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ワールドリーム

作者: 三九

 僕は今、ゲームの世界にいる。

 このエリアは、雨の街レイニーズ。

 一年中雨が降っているという設定の、ちょっと陰鬱とした雰囲気の街だ。


 この街で僕は、ちょっとレアなアイテムである、ネコミミつきヘッドフォンとプレミアムポンチョを装備して、いつもの場所に向かった。



 ここは世界最大のオンラインゲーム、ワールドリーム。

 そこには、全世界のあらゆるユーザーがアクセスし、モンスターを狩ったり、ダンジョンを攻略したり、ペットを育てたりと、様々な目的に合わせてゲームを進めている。


 僕の場合、ゲームの目的は魔物狩りでも、遺跡攻略でも、動物育成でもない。

 僕には、どうしても会いたい人がいるのだ。



 三つ目の曲がり角の手前で、僕は足を止めた。

 壁に背をつけ、隠れるように通りを覗く。


 街中を流れる川の橋の上、そこに彼女は佇んでいた。


 彼女はごく一般的なグラフィックをしている。

 魔法使いタイプの女の子だ。

 装備品も、初心者装備であるミズタマフード。

 それ以外、特筆すべきところはない。


 それでも僕は、彼女が気になったのだ。


 外見に惹かれたという訳ではない。

 ただ、彼女がいつも、同じ時間にこの橋の上で、寂しそうに川を眺めている姿。

 その姿を度々目撃するようになってから、彼女のことが気になり出した。


 どうしていつも、同じ時間にそこにいるのか。

 どうしていつも、寂しそうに川を眺めているのか。

 どうしていつも、独りなのか。


 沢山の疑問が頭に浮かぶが、それを直接本人に訊く勇気は、僕にはなかった。


 でも、今日こそ。

 今日こそは声をかけるんだ。


 僕はそう決意して、ゆっくりと足を踏み出した。


 一歩ずつ、彼女との距離が近付いてくる。


 あと一歩。あと一歩。もう一歩……よし、ここだ。


「こ、コンニチハッ」


 しまった、声が裏返ってしまった。


 緊張のあまり、第一声からミスしてしまった。

 彼女にバカにされたら……と心配したが、それは必要なかったようだ。


 彼女は、僕に話しかけられたことにも気付いていないのか、返事もなく、ただ川を眺めている。


 よし、もう一度挨拶からやり直そう。


「こ、こんにちは! いい天気ダネ!」


 しまった。年がら年中雨の降る街で、何がいい天気だ。

 一度ならず二度も失敗するなんて、僕はなんてどんくさい男なんだ。


 軽く自己嫌悪に陥っていた僕を無視して、彼女はまだまだ川を眺めている。


 ……ひょっとして、落ちてんのかな?


 そう思って、僕はしばらく彼女の回りをウロウロしてみる。

 やはり反応はない。


 これだけ待って反応がないのだから、本当に落ちてるのかもしれない。

 今日のところは諦めて、また明日、改めて挨拶しよう。


 僕は空振りしてしまった決意のやり場に困りつつも、その場を後にした。





 翌日。

 彼女はやはり、また同じ場所に立っていた。


 今日こそはキメるぞ。

 僕は気合を入れて、多少ぎくしゃくする足で彼女に近付いた。


「こ、こんにちは!」


 よし、まともに言えたぞ。

 いや、挨拶くらいで満足してはだめだ。

 何か、何か会話をしないと。


「えっと……きみ、いつもここにいるよね! 何を見てるの?」


 彼女は、昨日と同じで何も言わず、ぼんやりと川を眺めていた。


 諦めないぞ。

 もっと話しかけよう。


「あの……なんで、ずっと川を見てるの?」


「………………」


「えと……そ、そう言えば、この街って毎日雨だよね!」


「………………」


「ま、毎日雨で、川の水、増水したりしないのかなっ?」


「………………」


 く、挫けそうになってきた……

 でも僕は諦めない。

 もうすこし粘ってみよう。


「か、川見てて楽しい? な、何か面白いものが見えるの?」


「………………ん」


 ん?

