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荒れ狂う雲

 翡翠の竜はどのくらい空を泳いだだろう。

 幾度も雲を越え、空の色も風のにおいも変わった。


 音速も出せるといわれている翡翠の竜の背で、これほど長い飛行をするのは初めてだった。それでも速度が落ちる気配はまだない。


 何度目かの分厚い雲海(うんかい)へ再び突入した。

 通常ならば竜の生み出す風圧が雲など簡単に両脇へ引き裂いてゆくのだが、この雲海では何故かそうはゆかなかった。綿菓子のように竜の鱗やドラセナの装身具にまとわりついてはなれない。それらの雲は切れずにだらだらと後ろへたなびいてゆくのである。ねばり、光の射しこむ余地もないほどに分厚い雲。ドラセナは〝竜王謁見の空〟が近づいていることを感じて取っていた。



 ゴオォォォォ。竜の咆哮も消え失せそうな豪風の唸り声が近づいてくる。雲海の表面が近いのである。ドラセナは身構えた。


 雲を抜けた途端、ピシャッ。バリバリバリバリッ。

 乱立する雷の柱がドラセナの瞳の前で閃いた。

 ドラセナは反射的に手をかざして瞳を覆う。その手を暴雨が穿つように叩いた。

 ドラセナは態勢を立て直してなんとか辺りの様子を探ろうと試みる。濡れた髪がべっとりと頬にへばりつくのを掻き上げ、雨粒が眼の中に飛び込まぬように手で(ひさし)を作りながら、睫を震わせ細く瞳を開いた。


 眼下を埋め尽くす雲は大時化の海のように激しいうねりをあげて波立ち、上空を埋め尽くす雲は狭間にいるものを押し潰そうとするように重く垂れ込めている。雷は四六時中、躊躇うことなく閃いて轟音をとどろかせ、刻々と向きを変える豪風が大粒の雨を四方八方へまき散らしていた。


 そして上空に垂れ込める雲の中を、ひとつの稲妻が幾重もの枝を伸ばして真横に走り抜けた。晴天のように辺りが一瞬まばゆく照らし出される。

 ドラセナは息をのんだ。

 雲に竜王の虚像が映し出されたからだ。 


 それまで常にそばに感じていた翡翠の竜の存在がふっと掻き消える。と思うと、翡翠の竜が頭蓋(ずがい)を振動させるような声でドラセナへ語りかけた。

「あれは宇宙の子らだと竜王は言っている」

 豪風と雷雨の音が激しくこだます中、ドラセナは切れぎれに耳に入る翡翠の竜の言葉を全身で捉えようとした。

「宇宙の子らとはなんだ?」

 ドラセナは雨を口に飲み、風に激しくあおられながら声を飛ばされぬよう鋭く叫んだ。

「彼らは宇宙でその身を追われ、逃げ延びてきたのだ」

「……この星の、外からやって来たというのか?」

 尋ねるドラセナの声が裏返った。

「そうだ」

 翡翠の竜は動じず、うなるようにいった。

「つまり、この星のものではないのだな?」

「逃れてきたのだ」

「なにから?」

「追うものたちから」

「追うものとは何者か?」

 大海原の嵐にゆすられる小舟のような翡翠の竜の背で、ドラセナは必死にバランスを保ちながら、たたみかけるように訊いた。


 無数の雷の柱が、立っては消え、消えてはまた新たな雲に立った。

「なぜこの星が選ばれた?」

 ドラセナはもう一度叫んだ。もはや雨が口に大量に入り込むことも気にならない。

「追われるものに、逃げる先をえらぶ余裕などありはせぬ」

 翡翠の竜は抑揚のない声でかえしてきた。

 辺りの雲が赤紫色を帯びはじめ、翡翠の竜の太さほどもある光の柱がドラセナの目と鼻の先で閃いた。

 翡翠の竜は声の調子を乱さずにつづける。

「この星で命をつなぐには、その乗りもの〝肉体〟が要る。宇宙の子らはこの星に落ちるとき、それをさがしたのだ。数百が我が同胞に落ちたが同胞の器は竜以外の一切を受けつけぬ。互いのエネルギーはぶつかり合い、結果、双方とも散った」

