表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宝石店『さらさ』 〜星屑磨きと小さなバラ〜  作者: いろは紅葉
第三章:人魚の涙と誓いの指輪
15/30

5.「人魚」に真珠

 一瞬曇った深月(みづき)さんの表情を、わたしは見逃さなかった。


「また、結婚式に招待されたりしてるんですか?」


 さり気なく、何も気づいてないふりをして聞いてみる。

 深月さんは一瞬だけ言葉に詰まって、


「ううん、そういうのじゃないんだけど……。今度、ハルとちょっといいレストランに行こうかって話をしてるの」


 いつもの爽やかな笑顔を貼り付けて(・・・・・)みせた。

 うーん、どうやらそのあたりに浮かない顔の原因がありそう。


 深月さんは「失恋の象徴」だけど、わたしをかわいがってくれた先輩でもある。大好きだったハルお兄ちゃんと結ばれるのは……正直まだちょっと、複雑だけど。

 でもやっぱり、だからこそ、幸せになって欲しいとも思う。

 少し自分の考えごとに集中しかけてしまったとき、


「じゃあ、ちょうどいいんじゃないかしら。真珠と、深月さんのネックレス」


 かの子さんが、わたしの首元と深月さんのルビーを交互に指さす。

 巻いてごらんなさい、ということだろう。

 我が女店主の横顔を覗き見る。人好きがしそうな笑顔のほかには、読み取れそうなものがない。


「そうですね……」


 すっかり冷めたであろう緑茶を飲むでもなく、深月さんは、湯呑みを片手でくるりと揺らす。


 心、ここにあらず。


 タツキさんは気づいてるのかなと気にしたとき、香ばしいにおいがただよってきた。視界の端からやってきた美丈夫とともに。

 冷めた緑茶を湯呑みごと深月さんから引き取って、目の前に淹れたてのコーヒーを置く。ひとくちチョコをふたつ添えて。


「甘い物でもどうぞ」


 あ、かの子さんがいるから言葉づかいが改まってる。

 深月さんは二、三度まばたきをして、ふふっと苦笑した。


「ありがと。いただきます」


 チョコのフィルムを取って口に放り込むと、


「今も泳ぎに行くんスか」


 タツキさんからのひと言パス。

 深月さんは元水泳部だ。高校を卒業してからのことは知らないけれど、社会人になってからもプールに通ったりしているんだろうか。

 わたしが知る深月さんの泳ぎは、水飛沫(みすしぶき)がほとんど立たないのに速かった。魚みたいに。

 あ、そういえば。


「人魚の涙……」

「え?」

「人魚の涙、月のしずく。真珠の異名なんです。深月さん、泳いでるときはまるで人魚みたいだったから、思い出しました」


 深月さんは目をしばたたかせ、「人魚……」と口にした。そしてぷっと吹き出し、


「人魚……私、にんぎょって!」


 そのままけらけらと笑い出した。

 タツキさんが出したコーヒーが冷めて、新たに淹れ直すまで、深月さんは笑っていた。お腹を押さえて身体を折りながら。

 ひとしきり笑い終えて、目の前の「人魚」は指で目尻の涙をぬぐう。


「はー……。突然びっくりすること言うんだから、椎野ちゃんは。でもありがと、褒めてくれたのね」


 もうひとつのチョコを口に放り込み、続けて淹れたてのコーヒーを一気に飲み干した。


「今もときどき泳ぎに行ってるよ、ジムとか。ストレス発散にもなるし。本当は、少し肩の筋肉薄くなればいいなって思うんだけどね。ジャケットやドレス選ぶの大変だから」


 そう言って、自分の肩をぽんぽんとたたいて見せた。


「じゃあ、やっぱり深月さんは人魚ですよ。真珠もぴったりなジュエリーだと思います」

「人魚はひとまず置いておくとして、椎野ちゃんはどうしてそう思うの?」

「真珠にはいくつか石言葉やいわれ(・・・)があるんですけど、総じて『女性の人生を守る石』って言われてるんです」


 災難や危険から守る力。

 妊娠出産のお守り。

 美容と健康のお守り。

 女性性を高める力、などなど。


「真珠は、貝に入った異物が真珠層で巻かれたものなんです。自分の身体を守るために。だから、お守りなんです。それで――」


