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ドラセナの島

 蒼い空をじっとみつめていると吸い込まれそうだった。

 そうしていれば、いつか望みどおりにあの蒼い空に消えてしまえるのではないかとおもった。

 ――だけど手がとどかない。この小さな手では。


 切ないおもいに応えるかのように一頭の竜が瞳をのぞきこんできた。翡翠色のみごとな鱗をまとい、神殿のような神々しい光を瞳の奥にたたえて少女の心の中をのぞきこんでいる。「いっしょに来い」と誘っているかのようだった。


 少女は手をのばした。

 つれていって。わたしをその背に乗せていっしょにつれていって。

 少女は念じながら竜へ向かって手をさし伸ばしたが、途端にその手の先がゆらめいて竜の面影もうすれながら消えてしまった。


 ――いかないで、消えないで。

 もだえながら必死で声をだそうとするのに、空気ばかりがひゅーひゅーとのどを通りぬける。



 苦しさにもがく耳に、鳴り響く雷のような竜の咆哮(ほうこう)が聞こえ、ドラセナは我にかえった。ドラセナは微風に吹かれる晴天の空のもとにいた。


 ドラセナは一瞬、さきほどの閃光も夢だったのではないかと思った。が、視線をわずかに落とすと気を失ったままの小竜が翡翠の竜の前肢に抱えられているのが見えた。ドラセナの頭の奥に鈍痛がはしり視界がゆがんだ。


 やがて翡翠の竜の咆哮に応えるように、四方八方から幾頭もの竜たちが姿を現しはじめる。ドラセナの心がふっと緩んだのもつかの間、それはすぐに震えに変わった。

(無事だったのはこれだけか)

 ドラセナはを身をわなわなとふるわせながら、率いてきた半数もいない竜の仲間を見わたした。ほかに現れる竜がいるのではないかと身じろぎもせずに待ちつづけたが、穏やかな天空のしたに竜の姿が増えることはなかった。


 ドラセナは心臓をえぐられるような強い痛みを感じて崩れるように竜の背に突っ伏した。腹に力をいれて嗚咽が洩れるのを必死に(こら)える。

「ウヌゼランの様子が視えるか」

 ドラセナはつとめて冷静な声を絞りだし、翡翠の竜のもつ遠瞳(とおめ)を頼って訊いた。眼だけでものをみない竜は、焦点をさだめたさき、遠く離れた地に起こっていることを感じとることができる。

 しばらくすると腹の底に響くような声が返ってきた。

「まだつづいている」

 ドラセナは放心したようにぼーっと中空をみつめながら心の内につぶやいた。

(なんだったのだ。あれは?)

 いくら問うても頭に答えは浮かんでこない。何度か心に自問したあと、やっとドラセナは言葉にして吐き出した。

「あれは、なんだったのだ。あの光のつぶてはどこから降ってきた?」

「判然とせぬが、父ならば(あるい)はわかるやもしれんな」

 ドラセナは、はっ、となった。

(――竜王!)

 腹に鉛を呑み込こんだようにその言葉をかみ砕く。


 その名は聞くことがあっても見ることはないと思っていた。どこへいるのかも定かではない。理由をもつもののみが謁見の空へゆくことができる。


(これが、その竜王と交信するのに十分な理由だというのか)

 ドラセナは今さらながら事態の大きさに身の縮みあがる思いがした。


「その小竜は竜の巣へ、それからわたしをあの島へ降ろしておくれ」

 ドラセナが翡翠の竜へ短く命じると、すっと一頭の竜が翡翠の竜から小竜をくわえ受け、他の竜たちとともに竜の巣へ帰っていった。



 なめらかな飛行がドラセナを小さな孤島へおくり届ける。

 こんなところにぽつんと浮かんでいる小島があるなど、竜遣いであるドラセナ以外に知るものはいない。

 竜遣いたちは一族の中で「空の自由を手にするものたち」とも呼ばれている。一般の天空人は島間の移動さえ島渡しの竜遣いに頼まなければできないが、竜遣いたちは浮島の浮かばぬ虚空をも自由に泳ぐことができるからだ。


