日常崩壊
第二話お待たせしました
その日はいつもと同じだった。
特に代わり映えのない、大学に行って勉強して、友人と馬鹿をやって帰る。
それだけの一日だと誰もが思っていた。
「……で、あるからして……」
(ふああ……ねむ……)
講義を受けている体で、クリスはけだるそうに机に突っ伏した。
スマートフォンからはクリスの大好きなリンキンパークが流れている。
興味のない話程退屈なものはない、なぜ彼はこの講義を取ったのかと不思議に思う。
ボーっと教壇のあたりを眺めていると廊下が騒がしくなってきた、音楽を聴いているクリスの耳に入る程に
「ん? まだ講義中だぞ、なんの用だ?」
ガラリと教室の扉が開き、一人の男子生徒が現れる。
俯いていて顔はうかがえない。
「おい、聞いているのか? まだお前も講義中だろう、早く戻りなさい」
男子生徒は答えない。
「講義の妨げになる、早く戻りなさ『SYAAAAAAA』」
クリスは目を疑った。
講師が追い返そうと近づいた時、男子生徒が講師の喉に噛みついたのだ。
「……か……がぼ……」
講師の喉仏のあたりが大きくえぐられるように食いちぎられ、講師の悲鳴が音にならず空気と共に漏れる。そのまま仰向けに倒れ、虫の息となっている講師の服を男子生徒は乱暴に引き裂き、柔らかい腹部に顔をうずめるように貪り始めた。
(なに、コレ……)
余りにも現実感のない光景にクリスの思考は止まっていた。
他の生徒たちも同じだろう、まるでB級ホラーでも見ているような感覚で呆然とその光景を眺めている。
やがて、ひとしきり食べやすい部位を食い散らかした男子生徒はおもむろに立ち上がりこちらを向く。
まるで次の獲物を品定めするように。
口元や衣服、ハラワタに突っ込んでいた手にべったりと付着した血液の赤。
むせかえるような汚物と血の臭いが今の状況を現実のものだと強烈に主張してきた。
「きゃああああああああああ!!」
一人の女性との悲鳴が、凍っていたその場全ての人間の時を動かした。
我先にと出口へ群がり、渋滞が起きる。
あるものは泣き叫び、腰を抜かし。
あるものは友と呼んでいたものを生贄と差出し。
あるものはパニックを起こして三階にあるこの講義室の窓から飛び降りて行く。
そして、絶望は加速する。
初めに食い殺された講師が起き上がり、近くの生徒を襲う。
それを皮切りに次々と死んでいた人間が起き上がり、生きているものを襲う。
瞬きする間に死者と生者の数は逆転し、被害はさらに拡散していく。
まるで地獄……いや、悪魔が住む世界に迷い込んでしまったかのような異常な事態。
クリスは一瞬の隙をついて講義室から抜け出した。
廊下にも広がる赤い色、歩く死体の姿、わき目もふらずに外へ向けて走り抜ける。
一瞬たりとも止まれない、振り返らない。
もし今の速度を少しでも落としたならば捕まるかもしれないという恐怖。
それから逃れるために必死に足を動かす。
――前へ
――前へ
もう少し、あと少しで外に出られる。
大学と外の世界を隔てる門が見えてきた。
これで助かると安堵し始めた時、目の前には親友の姿があった。
足は縺れ、フラフラとしながらも外を目指している。
無事だったか! とクリスは喜んだ。
「リチャード、無事だったんだね!」
肩に手を置かれ、クルリと振り返ったリチャードの首は大きくえぐれていた。
「ひっ!?」
驚いたクリスは思わずリチャードを突き飛ばし、彼は背後にあった木に倒れこむ。
瞬間、何とも言えない音がした。
丁度首の高さにあった鋭く折れた枝が首に突き刺さり、喉元を貫通して突き出ていたのだ。
リチャードはもがいて無理やり引き抜こうとしている。
だが、力任せに動いたおかげで首が千切れ、司令塔を失った身体は力なく倒れ、頭部がクリスの足元に転がってきた。
「あ……ああ……リチャード?」
『SYAAAAA!』
鼻先にあったクリスの足にリチャードだったものは噛みつこうと口を開く。
「首、くび! 生きて! 動いて! うわああああ!!」
咄嗟に足をあげ躱したはいいが、先ほどまでの全力疾走は片足で身体を支える力を残しては居なかった。
バランスを崩し、勢いよくリチャードの頭部を踏みつける形となり、パン! っという乾いた音を響かせて彼の頭は砕け散る。
器を失った脳漿はどろりと砕けた豆腐のように地面に広がった。
「ひ……ひぃいいいい!!」
クリスは弾かれる様に走った。
無我夢中に、我武者羅に走った。
今自分がどこに居るのか、どこに向かっているのかも分からない。
兎に角その場から逃げたかった。
親友を殺してしまった事実から逃げたかったのかもしれない。
実際にはリチャードは既に死んでおり、クリスに非は無いのだがパニックになった彼にはそれは解らない。
否、死体が歩いて襲ってくるという事態がすでに異常なのだ。
理解出来ようはずもない。
彼は自らの身体が持つ限りの力で走り続けた。
何処をどう向かっていたのか、気が付いた時クリスはスタジオに居た。
周囲に人影や気配はなく、机の下で膝を抱えて蹲っている。
次第に体力が回復し、同時に思考も幾分か冷静になってきた。
(ここ……どこ?)
