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信頼

「ハルイ (始まり)の島」ドラセナの住む島はそう呼ばれている。


 天空の一族がこの星へ降り立ったとき、初代族長アレフ・サリオイデス・コルディリーネが同胞のアイテールを初めて空へ上げた島。


 この島は地の竜脈から噴きあがった気が、気流によって運ばれ自然と集まる空に位置していた。初代の〈アイテール〉たちは、肉体を得るまでこの島の中心にある〝(あお)の洞窟〟に保管され覚醒の時を待ったのである。



 洞窟は暗く、どんな天候でもひんやりと湿り気を帯びて冷たかった。

 ドラセナは蒼の洞窟に〈アイテールの器〉を運び込んだ。


 器たちは淡い輝きを放っている。器を強化すればするほどこの輝きは増してゆくだろう。だが、すでに

輝きがくすみ、いまにも消え入りそうになっているものもあった。一度(ひとたび)こうなってしまえばいくら器に強化を施しても救う手立てはない。アイテールが弱っているのだ。



 ドラセナは弱々しくあえぐような輝きをもつ器をひとつ手に拾い取った。

(もう弱っている者がいる……)

 時間がないのだ。ドラセナは後ろ向きになりそうな心をぐっとこらえてそのアイテールを地へそっと置き、代わりにまばゆく輝く器に手をのばした。



 〈アイテールの器〉の強化。それにはおそろしく集中力がいった。

 自らの内から上質な気を練り出しては編み、幾重にも器にかけてゆく。そして磨き、硬化させる。心も頭も空っぽにしてなければすぐさま練り出す気の質が落ち、編み方がゆるみ、磨きむらができる。この単調で精神を消耗させる作業をドラセナはひたすらつづけた。

 ときおり器が転がり、洞窟にこだます水琴のような音がドラセナに洞窟の静寂を思いださせた。



 体力が限界に近づき、器の強化が思うように進まなくなった頃、ドラセナはふともう一人の人影があることに気がついた。

 洞窟の柱の向こうに気配を感じる。

 ドラセナはその方向を注視した。

(あれは、)

 フィラメンテーザだった。


「ごめんなさい」

 人影がドラセナに背を向けたままそう言う。

 後悔と申しわけなさと、自分の情けなさを責める想いがドラセナの胸に迫り上がって大粒の涙がこぼれ落ちた。


 フィラメンテーザが振り返ってドラセナへ歩み寄り、落ちる涙を何度も拭っているドラセナを静かに抱きしめる。

「手伝ってくれていたなんて知らなかった」

 フィラメンテーザの細い指がドラセナの頬を伝う涙を拭う。

「だって、あなたに見つかったら断られると思ったから」

 困ったような表情で言うフィラメンテーザにドラセナはしゃくりあげながら首を横に振った。

「ううん、ありがとう。ごめんなさい。本当のことをいわなくて」

「いいえ、ちがうの。謝るのはわたしなのよ。あなたのことを信頼しなかった。信頼せずにロストラードのところまで訊きにいってしまったわ、あなたのしようとしていたこと。待っていればよかったのにね。待っていればきっと教えてくれたかもしれないのに」

 フィラメンテーザが再びドラセナを胸に抱きしめる。



 ドラセナの胸に幼い頃の記憶が甦った。

 幼いころ、子供の園でいじめられたとき、木陰に隠れて泣いていた。汚された服がみじめで、でも、大人に「弱虫」だと思われたくなくて、木陰から出ることさえできなかった。

 そんなときフィラメンテーザが何も訊かずに着替えの服を持って来てくれたのである。大人にばれないようにドラセナの汚された服を洗濯物の中に混ぜ「もう心配いらないからね」と優しく抱きしめてくれた。


 あのころと同じだ。ドラセナは「なんて自分は未熟者なのだろう」と思った。潔く助けを求めることもできず、けれど彼女の優しさに甘えている。昔も今も変わっていないではないか。

「フィラメンテーザ、ごめんなさい。わたしはあなたの気持ちを裏切っては頼ってばかり。でも、わたしこの決断に自信がなかった。あなたを巻き込んで危険な目にあわせてしまったらと思うと怖くて、何も言えなかった……」

「わかってる。フィリウスのことでしょう?」

 フィラメンテーザはドラセナを安心させるようにいった。


「ねえ、ドラセナ。でもね、心配していたらきりがないのよ。あなたがこれ以上、なにも失いたくないと思うのはわかる。わたしだって怖いの。いつかあなたの身に何事か起こったら。そんな風に思うと、もうこれ以上竜に乗って遠くへ行かないでってお願いしたくなっちゃう。

 でも、そうやって心配だからって、大切な人を安全な処へ閉じ込めて満足するなんて身勝手だと思わない?

