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蝉時雨  作者: 千早 朔
4/5

四日目

どうやら俺の神経は、思っていたよりも随分と図太かったらしい。


布団を頭まで被って、こっそり泣いて。

眠気など微塵も感じない身体に、きっと朝までこうして言い得のない虚無感に耐え続けていくのだと、そう思っていたのに。

いつの間にかブラックアウトしていた思考にが再び浮上したのは、鳴り響く蝉達の声に重たい目蓋を開けた時だった。



……そういえば、"蝉時雨"って、早朝と夕方だったな。



窓から差し込む、弱くも目に痛い光。

逃れられない時の流れが、容赦なく最後の日を告げる。



「……いま、行っても、いないだろうなぁ」



確認した時計の針が示す時刻は6時前。

家の中の静けさ同様、あの人だってまだ布団の中だろう。



「……バカだな、俺」



自嘲気味に鼻で笑って、コロリと寝返りをうつ。

昨日、きちんと別れを告げて来たのに、どうしてこうも"また"と心が騒ぎ立ててしまうのだろう。


冴えた脳で二度寝が出来る筈もなく、ただ息を潜めやり過ごして迎えた家族の起床後は、例年通りバタバタと忙しない。

近所の爺ちゃん婆ちゃん達へ挨拶に回っては、また来年も待ってるからねと振られる手に曖昧に笑んで頭を下げる。


チラリ、と。

捉えたいつもより遠い小山は相変わらず立派な木々が時折枝を揺らしている。

隙間から見える青い屋根。

あの人は今、あの家の内だろうか。それとも。



「ほら! これも持っていきな!」


「っと、ありがとうございます」



ボンヤリとした思考は唐突な腕の重みで引き戻され、頭を下げる家族と一緒に次の家へと歩を進める。

巡回が全て終了する頃には、引いた自転車の籠いっぱいの特産品の山。


帰って暫くの食卓は豪華だ。


野菜が盛り沢山の食卓を思い浮かべ誤魔化すように平穏を装うが、つい歩く速度が早まる。



「はい、お疲れさま! 荷物は車に積めちゃって!」


「うん。……あのさっ!」



帰宅して一番最初の俺の仕事。

力仕事は任せた、と家へ上がる母さんを呼び止める。



「出発まで、どれくらい時間ある?」


「え? えーと、まぁ30分後には出たいわね」



頷いた俺を特に気に留めることなく消えていった背。

出発まで、"あと"30分ある。



「っ、」



大急ぎで大根やらジャガイモやらをトランクに詰め込み、無造作に靴を脱ぎ捨てると自室用にと割り当てられた和室へ駆け込む。

いつもは直前に荷物を纏めるが、今回は昨夜の内にやっておいて良かった。



「母さん! ちょっと出てくる!!」


「は!? ちょっと、」


「時間までには戻ってくるから! 荷物は全部積んである!!」



焦りを含んだ声が制止する前に身ひとつで飛び出して、目指す場所は言うまでもない。

今日は、あの屋根の下から見送ると言っていた。

居ない可能性の方が高いなんて、百も承知だ。


それでも、ほんの僅かな希望に賭けて、全速力で風をきる。



……仮にあの場に居たとして、俺は一体どうしたいんだ。



口を大きく開けて、繰り返す荒い息。

高ぶる心臓と熱くなる身体とは反対に、語りかけてくる冷えた思考。



……答え、なんて。



"どうしたい"のか、なんて、"俺"にだって分からない。

ただ、胸の内から心が強く叫ぶのだ。



"彼に、どうかもう一度"