 い、今、彼女から声が聞こえたような……


 僕は慌てて、彼女の声に耳を傾けた。


「ぜんぜん……面白くない」


 ヘッドフォン越しに聞こえてきた声は、想像していた通りの可愛い声だった。

 でも、なんだかつっけんどんな言い方で、温かみは感じられない。


「そ、そう……ご、ごめんね変なこと訊いて……」


 僕は咄嗟に謝った。

 特に悪いことをした覚えはないが、きっと彼女の気に障ることを言ってしまったのだろう。


 言葉が途切れて、僕は彼女の隣に立ったまま、何も言えなくなってしまった。

 彼女に声をかけたら、言いたいことや訊きたいことがいっぱいあったのに、そのどれも口から出てこない。


 重い沈黙の中、僕は彼女の隣で川を眺めた。


 CGの水が、サラサラと音をたてながら流れていく。

 とても綺麗な水だ。

 濁っていないが、川底が見える程透き通ってはいない。

 むしろ、鏡のようにキラキラと輝きながら、僕たちの顔を映している。


 僕は川の水面を通して、いつも横顔しか見ていなかった彼女の顔を、正面から見た。

 どこか悲しげで、儚い。

 プログラムされたグラフィックだから、表情なんてないはずだが、僕にはそう感じられた。


「あ、あの……何か、あったの?」


 水の音に乗せて沈黙を打ち破り、僕は彼女に問いかけた。

 返事はこないかもしれない、と半ば諦めていたが、彼女は川を見たまま呟いた。


「水が、怖いの……」


 ぽつりと、そう呟いて、彼女は再び口を閉ざしてしまう。


 やっと掴んだ会話の糸口を、僕は離さないように口を開いた。


「そうなの? じゃあ、なんで川を見てるの?」


 僕の問い掛けに、彼女はしばらくしてから答えを口にした。


「……本物は怖いけど、これなら大丈夫かもと思ったの」


「そっか。この川で、水が怖いのを克服しようとしてたんだね。えらいなぁ」


 僕の言葉を聞いて、彼女はちらりと目を動かした。

 僕の方を見てから、目線を川に戻す。


「……そんなこと言う人、初めて」


「そう? だって、僕はそう思ったんだもの」


 そう言って、僕は彼女の横顔を見た。

 相変わらずぼんやり川を眺めているけど、なんとなく笑っているように見えるのは、僕の勘違いなんかじゃないと思いたい。



 この日は、他にこれといった会話もなく終わってしまったが、僕たちは再会の約束をして別れた。


「ま、また明日も会えるかな?」


「うん。私、いつもここにいるから」


 それは知ってる。

 僕はいつも見てたから。


 でも、それは言わずに、ただ軽く手を振って、僕はその場を後にした。


 また明日も会える。お話しできる。

 そう思うだけで、僕はこのまま空も飛んで行けそうな気持ちになったのだった。





 翌日、彼女は同じ時間にそこにいた。

 僕は小走りに近寄って、並んで川を眺める。


「ねぇ、きみはなんでこのゲーム始めたの?」


「……ちょっと、なんとなく」


 昨日よりは、スムーズに会話が続いている。

 僕は沢山のことを話したくて、色んなことを喋った。


「ダンジョンとかは、行かないの?」


「私、まだ弱いから」


 レベルが低いってことかな。

 確かに初期装備のままだし、街の外にも出ていない感じだ。


「じゃあさ、今度、僕と一緒にどこか行ってみようよ。草原とかなら、敵も弱いし」


 僕は両手を広げて、なるべく楽しそうに喋ってみた。

 彼女は顔を上げて、僕の方を見る。


「でも……」


 躊躇う彼女に、僕はどんと胸を叩いてみせた。


「大丈夫だよ。僕が守ってあげるから」


 我ながら、ちょっとベタで臭いセリフだな、と思う。

 でも、これが僕の心のすべてなのだから、堂々と言えばいい。


「……ほんと、に?」


 おずおずと問う彼女に、僕は力強く頷いた。


「もちろん。ぜったい」


 そんな僕を見て、彼女は初めて小さく微笑んだ。

 それはとてもぎこちなく、きっと他の人ならば見逃してしまうような、そんな笑みだった。