 わたしは心配するよりも、あなたの強さを信じたいと思ったのよ。何があってもあなたはそれに負けずにこの島に戻って来るって。あなたが選択した決断なんだから、きっと成し遂げて戻ってくるって」


 ドラセナはフィラメンテーザの瞳の中に、地上の少年と同じ光を見たような気がした。迷いなく、天女の加護を信じて疑わなかったあの瞳に宿る光こそ、本物の強さをもっていた。


「……だから、あなたにも信じてほしい。わたしたちのこと。もっと頼ってほしいの……」

 他人を信じること、それは己を信じることができなければきっとできないのだ。彼らのもつ強さを自分も持ちたい。自分より強い彼女を心配することなんてなにもない。ドラセナはそう思った。







 疲れ果ててはいたが充足した気持ちで、ドラセナは住居へ戻った。くたびれてテーブルに肘をつき、頭を抱えているところへ扉を叩く音が響く。

 フィラメンテーザがなにか忘れ物でも届けに来てくれたか、とドラセナはよろめきながら立ち上がり、扉を開けにいった。



「突然のことですまんな」

 戸口に立っていたのは年老いて杖を頼りにやっと立っている老婆だった。〝遠視とおみばあ〟と島で呼ばれている、齢も定かではない島の大長老である。 

 

 ドラセナは驚いた。きっと、婆はあの出来事を視たのに違いない。それもそうだが、このなりで島を横断して来たということにもドラセナは仰天していた。

「もう陽も落ちかけているこんな時分に……。さ、とにかく中へどうぞ」


 ドラセナの住居は島の西はずれ。遠視の婆は東の端に住んでいると聞く。立つのもやっとというこの脚で、半日かけて此処までやってきたというのか。


「さあ、こちらへかけてください。いま、温かい飲みものを用意しますから」

 ドラセナは婆の腕をとり、下から支えながら椅子へと案内した。

「いいんじゃ。気にするな」

 婆を椅子へ座らせるとドラセナは急いで湯を沸かしはじめた。



 天空の一族には濾過した気が一番の栄養となる。さらに、その気を飲みものや木の実に込めればより一層身体への吸収がよいとされ、疲労時の回復を早めるのである。



 遠視の婆はだいぶくたびれていて椅子に座るなり顔をうなだれ、まるで眠り込んでいるように動かなくなった。


 ドラセナは気力のつく葉をいくつか選んで煎じ鍋に入れ、天空の一族の住む家には必ずある気の濾過装置から気を湯に溶かし始めた。ほどなく、部屋じゅうに煎じ葉の豊かな(かおり)が充満しはじめた。

