7.シュークリームとループタイ
結局、ハルお兄ちゃんと深月さんにお出ししたシュークリームがわたしの口に入ることはなかった。
タツキさんが淹れたてのコーヒーと交換しに行ったとき、ふたりは来店時よりもいい感じに、和やかな雰囲気になっていた。
温かいコーヒーの味を各各で調整し、ぬくまる直前だった白鳥たちをつまみ。ハルお兄ちゃんと深月さん、かの子さんは、まず婚約指輪の契約を完了させた。
「完成はひと月後です。丁寧に作ってくれるところですから、楽しみにしてお待ちくださいね」
待っている間に結婚指輪のお話も進めましょう。
かの子さんの言葉に、この場でいちばん幸せそうなふたりは笑顔で頷いた。
ハルお兄ちゃんと深月さんを出口までお見送りして、宝石店『さらさ』はひとやすみ。
かの子さん(とさっちゃん)がお店を見ていてくれるというので、わたしとタツキさんは短いおやつタイムをもらえることになった。
ワンルーム風のバックヤードにあるシンプルなテーブルには、背中のアラザンをきらきらさせた白鳥が二羽。わたしとタツキさんの分。かの子さんは最初から、わたしたちのおやつ分も数に入れていてくれたのだ。経費で。
わたしはイスの背もたれに寄りかかって、大きなため息をついた。思った以上に緊張してたのかなあ。
「お疲れさまです」
タツキさんの腕が、視界外からにゅっと伸びてきた。完全に気を抜いていたから大きな声が出そうになったけれど、置かれたミルクココアを見て、ぐっと無音を飲み込んだ。
タツキさんはわたしの斜め向かいに座る。手に持っているコーヒーはブラックだ。たぶん。
「ありっ、ありがとうございます! すみません、気が利かなくて」
初出勤とはいえ、いや、初出勤だからこそ気を利かせたかった。
タツキさんはコーヒーカップに口をつけて、
「いっスよ。これは俺の気晴らしなんで」
白鳥の翼をひとつつまんで、アラザンごとクリームをすくい取る。仕草が上品な美丈夫。口に入れるまでの一連の動作をじっと見つめてしまった。
そんなに見ていたら、もちろん本人には気づかれる。
「……付いてますか? クリーム」
「いえ、どこにも」
失礼しました。そんな意味を声に乗せて視線をずらすと、タツキさんのループタイが目に入った。初めて会った日にもループタイを着けてたっけ。お気に入りなのかな?
そういえば、この前とは違う品だ。見た目は鼈甲っぽい。
「ループタイ、この前と違うものなんですね」
好奇心と雑談。そう、軽い気持ちで口にしたひと言だった。
タツキさんはコーヒーをひと口飲んで、静かにカップを置いて、
「これは祖父に譲ってもらったんスよ。祖父は着道楽で。他にも陶器の般若とか、祖母の帯留を作り替えたのとか」
おお、饒舌に話し始めた。
「俺が子供のころからすげえ自慢してくるもんで、聞いてるうちに興味が出てきて」
そっか、タツキさんはループタイが好きなんだ。
好きなものについてはよく話す人なのかな、と相槌を打つわたし。
「で、たくさん持ってるんだからいくつかくれって昔から言ってるんスけどね、どれも気に入ってるからって渋るわけで。それでもどうにかして譲ってもらったのがこれなんスよ」
「そうなんですか。よく譲ってもらえましたね」
「ええ、まあ。でもいつか全部もらい受けますよ。遺言状にも書いてもらう約束してるんで」
ん? 遺言状?
「『俺以外に適切な管理できるやつがいるか?』って言ったら、まあ、なんとか」
「……そうなんですね……」
相続についてとか、思いがけず熱い感じの執着とか、色々と見え隠れしてきてしまった。
どうしよう、このまま聞いててもいい話題なんだろうか。
「お祖父さん、たくさんコレクションがあるんですね」
どうにか話の方向が変わって欲しい。わたしはそう思ったんだけども。
カチリと、どこかでスイッチの入る音を聞いた気がした。
「今でこそこうして笑い話にできますけど、着道楽すぎて当時の祖母たちは大変だったらしいんスよ。それこそ家が傾きかけた、ってよくボヤいてて。それで」
タツキさんは話す、話す。
堰を切ったみたいに、という表現はこういうときに使う物なのかなってくらい話す、話す。
もう、すごい、話す。話し続ける。
わたしはマグカップに手を伸ばしてココアをひと口含む。ちょっとぬるくなってる。猫舌だからちょうどいいや。
次はシュークリーム。硬めに焼かれた白鳥の翼を持って、クリームをひとすくい。いただきます。
これ、生クリームとカスタードだ。ココアとは違う甘みなのかな。おいしさが打ち消されなくてとてもいい。生クリームに乗ってきたアラザンをかみつぶすと、クリームのふんわり柔らかい甘みに対して、点を突いたみたいなアクセント。このままもうひとつの翼もいっちゃおう。おーいしーい!
休憩していたのは十五分ほど。
その間、タツキさんはループタイについて話し続け、わたしは白鳥のシュークリームを食べ続けていた。
かの子さんからは、「おいしかったでしょ、シュークリーム。ユキちゃん、菩薩みたいな優しい顔してたわよ。タツキくんは羅刹みたいだったわねえ」と、のほほんと言われた。
椎野ユキ、二十三歳。再就職先は宝石店『さらさ』。
初出勤して過ごした四時間は、とてもとても濃いものでした。
第三章予告
五月。『星屑さらさ』での日々にも慣れてきた「わたし」。
ある日、深月さんがご来店。お母様の真珠ネックレスのお直しをお受けすることに。
お直し自体は難しくないけれど、深月さんはなんだか元気がないような……。
ところで、「人魚の涙」「月のしずく」って何だと思います?




