下にピンク色の星屑。
これに関しては、今回もアレルギーが出なかった。
もうずっと身に着けてるから、もはやお守りみたいなものだなあ。
小さめのバッグに財布とスマートフォン、ハンカチなんかを入れて、カサを片手に家を出た。
なるべく濡れないように、バスに乗ったりアーケード下を歩いたりしながら二十分ほど。
わたしは待ち合わせ場所の駅南口に着いた。
雨の平日、午前十時ちょっと過ぎ。人通りはあまり多くない。
南口の駅ビルは最近オープンしたばかりで、洒落たお店が多いんだよね。まだ入ったことがないところもあるから、けっこう楽しみだ。
待ち合わせは十時半。それまで駅ビルの中を見て回ろうかな。
ビル入口に設置されたビニールを取り、濡れたカサを回しながら入れる。
それにしても、タツキさんは何を話そうとしてるんだろう。なんとなく、わたしの星屑と関係ありそうな気はするんだけど。
気になるとはいえ、あの無愛想長身美丈夫とふたりでお茶なんて、間がもつんだろうか。
……ふたりで?
わたしはようやく気づいた。気づいてしまった。
「ふたりで……?」
ふたり、だよね。昨日の続きなら。誰が来るとも言ってなかったし。
いやでもタツキさんだよ?
言葉が足りないことにおいて一定の信頼が置けるタツキさんだよ?
来るっスよ、言ってませんでしたけど。とか言いながら誰か連れてきてもおかしくなさそう。すごく可能性高い。
どうしよう。どこからともなく知らない誰かがやってきて、『ところでいい壺があるんですよ』とか言われたらどうしよう。
わたしはビル内の壁に背を預けて悶々と考える。
スマートフォンを取り出し、時間を見る。十時十五分。まだ時間はある。
急に不安になってきた……。体調崩したことにして、今日は帰っちゃおうか。
「椎野サン?」
いや、考えすぎかな。声まで聞こえてくるなんて。鮮明すぎる幻聴だ。
わたしはそこまで気にしてるんだろうか。
考えすぎかな……いやでも……。
……ん?
考えることを中断して、そっと顔を上げてみる。
「椎野サン、早かったっスね」
真っ先に目に入ったのは、白い木で彫られたカエル。
「カエル……」
かわいい。
その白いカエルを、ところどころペンダコみたいなふくらみがある指が伸びてきてつつく。
「これも俺の作品なんスけど、大丈夫みたいっスね」
もっと顔を上げると、わたしを見下ろすご尊顔と目が合った。
壁と、壁みたいな美丈夫に挟まれてるわたし。
「すみません、せめて横から話しかけてくれませんか……」
圧迫感すごいから。
わたしはそっと足を伸ばし、横移動して抜け出した。
聞けば、タツキさんも少し早めに着いていたらしい。
今日の装いは、グレー系のガーゼ素材シャツに白いカーデ、革紐に通した白木のカエルのループタイ、こげ茶のパンツ、水をはじきそうなスニーカー。
全体的にシックな色合いで、かつ、ほどほどに暖かそう。
わたしはちょっと薄着だったかもしれない。
「じゃあ、行きますか。今日はけっこう冷えますし」
タツキさんは歩き出す。駅ビルの出口へと。
「え、あっちじゃないんですか?」
わたしは中にあるカフェを指さす。
タツキさんは足を止めて、
「満席でした。車出すんで、他行きましょう」
「あ、はい……?」
こんな日に混むものなのかな。いや、こんな雨の日だから?
近くの高校が休みかもしれないし。
わたしはタツキさんの背中を追いかけた。
エスカレーターで下って駐車場へ。
タツキさんは、どことなくアンティーク感があるセピア色の車の前で立ち止まった。フォルムがかわいい。男の人の車に言うことじゃないかもしれないけど。
ピピッと、電子ロックが解除された音が鳴る。
「どうぞ」
「あ、どうも」
タツキさんが助手席側のドアを開けてくれたので、素直に乗り込む。シートベルトを締めている間に、タツキさんも運転席に乗り込んだ。
「……」
あれ、どうしたんだろうタツキさん。わたしを見て何か言いたそうだけど、何も言わない。
「椎野サン、子供のころお菓子につられて知らない人についてったりしませんでした?」
「いえ、まったく?」
「そっスか……」
行きましょうと言って、タツキさんはエンジンをかけた。
わたしたちはこうして、雨けぶる白い空の下へとくり出した。
タツキさんの運転はとても安全安心。わたしは流れる景色をぼんやり見たり、窓ガラスをつたう水滴の行方を見つめていたりした。
ときどき「椎野サン、免許は」「AT限定のペーパードライバーです」だとか、
「ご趣味は」「ループタイの並び変えを少々」「……それっぽいですね」と話すくらいで。
そういえば、こうしてタツキさんと話すのって初めてかな?
そうしてこうして。十分くらいのドライブを経て、小さな、木で作られた三角屋根の建物が見えてきた。
丸みを帯びたログハウスみたい。こんなかわいいお店があったんだ。わたしの行動範囲外だから知らなかったなあ。
「着きました」
タツキさんに促されて、わたしは先に降りる。
外はちょっと肌寒いかも……。思わず腕をさする。
「これどうぞ」
「え?」
振り返ったわたしの視界は、何か黒いものでふさがれた。顔に柔らかい感触と、なんだかいいにおい。
よくわからないままそれを取る。黒系チェックの大判ストールだった。
「椎野サン薄着ですよね。使ってください」
「あ、ありがとうございます」
これ、タツキさんの私物か。このいいにおいってなんなんだろ、香水じゃないと思うけど……。
それにしても用意がいいなあ。
ちょっとした敗北を感じながら、わたしはタツキさんの背中を追った。
そして今。わたしたちは、蜂蜜香る小さなカフェのテーブルで向かい合って座っていた。
お互いの前にはホットレモネード。ほかほかと、暖かそうな湯気が立っている。
レモネードで暖まってからホットケーキを頼むつもりだから、とても楽しみ。
「ここは蜂蜜中心のカフェなんスよ。レモネードに蜂蜜クッキー、ケーキとか」
「あっちに瓶入り蜂蜜も売ってましたね」
あと、蜜蜂グッズとか。心が弾んでしまう。
いや。いやいやいや。今日の本題はそこじゃない。
「あの」
「椎野サン」
わたしたちは同時に声を出した。
ここは、譲る。
「……昨日話そうと思ってたのはこれなんスよ」
タツキさんはバッグから小さなクッショントレイとポーチを取り出す。
振られたポーチからクッショントレイに転がり出たのは、
「星屑……」
小さな星屑がふたつ。
ピンクの、バラ彫り。わたしの星屑とそっくりな。
「ローズクオーツなんスけど、これも大丈夫みたいっスね」
「そう、ですね。このネックレスと似てるから、ですかね」
わたしは自分の星屑に触れる。
タツキさんはどうしてこれを、わたしに見せたんだろう。
「椎野サン、これを」
「ピアスにすればいいじゃなぁい?」
突然、わたしたちのテーブル横からタツキさんの声が遮られた。
この声、この張り、このマダム性は――
ふたりで反射的に声がした方を向く。
「まっ――」
「今日も会うなんて、偶然ねぇ」
マダム・ナリガネ――!