 ほどよく抽出された煎じ葉を引き揚げると、質素な土色の湯呑(ゆのみ)へ注ぎ、婆の前へと差し出す。

 婆のだらりと垂れるままになっていた手に優しく自分の手を添え、テーブルの上にある湯呑を持たせてやった。

 手に触れた湯呑の温もりに、婆がはっとして顔を上げ、湯呑を自分の方へ引き寄せた。

「ぁあ、わるいの」

 しゃがれた声で礼をいう。

 ドラセナは気のついた婆に安心してテーブルの向かい側へと腰を下ろした。

「ほほ。美味しいの。精が付く」

 婆の口元がほころんだ。

 それを見てドラセナも安堵の笑みを浮かべた。

「煎じ湯にだいぶん気をこめてくれたんじゃな」

 婆は、ふぅと深く一息ついた。

「……じゃが、いまお前さんの(まと)っておる気の強さは、煎じ湯に込めるためじゃのうてなぁ?」

 涼しい顔をして鋭い言葉を投げかける老婆の顔は、だが、皺が深く刻まれ瞼も垂れさがり、眼の前に座っているドラセナの姿がまともに見えているのかどうかすら怪しい。


「尋常な強さではない。しかも強さだけではのうて、たいそうんでおる、なぁ?」

 ドラセナは、遠視の婆が実際は何を視るのか目の当たりにしたことがない。

「この島をめぐる気の質が今朝からちと変化しおったんじゃよ、ドラセナ」

 だが、ドラセナの反応などお構いなしに、ドラセナが語りもしないことを婆の口は次から次へと話しつづけた。

「それから、ウヌゼランで大きな浄化が行われておるのが視えた。ほれ、あっこは、お前さんの部隊しか任務につかんじゃろ」

 ドラセナは何も言わずに、婆の話に耳を傾ける。

「それからの、ずっとウヌゼランの遠視をしておった。そうして視えたんじゃ。お前さんの喪失がな。仲間をうしのうたな。そうじゃ、ウヌゼランに光が降ったんじゃ」

 ドラセナは何も言わなかった。

「あの光はなんじゃろう。あれは単なる光ではあるまい。なにかが入っておった」

 ドラセナはなおも黙ったままだ。


 婆は言葉の合間に意味もなく口をもぐもぐと動かしている。話したいのに思うように言葉が出てこないといった風体で。


「なにかが乗っておった。……あれは、あの光はアイテールではないのかの?」

 ドラセナは沈黙を守る。

「アイテールじゃ。じゃが、この星のものではないな」

 婆はこの事実をどう理解すべきか悩んでいるように見えた。

「この星のものでなければ、宇宙から来たということか」

 ドラセナは息も殺したように微動だにせず、つづく婆の言葉を待った。


 婆はしばらく思考に(ふけ)っているように見えたが、突然気づいたかのように声を出した。

「まさか、お前さんのまとう清純な気の濃密さは、アイテールの器を創るためか?」

 ドラセナの呼吸がわずかに浅くなった。

 婆の重い瞼に覆われた片目が、一瞬、大きく見開かれ閉じる。


 それから長いこと沈黙が流れ、婆が再び口をひらいた。

「お前さん、フィリウスに会いに行ったのか」

 だがその先は何も言わず、婆は黙りこくった。


 ドラセナがやっと口を開いた。

「竜王の言葉も聞きました」

 婆は幾度も頷いた。ひとしきり頷くとゆっくりと言葉を紡いだ。

「この島に住むものは竜の言葉をおろそかにはせん。この年老いた婆には、東の大陸に住む若造の言葉なんぞより、竜王の言葉の方が何倍も真実を伝えておるとみえるわ」

「わたしにはまだわかりません。あのアイテールたちが何ものなのか。族長に逆らってまで〈アイテールの器〉を創ることがこの先何をもたらすのかも」

 遠視の婆は動じない。むしろドラセナの言葉に満足する様子さえ見受けられた。

「人が事を為すとき、その挙に出る根拠は、時に未来で待っておる。頭で考えるよりもお前さんの心が訴えかける曖昧な感覚をこそ道標とすべきじゃ」

 その遠視の婆の声には、これまでの弱々しさとは打って変わって、凛とした確固たる響きを携えていた。



「ドラセナよ。島のものに援助を頼め。

 ハルイの島に住むものは古来より竜との絆に重きをおき、異邦人である我々一族のアイテールを受け容れてくれたこの星の前人への感謝を覚えておる」



 親もなく、生まれの村では存在を疎まれ、流れついた子供の園で育った。できるだけ他人に頼らずに生きようという精神は、知らず知らずのうちに身についてしまったドラセナの生き様なのである。

 島のものを信頼し、援助を頼む。ドラセナはついさっき交わしたフィラメンテーザの言葉が頭をよぎったが、思わず深い溜息をついて婆に言った。

「婆、でも、それを理由にフィリウスたちがこの島の人々を攻撃してくるかもしれないんですよ」

「お前さんはフィリウスを怖れているつもりでおるの」

 婆の言い様にドラセナは困惑した。

「つもりなのではなくて、フィリウスが私の挙動を警戒しているんです。現にバリュウゼツランが……」

「お前さん、実はのう、お前さんが怖れておるのはフィリウスではないのじゃよ」

 ドラセナは婆の頭が老いぼれて自分の言葉が理解できなくなってしまったのだと思った。老人にはよくあることだ。あるときは正気だが、ふとした瞬間に頭がどこか別の次元へいってしまう。

 それでも、ドラセナは礼儀正しく問うた。

「婆は、フィリウスを怖れることはない、とおっしゃりたいのですね?」

 それを婆は即座に否定する。

「いや。お前さんの心の内でフィリウスと銘打ったものの正体は、実はフィリウスではないと()うておる」

「婆、あの、それは申し訳ありませんが、ちがう……」

「まあよい。いずれ理解できよう。お前さんはおちびさんのときからそうじゃったからの」

 わかっていないのは婆の方だと思いながらも、ドラセナは老人を労わって引き下がった。


 

 ドラセナが子供の園へ連れて来られたばかりの頃に、婆が園を訪ねたことをドラセナは知らない。子供の園の支援者であった婆は、その頃、新しい子供がやってくる度に園を訪ねることにしていた。

 ドラセナがやって来たときもそれは同じだった。 そのとき既に婆はドラセナの瞳の中に竜を視ていたのである。「おちびさんの瞳の中には、竜が泳いでおる」当時、園長だったロストラードの父へのみ告げられた言葉だった。



「お前さんはきっと成し遂げてみせるじゃろう。竜王の意思に沿って歩くことをな」

 婆は、ふぅー、と細い息を吐いて、再び顔をうなだれた。

 ドラセナは、老婆がなにか自分の世界に入ってしまったのだなと、それ以上はなにも答えなかった。

「婆。今日はこの家でお休みください。粗末な寝床にはなりますが」

 婆の重くない肢体を支え、ひとつしかない自分の寝床へと連れてゆく。

「すまん。すまんの、竜の御子よ」

 竜以外のものがドラセナを「竜の御子」と呼んだことはない。ドラセナは、はっとしたが、婆の瞼はすでに重たく閉じられ、その言葉の真意をただす術もなかった。


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