 ドラセナの胸に熱くどろどろとしたマグマのような想いが持ち上がり、息が苦しくなった。

「ち、散ったと……。それで散り、散り落ちた竜たちはどうなった?……救う手立ては?」

 ドラセナの唇が小刻みに震えていた。


 翡翠の竜は高度を落とし渦巻く雲海の下へともぐりながらいった。

「いまは光の雨も止んでいる。(きら)めきを救い上げることならできるやも」


 糸を引くようにねばる雲海の中を、翡翠の竜は再び進みゆく。

 雨に打たれ風にあおられたドラセナの身体は冷え切り、指先の血の気は失せて爪が白濁していた。少しでも熱を感じたくて身を竜の背にぴたりとくっつける。

 ――ウヌゼランに竜たちの欠片が……。救うことのできるものが。

 ドラセナは翡翠の竜の最後の言葉を何度も何度も頭の中に繰り返した。まるでその言葉だけが自らを救う淡い(ともしび)になるとでもいうように。





 ドラセナは消耗した身体を竜の背から降ろすことなくウヌゼランへ向かった。

 一刻も早く戻りたい。その想いが翡翠の竜へも伝わり双方は無言のまま西の空へと風を切った。

 ウヌゼランへ向かう途中、一頭、また一頭とドラセナの周りには竜が集まり始め、いつの間にか竜の一群が形成された。



 離れた処にいても互いの波動を感じ合うことのできる竜たちは無言で遊泳しながら仲間を集めることができる。雲しか動いていなかった空にいつのまにか竜の大群が現れているのを見て驚く天空人はいなかった。


 あのときとおなじ快晴の空と黒い大地。その境界線を築くウヌゼラン山脈の峰々が見えはじめた。


 ドラセナの気が急く。早く、早く煌めきを救わねば。


 遠目に見えていた山の稜線はあっと言う間に眼下に迫り、ひとつの線にみえていた稜線が、いくつもの尾根の重なりにわかれていった。


 翡翠の竜がドラセナへやわらなか声をかける。

「ドラセナ、地を浮遊している砂金のように煌めくものがぬしにも見えよう」

 翡翠の竜はドラセナに地上をよりよく見せようと頭部をわずかに低めた。竜の言うとおり黒々とした大地の上には無数の光の粒が煌めいて見えた。

「あれが我ら同胞の欠片だ」

 ドラセナは背筋に震えを覚えた。


 翡翠の竜が高度を落とすのにつづいて竜の一群が一斉に降下する。竜たちは地にほど近いところまで降り、そこに浮遊する煌めきを口に吸い上げていった。


「これらが練られ、腹の中で竜玉が創り出される。その竜玉はやがて次世代の竜の卵となるのだ」

 しずかに語られた言葉に一筋の涙がドラセナの頬をつたい落ちた。

 翡翠の竜の言葉は「この煌めきが竜の命の終わる姿であり、始まる前の姿である」と言っていたからである。


 たとえいつか、この煌めきたちが新しい命を芽吹かせることがあろうとも、ドラセナと繋がりをもった竜としての存在は終わったのだ。鮮明に浮き上がった現実にドラセナは溢れ出る涙を堪え切れなかった。滝のように流れ落ちる涙をぬぐいもせず竜の背に滴らせていたドラセナに、翡翠の竜が厳しい響きで語りかけた。


「ドラセナ、うぬらにはまだやらねばならぬことがある」

(――?)

 ドラセナはあわてて手の甲で頬をぬぐった。

「この星に逃げ延びた宇宙の子らのことだ。

 この星で生命となるには肉体がいるであろう。だが肉体を得るには時がかかる。あの光を大気の中に放っておいてはやがて消滅する」

 翡翠の竜はさいごのことばを言い終える前に一呼吸おいた。

「うぬらの技をもって救いたまえ」

 それは衝撃的な言葉だった。


 竜に仕事を与え、遣いとするのは天空に住まうものたちの特権。天空に住まうものは決して竜を軽んじはしない 。彼らの叡智と言葉に鉛以上の重みがあることもよく承知している。だが竜を遣うのは天空人であって、その逆ではないのだ。


 うぬらの技とは〈アイテールの器〉を創る技のこと、それは一族の秘技であり、この技の発動の是非は、ただ一人、天空一族の族長にのみ決定権がある。

「それは竜王がいったのか?」

 ドラセナは訊かずにはおれなかった。一介の竜遣いの小娘に追い切れる依頼ではない。


 翡翠の竜はしずかに「そうだ」と答えたきり、ほかの竜たちに混じって粛々と地表の煌めきを拾う作業に入り、ことばを閉じてしまった。


 ドラセナは翡翠の竜の岩のような口が開いて吸い上げる風とともに巻き上げられる煌めきを瞳に焼き付けるようにじっと見つめていた。その煌めきのひとつひとつが、かつて自分の率いていた竜の一頭、一頭であったことをおもうと虚しさを感じた。これまでそばにいた温かかったものが、わけもわからぬうちに、一瞬にして形を失ってしまうことの虚しさを。


 ――なぜ?


 納得できる理由を求めて問うのではない。ただ、失われてしまった存在に何故と問いかけずにはいられないのだ。そして、この問いは消化されることなく、竜の舞う虚空へと吸い込まれゆく。


 ドラセナは唇が自然と動くのを禁じ得なかった。

「承知した」

 〈アイテールの器〉創り、それが失われた竜たちのすべての長、竜王の望みならば。



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