2.襲来、マダム!
恰幅のいい、迫力満点な豊満さ。
メディア以外では見聞きしない、バブル期を彷彿とさせる濃いメイク。具体的に言うと真っ青なアイシャドウに真っ赤な口紅。
上から下まで、全身を彩る――むしろ武装と化した――ひと目で高価とわかるジュエリー群。
一瞬で店内に広がるキツめの香水。
わたしの脳内で、吐き気とともに警鐘が鳴り響く。
これは、この人は、間違いなく――
わたし認定。パターンM、「マ ダ ム」!
わたしが苦手とする「マダム」が現れた効果は、すぐさまその場に波及した。
さっちゃんは猫本来の運動神経を惜しみなく発揮してバックヤードに消える。猫すごい。
かの子さんと和やかにおしゃべりを楽しんでいた老婦人は、「あら、急用を思い出したわ……」と、素早く二重扉の隙間から店外へ抜けた。忍びの者だったのかもしれない。
「あら、ナリガネさん。久しぶりじゃない」
宝石店『さらさ』の女店主、かの子さんはさすが動じない。
マダム――ナリガネさん――は大きく両手を広げるリアクションをとって、
「ほんと、お久しぶりね犀川かの子さん! 昨日シンガポール旅行から帰ってきたところなのよぉ!」
はい、これお土産のお菓子! と、ナリガネさんは大きな紙袋をひとつ差し出した。
成り行きを見守っていたわたしは、そこでかの子さんと目が合ってしまう。かの子さんは微笑んで、「受け取って」と目で語った。
……行くしか、ないですよね……。はい、今行きます……。
胃から何かがせり上がってくる感覚を押さえ込みつつ。わたしはなるべくナリガネさんの視界に入らないように(もちろん無理だ)、「ありがとうございます」と消極的に紙袋を受け取った。口から見えたお土産の中にはナッツチョコレートと思しき箱も。
なぜかどこにでもあるよね、このチョコレート……シンガポールだからマーライオンの形かな……。
ひとまずお茶の準備をしておこう。
カウンター裏に待避しようとしたわたしを、しかし見逃さない目があった。
「あら、この子見ない顔ねぇ? 新しい子ぉ?」
大きな声は、背中からわたしの足下を縛り付けた。
あの、ちょ、そろそろ我慢がきかない感じなんですけれど……。
お土産をカウンター裏に置いて、わたしは錆びた歯車のように、ぐりぐりと振り返った。
「そうなの。春ごろ入ったばかりでね、ユキちゃんていうの。椎野ユキちゃん」
かの子さんが、大人の無邪気さで紹介してくれる。
ど、どうして? わたし、初めに「マダムアレルギー」のこと話したのに……。
「は、初めまして……。新人の椎野ユキ、です」
「あらぁ、初めましてぇ! あたくし、ナリガネトミコっていうのよぉ。よろしくね、椎野ユキちゃん!」
見た目からは想像もできない速度で両手を取られ、ぶんぶんと激しくシェイクハンド。揺れるわたしとブレる視界。解放されたとき、思わずうしろによろめいてしまった。
こうもはっきり紹介されたら、挨拶しないわけにはいかない。わたしは退路を見失った。
「いいわねぇ、若いって。そのネックレス、ローズクオーツ? 小さくてかわいいバラ彫りねぇ。あたくしなんてもう年だから、これくらいキラキラしてないと、逆にみすぼらしくなっちゃうのよねぇ」
「は、はい……」
ナリガネさんは上機嫌に話している。わたしは正直、「圧」がすごくて引いているんだけど……。
そうしている間にも目に入る、良く言えばゴージャス、悪く言えば悪趣味な装飾の施されたジュエリーたち。
ナリガネさん――お客さま――が気に入って身につけているのだろうから、彼女本人と併せて、全体的な調和は取れている。むしろ、彼女の雰囲気でなければ似合わない。
ナリガネさんにできる範囲の、わたしにはできない装い。
いいわねぇ、若いわねぇと彼女は続ける。
頭ではわかってる。装い方は人それぞれだって。
ちゃんとわかってる。人は人、わたしはわたしだって。
でも。
『こちら、××××です。××××という意味の名前で、二色が混じり合ったような色合いが特徴で、年々産出数が減って価値が上がっているんですよ』
近くで繰り返し聞いた、売るためのセールストーク。
言ってることは事実だ。貴重で希少で高価な石。バブル期に財を成した世代なら、「ちょっと奮発」すれば手が届くもの。
だったら、じゃあ。
わたしみたいな、若くてお金がない人たちは、「星屑」を手にすることができないの?
『ねえ、××××さん。今月売り上げノルマがきついの。今とっておきのお品があるんだけど、見るだけでもどう?』
『しかたないわねえ。どれ? ××××万円までなら買ってあげるから』
売り上げのためのジュエリー。
ジュエリーはジュエリーだ。きれいなことに変わりはない。
でも、それって。
それって、その人にとっては「星屑」なの――?
白昼夢みたいな回想劇。わたしの頭をかけめぐったのは一瞬だったんだと思う。
「ユキちゃん?」
かの子さんが、首を傾げてわたしの顔を覗き込んでいる。目には少し、心配そうな色。
そうだ、ここは『さらさ』。あそことは違うし、お客さまだって違う人――。
「それにしても、店員さんでしょ? 小さなネックレスひとつだけなんて、ちょっと寂しくないかしら?」
ナリガネさんはそう言った。きっと、全然悪気なく。
わたしはどんな顔をしていただろう。
一歩、また一歩。身体がうしろに下がる。
「あ、あの! わたし、クラフトマンに用事があるのでっ!」
気がつけばそんなことを口走って、わたしはバックヤードへ逃げた。