 ドラセナは勝手にこの島を自分の島だと思っていた。島の中央にひとつだけ大樹が天をつくようにそびえ、その根が島全体に張り巡らされている。土の上にに盛り上がった大きな根のひとつに空を見上げてくぼんだ洞があり、樹から涌き出るのか絶えずそこにはほんのりと甘い水が溜まり水鏡をつくりだしていた。


 ドラセナはすっきりしない頭でその水鏡をのぞきこんだ。

 ドラセナと同じ顔をした少女が水鏡の奥から神妙に外の世界をのぞき込んでいる。空と同じ色をした肌。燃える太陽のように輝く髪。豊かに波打つ橙色の髪は風にあおられ、乱れながら額にはりつき、はりついては風に遊ばれた。

 ドラセナは額に何度もかかる髪を両手で無造作に掻き揚げ、ぐっと鏡に顔を近づけた。

 竜とおなじ翡翠色の瞳。その瞳の奥に、見知らぬ恐怖の色が浮かんでいるのをみてドラセナは、はっと身をひいた。


(なにも怖れてなどいないはずだ)


 咄嗟に瞳の奥にみえた現実を否定したが、もう一度たしかめずにはいられなかった。ドラセナは水鏡の向こうにいる敵を見定めるように、ふたたび水面へと顔を近づけた。

 

 暗く渦巻く恐怖の闇。

 たしかにそれはみえた。

 

 ドラセナは気を落ち着けてその闇を静かに見つめ返す。

(わたしはなにも怖れてなどいない。怖れるものなど何もありはしないのだから)

 そっとささやきかけてみる。だが、なにも起こりはしなかった。

 ドラセナは次第にその闇に呑み込まれるような恐怖を抱きはじめた。水面から身をはなし、まるでその水面から魔物がでてくるとでもいうように歪んだ顔でひろがってゆく波紋をみつめた。


 だが、恐怖は水鏡の中にあるのではなくドラセナ自身の内側に存在するのだから逃れようもない。それはしだいに増幅し、ふいに凍りつくような戦慄がドラセナを襲った。

 もはや己が恐怖を内包していることを否定することはできなくなった。


(いつから……?)


 そう自身に問いかけながらドラセナは(おのの)いた。こんな獰猛な化け物のようなものをずっと心の内に飼っていたのかとおもうと恐ろしくてならない。恐怖の対象となるものがはっきりしない、そのことがさらに不安を掻きたてた。


 ドラセナは水を両手いっぱいに汲んで額へ浴びせかけた。

「もどれ、いつものわたしに戻るんだ」

 ドラセナは倒れ込むように身を土の上へ投げ出すと、すがるような瞳つきで空を見上げた。


 あの蒼がいつも心の友だった。そう。独りぼっちだった幼いころから。淋しいときも悲しいときもやるせないときも、蒼い空を見つめては自分を慰めてきた。抜けるような蒼い空に吸い込まれそうになりながらドラセナはまぶたをとじた。


 空に浮かぶ大地は太陽の熱を帯びて温かい。ドラセナの体温と混ざり合って境界が曖昧になってゆく。背中から、巨木の根と交じるように地中へと意識が延びていった。意識の根は島を彩るすべての植物たちの根と絡み合ってさらに島の芯部へと延びていった。

 島のエネルギーがドラセナの血肉へながれ込む。消耗した細胞がいやされてゆく。淡く香る草木、風の声、そのなかへすべての不安が溶けていくように、(たかぶ)った神経は次第しだいに鎮まっていった。



 ドラセナはゆっくりと瞳を開けた。

 高い空の上を悠々と泳ぐ翡翠の竜が見えた。ドラセナはすっくと立ち上がると身体についた細かな葉屑(はくず)や土をはらい落とし、空に声をかけた。

「いこう」

 翡翠の竜は風のうえをすべりおりるように島の淵へ降りてくる。

 駆けていったドラセナがその背へひょいと飛び乗ると、翡翠の竜はふたたび、なめらかに蒼空へと舞い上がった。

〝竜王謁見の空〟へ向かうのだ。


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