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宝石店『さらさ』 〜星屑磨きと小さなバラ〜  作者: いろは紅葉
第四章:六月のローズクオーツ
19/30

3.アレルギー、再発

 バックヤードへ小走りで向かう。

 ドアノブに手をかけ、するっと入室。ドアを後ろ手で閉める。

 心音が、ばくばくとうるさく鳴っている。

 敵前逃亡? だ。


「やってしまった……」


 ふーっと息を吐く。

 いやもう、ほんとどうしよう。仕事、投げ出してきてしまった。

 どうしようかな……。


「なーん」


 足下からかわいい声がする。

 もちろん、さっちゃんだ。


「さっちゃーん」


 頬をゆるめてしゃがみこむ。とととっと、しっぽを立てたさっちゃんが駆け寄ってきて、わたしの手に額をこすりつけてくれた。

 猫のかわいさは世界を救う。

 少なくとも、わたしに一時的でも安寧をもたらした。


 うりうりうりと撫で回していると、かちゃりとノブが回る音が。

 店舗とつながる真後ろからじゃなく、一メートル前方の工房から。

 ドアを開けて出てきたのは、


「っス」


 表情のバリエーションに乏しい美丈夫、タツキさんだ。

 作業中だったんだろう、ポケットが多いエプロンをつけている。


「あ、どうも……」


 高身長からの見下ろし怖い。

 わたしはお守りのようにさっちゃんを抱いて、ゆっくりと立ち上がった。


「休憩っスか」

「いえ、まだなんですけれど」

「そういえば、店舗の方少し騒がしかったっスね。人手がないなら俺も――」


 タツキさんが、店舗につながるドアのノブに手を伸ばす。


「ちょちょちょちょちょ」


 慌てて、わたしはとっさにその腕をつかむ。

 太い、そして筋肉質ですね!

 とりあえず、タツキさんは止まってくれた。


「理由をどうぞ」

「あ、はい」


 そうなりますよねー!


「実は……」


 わたしはしどろもどろになりつつ、嵐のマダム襲来について説明した。


「ナリガネさんっスね」


 タツキさんは「ふむ」と頷いた。

 ポケットから小さなメモ帳を取り出して、「成金 富子」と走り書く。

 そういう字だったんだ……。何の申し子か。


「まあ、初めてだと気圧されますよね。ナリガネさん迫力あるんで」

「はい」


 あと、「マダム感」がすごくて。「マダム感」って何ってとこだけれど。


「悪い人じゃないんスよ、言葉選びがあんまりよくないだけで。お土産とか持ってきてくれますし」

「そうみたいですね」

「それに」


 じっと、タツキさんの視点が留まる。わたしの鎖骨あたり、ピンクの「星屑」へと。


「そのネックレス、似合ってますけど、他に着けてもいいんじゃないスかね。耳とか」


 タツキさんの手が伸びてくる。なんの思惑もないような動きで、わたしの髪をちょいと持ち上げて、


「ピアスホール開いてるじゃないスか。両耳とも。なにか着ければいいのに」


 わたしは固まった。

 何秒か、だけれども。


「んなー」

「お前もそう思うよな」


 さっちゃんと美丈夫のやりとりを上の空で聞いてから、


「きえええええええっ」


 もふっ!

 さっちゃんのしっとりやわらかなお腹で、美丈夫の顔面を埋める。


 咄嗟の奇行!

 驚くさっちゃん!

 固定するわたしの腕から逃げようとぐねぐねしつつ前後肢を暴れさせるさっちゃん!

 本能と反射に従って、後ろ足で美丈夫の顔を蹴り蹴りする!


「いてててててっ」


 今まで聞いたことがないような、美丈夫の少し焦った声。

 タツキさんは、わたしからさっちゃんを奪い取る。頬に何本か、赤い線が見えた。


「よしよし、落ち着け」


 そして器用に胸元に抱いて、ゆっくりゆらゆらと、米袋をあやすように揺らす。

 まん丸だったさっちゃんの目が、少しずつ、いつも通りの大きさに戻っていく。


「よし」


 タツキさんは長身を屈めて、そっとさっちゃんを床に下ろした。自然と、わたしの視線も下がる。

 あ、つむじだ。

 そのままつむじを見つめていると、つむじ――じゃなくて、タツキさんの頭――が持ち上がってくる。

 立ち上がったタツキさんは、高い目線からわたしを見下ろして、


「何するんスか」

「……ですよねー」


 本当に何をやってるんだろうか、わたしは。

 それに、こんなことをしている場合じゃなかった。


「まあ、とりあえず店頭に戻りましょう。今ならなんとかなるんじゃないスかね」


 言いながら、タツキさんは作業用エプロンを外す。シャツにベスト、ループタイといういつもの服装が現れる。

 今日は真珠光沢のある貝を使った、魚の形がユニークなループタイを着けている。


 あれ……?

 わたしは、自分の身体に異常を感じた。

 こう、こみ上げるものが。具体的に言うと、胃のあたりから。

 口を押えて下を向く。

 これ、まさか――


椎野(しいの)サン?」


 タツキさんが、少し怪訝そうにわたしの顔を覗き込む。その分、ループタイの高さが下がって視界に入る。

 揺れる白蝶貝のループタイ。

 せり上がってくるわたしの中身。

 手を外さず視線を合わせず、タツキさんの横を抜けて、数歩前進。


 コンコン。

 わたしの後方、バックヤードのドアからノック音。


「あら、タツキくん。ちょっとお店に出ててくれないかしら。ユキちゃん、大丈夫?」


 かの子さんが入ってきた。

 待って、今ここで振り返っちゃだめな気がする。

 そう思っていたのに、わたしはちらと後ろを見てしまった。


 長い黒髪を、まとめて巻いた上品なご婦人。ここ『さらさ』の女店主。

 その装いはさりげなく、でも品のいいジュエリーを身に着けている。

 プラチナにタンザナイトのネックレスとピアス。

 重ね付けは同じくプラチナと、メレダイヤがふんだんにあしらわれたネックレス。

 年相応に皺を刻んだ手元には、腕が太くて、大きなガーネットを嵌め込んだプラチナの指輪。手首には、色味がさまざまな細いチェーンのブレスレットを重ね付け。


 さすがかの子さん。着けこなしている。

 わたしはきっちり、とどめを刺された(・・・・・・・・)


「う、うええ……」


 きつく口元を押さえ、わたしはお手洗いに直行した。

 ドアが閉まったかもたしかめずに、トイレの蓋を開けて、


 ……ああ、気持ち悪い。


 椎野ユキ。宝石店『さらさ』に努めて三ヶ月。

 宝飾品アレルギー、再発。

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