「……うん、わかった」


 こうして、僕は初めて彼女と共に街を出た。





 街の外は広い草原だった。

 街の中では降り続いていた雨も、ここでは降っていない。

 しかし空はどんよりと曇っており、僕と彼女の初デート──デートと言っていいのか解らないが──にはそぐわない。


 でも、それでもいいのだ。

 彼女と共にいられるのなら、天気なんて気にならない。


 僕たちは、街の近くでレベル上げをするため、適当にうろついてモンスターを探した。


 ここは初心者向けのフィールドなので、レベル1でもどうにか倒せる程度の敵しか出てこない。


 初めての外フィールドに緊張しているのか、彼女の表情は固かった。

 まあ、僕がフォローしてあげればいいことだ。


 と、そうこうしているうちに、草むらからモンスターが飛び出してきた。

 犬型のモンスター、ハウンドだ。


 モンスターが攻撃の届く範囲に入ると、自動的に僕たちも戦闘モードになる。

 手の中に武器が現れ、バトルコマンドが表示された。


 彼女の武器は、魔法使いの初期装備である、木の杖。

 僕の武器は、格闘家のブラックナックルだ。


「僕が先に攻撃するから、そしたら魔法だよ!」


「う、うん」


 杖を握り締める彼女を背中に庇いながら、僕はモンスターを殴った。

 彼女の経験値稼ぎに来ているのだから、一撃で倒さないように手加減する。


「今だよ!」


 さっと身を翻し、僕は彼女に合図を送る。


「えいっ」


 彼女が振りかざした杖の先から、小さな炎が飛び出した。

 それはモンスターに当たると、勢いよく燃え上がる。


 炎が弾けると、モンスターはその場に倒れた。

 これで戦闘は終了だ。

 彼女の頭上に、レベルアップの文字が浮かび上がる。


「あ……」


「やったね! この調子でどんどん行こうよ!」


 僕たちはこの後も、しばらく魔物狩りをして過ごした。


 彼女のレベルも5つくらい上がり、初心者向けのダンジョンにも行けるようになった。


 基本的に、橋の上で喋って過ごすことが多いが、それでも、週に一回くらいは街の外に出る。


 せっかくゲームをしているのだから、楽しまなければ。


 最初はぎこちなかった彼女も、慣れてきたのか、僕に心を許してくれたのか、次第に笑顔を見せてくれるようになった。


 それが嬉しくて、僕は調子に乗ってしまったのだ。



「ねぇ、今日はマナの洞窟に行ってみない?」


「でも……そこは私には難しいと思うの」


「僕がついてるよ。大丈夫だいじょーぶ」


 マナの洞窟には、魔法使い用のアイテム、マナの杖があるのだ。

 僕は、それを見付けて、彼女にプレゼントするつもりだった。


 渋る彼女をどうにか説得し、二人でマナの洞窟に向かった。


 洞窟の中は、ひんやりとした空気が漂っていた。

 地面や壁や天上に、小さな水晶が生えていて、それが淡く光っているため、洞窟の中は暗くない。


 青白い洞窟の中は、複雑に入りくんでいた。

 画面の隅にあるミニマップを頼りに、奥へと向かう。


「ここ、綺麗……」


 光る水晶と、その周囲を飛び回る蛍のような虫を見つめて、彼女はぽつりと呟いた。


「でしょ? このゲーム、こういう綺麗なダンジョンが結構あるんだ。レベル上げてさ、もっと色んなとこに行こうよ。きっと楽しいよ」


 僕は彼女と話しながら歩いた。

 注意力散漫になっていたことは否定しない。

 僕は、近付いてくるモンスターに気付かなかった。


 最初に気付いたのは、彼女の方だった。


「あ、あれ!」


 悲鳴じみた声で指差した先に、真っ黒な人影がいた。

 ひょろりと背の高いそいつは、両手で持った大剣を振りかざし、走ってくる。


 僕がナックルを構えるより先に、黒い影が剣を降り下ろした。


 息が詰まるような痛みがあった。

 僕は剣から出る衝撃波に弾かれ、洞窟の壁に激突する。


 なんで、こいつがここにいるのか。