「っ、しんど、」



周囲よりも草の沈んだ坂。

休息を求める重い足を無理やり動かし、休むことなく登りゆく。


少しでも多くの酸素をと大口を開ける様は非常に滑稽だと思うし、水分を含んだティーシャツだって背中に張り付いている。

それでも。

頬を滑り落ちていく大粒の汗も拭うことなく、ただひたすらその場所を目掛けて。



「つ、いた……っ!」



ゼェハァと息を切らしながら辿りついたいつもの空虚に安心した身体。

両膝に付いた掌で崩れそうな上半身を支え、グッと顔を上げ辺りを見渡す。


目に入るのは背丈のある草達に、影を落とす木々。

耳に届くのは変わらず片割れを待つ様々な蝉達の哀愁の歌。


求めたものは、何一つ。



「……だ、よな、」



分かりきっていた事だ。

約束もなく、"来ない"と告げて、会った事のない時間に。


簡単な事なのに、どうして夢見てしまったのか。



「、戻らないと、」



転がりそうになる身体をふらつく足で必死に踏ん張り、停止した思考に呼びかける。

身勝手な感傷に浸っている場合じゃない。


本当に、さよならだ。



「どう、して……っ!?」


「!?」



喧騒の中を切り分けた澄んだ声。

勢い良く上げた視線の先には、息を切らしたその人。



「な、んで」



聞かれていたのは自分の方なのに、信じられない光景に絞り出たのは嬉しさよりも同じ疑問。


今日は、来ないんじゃ。


続けたかった言葉は音になる事はなく、感じた衝撃に飲み込む。

遮られた風と、背中に回された温かさ。


数秒かかってやっと、抱きしめられているのだと。



「っ!? あの、汗つく、」


「もう、来ないと思ってた」


「、」



力を込められた腕は俺の弱々しい拒絶なんて物ともせず、掠れた声が感情の全てを奪い取る。



「会いたかった」



たった、一言。

それだけなのに、その言葉は心臓を強く強く揺さぶる。


だって。



「……俺も、」


「、」


「俺も、会いたかったんです」



ああ、ダメだ。



「……会えて、よかった」



不安、期待、安堵、葛藤。

押し込めていた様々な感情がぐちゃぐちゃに絡み合って、目の奥から溢れ出してくる。

異変に気がついたその人は身体を少し離して俺の顔を覗き込み、納得したように苦笑を零す。



「……泣かないで」


「、すみませっ、」




困らせたい訳じゃないのに。


止めようとすればする程、次々と流れ出る雫。

そっと目尻を拭ってくれる優しい指先も、助長する要因の一つだ。



「……こんなに辛い別れは初めてだよ」



片腕は俺の腰に回したまま、もう片方の掌がそっと頬を包み込む。

彼独特の、少し低い体温。

それでも見上げた俺を見つめる瞳は、焼けるように熱い。



「……もう、行かないとだね」


「っ、」



スリ、と小さく頬を撫で、振り切るようにキツく目蓋を閉じたその人が身体を離して半歩下がる。

昼の高い日差しから生まれた影がザワザワと揺れて、立ち竦んだままの俺達を急かす。



「……さようなら」



軽く頭を撫でて、その人は俺の方へ手を添えクルリと向きを変えてくれる。

そっと離れた重み。


ああ、コレで本当に。



「さようなら」



軽く振り向いて作った笑顔に、返されたその人の笑顔。

今まで見たどれよりも温かい表情をしっかりと目に焼き付ける。


キツく拳を握りしめ、しっかりと一歩を。

この獣道も数日で無くなってしまうだろう。



「一つだけ!」


「っ!?」



響いた声に、振り返る。


いつもは見送る木々だけだった其処に、見下ろすその人の姿。

強く強く、眉を寄せて。



「スケッチブック、送るから! キミに持っていて欲しい!」


「っ、」


「全部、描いたら! 絶対に送るから……!」



少しだけ紅潮した頬で必死に声を張り上げて。

こんな顔も出来るんだ、なんて場違いな感心を胸に秘めて、俺は大きく頷く。



「俺も、一個だけ!」



枝の隙間から漏れた日差しが、目に痛い。



「……名前は!?」



スルリと出てきた問いに、その人は一度目を見開いて。

それから口端で小さく笑って。



「ひぐらし」



この時の俺は何一つ疑問などなく、ただ純粋に頷いて手を振り駈け出した。

"スケッチブックを送ってくれる"という約束された繋がりと、初めて教えてもらった"彼"そのものに高ぶっていたのだ。



"ひぐらし"。……ひぐらしさんって言うのか。



頭の中で繰り返して、大切なその人の名を忘れないよう刻みこむ。


最後の最後で、本当に"近づけた"。


そう、信じこんでいた。



「あ! 帰ってきた!! 携帯も持たないで何処行ってたの!?」


「ごめんごめん、でも間に合っただろ?」


「ギリギリね! おとーさん! 行くわよ!!」



急かす手に苦笑しつつ婆ちゃんに「また来年」と告げて、俺は後部座席へ。

所狭しと積まれた土産物が崩れないよう、しっかりと見張らないと。


走りだした車。

婆ちゃんに手を振って、閉じかけた窓。

静かに見下ろす青い屋根に、手を止める。



「……」



あの人は約束通り、見送ってくれているのだろうか。

あの時の"ひぐらしさん"の言葉通り、屋根より下は木々に埋もれてしまっていて結果は俺にはわからない。


けれど、きっと。



こっそりと手を振り、唇だけで別れを告げる。


「見えないね」と苦笑するその人を、薄く聞こえる蝉達の中に思い浮かべながら。



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