5 トヨちゃんの過去
「うずめ、だいじょうぶか? ほら、背中をさすってやろう」
「う、うえっ……。ぎもぢわるぅ~」
アマテラス様の御殿の近くまで来て、乗り物酔いにたえられなくなったわたしは駕籠から下りたのだ。そして、グロッキー状態のわたしを猿田くんが介抱してくれていた。
か……駕籠があんなにも激しく揺れる乗り物だったなんて、知らなかったよ~!
う、うっぷ……。気持ち悪い……。
やばい、吐きそう……。
「おやおや……? あら、まぁ大変。うずめさん、どうなさったのですか?」
わたしが「ゲロ女神」というあだ名をつけられてしまうことを覚悟しかけた時、耳をくすぐるように優しくてほわわ~んとした声が聞こえてきた。
この声は……。
「トヨちゃん! 久しぶ……おええっ」
わたしは少し顔を上げてあいさつをしようとしたけれど、また気持ち悪くなってきて、口を両手でおさえた。
「の……乗り物酔いしちゃって……」
猿田くんに背中をさすってもらいながらわたしがそう言うと、トヨちゃんは「それはお気の毒に……」と心配そうな顔をしながら近づいて来た。
トヨちゃん。
本名は、トヨウケビメ(豊受大神または豊宇気毘売神)。アマテラス様とともに伊勢にまつられている衣食住の女神様で、とっても世話焼きで心優しい高天原の癒しキャラだ。
今日も紅花染めの和服に白のエプロンを着ていて、肩には水色の衣をマフラーみたいにかけている。この衣が昔話に出てくる天の羽衣みたいなアイテムで、トヨちゃんはいつもぷかぷか浮いているの。
「乗り物酔いなら、わたしが良い物を持っていますわ」
トヨちゃんは、わきに抱えていた空のカゴを地面に置くと、着物の懐から小さなビンを取り出した。
「うずめさん、どうぞ。梅干しです。乗り物酔いには、梅干しが効くそうですよ」
さすがは食物の神様(?)。いつも、梅干しなんて持ち歩いているらしい。
「そ、それって、乗り物に乗る前に食べたら酔い止めになるっていう話じゃ……」
「乗る前に効くのなら、酔っちゃった後にもきっと効きますわ」
「そうかなぁ~? ……でも、ありがたくいただくね。……ごくっ……。す……す……すっぱぁぁぁーーーっ!!!」
わたしは、梅干しのすっぱさに身もだえし、口をすぼめた。
な、何じゃ、こりゃぁ~!
すっぱすぎて天国に昇天しそうだよ!(すでにここが天国みたいな場所だけれど!)
これ、トヨちゃんの手作り!? 市販の梅干しの五倍はすっぱいよっ!!
「トヨウケビメ殿。妻がお手数をおかけして申し訳ない。……どうだ、うずめ? 少しは気分は良くなったか?」
「……う~ん……すっぱぁ……。……あれれ? 何だか胃のあたりがスッキリしてきたわ! トヨちゃん、ありがとう!」
「それは良かったですわ」
トヨちゃんは、口もとに指を上品に当てて、ウフフと柔和な笑みをもらした。
ほわぁ~。いつ会っても、この女神様には癒されるなぁ~。
「さあ、久しぶりにアマテラス様のご尊顔を拝し奉りますか!」
元気を取り戻したわたしは立ち上がり、えいえいおーと拳を振り上げた。
「お二人は、アマテラス様の御殿がどちらにあるのかご存知なのですか?」
「この当たりにあるとは聞いていたが……。オレは黄泉の国に長い間いて、すっかり様変わりした高天原の都の地理に詳しくないのです。うずめも記憶喪失だし……」
導きの神のくせして神様の都では自分が迷子になってしまう猿田くんがそう言い、「うう~む……」とうなった。
「それでは、わたしがご案内いたしましょう。お二人とも、どうぞこちらへ」
カゴを持ってどこかへ出かけるはずだったと思われるトヨちゃんは、親切にもいま来た道を引き返して、わたしたちをアマテラス様の御殿まで道案内してくれるのであった。
☆ ☆ ☆
「こ、これがアマテラス様の御殿なの?」
「そうですよ、うずめさん」
ついにアマテラス様の御殿に到着し、わたしは「ほわぁ~」と感嘆していた。
「日本で一番偉い女神様のお屋敷なら、もっとドデーンと豪華絢爛なお城みたいな感じなのかなぁ~って思っていたけれど、神社そっくりなんだね。鳥居とかあるし」
「アマテラス様は生活環境が変わると落ち着かず、眠れないタイプのお方ですから、敷地内の建物も自分がまつられている伊勢神宮の建築物に似せているのです。特にアマテラス様の寝室兼執務室がある正殿は唯一神明造でつくられていますわ」
「唯一神明造?」
わたしが首を傾げると、猿田くんがコホンと咳ばらいをして説明してくれた。
「伊勢神宮の内宮(アマテラス様の神社)と外宮(トヨちゃんの神社)にのみ用いられる、古来より伝わる建築様式だ。つまり、アマテラス様と外宮にまつられているトヨウケビメ殿だけに許された特権なのだ」
「ウフフ。そんなことを言われると、照れてしまいます」
トヨウケビメ様がちょっと恥ずかしそうに笑った。
そう、トヨちゃんは、伊勢の内宮でおまつりされているアマテラス様とともに、伊勢の外宮でまつられているのだ。だから、アマテラス様にとって最も身近な神様と言っていい。
「でも、トヨちゃんは、なんで日本一偉い女神様と一緒におまつりされることになったの?」