 わたしはそこで言葉を切る。

 どうしよう、伝えたことがあるんだけど、言葉が出てこない。


「心配ごとがあるなら真珠をつけてみたらって言いたいみたいよ、ユキちゃんは」


 助け船は、かの子さんから出された。


「心配ごと……あるように見えた?」

「えっと、はい」


 高校時代のたった一年だけだったけど、とても濃いお付き合いがありましたからね。

 深月さんはまた目をしばたたかせて、苦笑いを浮かべた。

 そして、「なんだかすっきりしたかも。泳ぎにでも行こうかな」と帰っていった。



 あれから数日。わたしはメーカーから到着した商品を検品していた。

 店頭に出す指輪にピアス、ネックレス、オーダーの品。

 小さくて数もそこそこあるから骨の折れる作業だけれど、新しい品を見るのはけっこう好きだ。

 ジュエリーそのものを見ることへ、抵抗感がなくなってきたのかな。それならいいんだけど。


 続けて、深月さんの婚約指輪。


 指輪を取り出し、サイズ棒に通す。間違いなし。歪みもなし。

 内側の刻印も注文通り。表面はきれい、傷ひとつなし。

 石はしっかり留められている。こちらも表面に傷は見当たらない。……ダイヤモンドのファイア、見続けてると目が痛いんだよね。

 ルース(裸石)の鑑定書もちゃんとある。包装セットも欠品なし。

 あとはお知らせをするだけだ。

 店の電話から、ハルお兄ちゃんのスマートフォンに電話をする。呼出音のあと、留守電に切り替わる。短く伝言を残しておいた。あとでまたかけてみよう。


「いよいよね」


 さっちゃんを抱っこしたかの子さんが現れた。真下に垂らされた黒いしっぽが、自由にゆらゆら揺れている。


「そうですね。準備が進んでいるんだなって思います」


 深月さんからお預かりした真珠のネックレスも、先日仕上がったところだ。当店自慢のクラフトマンであるタツキさんが、新しい絹糸を通して、真珠に付いていた細かな汚れもきれいに取って磨いてくれた。

 こちらは連絡済みで、早ければ今日にでも取りに来てくれることになっている。


「マリッジブルーだったんじゃないかしら」

「え?」

「深月さんよ」

「あ、ああ、先日の」


 最初に主語をつけていただけるとありがたいです。言わないけれど。

 深月さんの様子がおかしかった原因はわからないけれど、そういうことだったのかな?


 さっちゃんがぐにゃぐにゃ動いて、かの子さんの腕から脱出した。すとっと、床に下りる。


「にゃーん」


 鳴き声と同時。二重扉の店内側が、からからんとベルを鳴らして開かれた。


「いらっしゃいませ」


 わたしたちが声を揃えてご挨拶。

 入ってきたのは、


「こんにちは」

「どうも、こんにちは」


 ハルお兄ちゃんと深月さんだ。ふたりとも、いつもよりフォーマルな格好をしている。

 深月さんは、プラチナチェーンとルビーの星屑が巻き付けられた真珠のネックレスで首元を飾っていた。


「あら、今日の感じもおしゃれね。お出かけかしら」


 にこやかに話しかけるかの子さん。

 ふたりはちょっと照れくさそうに笑って、


「ちょっと、背伸びしたところに行くんです」


 ハルお兄ちゃんが答える。


「ついでに、深月が頼んでいたネックレスを受け取ろうと思ってたんですよ」

「そしたら、さっきハルのところに着信があって」


 出来上がったんですね。と、ふたりの目が言っている。


「ええ、つい先ほど。チェックしていただきたいのだけれど、お時間は大丈夫かしら?」

「もちろん」

「にゃーん!」


 さっちゃんが強めに鳴いて、ガラス天板のローテーブルへと歩いて行く。こっちだ、と言わんばかりに。

 かの子さんも当然のように、さっちゃんが座ったソファの対面へとふたりを誘導する。


 お茶の用意をしようとすると、タツキさんがそっと、ふたりに見えないようわたしの進路を塞いだ。その手に、婚約指輪が載ったクッショントレイを持って。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