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宝石店『さらさ』 〜星屑磨きと小さなバラ〜  作者: いろは紅葉
第三章:人魚の涙と誓いの指輪
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6.人魚と銀環とプロポーズ

 お茶の用意をしようとすると、タツキさんがそっと、ふたりに見えないようわたしの進路を塞いだ。その手に、婚約指輪が載ったクッショントレイを持って。


「持っていってやってください」


 小声でわたしに手渡した。

 リング差しで輝く、小さな円環を。


 ダイヤモンドのファイア。婚約指輪にふさわしい、ちょっと大きめで、とってもきれいなひと粒石。両脇は、人気のピンクダイヤ……ではなく、涼しい色合いのアイスブルーのメレダイヤ。

 地金はもちろんプラチナ。シルバーよりも少し鈍い銀色。鏡面仕上げの肌に沿って、店内がカーブ状に写り込んでいる。


「さっちゃん」


 かの子さんの声。振り返ると、ローテーブルの真上で、さっちゃんが縦に伸びをしていた。

 うん、見事な背骨カーブ!

 前脚、後ろ脚と伸びを続けて、我らが看板猫はかの子さんの隣に移動した。じっとわたしを見たあとで。


 そうだね。きっと待ち遠しいよね。


「お待たせしました」


 ローテーブルの横から、そっと、クッショントレイを差し出す。

 注視していたわけではないんだけど、音もなく、空気が塗り変わる瞬間を目にした。


 見開かれる深月(みづき)さんの両目。潤みを増して、小さな銀環だけを見ている。

 隣のハルお兄ちゃんも、最初の視線は指輪に。そして、すぐ深月さんに。


「サイズと刻印はどうかしら?」


 微笑みを浮かべたかの子さんが促すと、ゆっくり、深月さんの手が指輪を取った。


 H to M


 内側には、たったそれだけの刻印と、ルビーのシークレットストーン。さっきわたしが確認したように、深月さんも覗き込んでいる。

 じっと見つめてから、ハルお兄ちゃんに渡す。ハルお兄ちゃんも、目に焼き付けるように見てから、ふたりで頷き合った。


「じゃあ、サイズ見るね」


 深月さんが手を伸ばす。


「貸して」


 びっくりするくらい優しい声で、ハルお兄ちゃんがその手を取る。

 恭しく、とでも言うのかな。


「結婚してください」


 誓いの指輪はしっかり、薬指を飾った。


 あら、というかの子さんの声と、細められたさっちゃんの猫目。唖然とするわたしと、後方に感じるタツキさんの気配。


 正直に、思ったことを言おう。

 ここでそれやる!?


 外野の心情は関係なし。深月さんは、後ろ姿からでもわかるほど耳が赤くなっていて、「はい」と小さく声がした。


 ピピッ。

 突然の電子音。

 わたしたちが音源を振り返ると、スマートフォンを構えたタツキさん。


「ごちそーさん」


 でも他所(よそ)でやれ。タツキさんはそう続けた。


「ちょ……タツキ写真」

「いや。動画」


 深月さんが絶句する。

 くるりとこちらに向けられたスマートフォンの画面は、まちがいなく動画モードだった。画面端に、保存した動画のサムネイルが表示されている。すごくいいアングルの。


「いるよな、ハル」

「家着いたら送ってくれ」


 ハルお兄ちゃんは爽やかに返す。

 これはヤケじゃない、正気の笑顔だ。

 わたしは(おのの)いた。


「サイズや着け心地に問題なければ、そのままお渡しできるわよ」

「えっ、あ……もう!」


 左手をハルお兄ちゃんに取られたままの深月さんは、タツキさんとハルお兄ちゃんを何度も交互に見たあと、


「やり直しを要求する!!」


 ヤケを起こした。

 わかります、深月さん。

 口には出さず、わたしはこっそりと同意した。




 婚約指輪はクリーニングしたのち、ブランド専用のリングケースとバッグに納められた。

 糸替えのネックレスといっしょに受け取ったのはハルお兄ちゃん。深月さんにちくちくと怒られながらも満足そうだ。


「じゃあ、これからやり直しをしてきます」

「最初からそうしてよね!」


 深月さんはハルお兄ちゃんの脇腹を小突く。

 まあ、怒るよね。

 わたしたち三人とさっちゃんでお見送り。店内側のドアが開けられ、ふたりは外へ向かう。


「そうだ、椎野(しいの)ちゃん」


 深月さんがこちらを振り返って、


「ありがとうね」


 人魚は報われたから。

 そう言って、深月さんはルビーの星屑と絡めた真珠(パール)を、指でつつく。

 ふたりは『さらさ』をあとにした。店内には、わたしたちだけが残る。


「素敵なディナーになるといいですね」

「大丈夫よ、きっと」

「あいつら基本、バカップルっスからね」


 スマートフォンで動画編集をしだしたタツキさんには、軽く蹴りを入れておいた。

次章予告


 のんびりとした『さらさ』の雰囲気に慣れてきた「わたし」。

 看板猫のさっちゃんもかわいくて、「星屑」たちも見てるだけで安らぐなあ。

 だけど、ついに――。


「あら、新しい人? 店員なのにネックレスひとつじゃ貧相よぉ。あたくしのこれなんて……まあ、今じゃ価値が上がって手に入らないんらしいけどねぇ」


 耳たぶ、首回り、手首に指を飾るゴッテゴテのジュエリー!

 そう、わたしの天敵とも言える存在、「マダム」がついにご来店――!

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