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天空の舞い

 バリュウゼツランが去った後もドラセナは南へ逸れた進路を進みつづけていた。


 アイテールの光が刻一刻と弱まっていく不安はドラセナの胸にうずきつづけたが、なによりも宮殿に感づかれないことが最優先だった。



 ドラセナは進みながら考えつづける。

 なんとか竜の一群を安全にウヌゼランへ向かわせることはできないものか。全頭で一斉にウヌゼランを目指せば老練な黒龍に感づかれるかもしれない。だが、年増な竜のみを慎重に移動させればどうだろう。

 しかしその場合、選ばれた少数の竜だけで〈アイテールの器〉創りに必要な多量の気を浄化できるのか。



 ドラセナは測り兼ね、押し黙った。



 すでに陽の光は西の空にもとどきはじめ、乳白色の雲の縁が黄金色に輝きだしている。


「白竜の助けを借りるがいい」

 厳かな声でドラセナに応じたのは翡翠の竜。


 ドラセナはその申し出に息をのんだ。


 白竜とは姿をもたない竜。その浄化力は姿をもつ竜の数百倍ともいわれ、竜のなかでも特殊な存在として知られている。白竜がヒトがかかわるところへ出てきたという話はきいたことがなかった。



(竜王はそれほどまでに……?)

 きっとなにかもっと大きなものを竜王は捉えているのにちがいない。ドラセナの額に冷たい汗が浮かんだ。


 すぐさま微弱な波動が仲間の竜に伝わり、数頭が思い思いに西の方へと泳ぎはじめる。黒竜を警戒して竜たちはめいめい、ばらばらに目的地へ向かうことにしたのだ。



 黒々とした岩々がごろごろと転がるウヌゼラン山脈。

 竜脈を目前にして翡翠の竜が急に降下をはじめた。眼下に谷が見える。そこにだけオアシスのように瑞々しい苔や草木の茂る小さな谷が。



 したたる清水の音が静寂に響く。

(この滝壺ならみそぎができる)

 ドラセナは竜の背から軽やかに地上へ舞い降りた。

 


〈アイテールの器〉は、上質な気を心身にたくわえ、それを自らの身から練り出して創り出すもの。術者の心身が清純でければ〈アイテールの器〉創りに足る純度の高い気を練り出すことは叶わない。



 陽の光が西の空一帯に広がり出す頃、ドラセナは清水の雫に頭からうたれながら、心を解き放ち心身に溜まった澱を浄化していった。



 滝を落ちるしぶきの一粒一粒をとらえ、それが、肌にあたって砕け散るたびに感じ取る。一粒、肌に落ちては弾け、また一粒しずくが弾けるたび、身がどんどん透明になって、大気の中へ溶け広がってゆくようだった。




 ドラセナは滝壺から足をあげた。肌を滑り落ちてゆく清水は指先から地へぽたぽたと滴り落ちている。そこへ翡翠の竜が鼻先をちかづけ熱い吐息を浴びせる。禊であらいきれなかったわずかなおりもそのひと吹きで浄化された。

 ドラセナは滝壺近くの小枝にかけておいた衣装に腕を通し帯を締めた。上から薄絹の衣を羽織ろうと伸ばしたところで手が止まった。



 衣がない。

(どうして?ほかの衣装はあるのに)



 ドラセナが辺りを見回すと木陰から見つめている二つのひとみを見つけた。

 無言のまま、ドラセナはその瞳へ向かって近づいてゆく。


 身動きもとれずにただドラセナを見つめている、まだうら若い少年の手にはドラセナの絹衣

(きぬごろも)がしっかりとだき抱えられていた。


 少年の肌は萌える若葉のような緑色をしている。最初に地上のものとなった一族の末裔だ。それにしてもそのいで立ちはみすぼらしかった。服はぼろぼろに破れ、絹衣を抱える手は、真っ黒だった。