机の下からはい出し、自分の位置を改めて確認する。
(スタジオ? ……ハガキが散らばってる……宛先はフィーバー・ザ・オールナイトサタデー? ここ、ラジオの放送局かな?)
誰も居ない事を考えるとここも大学のように歩く死体に襲われたのだろう。
(助けを……あれ? スマホが無い! きっと走ってるときに落としたんだ……どうしよう……)
無いものを求めても仕方がない。
何か通信手段が無いかと辺りを見回し、電話を発見する。
即座に受話器を上げたが、電話線が切れているのか何の音も聞こえない。
乱暴に受話器を叩き付け、もう一度あたりを見回すと放送機材の電源が入っている事に気が付いた。
(機材の電源が入ってる、これで呼びかけたら誰か来てくれるかな……?)
電源が入っているならそのまま喋れば何か起こるかもしれない。
淡い期待を込めてクリスはマイクに向かって助けを求め始めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
【誰か助けてください、僕は今どこかのラジオ放送局に居ます。聞いている方が居ましたらお願いします、どうか助けてください】
「レナード!」
「ああ、偶然に感謝した方がいいな。この声の主は」
街を離れるために車に乗った二人。
レナードが何の気なしにカーラジオのスイッチを入れた時にこの放送が流れてきたのだ。
「まさかアンタの言ったことが現実になるとはね」
「こんな時でも放送してる猛者がいるかなって思っただけだ。もし居たなら救助にも迎えるしな」
「はいはい、レナードはスゴイ」
「なんか含みがあるな」
「ナイデスヨ」
「ちっ、まあいい。この放送はローカルだから場所は分かる、行くぞ」
放送局向かう途中、レナードはある路地をふさぐ形で辺鄙な場所に車を止める。
局まではあと少しなのになぜこんな所で止まっているのか分からないジェニファー。
「なんで止めたのよ」
「気づいたか? アイツらゾンビどもは音に反応を強く示している、このまま局まで行ったら……」
「囲まれる?」
「間違いなくな。ほら、とっとと降りないと集まって来てるぞ。ここならバリケード代わりにもできる」
「乗り越えてこられなきゃいいけど」
「嫌な事言うなよ、世間ではそう言うのをフラグっていうらしいぞ?」
「旗がなんなのよ」
「さあな」
路地を抜けた先にある放送局の周りは驚くほど静かだった。
「なんかあの廃屋を思い出すわ」
「一日たってないからな」
出来るだけ音をたてないように外階段を上り、二階を目指す。
一階は別の店舗が入っており、中では繋がっていない。
銃を構えつつゆっくりと中へ入る二人。
鍵をかけていない不用心さに驚いたが今さらだろう。
「異常なしよ」
「背後も大丈夫だ」
そっと扉を閉めて外からの侵入を鍵で阻む。
警戒は解かずに放送を流した人物を探すために声をかける。
とはいえ、そう広くない場所なので左程苦労はしなかった。
「おう、お前さんが放送を流したのか」
「はい……」
「ゾンビに噛まれていない?」
「多分大丈夫だと思います……」
「パッと見も心配なさそうだ」
「あの……」
「なに?」
「お二人は警察の方ですよね……僕、友人を、頭、踏み潰して……こ、殺して……それで……」
「おい!」
「ひ! は、はい!」
「ちょっとレナード、あんまり脅さないでよね」
「心配すんな。おい坊主……その友人は怪我していたか?」
「あ、はい……喉が抉れていて……転がってきた頭が僕に噛みつこうとしてそれで咄嗟に……」
「わかった……安心しな、お前はやってない」
「え?」
「ソイツは既にゾンビだった。死んでるやつを殺したところで裁けねえよ」
「やっぱりアレはゾンビなんですか?」
「わからないわ、でもそうとしか言えないの」
「特徴は映画と同じだしな」
「そう……ですか」
一通りの質疑応答が済んだ後、クリスに水分を与え、存分にとはいかずとも移動するのに支障が無い事を確認するとレナードは提案した。
「まず、ここから逃げようとは思う」
