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宝石店『さらさ』 〜星屑磨きと小さなバラ〜  作者: いろは紅葉
第四章:六月のローズクオーツ
20/30

4.スワンボート迷走録

 再発というか、なりをひそめていたというか。

 わたしはまだ、宝石を前のように見つめられなかったんだ――




 ナリガネさんのご来店をきっかけにして、派手にアレルギーをぶり返した翌日。

 この日もまた、梅雨らしからぬ青い空が広がっていた。


 わたしは晴れの下、ふわふわと歩いている。

 今日、『さらさ』は定休日だ。あんなことがあったあとで、店員として振る舞う自信はまったくなかったからありがたい。


『数日お休みして、様子を見てみましょうか』


 女店主かの子さんは、そう言ってわたしに休みをくれた。

 でも、


「休んだところで、どうにかなるのかな……」


 とぼとぼ歩きながら、わたしは長めのため息をついた。

 このまま治まるんじゃないかって、思ったのになあ……。


 四月、出窓越しのさっちゃんと出会って。

 猫カフェと間違えて入った、宝石店『さらさ』。

 不思議とアレルギーが出ない品々。

 ミステリアスな女店主かの子さんと、無愛想なクラフトマンのタツキさん。

 なんだかんだあって、また宝石店で働くことになって。

 初めてのお客さまが、初恋相手であるお兄ちゃんと婚約者の深月(みづき)さんだったことはびっくりしたっけ……。


 五月は、深月さんの真珠(パール)のネックレスがお直しで持ち込まれて。

 タツキさんがそれを直して。

 わたしが、お兄ちゃんにはっきり失恋したときのことを思い出したり。

 そして、できあがったばかりの婚約指輪(エンゲージリング)を手にしたお兄ちゃんが、『さらさ』で公開プロポーズ。

 この前会ったとき、「まだちくちく言われてる」って笑ってたなあ。


 わたしはため息をつく。

 こんな状況でそんなことを思い出したってしかたない。


 あてどないながら、今日のわたしには目的地があった。

 空からの光を、きらきらと反射させる広い水面。広くて大きくて、池よりも大きな――ここは湖。

 周りはぐるりと舗装されていて、車両進入禁止のランニングコースになっている。大きな車が入ってこないから、カモやアヒル、水鳥たちがのんびりと昼寝をしていたりする。

 冬になると、越冬の白鳥たちがやってくるからもっと増える。「白鳥注意」なんて標識もあるくらい。


 水と緑と動物たち。

 ここに来たら、気分転換になるかなあなんて思ったんだよね。

 ぶらぶらと、ランナーの邪魔にならないよう道なりに歩く。

 視界の左右に広がる小さな花壇。水面でうごうごしている……これは鯉、かな……めちゃくちゃたくさんいる……。


 そんな感じで、わたしは平日の午前中をだらだら過ごす。

 思い思いに過ごす水鳥たちの横を何十羽分か通り過ぎて、わたしは湖に伸びる桟橋にさしかかっていた。

 ここはそう、スワンボート乗り場だ。

 この湖は家からそこそこすぐに行ける距離ではあるんだけれど、だからこそなかなか来る機会がなくて。

 今日は平日、人も少ない。

 ……乗っちゃおう、かな?

 わたしは財布を探り、おつりが出ないように料金を払って、白鳥型の足漕ぎボートに乗り込んだ。



 周囲三キロメートルの大きな湖の中を、きこきこ進むスワンボート。

 思った以上にペダルが重くて、うっすら汗をかきはじめたわたし。

 こちらにあまり関心を示さない水鳥たちの中を進むのは結構楽しい。景色もいいし。

 だけどレンタル代がけっこうするから、ある程度進んだら帰ろう。


 きこきこ、きこきこ。


 だんだん作業じみてきたなあ……。あとで筋肉痛になるかも。

 無心になり始めたわたしの耳に、ぱちゃぱちゃ水音が聞こえた。

 これは……他のスワンボートかな?

 わたしと同じことをする誰かがいることに驚きつつ、この状態を誰かに見られるのは恥ずかしい、という思いがわき上がってくる。


「戻ろっか……」


 船着き場に舵を切ったわたしスワンの横を、アヒルのカップルがすいすいと泳いでいる。

 スワンボート、見た目の大きさ通り、小回りがきかない。

 方向転換に手間取るわたしスワンの後ろから、他のスワンボードが接近。じわじわと追い抜いていく。

 あー、間に合わなかった。こっち見ないでくれるといいなー……。

 そう思いながら、わたしはこっそり、後続のボートを横目で盗み見てしまう。


「え」


 思わず声が出た。

 だって、そこに乗っていたのは、


「……」


 微妙な表情をした長身無愛想美丈夫、タツキさんだったから。


「……」

「……」


 無言で見つめあってしまうわたしたち。

 お互い、ひとりスワンボート。

 気まずいなんてもんじゃない。


 わたしは真っすぐ前を向き、大きく舵を切った。

 帰ろう。わたしは何も見なかった。

 筋肉痛になってもいいや。無心で、全力で、ただただペダルを漕ぐ!

 帰って本でも読もう。そうしよう!

 そう思ったのに。


 ぱちゃぱちゃ、ぱちゃぱちゃ。

 追いかけてくるね、水音が。


 「……」


 恐る恐る、身を乗り出して後ろを振り返る。

 タツキさんだ。いつもどおり表情に乏しいのに、足だけがめちゃくちゃ速く動いてる!