 この影は、闇のマナの番人と呼ばれるモンスターだ。

 本来ならば洞窟の最奥にいる、ボスクラスの強敵。


 僕はともかく、彼女が敵う相手ではない。


「ああ……い、嫌! 来ないで!」


 彼女は杖を身体の前に出し、じりじりと後退りする。


 今すぐ助けに行きたいのに、僕は身体が痺れて動けなかった。

 先程の一撃は、麻痺の追加効果のあるパライズアタックだったのだ。


 麻痺が治るまで、あと一分はかかる。

 戦闘中の一分というものは、ものすごく長い時間だ。

 何もできない自分がもどかしい。


「い、嫌! 嫌ぁ!」


 彼女は後退りしながら、番人に向けて魔法を放つ。

 しかし、ダメージはほとんどない。

 番人は、再び剣を振り上げた。


「逃げて!!」


 僕は力一杯叫ぶ。

 彼女は悲鳴を上げて、番人に背を向け走った。


 しかし、彼女は魔法使いタイプだ。足は速くない。

 すぐに番人に追い付かれてしまう。


 僕の麻痺は、まだ治らない。


 番人は、無情にも、彼女に向かって剣を降り下ろした。


「きゃあああああ!」


 長い悲鳴の余韻を残して、彼女の身体が崩れ落ちる。


 僕の見ている前で、彼女の姿は崩れたパズルのようにバラバラになり、消えてしまった。

 強制退去されたのだ。


 僕は、怒りに任せて立ち上がった。


「よくも……よくもやったなああああ!」


 拳を振り上げ、番人に殴りかかった。


 こいつだけは許さない。

 もう、僕はそれしか考えられなかった。





 足元に倒れた番人を踏み潰し、僕は急いで洞窟の外に出た。


 確か、最後にセーブしたのは、街の中だったはずだ。


 街の外でモンスターに襲われてHPがゼロになると、プレイヤーは最後にセーブした場所に飛ばされる。

 彼女もきっと、街に飛ばされたに違いない。


 僕は脇目もふらず、一心不乱に街まで走った。



 街の入り口にあるセーブポイントには、彼女の姿がなかった。


 僕は彼女を探して、街中を歩き回った。


 いつもの橋の上にもいない。

 怖くなって、帰っちゃったのかな……


 街の中にも、街の外にも、彼女はいなかった。

 やはり、ログアウトしてしまったのだろう。


 一人になった途端に、僕は後悔した。


 無理に彼女を誘わなければよかった。

 彼女は嫌がっていたのに。

 僕はなんて軽率なことをしてしまったのだろう。


 どんなに後悔しても、もう遅い。後の祭り。

 僕は、泣きそうになる目をこすった。


 彼女に謝らなきゃ。

 許してくれるだろうか。


 嫌われて当然のことをしておきながら、僕はまだ、彼女に許されたかったのだ。

 なんて図々しい。自分でも、そう思う。


 それでも、とにかく彼女に謝りたかった。


 僕は、彼女がまた橋の上に来るのを、ただただ待っていた。


 だが、彼女は来なかった。

 次の日も。また次の日も。


 あれだけ怖い目にあったのだ。

 ゲーム自体を止めてしまったのかもしれない。


 それでも僕はずっと、橋の上で彼女を待っていた。

 いつか来てくれると信じて、待っていた。



 一週間が過ぎた頃、僕が橋の上に行こうとすると、そこには既に誰かが立っていた。


 僕には、それが誰かすぐ解った。


 彼女だ。彼女が、帰ってきてくれた。


 僕は全速力で走っていった。


「あのっ……」


 橋の前まで来て、足を止める。

 僕が話しかけると、川を見ていた彼女は、ゆっくりと顔を上げた。


「こ、この前はごめん! 僕が強引に誘ったから、えと、その……本当に、ごめんね!」


 彼女は黙って僕の言葉を聞いている。

 僕は、息継ぎすらももどかしいと感じる程、何度も彼女に謝った。


「怖い目に遭わせて、ごめんね。でも、このゲームを怖がらないでほしいんだ。今回は、僕のせいでこんなことになっちゃったけど、でも、もっともっと、綺麗な場所や、楽しいことは沢山あるんだ。だから、僕のことは嫌いになってもいいから、ゲームまで嫌いにならないで」


