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宝石店『さらさ』 〜星屑磨きと小さなバラ〜  作者: いろは紅葉
第一章:日なたの猫とアレキサンドライト
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2.緑と赤に気づいたら

 二重ドアのふたつ目。ノブを押し開ければ、カランと、ドアの上部に付けられたベルが鳴る。

 足を踏み入れた店内は、優しい焦げ茶色の木材を使った内装と高い天井、明るすぎない照明で照らされて、落ち着いた雰囲気を(かも)し出していた。

 カウンターのそばで、髪を緩やかにまとめた上品な雰囲気の女性がテーブルを拭いている。


 年配、まではいかないかな? いい意味で年齢不詳という印象を受ける。ジュエリーは身につけているけれど、派手にならないほどよいセンス。わたしのマダムセンサーは働かない。ちょっとほっとした。

 そんなことを考えていると、テーブルを拭いていた女性――雰囲気からして店主だろうか――は、わたしに気づくと「いらっしゃい」と微笑んでくれた。


「どうぞ、空いてるところにお掛けになって」


 女店主に促されるまま、わたしはローテーブルとセットのソファに腰掛ける。やわらかな座面に、身体がちょっと沈み込んだ。


 カウンターの中には男性がいて、コーヒーの準備を始めていた。

 歳はわたしより少しだけ上に見える、若い人だ。少し硬そうな黒髪は短すぎず長すぎず。目鼻立ちはすっきり整っていて背が高い。白いシャツにシックな色のベスト、質の良さそうなループタイをおしゃれに着こなしている。これでもっと愛想のいい表情をしていたら、さぞやおモテになるだろうな、なんて思う。


 とん。と、テーブルから音がした。出窓から、先ほどわたしを招き入れた黒猫が下りてきたのだ。

 窓から見たとおり、いやそれ以上にふわふわしている……。触りたいなあ。


「その子、人が好きなの。撫でてあげてね」


 わたしの心を読んだのか、女店主が言葉で背中を押してくれた。


「ありがとうございます」


 しっかり身体にしみついてしまった営業スマイルに自分で苦笑いしながらも、わたしは人さし指を立てて、そっと黒猫の鼻先に近づける。黒猫はふんふんふんとにおいをかいで、すりっと、わたしの指に額をこすりつけてくれた。

 ほんのり青みを帯びたやわらかい毛並みに、首輪の赤いチャーム石がよく似合っていて――


 ……赤?


 わたしは記憶をたどる。窓辺でこの子を見たときのことを。

  〝日の光を浴びてきらりと光る、首輪の緑色のチャーム石〟

 自然光下では緑、白熱灯下では赤。変色性。そういう石に、わたしは覚えがあった。


「アレキ……?」


 そしてよくよく見てみると、チャーム石は丸みを帯びたカボション・カットで、縦にひと筋の光条――シャトヤンシー――が見られる。つまり、キャッツ・アイでもあるということは……。


「世界三大希少石、アレキサンドライト。なおかつ、キャッツ・アイ。アレキサンドライト・キャッツ・アイ。サンドラっていうこの子の名前にぴったりでしょ?」


 固まるわたしの斜め前に、にこやかな、でも何を考えているのかわからない笑顔を浮かべた女店主が座る。ふわりと、ほのかにバラの香りがした。


「やっぱり、宝石お好きなのね」


 女店主の指には、年齢を重ねた肌によく似合う大きな石の指輪がいくつもはめられていた。その上、ネックレス、ブレスレットの取り合わせも見事に調和している。

 希少石の中でも希少なものを、猫の首輪のチャームにしていただけある。大胆、かつ、さり気ない。


「ほら。こちらも素敵でしょう?」


 女店主が指で示したのは、わたしの前方にあるローテーブル。ガラス天板の下はちょっとした収納スペースになっていて、アンティーク風のヨーロピアンジュエリーが納められていた。値札付きで。


 ……黒猫にばかり気を取られて気づかなかった。この店内は、あらゆる場所がショーウィンドウになっている。ジュエリーたちが雰囲気に溶け込みながらもしっかり自己主張をする、どこからどう見ても立派な宝石店だった。

