5.「人魚」に真珠
一瞬曇った深月さんの表情を、わたしは見逃さなかった。
「また、結婚式に招待されたりしてるんですか?」
さり気なく、何も気づいてないふりをして聞いてみる。
深月さんは一瞬だけ言葉に詰まって、
「ううん、そういうのじゃないんだけど……。今度、ハルとちょっといいレストランに行こうかって話をしてるの」
いつもの爽やかな笑顔を貼り付けてみせた。
うーん、どうやらそのあたりに浮かない顔の原因がありそう。
深月さんは「失恋の象徴」だけど、わたしをかわいがってくれた先輩でもある。大好きだったハルお兄ちゃんと結ばれるのは……正直まだちょっと、複雑だけど。
でもやっぱり、だからこそ、幸せになって欲しいとも思う。
少し自分の考えごとに集中しかけてしまったとき、
「じゃあ、ちょうどいいんじゃないかしら。真珠と、深月さんのネックレス」
かの子さんが、わたしの首元と深月さんのルビーを交互に指さす。
巻いてごらんなさい、ということだろう。
我が女店主の横顔を覗き見る。人好きがしそうな笑顔のほかには、読み取れそうなものがない。
「そうですね……」
すっかり冷めたであろう緑茶を飲むでもなく、深月さんは、湯呑みを片手でくるりと揺らす。
心、ここにあらず。
タツキさんは気づいてるのかなと気にしたとき、香ばしいにおいがただよってきた。視界の端からやってきた美丈夫とともに。
冷めた緑茶を湯呑みごと深月さんから引き取って、目の前に淹れたてのコーヒーを置く。ひとくちチョコをふたつ添えて。
「甘い物でもどうぞ」
あ、かの子さんがいるから言葉づかいが改まってる。
深月さんは二、三度まばたきをして、ふふっと苦笑した。
「ありがと。いただきます」
チョコのフィルムを取って口に放り込むと、
「今も泳ぎに行くんスか」
タツキさんからのひと言パス。
深月さんは元水泳部だ。高校を卒業してからのことは知らないけれど、社会人になってからもプールに通ったりしているんだろうか。
わたしが知る深月さんの泳ぎは、水飛沫がほとんど立たないのに速かった。魚みたいに。
あ、そういえば。
「人魚の涙……」
「え?」
「人魚の涙、月のしずく。真珠の異名なんです。深月さん、泳いでるときはまるで人魚みたいだったから、思い出しました」
深月さんは目をしばたたかせ、「人魚……」と口にした。そしてぷっと吹き出し、
「人魚……私、にんぎょって!」
そのままけらけらと笑い出した。
タツキさんが出したコーヒーが冷めて、新たに淹れ直すまで、深月さんは笑っていた。お腹を押さえて身体を折りながら。
ひとしきり笑い終えて、目の前の「人魚」は指で目尻の涙をぬぐう。
「はー……。突然びっくりすること言うんだから、椎野ちゃんは。でもありがと、褒めてくれたのね」
もうひとつのチョコを口に放り込み、続けて淹れたてのコーヒーを一気に飲み干した。
「今もときどき泳ぎに行ってるよ、ジムとか。ストレス発散にもなるし。本当は、少し肩の筋肉薄くなればいいなって思うんだけどね。ジャケットやドレス選ぶの大変だから」
そう言って、自分の肩をぽんぽんとたたいて見せた。
「じゃあ、やっぱり深月さんは人魚ですよ。真珠もぴったりなジュエリーだと思います」
「人魚はひとまず置いておくとして、椎野ちゃんはどうしてそう思うの?」
「真珠にはいくつか石言葉やいわれがあるんですけど、総じて『女性の人生を守る石』って言われてるんです」
災難や危険から守る力。
妊娠出産のお守り。
美容と健康のお守り。
女性性を高める力、などなど。
「真珠は、貝に入った異物が真珠層で巻かれたものなんです。自分の身体を守るために。だから、お守りなんです。それで――」
わたしはそこで言葉を切る。