「車は?」
「取りに行く、下手するとゾンビが居るだろうが、考えがある」
「嫌な予感しかしないけど」
「緊急時だ、少しくらい目をつぶってもらうさ……機能する法があるならな」
作戦としてはこうだ。
まずレナードとジェニファーの間にクリスを配置して護衛しながら、自分たちの車からほど近い場所にある車を見つける。
見つけたらこじ開けて盗難防止のサイレンをわざと鳴らし、一帯のゾンビをひきつけ、その間に自分たちの車に乗り込むという。
「上手くいくといいわね」
「上手くいかせるんだ」
「了解、ほらクリスくんも行くわよ?」
「は、はい」
外にでて、通ってきた路地を見ると先ほどは居なかったゾンビがちらほらと見える。
「やっぱり乗り越えてきたのね」
「まあ、こっちにはいかないからいいんじゃないか?」
「反対で音を鳴らせばまたコイツら乗り越えてくるわよ?」
「少し間引くか?」
「銃を使えばもっと来るかも?」
「……だな、やっぱりほっとくか」
「しかないかしら」
確実に頭を潰さなければいけないのはクリスとの会話でわかった事だった。
それは首を折ったりしても無意味だという事になる。
つまり武器なしで接近を挑むのは自殺と同義だ。
なし崩し的に無視することとなり、三人は別の路地を通って表通りに戻ってきた。
「けっこういるわね……」
「集まってきたのもいるんだろうなあ……」
「レナードのいう通り局まで車で乗りつけなくて良かったわ」
「その……すみません……」
「お前は気にすんな。……お? あれなんかどうだ?」
自分たちの車の斜め向かいにワーゲンが止まっている。
GolfのGTIだ。
「いいわね」
「よし、少年は頼んだ。ほれ、鍵」
「おっと、気を付けてねレナード」
するするとゾンビに気づかれぬよう車に接近するレナード。
即座に近くにいたゾンビの脳天を撃ち抜き、運転席に向かう。
発砲音に気づいたゾンビの何体かはレナードのいる方向に向かい、ジェニファーたちの道が少しだけ開いた。
「行かないんですか?」
「まだよ、強行するにはまだ多いわ」
息を潜め、飛び出す機会をうかがうジェニファー。
次の瞬間、レナードの方から警報の音が鳴り響き、ぞろぞろとゾンビが移動を始めた。
「ま、まだですか?」
「まだよ……」
路地に侵入していたゾンビがレナード達の車を乗り越えてきた時を見計らってジェニファーは動いた。
「今よ!!」
一発、二発と乗り越えている最中のゾンビの頭を撃ち抜く。
路地の方を一瞥し、ほかに居ないのを確認してすぐに鍵を開けて滑り込む。
「クリスくん、早く!」
「は、はい!!」
クリスが扉を閉めたタイミングでエンジンをスタートさせる。
見ればレナードがこちらに走ってくるのが確認できた。
助手席のドアは閉めずにこちらからも向かう。
「レナード!」
「おまっとさん! 行け!!」
レナードが乗り込むと同時に扉を閉めるよりも早くアクセルを踏み込み、追いてきた数体を弾き飛ばしながらその場を後にする。
「ひゅー、華麗な轢殺だ」
「構ってるくらいなら撥ねた方が早いわよ」
「ちがいない」
くつくつと含むように笑うレナード。
それが面白くないのかツンと口をとがらせて不機嫌ですよアピールをしながら運転するジェニファー。
クリスはその二人を見て、やっと安心したのか気が付けば眠ってしまっていた。
「お? 王子様はおねむだな」
「こんなところを逃げてきたんだし、安まる暇もなかったんだからしょうがないわよ」
「だな」
「ところでレナード?」
「なんだ?」
「私、実に5年ぶりくらいの運転なんだけど……ちゃんとできてるわよね?」
「ちょ!? 待てや! 代われ、今すぐ代われ!!」
「……他の車も通ってないし、ゾンビは撥ねればいいからリハビリには最適だと思うんだけど?」
「いいから前、前見ろ! あと出し過ぎだ! うおおお! 運転代わってくれぇぇ!!」
やはりゾンビはいい。
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