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宝石店『さらさ』 〜星屑磨きと小さなバラ〜  作者: いろは紅葉
第三章:人魚の涙と誓いの指輪
11/30

1.看板猫とブライダルフェア

 ゴールデンウィークを過ぎて、初夏の気配を感じる五月半ば。今日も今日とて、わたしは宝石店『さらさ』、通称『さらさ』にて労働開始。

 入口に面した通りを掃き終えて、バックヤードへ戻る。裏口のドアを開けると、我らが看板猫が荒ぶる神と化していた。


 だだだ、ずだだだだと床を駆け壁を走り、空中でくるんと身をひねる。首輪のチャームがきらり、緑、赤と色を変えていく。今日はアレキだ。

 アクロバティック、そしてアーティスティック。

 猫すごい。

 うちのおばあちゃんサバ白も、ときどき思い出したように走るんだよね。


 さて、看板猫――黒猫サンドラちゃん。通称さっちゃん――は、とたっと華麗に着地をきめた。そして、何食わぬ顔で毛づくろいを始める。

 あれだね。さっちゃん、テンション上がったんだね。

 竹箒を片付けて、わたしは猫トイレのスコップを手に取った。



 勤め始めてひと月。前職よりものんびりとした雰囲気の『さらさ』は、忙しくて頭がいっぱいになることもない。今のところ、健やかな毎日を送れている。

 そして今、カウンターにいるわたしの目の前に、さっちゃんが立っている。


 わたしから見て左側にさっちゃんの頭。正面に身体側面、右側にしっぽ。今日もふさふさもふもふ、黒い毛並みがつやつやとしている。

 おもむろに右手を伸ばし、さっちゃんのしっぽをそっと持ち上げる。さっちゃんは特に抵抗しない。

 それをいいことに顔を近づけ、


「……くしゃい」


 お手入れしてても「おしり」だもの。嗅いで臭うのは仕方ない。

 そしてふと、視線を感じて顔を上げる。バックヤードから出て来たタツキさんが、微妙な顔でわたしたちを見ていた。

 どこから見てたの!?


「ちょ、これはっ。あいさつ! 仲がいい猫同士のあいさつですからっ!!」


 仲がいい猫同士は「おしり」のにおいを嗅ぐものだからね!

 慌てふためくわたしから目線を外して、「……っス」と、店舗奥の工房へ向かってしまう。

 タツキさん今そっちに用事あったっけ!?

 ぽふんと、さっちゃんのしっぽが頬を撫でた。



 来たるジューンブライドを前に、『さらさ』ではブライダルフェアを開催中。

 具体的に何をするかといえば、これから婚約指輪(エンゲージリング)結婚指輪(マリッジリング)を買うお客さまに向けて、ブライダルジュエリーを告知してプッシュしていく。

 普段表にPOPを出さないこの店も、立て看板を用意して目に留まるようにするのだ。


「来年のジューンブライドに式を挙げるなら、今ごろから始めた方がいいのよ」


 女店主かの子さんは、店頭に置いている結婚情報誌をめくって見せてくれた。『さらさ』で扱っているブランドのページに、付箋が貼り付けてある。


「結婚準備っていろいろあるの。式場を押さえたりとか、ブライダルジュエリーもね。セミオーダーがほとんどだから、発注から納品までだいたいひと月かかるでしょ」


 あとで調整が入る場合もあるから、さらにひと月ちょっと余裕を見てほしいわね。と、かの子さんは続けた。


 フェアの一環として、ブライダルジュエリーご成約のお客さまにはノベルティをお渡ししたりする。

 朝一で結婚指輪をお持ち帰りになったお客さまは、リングピロー(結婚指輪を結ぶリボンがついたクッション。結婚式で使う小物だ)をお取り置きしていた。光沢がある白いハート型で、女性のお客さまがいたくお気に召したものだ。

 ブランド専用の袋を提げたおふたりは、笑顔で話しながら店をあとにする。


 嬉しそうだったなあ……。

 ハルお兄ちゃんと深月(みづき)さんも、指輪が出来上がったら、あんな風に……。


 わたしは軽く頭を振る。考えても仕方ないや。

 店内にお客さまがいないことをたしかめる。誰もいないな。

 窓辺にいたさっちゃんの背中のくぼみに、もふっと顔を埋めさせてもらった。心の乱れに猫吸引。

 顔を上げると、またしても、何かを言いたげなタツキさんと目が合った。


 なんでいつもいるの!?


「あの、ちょ、待ってもらえますか!!」


 挙動不審に弁明しようとすると、また「……っス」と逃げられてしまった。


「んなー」


 さっちゃんが鳴く。諸行無常を告げるように。

 うん……時には世の中無常だよね……。

 でもまあいいか、今のところ見られたのはタツキさんにだけだし。

 そう思って、何気なく出入口の二重扉に視線をやる。


 ――結論から言おう。わたしとさっちゃんの他にも、人はいた。

 揺れるセミロング、胸元できらめく赤いルビーの「星屑」――。


「えっと……こんにちは?」


 店内側のドアを中途半端に開けた深月さんが、困ったように笑っていた。

 これは、見られていたんだろうな!


「い……いらっしゃいませ」


 穴があったら入りたい。かなり、切実に。

 ぎこちないわたしたちの心持ちを知ってか知らずか、「なーん」とさっちゃんが鳴いた。

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