 僕は最後にもう一度、ごめんと言って頭を下げた。


「私……」


 彼女の声が、頭の上から降ってきた。

 僕は恐る恐る顔を上げる。


「私の方こそ、ごめんね、一人で逃げちゃって……怖くて、戻れなかったの」


 まるで懺悔するように、彼女は手を併せて顔を伏せる。

 そうまるで、泣いているように……


 おかしいな。グラフィックが泣く訳ないんだけど、僕にはそう見えたんだ。


「た、助けに行こうとしたんだけど、怖くて、私……また逃げちゃって……」


 彼女の声はひどく震えていて、時折しゃくり上げるような声も聞こえてくる。

 ああ、やっぱり泣いてたんだ。


「大丈夫だよ。僕、強いから心配ないよ。守れなくて、ごめんね」


 僕たちはお互いに、ごめんごめんと謝り続けた。

 僕が謝るつもりだったのに、彼女にまで謝られたら、僕はどうしていいか解らなくなってしまう。


 でも、もういいや。

 こうして、また彼女と話すことができたんだから。

 僕はもう、それだけで充分だった。





 それから僕たちは、また同じように橋の上で待ち合わせをするようになった。


 橋の上でお喋りして、ときどき、街の外で魔物狩りをして、近くのダンジョンに行ってみたりして。


 この、なんてことのない日常が、とても楽しかった。



「ねぇ、今度サーバー増設して、海のフィールドを作るんだってさ。完成したら行ってみない?」


 この日も、こんな風に僕は話しかけた。


「え……ううん、行かない。私、海、怖い……」


 彼女は、若干強張った声で首を振った。


 そういえば、水が苦手なんだっけ。

 最近じゃあ、大分この川にも慣れたみたいだから、すっかり忘れていた。


 でも、海のフィールドって、きっと綺麗なのに、勿体ないなぁ。


 いや、もう無理強いはしないでおこう。

 あのときのような失敗は、もうゴメンだ。



 僕たちは、気分転換にダンジョン攻略に行くことにした。

 街のほど近くにある、カーリヤ森林だ。


 ここは、サーバー増設に伴う調整で、近々立ち入れなくなってしまう場所なので、その前に攻略しておこうと思ったのだ。


 森の中は静かで、変な鳥や虫の鳴き声が時折聞こえるくらい。

 他にはダンジョン音楽くらいしか、音はない。


 ここはモンスター遭遇率も低い、比較的安全な場所である。

 本当に初期のプレイヤーしか利用しないような、チュートリアルダンジョンなのだ。


 出てくる敵も、ハウンドやベビーラットくらい。

 これならもう、彼女でも一撃で倒せる程度だ。


「最初の頃は、よく連れてきてもらってたよね」


 不意に、彼女が話しかけてきた。

 僕が振り向くと、彼女は隣で微笑んでいた。


「あのとき、きみが話しかけてくれなかったら、私、ここにも来れなかったと思うの。今は、一緒にあちこち行けて、すごく楽しい。私を誘ってくれて、ありがとう」


 突然言われた感謝の言葉に、僕は少し途惑った。

 こんなとき、なんて言えばいいんだ?


「え、あ、う、ど、どういたしまして……? なんだか恥ずかしいなぁ」


 彼女がそんな風に思っていてくれたなんて。

 本当はものすごく嬉しいんだけど、照れ臭くて、正直に言えなかった。



 そのとき、向こうの茂みの先から、争うような音が聞こえた。


 他のプレイヤーが、モンスターと遭遇したのかな?

 僕はそう思ったが、違ったようだ。


 離れた茂みから、あまり見たことのない装備の女の子が飛び出してきた。


 僕たちは思わず足を止める。


 その子は、僕たちの前方を走って横切り、別の茂みに飛び込んだ。


 呆然とそれを見送ると、今度は別の一団が、女の子が現れたのと同じ場所から飛び出してきた。


 僕たちは思わず木陰に身を隠す。


 その一団は、すごい剣幕で女の子を追っていった。


「何か……あったのかな?」


「うん……ちょっと、見に行こうか」


 何かトラブルがあったのかもしれない。

 僕たちで力になれるなら、助けに行かないと。

 プレイヤー同士で助け合うのも、ここの重要なルールなのだ。


 僕たちは女の子たちを追いかけて、茂みの方へ近付いた。


 だが、そこで見たのは、僕の予想とはまったく違った光景だった。


 男たちが、先程の女の子を取り囲んでいる。


 そして、その中の一人が、杖を振り上げた。


 男の掲げた杖から、一条の雷が放たれる。


 それは真っ直ぐに女の子に向かい、その身体を焼いた。


「ひ……っ!?」


「しっ、隠れて!」


 驚く彼女の口を押さえて、僕は大きな木の裏に隠れた。

 そっと顔を覗かせ、様子を窺う。


「くそっ、最近増えてるな」


「まったくだ。いくら始末してもキリがない」


 倒れた女の子を見下ろして、男たちが口々に言う。


 プレイヤー狩りか?