 ドラセナはやさしく言った。

「あなたのその手にある衣は、わたしのものなの」


 新緑の肌をもった少年は、大きな黒い瞳を見開いておどおどと唇を動かした。

「て、天女さまですね?」

「てんにょ?てんにょとはなに?」


「も、申し訳ございません、天女さま。わたくしたち人間は、天に住まう美しいご婦人方のことをそう呼ぶのです。……そう母が言っておりました。……ははが」

 少年は最後の言葉を歯を喰いしばるように付け足して、涙を抑えるように瞳を見開いた。

 ドラセナには少年の言うことが呑み込めなかった。

「てんとは、そらのこと?」


 ドラセナの声にはっと少年が顔を上げ、失礼のないように緊張して、こわばった声でいった。

「お空のもっと上。神々の住まわれる処です。て、天女さまはその美しい園から来られたのでしょう?」



 神々の住む美しい園。そんなものが本当に存在するのかドラセナにはわからない。しかし少年の輝く瞳をみていると、彼には確かにそれが視えているのだとおもった。

「そ、それは……。あ、あなたのいう天女のことはわからないし、きとわたしではないとおもう。けれど、その衣は返してもらえないと困るの」


 少年は手にした虹色に反射している白い絹衣へ視線をうつした。

「だけど、これは()の有名な羽衣(はごろも)でございましょう?これをお返しすると天女さまは天へ帰ってしまわれる」

 少年はなおもためらう素振りを見せている。



「……残念だけど、それはあなたの思っているような羽衣ではないとおもうの」

 少年は絹衣を見つめながら必死になにか考えているように見えた。まるでドラセナの声が耳にとどいていない。

「でもわたしにとってはと必要なもので、ないとどうしても困るのよ」



「ぼくの母は信心深いひとでした」

 唐突に少年が語り始めた。

「どんなに貧しくても、追われる生活をしていても、私たちは恥じるようなことはしていないと。天に恥じぬように生きていれば、必ず救いの手は差し伸べられると。いつも言い聞かせてくれました」


 ドラセナの胸がキュッと締め付けられた。



 恥じぬ生き方をしていれば救いの手は差し伸べられる。救いの手はそういうものに差し伸べられるべきだとドラセナも思っている。



「てんにょは空のうえにいるのかもしれない……」

 ドラセナはつぶやくようにいった。

「わたしがあなたのおもう天女なら、そうかもしれない。衣はあげられないけれど、どうしてもあなたが欲しいというのならこれをあげる」

 ドラセナは思いついて、二の腕に着けていた腕輪を少年に差し出した。

 それには翡翠に輝く竜の鱗が一枚はめられていた。古くなって剥げてしまった鱗の一枚を腕輪にしたものだ。光の射しこむ角度によって虹色に煌めく翡翠の鱗。まるで美しい宝石のようだった。



 少年はドラセナの顔をはたと見上げ、それから顔をくずしてすすり泣くような声をあげた。

「やっぱり、これではだめなの?」


 ドラセナが肩を落とすと、少年は両手で衣をドラセナに差し出しながらひざまずいた。

「いえ、天女さま。わたくしが、わたくしが悪うございました。天女さまは、わたくしたちにこうさずけに来てくださったのに、それなのに、わたくしは欲深いお願いをしてしまいました」

 少年はしゃくりあげて泣き出した。



「そんな……。珍しいものを見て欲しいと思うのは自然なことだわ。誰にもそんなの責められない」

 ドラセナはかがんで差し出した腕輪を少年の手の内にそっと握らせながらいった。



「天女さまは、欲深いわたくしをお許しくださるのですね?」

 ドラセナをすがるように見上げる瞳にドラセナは心を射られるような気がした。

「あぁ、天女さま。美しい天女さま。愚かなわたしをお許しください。きっと天に役立つ人間となりますから、どうぞ……」

 少年はドラセナの足もとで一身に祈りを捧げ始めた。



 ドラセナはその姿の切実さに胸を打たれながら見知らぬ少年の置かれている境遇に想いを馳せた。

 地上で一体なにが起こっているというのだろう。(せめてこの腕輪が彼の心に希望を授けますように) ドラセナは小さく祈りを返した。



 翡翠の竜が傍で、「ゆくぞ」と声をかけている。

 まだ跪いて祈りを捧げている少年に心の内でさよならを告げると、ドラセナはひらりと竜にまたがり天へと舞い上がった。

  緑の谷がぐんぐんと下に遠ざかり、前方には見慣れたウヌゼランの黒々とした山脈が広がる。



 ドラセナの心は無風の空のように落ち着き、いよいよ〈アイテールの器〉創りが始まろうとしていた。



 広大に広がるウヌゼラン竜脈から浄化した気を竜たちが勢いよく噴き上がらせている。それらが渦となって一点に集まる空がある。

 そこで翡翠の竜がゆっくりと旋回しはじめた。



 ドラセナは竜の背に立ち上がる。瞳を閉じたまま天へ向かって両腕を大きく広げた。


 それから身体の芯に気を通すように息を深く吸い込み、右腕をゆっくりと足もとまで下ろす。衣が天の風を受けて膨らんだ。ドラセナは円を描くように下から上へとその腕をすくい上げ、足はを描きながら竜の背を歩いた。



 竜たちが浄化した気を巻き上げている間、ドラセナは一心に器創りの舞を舞いつづけ、やがて〈アイテールの器〉の核となる銀の柔らかい球形の器がいくつも紡ぎ出された。


 器は地上近くを漂う竜たちの元へと落とされ、竜たちが地上に散り落ちたアイテールの光を掬い上げては器へ収めてゆく。


 創られた〈アイテールの器〉はまだ柔らかい。ながい時の流れにも耐え得る強い器を創り出すには時がかかる。未熟な器にまずはアイテールを保護し、浮島へ戻ってから器に強化を施すよりほかないのだった。


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