飴売りと幽霊
「飴をください」
鈴の鳴るような美しい声に飴売りが顔を上げれば、そこには見目麗しい女が一人立っていた。
客にしては、実に珍しい時間に訪れるものだ。
そう男は思ったが、女に再度「飴をください」と声をかけられたことではっとした。
今は夜中、空には見事な月が浮かんでいる。そんな夜中に飴を買いに来る女など怪しいことこの上ないが、客は客だ。払うものを払ってくれるならばそれでいい。
飴売りが飴を渡せば、女は代金を払い、飴売りに頭をたれて去っていった。
静かに。ただ、静かに。
それからというもの、女は飴売りの前に現れては飴を買っていった。
しかし、不思議な事に女はいつも夜中に訪れては去っていく。女の夜歩きは危険だと、お節介で声をかけたこともあるし、これまたお節介ではあるが途中まで送っていくことも申し出た。
だが、女は小さく頭を振り、大丈夫だと。心配してくれてありがとう、とか細い声を零すばかり。
それでも心配に思い女の後を付けようとするのだか、なかなかうまくはいかない。
何せ男はただの飴売りだ。人を追いかける趣味はないし、そんなこと得意でもない。
それに、女の足はとても速く、そして非常に静かなのだ。するすると滑るように進んでいく。飴売りには到底追いつけなかった。
仕方なく、変わった、不思議な女だなぁ、とだけ思うことにした。
「申し訳ありません。代金が払えないので、こちらでお支払いしたいのですが」
女が飴売りの下へ訪れた、七回目の夜のことだ。
女はそう言って、懐から櫛を飴売りに差し出した。見るからに上等な櫛だった。
こんな上等なものをもらうわけにはいかない。
そう飴売りが返そうとするも、女は頑なに譲らない。
「飴を、買って帰らねばいけないのです。しかし、私にはもうお金がありません。……お願いです。この櫛で、飴を買わせて頂けませんか。櫛を売れば、飴の代金には事足りるはずです」
どうしても、どうしても。そう言って女が頭を垂らすものだから、飴売りも首を縦に振るしかなかった。
「……もし、お嬢さん。どうしてそんなに飴を買わなければいけないんだい」
飴売りが問うも、女はただ、小さく微笑むばかり。
「そうしなければ、いけないのです」
そしてその夜も、女は静かに、とても静かに去っていった。
さて、困った。
飴売りの男は茶屋で一つの櫛を見つめていた。昨晩女にもらった櫛である。
一晩考えたものの、やはりこんな高級そうなものを、いくら商品と引き換えにたって受け取ることは出来ない。それに、売ればきっと飴の代金にしては多すぎる金が手に入るだろう。
数日分の儲けになるのは嬉しいことだが、見合った代金以上を受け取るというのは、その誠実な飴売りにとってあまりよいものではなかった。
次に女が訪れた時に返そう。そう思い、飴売りは櫛を懐にしまい込んだ。
次に訪れた時、女は簪を飴売りに渡してきた。櫛同様、代金の代わりに受け取ってくれ、というのだ。
勿論、飴売りは断った。あの櫛だけで飴が数個は買える。簪を売る必要はない、と。
その簪も櫛同様、明らかに高価なものだった。素人目に見てもよく出来た品だ。きっと腕の良い職人が作ったのだろう。
「先日の代金に櫛に見合うだけの飴を売りましょう。ですから、その簪は大切にしまっておくべきです」
飴売りはそう言って飴を女に差し出した。初めこそ女は困惑したようすだったが、次第にふと表情を綻ばせ、ありがとうございます、と微笑んだ。
飴売りの男は櫛を眺めていた。売って金に換えてしまえばいいのだろうが、なぜだかその気が起きない。
売ってはいけないような気がして、飴売りはほとほと困っていた。
先日女に渡した、この櫛に見合うだけの飴がなくなれば、女はまた買いに来るだろう。そして、あの簪を渡すのだろう。
あの高価な簪は、見るからに手入れがされていた。とても大切にされていることが一目で分かる品だった。そんなものを売っていいわけがないし、受け取るわけにはいかない。
ぼんやりと櫛を眺め、はぁ、と深々とため息を吐く飴売りに、誰かが話しかけてきた。
「……もし、そこの飴売りさん」
「はいっ、なんでしょう?」
話しかけてきたのは顔に深々と皺の刻まれた老女だった。物腰はとても丁寧で、育ちの良さを感じさせる。
飴売りに話しかけてきた老女の声はどこか震えている。
「その櫛を、どこで……?」
「……この櫛、ですか? この櫛は、先日飴を買ったお客様に渡された品です。お金が払えないので、これで売ってくれ、と……」