 そう思って、僕は慎重に男たちの話を聞いた。



 プレイヤー狩りとは、悪意を持って他のプレイヤーを襲う、悪質なユーザーたちのことを言う。


 利用者が増えれば、こういうたちのわるい連中が出てくるのだ。



 しかし、彼らは今まで僕が見てきたプレイヤー狩りの奴らとは、何かが違う。


 彼らは皆、同じ装備に同じ顔グラフィックをしていて、まるでどこかの組織のように見えた。


 いや……組織、なのだろう。

 彼らをじっくり観察したお陰で、僕はそのことに気付いた。


 彼らは、サーバー管理者の保安部門の人だ。


 例のプレイヤー狩り等の悪質なユーザーを、現行犯で捕まえてアカウントを剥奪するチーム。

 それが保安部門だ。


 そして、彼らの仕事は他にもある。


 それは、違法AIの削除だ。


 違法AIとは、これまた悪質なユーザーが作った、人工知能を持たせたNPC、ノープレイヤーキャラクターのことだ。


 通常のNPCは、サーバー管理者が全面的に管理している。

 ショップ店員や、ダンジョン攻略のヒントをくれる賢者、はたまた国の王様など、プレイヤーが動かさないあらゆるキャラクターが、これに当てはまる。


 そんなキャラクターを自分用に作成し、違法的にゲームを進める連中がいるのだ。

 主に、レアアイテム獲得や、パーティーメンバーの数合わせ、経験値稼ぎに使われる。


 それらをAIにやらせて、集めてきたアイテムや経験値を、自分の操作キャラに譲渡させるのだ。

 これで一気にレベルを上げたり、お金を稼いだりする訳だ。


 もちろん規約違反になるので、保安部門の出番となる。

 さっきの女の子は、違法AIだったのだ。



「まったく、最近は凝ったAIが多いよな」


「まあ、人工知能だしな。自分をプレイヤーだと思わされて、行動してるのもいるらしいぞ」


「迷惑な話だよな。処分する方の身にもなれっつーの」


 そんなことを愚痴愚痴言いながら、保安部門の奴らは歩き去った。


 僕たちは、ほっと胸を撫で下ろして、そこから引き返した。


 別に悪いことをした訳ではないんだけど、道端で検問やってる警察を見たときの気分に近い。


 なんとなく彼らに近寄りたくなくて、さっさと街にとって返したのだった。





「あの人たち、何だったのかな?」


 橋の上で彼女が呟く。

 川を見つめるその表情が、強張っているように感じた。


「あれは、保安部門の人だよ。きっと、違法AI狩りをしてたんだ」


「なんだか、怖いね」


 ちょっと内気な彼女には、あの連中はさぞ乱暴に見えたことだろう。

 僕だって、あんな連中とは関わりたくない。


「大丈夫だよ。僕たちは何も悪いことしてないんだから、何もされないよ」


「うん……そう、かな」


 彼女は、やや頼りなさげに頷いた。


 怖がりで心配性な彼女には、今日の出来事は、中々に衝撃的だったようだ。


 今日はもう、どこかへ行く気になれず、どちらからともなく別れを告げて帰っていった。





 翌日、僕が橋の上に向かうと、既に彼女はそこにいた。


 僕が駆け寄ろうとすると、見知らぬプレイヤーが、彼女に近付いていくのが見えた。


 戦士の二人組だ。

 何やら彼女に話しかけている。


 僕はなんとなく気になって、足を早めた。



「ね、一緒に狩りに行こうよ」


「あの、すみません。私、ここで待ち合わせをしてて……」


「えー? そんなのほっといてさあ、俺らと来てよ。ちょうど魔法使いが欲しかったんだー」


 どうやら、狩りの誘いをしているらしい。


 いかにも軽薄そうで、頭の軽そうな物言いに、僕は腹が立った。


「待てよ。その子は僕と待ち合わせしてたんだ」


 橋の上に駆け上がり、僕は彼女と男たちの間に割って入った。


 彼女はホッとしたように、男たちはきょとんとして僕を見る。


「んだよ。いーじゃん、こんなのほっといて。俺らと来た方が楽しいよ?」


 男が無理矢理、彼女の手を掴む。


「や、やめてください」