 と、いうか。

 ……こっちに向かってきてない?

 数秒様子を見てみた。タツキさんは真っすぐ進んでいる。なぜか、こちらに向かって。


 ……うん!


 わたしは前を向く。前だけを見つめて、ペダルを漕ぐ作業に戻る。もうなりふりかまっていられない!

 こうして、成人男女によるスワンボートレースが始まってしまった。



 どれくらい時間が経っただろう。

 ちらりと腕時計を見る。本当はそんな時間も惜しいけど、レンタル延長する気もないからね。

 レース開始からまだ三分も経っていなかった。太ももへの負荷がものすごく高い。そして無言。長く感じるのも仕方ないね。

 後ろ――タツキさんスワンの水音はじわじわと近づいてきている。いや、近づいてきているというか、


 ぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃ。


 タツキさんスワンがわたしスワンに並んだ。並んでみて改めてわかったけど、漕ぐの速い、すごく速い。

 そしてそのまま、タツキさんスワンはわたしスワンを追い抜いた。

 追い抜いて、そのままどんどん進んで行く。

 そしてだんだんと遠く、小さく、離れて。


「……えっと」


 タツキさんスワンは去って行った。


「何がしたかったんだろ、あの人……」


 わたしの足は、いつの間にか止まっていた。




 わたしが船着き場に戻ったとき、そこにタツキさんの姿はなかった。

 本当に何しに来てたんだろ……。

 ムダに負荷をかけた太ももの疲労を感じながら、わたしはゆっくり歩く。ゆっくりしか歩けない。


「疲れたー……」

「お疲れっスか」

「うわっ!?」


 思わず跳びすさる。

 声の主、タツキさんはボート貸し出し小屋の陰に潜んでいた。


「びっくりするじゃないですか!!」

「俺はそんなつもりなかったっスよ」


 それは個人の主観によると思います。人それぞれ、人それぞれ。


「こんなところで会うとは思ってなかったっスよ。椎野(しいの)サンも仲間だったとは、意外というか」

「いや、何のことかわからないです……」


 その口ぶりだとヘビーユーザーなのかな。知らなくてもよかったというか、感情の扱いに困るというか。

 全身によくわからない緊張を走らせながら、わたしの目はタツキさんの装いにいく。


 今日のタツキさんは、いつもよりラフな服装だ。

 しっかりとした濃いめデニム生地のパンツにおしゃれスニーカー、薄くグレーのストライプが走った白い綿シャツ、袖を軽くまくった紺のカーディガンを前開きで来ている。

 くっ、様になるなあ!

 そして、タツキさんといえばループタイ。今日も、当然のように身に着けていた。

 飴色、木彫りのバラ。

 わたしは身構えた。でも。


「あれ……」


 来ない。吐き気が、来ない。

 今のわたしはアレルギーをぶり返している、のに?

 事態がよく飲み込めなくて、わたしの頭の中は疑問符でごちゃごちゃになる。

 どういうこと……?


「椎野サン?」


 いぶかしげに、ちょっとだけ表情を動かしたタツキさんは、わたしの視線をたどった。

 そして「ああ」と納得したような声を出して、飴色のバラに触れる。


「木彫りはセーフなんスかね。これ、俺の作品ですけど」

「あ、そうなんですか」


 木枠から作るジュエリーもあるから、クラフトマンであるタツキさんならこれくらいできるんだろうな。

 それにしても。

 わたしは自分の鎖骨の間に手を伸ばす。唯一アレルギーが出ない、ピンクの星屑に(・・・・・・・)

 どういうことだろう。何か(・・)共通点があるの(・・・・・・・)


「……」


 気づけば、タツキさんもわたしのネックレスを見ている、気がする。

 初めて『さらさ』に行ったときも、やけにこの星屑を気にしていたような……。

 何だろう、何があるんだろう?


「あの、タツキさん」


 何を聞こうと決めていたわけでもないけれど、自然と声をかけていた。

 わたしが次の言葉を見つける前に、


「そこの喫茶店、入りますか。白鳥のシュークリームありますし」


 奢りますよ。と、タツキさんは続けた。

 この人は、何を。

 何を知ってるの?

 ざわついた胸を押さえて、わたしは頷いて――


「ほほほほほほほ!」


 突然の笑い声。張りがあって大きくて、マダム性を感じるような。

 まさか。

 わたしとタツキさんは反射的に、声がした湖の方向を見る。


 マダムだった。

 マダム――、スワンボートに乗ったナリガネさんが、信じられない速さでこちらに向かって来ていた。


「あらぁ! そこにいるのは、『さらさ』のおふたりさんかしらぁっ!」


 あの速度で足漕ぎボートを操りながらも衰えない声量。

 迫りくるマダム。

 夕暮れ以降だったら絶対都市伝説か怪談になっていそうな恐ろしい光景だった。


 わたしとタツキさんは顔を見合わせ、こくりと一度頷く。

 ひと呼吸置いて、わたしたちは同時に走り出した。別々の方向に。

 考えている暇はなかった。

 ただ、ふた手に別れれば逃げ切れる可能性は高くなる。

 ……なんて、そこまで考えていたかどうか、わたしも覚えてないのだけれど。



 何かを聞きそびれたことに気付いたのは、ほうほうの(てい)で家に着いた後だった。

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