そう言えば、老女は目を見開いて、大きく頭を振る。そんなことがあるわけが、と小さく唇を震わせていた。
「……? この櫛の持ち主の方に、お心当たりがあるのでしょか? その方は夜な夜な私のもとに飴を買いに来るのです」
「その櫛は……その櫛は、」
老女は声を震わせ、瞳に涙をためながら、飴売りに言った。
「しばらく前に亡くなった、私の娘のものです……!!」
老女が言うには、この櫛の持ち主の女は、数日前病で息を引き取ったのだという。
元々身体が強くなく、家の中で蝶よ花よと育てられたのだそうだ。
そんな娘であるが、年頃となれば思いを寄せる者が現れる。女は、家がそれなりに良い暮らしをしていることもあって多くに求婚されたが、最終的に一人の男を選んだのだそうだ。
その男は、決して女の家とは違って裕福とは言えなかった。その為家の財産目的だのなんだのと言われていたが、実に真摯に女のことを考えていてくれたのだという。
病がちの女を治す為に医者を目指し、日々勉学に励んでいたそうだ。
女が亡くなってからは魂でも抜けてしまったかのように無気力に生きているらしい。
その櫛は、男が女に送った大切な品。女の棺桶に入れたはずの品なのだそうだ。
まさかと思い飴売りが受け取ることを拒んだ簪のことも聞いてみれば、それもまた、男が女に送った品で、棺桶にいれたものだという。
なんと飴売りは、幽霊に飴を売っていたのだ。
「飴をください」
また、女の声がした。見れば、やはりあの女がいる。その手には代金の代わりであろう簪があった。
「その簪は、貴方の大切なものでしょう。思い人からの贈り物を、売ろうなどとしてはいけません」
そういえば、女は驚いた様子を見せた。
「偶然にも、昨日あなたのお母さまに会ったのです。……どうして、夜な夜な飴を買いに来るのですか? 私から買った飴を、どうしているのですか?」
飴売りが尋ねれば、女は何も言わず、口を噤んだ。
しかし、しばらくして小さく呟く。
「私の墓を、発いてください」
そう言うと、女はす……っ、と消えてしまった。
飴売りはすぐに女の母親のもとへと駆け込んだ。そこには奇しくも女の父親、そして今は無気力になってしまったと言っていた女の思い人が揃っていた。
飴売りが女の幽霊に会ったこと、女が自分の墓を発くよう言ったことを伝えると、当然彼らは目を見開き、驚愕をあらわにしていた。
だが、すぐに女の言うとおり、彼女の墓を発くことにした。
女の墓が収められた寺に一同で駆け込む様は、まるで幽霊にでも追いかけられているようだっただろう。
寺の坊主たちも和尚も驚いていたが、飴売りが女の幽霊に会ったこと、自分の墓を発くよう言われたことを伝えれば、快く手を貸してくれた。
寺の裏手にある墓に足を踏み入れると、不思議なことにどこからか泣き声がする。おぎゃあ、おぎゃあ、という赤子の鳴き声だ。しかも、その声は女の墓に近付くに連れて大きくなっていく。
女の墓の前にたどり着くことには、耳が痛いほどの赤子の泣き声が聞こえた。……女の墓から、だ。
皆で急いで墓を暴けば、棺桶の中には女の亡骸。
そして、たまのような赤子が、その亡骸に抱かれて泣いていた。
「こんにちは、飴を売りにきました」
そう家先で声をかければ、立派な医者となった男が出迎えてくれた。その腕には、まだ小さな男の子が抱かれている。
「いつもありがとう。この子はやはり、あなたの飴が大好きみたいで」
「いえ、お得意様になっていただけて、こちらも嬉しいです」
ふふ、と互いに笑い合う。
男の子は早く飴が欲しいのか、男の腕の中でジタバタと暴れている。そんな男の子に飴を渡せば、ありがとう、と大きなお礼と共に、満面の笑みが返ってきた。
この男の子こそ、飴売りから飴をかった女が己の墓の中で育てていた赤子だった。
女は死んだ時、妊娠していたのだ。女は死んだが、赤子は生きていたのだろう。赤子は棺桶の中で生を受けた。
だが、そのままでは餓死してしまう。女は自分の黄泉の渡り銭を使って飴を買い、その飴で子供を育てていたのだ。証拠に、女の亡骸に抱かれていた赤子の手には男が売った飴が握られていた。
男は女の残した子供……我が子を抱き上げ、女のぶんまでしっかりと育てていくと、女の亡骸に誓った。亡骸は、まるで頷くかのように首をがくりと動かし、そして二度と動かなかった。
そして二度と、飴を買いには現れなかった。
ベースにしたもの「子育て幽霊」
別名:飴買い幽霊
落語にもなっている民話、怪談。
筋立て、結末などに細かな異同が見られるが伝承地は全国に分布している。