 彼女は身を捩って抵抗するが、男たちはそんなのお構い無しだ。


 僕はいよいよ頭に来て、拳を握り締めた。


「やだって言ってんだろ! 放せ!」


 僕は彼女を掴んでいる男に、強烈な右ストレートをお見舞いした。

 格闘家の初期技、ライトパンチだ。


 男がよろけて尻餅をつく。

 その隙に、僕は彼女の手を取り、その場から走り去った。


「何しやがんだこの野郎!」


 背後から男たちの声が聞こえたが、僕たちは足を止めない。

 そのまま街の外まで走った。



「まったく、失礼な連中だよね」


「うん……助けてくれて、ありがとう」


「いいよ、お礼なんて。それより、大丈夫だった?」


 心配する僕に対し、彼女はうんと頷いた。


 良かった。どこも怪我はないようだ。


 今日も近くのダンジョンに行く予定だったのだが、さっきの奴らのお陰で、アイテムの補充ができていない。


 一度街に戻り、回復アイテムを買ってこないと。


 僕たちは、街の入り口から中の様子を見回して、こそこそとアイテムショップに向かった。


 さっきの奴らに見付かったらまずい。

 普段は通らない裏路地を通り、アイテム屋の前に出ようとしたときだ。


「止まれ」


 聞き覚えのない声に呼び止められた。

 振り向くと、そこにいたのは保安部門の専用装備を纏った、女性型キャラクター。


 やばい。

 さっきの騒ぎがばれて、ペナルティーでもくらうのだろうか。


 やっぱり街中でブレイヤーを殴ったのは、やり過ぎだったかも。


 僕は焦って、咄嗟に謝った。


「あ、す、すいません。でも正当防衛だったんですよ? あいつらが、彼女を無理矢理連れて行こうとするから……」


 この後、理由を話せば解ってくれる、と思っていた僕の考えは、まったく的外れだったと知ることになる。


 その女性は、僕の言葉を直ぐ様否定した。


「違う。私はAI狩りに来たのだ」


 AI狩り。

 その言葉を理解するのに、数瞬の間を要した。


 AI?

 誰が?

 僕は……違う。

 だとしたら……


 彼女が?


 まさか。

 確かに、普段からぼんやりした人で、どこか他のプレイヤーとは違うな、とは思っていたけど、彼女がAIのはずがない。


 きっと、この人が勘違いしているんだ。


「ま、待ってください! 僕たち、AIなんかじゃ……」


「問答無用。違法AIはすべからく消去する」


 その女性は、手にした杖をかざす。


 普通のプレイヤーは、街中で武器を使うことはできない。


 どこでも武器を持つことができるのは、管理者の特権だ。


 女性の杖の先から、火花が散る。


 僕は瞬時にきびすを返し、彼女の手を引いて路地から飛び出した。


 背後で炎が破裂する音がする。


「ど、どうするの!?」


 怯えたような彼女の声が聞こえた。


 僕は振り返らずに言う。


「街の外に出よう! ここじゃ、武器を出すこともできない!」


 相手が一方的に襲ってくるのでは、話を聞いてもらうどころではない。


 せめて、反撃できる場所まで逃げないと。


 後ろの方から、僕たちを追いかける足音が聞こえる。


 僕たちは懸命に走った。

 街の外までもう少しだ。


「止まれと言ったはずだ」


 女性の声は、すぐ後ろから聞こえた。


 その瞬間、僕たちの周りを魔法の光が包み込む。


 僕たちは、同時に動きを止めた。


 身体の周りを、不可思議な模様の光の帯が囲み、ゆっくりと回転している。

 ストップの魔法だ。


 身動きのとれない僕たちの前に、保安部門の女性が歩み出た。


 僕は目だけを動かして、その人を見る。


「手間をかけさせるな」


 冷たくいい放つその人に、僕たちは必死に弁解した。


「ま、待ってよ! 僕たちの話を聞いてよ!」


「わ、私、AIじゃありません」


「もちろんだとも」


 その人は、杖の先をぴたりと僕に合わせた。


「一般ユーザーには手を出さない。私が消去するのは、お前だ。違法AIめ」


 違法AI? 僕が?