どうしよう、伝えたことがあるんだけど、言葉が出てこない。
「心配ごとがあるなら真珠をつけてみたらって言いたいみたいよ、ユキちゃんは」
助け船は、かの子さんから出された。
「心配ごと……あるように見えた?」
「えっと、はい」
高校時代のたった一年だけだったけど、とても濃いお付き合いがありましたからね。
深月さんはまた目をしばたたかせて、苦笑いを浮かべた。
そして、「なんだかすっきりしたかも。泳ぎにでも行こうかな」と帰っていった。
あれから数日。わたしはメーカーから到着した商品を検品していた。
店頭に出す指輪にピアス、ネックレス、オーダーの品。
小さくて数もそこそこあるから骨の折れる作業だけれど、新しい品を見るのはけっこう好きだ。
ジュエリーそのものを見ることへ、抵抗感がなくなってきたのかな。それならいいんだけど。
続けて、深月さんの婚約指輪。
指輪を取り出し、サイズ棒に通す。間違いなし。歪みもなし。
内側の刻印も注文通り。表面はきれい、傷ひとつなし。
石はしっかり留められている。こちらも表面に傷は見当たらない。……ダイヤモンドのファイア、見続けてると目が痛いんだよね。
ルースの鑑定書もちゃんとある。包装セットも欠品なし。
あとはお知らせをするだけだ。
店の電話から、ハルお兄ちゃんのスマートフォンに電話をする。呼出音のあと、留守電に切り替わる。短く伝言を残しておいた。あとでまたかけてみよう。
「いよいよね」
さっちゃんを抱っこしたかの子さんが現れた。真下に垂らされた黒いしっぽが、自由にゆらゆら揺れている。
「そうですね。準備が進んでいるんだなって思います」
深月さんからお預かりした真珠のネックレスも、先日仕上がったところだ。当店自慢のクラフトマンであるタツキさんが、新しい絹糸を通して、真珠に付いていた細かな汚れもきれいに取って磨いてくれた。
こちらは連絡済みで、早ければ今日にでも取りに来てくれることになっている。
「マリッジブルーだったんじゃないかしら」
「え?」
「深月さんよ」
「あ、ああ、先日の」
最初に主語をつけていただけるとありがたいです。言わないけれど。
深月さんの様子がおかしかった原因はわからないけれど、そういうことだったのかな?
さっちゃんがぐにゃぐにゃ動いて、かの子さんの腕から脱出した。すとっと、床に下りる。
「にゃーん」
鳴き声と同時。二重扉の店内側が、からからんとベルを鳴らして開かれた。
「いらっしゃいませ」
わたしたちが声を揃えてご挨拶。
入ってきたのは、
「こんにちは」
「どうも、こんにちは」
ハルお兄ちゃんと深月さんだ。ふたりとも、いつもよりフォーマルな格好をしている。
深月さんは、プラチナチェーンとルビーの星屑が巻き付けられた真珠のネックレスで首元を飾っていた。
「あら、今日の感じもおしゃれね。お出かけかしら」
にこやかに話しかけるかの子さん。
ふたりはちょっと照れくさそうに笑って、
「ちょっと、背伸びしたところに行くんです」
ハルお兄ちゃんが答える。
「ついでに、深月が頼んでいたネックレスを受け取ろうと思ってたんですよ」
「そしたら、さっきハルのところに着信があって」
出来上がったんですね。と、ふたりの目が言っている。
「ええ、つい先ほど。チェックしていただきたいのだけれど、お時間は大丈夫かしら?」
「もちろん」
「にゃーん!」
さっちゃんが強めに鳴いて、ガラス天板のローテーブルへと歩いて行く。こっちだ、と言わんばかりに。
かの子さんも当然のように、さっちゃんが座ったソファの対面へとふたりを誘導する。
お茶の用意をしようとすると、タツキさんがそっと、ふたりに見えないようわたしの進路を塞いだ。その手に、婚約指輪が載ったクッショントレイを持って。