 宝飾関係にはアレルギー並みの反応を示すわたしが、どうして気づかなかったんだろう。猫の魅力とは、かくも恐ろしいものか……。

 いや、今はそんなことを考えている場合ではなくて。


「あの、ごめんなさい。わたし、ここ猫カフェだとばかり思っていて……」


 まずいまずい。早くここを出なければ。

 膝に乗ろうとするサンドラちゃんに大いに後ろ髪を引かれつつ、わたしはバッグを持って立ち上がる。でも。

 出入口に、カウンターでコーヒーの準備をしていたループタイの男性が立っていた。こうして見ると上背があって、身体つきもがっしりしている。顔立ちが整っている人が無表情だと、こう、威圧感がすごい。


「猫のソレ、知られたからにはただでは帰せませんよね、店長」


 第一声がそれかー!

 ほかに出入口はなさそうだ。完全にふさがれている!


「ダメよ、タツキくん。怖がってるじゃない」


 青くなるわたしの後ろから、女店主がのんびりと男性をいさめる。


「ごめんなさいね? 取って食べたりしないから、安心してちょうだい」

「にゃー」


 女店主(とサンドラちゃん)に促され、わたしはふたたびソファに座ってしまった。サンドラちゃんがわたしの膝に乗り込んできて、しっかり香箱(はこ)まで組む。


「飲み物はサービスするわ。メニューはこれね」

「あ、えっと、じゃあ……ホットココアを」


 メニューの中からわたしが唯一飲めるものを指さすと、女店主は「タツキくん、おねがーい」と男性に注文し、男性も「へい」とカウンターに戻っていく。

 一気に緊張がほぐれた……。わたしは気づかれないよう、小さくため息をついた。


「さっちゃん――サンドラのことね。呼びやすいから――人なつっこい性格なのよ。それだけじゃなくてこの子ね、ときどき外から特別な人を呼ぶの。今日のあなたみたいに」


 いつの間にか差し入れられたココアを冷ましつつ、わたしは「はあ」と言葉を返す。女店主の前にはコーヒーが置かれていた。


「だからね、これも何かの縁だと思うのよ。ねえ、あなた、宝石お好きでしょ」


 女店主は優しげな笑みを浮かべている。

 途端に、わたしは不安になってきた。今宝石なんて買えないし、第一、間に合っているし……。

 わたしはそっと、胸元に手をやった。


「ところで。今はお仕事なさっているの?」

「え?」


 突然、何? 収入に探りを入れられてる?

 だとしたら、見た目の上品さに反してけっこう露骨な人なのかとわたしが面食らっていると、


「表の貼り紙を出した理由でもあるのだけれど」


 表の貼り紙? そういえば、さっきからちょっと、話の流れがおかしいような……。

 わたしが自分の中の違和感を探るあいだも、女店主は話を続ける。


「実はね、このお店は私たちの他にもうひとり従業員がいるの。その人、しばらくご実家に帰らなければならないことになってね、人手が足りてなくって。だから、一緒にお仕事する人を探しているのよ」


 ココアを吹き出すかと思った。サンドラちゃんがわたしをチラっと見上げ、しっぽの先をちょこりと動かす。


「えっと、あの……今は特に、決まった仕事は、していなくて……」


 しまった。うっかり本当のことを口走ってしまった。

 女店主の目が光る。猫みたいに。


「だから表の募集チラシに反応してくれたのね。詳しいお話はこれからさせていただくけれど、ちょっと考えてみません?」

「んなー」


 続けてサンドラちゃんの甘え鳴き。膝に感じる適度な重みと暖かさ。

 でも、今は(とろ)けている場合じゃない。

 表の貼り紙? 募集チラシ?

 サンドラちゃんにつられて店に入るまでの記憶が、数倍速で思い出される。

 ドアの横、レンガの外壁に貼られた白い紙。


『従業員募集中!

 かわいい招き猫とすてきなジュエリーに囲まれたお仕事です!

 宝石店『さらさ』 店長』


 あったなーそんな貼り紙!


「大丈夫、猫がいるところは猫カフェと変わらないから」


 女店主が艶めいた笑顔を浮かべる。

 そういうことではない。


「あの、わたし猫カフェというか、表の貼り紙自体に――」


 膝からサンドラちゃんを下ろそうとしたとき。サンドラちゃんの黒い背中でぽふんとバウンドした何かが、こつんとテーブルのガラスに落ちる音がした。

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