わたしが素朴な疑問を抱いてそう聞くと、トヨちゃんは昔を懐かしむように目を細めて、アマテラス様と同じ地にまつられることになったいきさつを教えてくれた。
「雄略天皇というなかなか武闘派な天皇が地上を支配していた時代、伊勢にまつられていたアマテラス様が天皇の夢にある日あらわれたのです。そして、アマテラス様は、『わたし一人ぼっちはさびしいのぉ~! 丹波(現在の兵庫県東部)にトヨウケビメっていう子がいるらしいから、伊勢に連れてきて私の近くでまつってよぉ~! おねが~い! うええぇ~ん!』と天皇にお告げしたそうです。それで、雄略天皇はわたしを見つけ出して、内宮から近い伊勢の度会という場所にお迎えしてくれたのです」
……それって、お告げか……? ただ単に駄々をこねていただけじゃ……。
でも、環境が変わると眠れなかったり、一人は嫌だと友人を求めたり……。日本の最高神といっても、アマテラス様にはそういう弱くて、普通の女の子っぽく、可愛らしい部分があるのよね。そういうところが好感が持てて、八百万の神々に愛されているんだろうなぁ~。
「私はアマテラス様に心から感謝しています。あの頃、天女だった私は水浴びをしていた隙に天の羽衣を意地悪な老夫婦に奪われて、天へと帰る手段を失っていたのです。仕方がなく、私はその老夫婦と十年ほど共に暮らしましたが、突然家を追い出されてしまい、裸同然のかっこうで丹波の地をあちこちさ迷っていたのです。そんな時に、アマテラス様が救いの手を差し伸べてくださって、私は食物神として外宮にまつられることになりました。この羽衣もアマテラス様が私のために新たにつくってくださったとても大切な宝物……。だから、私はアマテラス様のために今日も美味しいご飯をつくるのです」
トヨちゃんはそう語ると、「そうだ! 今夜のパーティーのごちそうには、アマテラス様の好きなアレとアレとアレをお出ししましょう!」などと、食事のメニューをあれこれ真剣に考え始めるのであった。
(トヨちゃんは本当に天女だったんだぁ。でも、だれかのためにこんなにも一生懸命になれるなんて、本当に愛情深い神様なんだなぁ。わたしも、トヨちゃんみたいな優しい神様になれるかな?)
わたしは、本当の姉妹みたいにおたがいを思いやり合っているアマテラス様とトヨちゃんの絆がとってもうらやましく感じ、そして、お姉ちゃんのために毎日神社でお祈りをしていた将太くんのことも思い出して、
(わたしにも、男でも女でもいいから、きょうだいがいたらなぁ~)
なんて、思ってしまうのだった。
そうだねぇ、やっぱり兄弟姉妹みたいにおたがいを想い合える関係って素晴らしいよ。アマテラス様も、トヨちゃんと姉妹同然に仲良くしているように、血のつながったスサノオ様とも仲直りして、ずっと離ればなれになっていた弟のことを可愛がってあげたくなったのかもね。
☆ ☆ ☆
鳥居を何度もくぐり、大小の橋をいくつも渡って、わたしたちはようやくアマテラス様の正殿へと続く屋根付きの回廊にたどりついた。
トヨちゃんの説明によると、アマテラス様の御殿は伊勢の内宮に似せてはいるけれど、その規模は三倍ほど大きく(東京ドーム六十個分)、セキュリティー対策はバッチリでいたるところにカメラやセンサーがあるそうだ。もし不審者が侵入しても、センサーがすぐに感知し、警備の神様や神使の動物たちが飛んで来て一網打尽らしい。
神様の都に不審者なんているのかなぁ。アマテラス様って、けっこう心配性?
「では、わたしは味噌汁の具に使う高天原メチャウマキノコを採集しに行きますので、これにて失礼いたしますわ」
高天原メチャウマキノコ……。変な名前のキノコね……。
「日が暮れかけているのに、キノコ採りなんてやめておいたら?」
「ご心配にはおよびませんわ、うずめさん。私には天の羽衣がありますので、高天原メチャウマキノコがたくさん生えている場所までひとっ飛びです」
「ああ、そっか。でも、どこに生えているのか知らないけれど、気をつけて行って来てね? トヨちゃんにもしものことがあったら、アマテラス様、また天岩戸に引きこもるかもよ?」
アマテラス様が天岩戸に引きこもることはもうできないことを知ったうえで、わたしが冗談めかしてそう言うと、トヨちゃんもウフフとほほ笑んだ。
「はい。分かりました。では、後ほどパーティーの席でお会いいたしましょう」
そう言うと、トヨちゃんはカゴをわきに抱え、ぷかぷか低空飛行しながら行ってしまった。
相変わらず、だれかのために働くのが大好きな世話焼きの女神様である。
<雑談コーナー:うずめ×トヨちゃん>
うずめ
「高天原メチャウマキノコって、美味しいの?」
トヨちゃん
「はい、マツタケに負けないぐらい美味しいですよ。ただ、人が近づくと、足を生やして逃げ出すので採集がちょっと難しいですが」
うずめ
「え? 足……!?」
トヨちゃん
「うずめさんも、今度一緒に高天原メチャウマキノコの採集に行きませんか? 追いかけっこしているみたいで、楽しいですよ?」
うずめ
「(何かちょっと気持ち悪いな……)え、遠慮しておきます……」