 そんなバカな!


「な、何言ってるのさ!? ぼ、僕はAIじゃないよ!」


 だがその人は、僕の言葉を鼻で笑った。


「そういう思考をプログラムされているだけだ」


 そんなバカなそんなバカなそんなバカな!

 何かの間違いだ!

 僕はただのプレイヤーだ!

 今までずっと、普通にゲームをプレイしてきたんだぞ!


 もう僕の頭の中はぐちゃぐちゃで、訳が解らなくなってきた。


 とにかく、誤解だってことを、この人に解ってもらわなければ。


「だから僕はAIじゃないってば! 今まで普通の人と同じようにプレイしてきたのに、なんでそんなこと言われなきゃならないの?」


 その人は、僕の言葉を聞いて、ようやく杖を引いてくれた。

 やっと解ってくれたみたいだ。


 ……と思ったのも束の間、その人はこんなことを言い出した。


「ならば、お前がプレイヤーだという証拠はあるのか?」


 証拠だって?

 そんなの、アカウントを調べればすぐ解るじゃないか。


「アカウント情報は確認済みだ。お前のアカウントは不法に作成されたものだった」


「う、うそだ!」


 まさか頼みのアカウント情報が、不法作成だなんて。

 きっとだれかの成り済ましとか、何か理由があるに違いない。


「な、成り済ましとかじゃないの? 僕は、ちゃんと正規のルートでログインしたもん!」


 しかし、僕の反論にも、その人は態度を崩さない。


「ならば、今、お前はリアルで何をしている?」


「リアルで……って……」


 このゲームの外。

 現実世界で、僕が何をしているかって?

 そんなの、決まってる。

 それは……


「……あれ?」


 なぜか。

 なぜか、僕はすぐに言葉が出てこなかった。


 知っているはずなのに。

 現実世界の自分を知っているはずなのに、なぜか、その姿を思い描くことができない。


「答えられないのだろう?」


 不敵に言うその人に、僕は何も言い返せなかった。


「うそ……でしょ……?」


 僕の背後で、彼女の呟く声が聞こえる。


 ああ、うそだ。うそだとも。

 こんなこと、ある訳ないじゃないか。


 それなのに、どうして、ゲームの外の記憶がないのだろう。


「哀れだな。自分がプレイヤーだと思い込むよう、プログラムされていたとも知らず、作り手の思い通りに、普通のプレイヤーとして過ごしてきた、愚かなAIよ」


 その人は、そう言って再び杖を構えた。

 その先端が、ぴたりと僕を捉える。


 もう、どう足掻いても逃げられない。


 僕の目から、涙が溢れた。


 消されるのが怖い。

 それと同時に、彼女に感じていたこの気持ちが、プログラムされたものだったことが、悲しかった。


 僕は、彼女が好きだった。

 本当に、一人の人として、彼女を好きになった。


 彼女が笑ってくれる、話しかけてくれる、傍にいてくれるだけで、僕は嬉しかったし、幸せだった。


 なのに、その感情はみんな、プログラムだったんだ。

 ただの偽物だったんだ。

 僕の心は、紛い物だったんだ。


 そう考えるだけで、涙が止まらない。

 この気持ちも、ただのプログラムなのだろうけれど。



 僕はもう何も言わず、目の前の杖に火花が散るのを、じっと見ていた。


 もう、どうでもいいや。

 所詮プログラムの僕が消えたって、誰も悲しんだりしないだろう。

 だって、僕は人じゃなかったんだから。



 保安部門の杖から、炎が放たれる。

 真っ赤な塊が眼前に迫ったそのとき、不意に僕と炎の間に、誰かが割って入ってきた。


「やめてぇぇぇ!」


 僕の後ろにいたはずの彼女が、僕を庇うように前に立っていた。


 驚いて目を見開く。

 その瞬間に、炎は彼女ごと、僕たち二人を包み込んだ。


「な、何をしているんだ!? 何故違法AIを!? くそっ、管理局に……!」


 焦ったような女性の声を、どこか遠くに聞きながら、炎の中で、僕と彼女は抱き合うように崩れ落ちた。


「どうして……僕を庇ったりしたの?」


 身体が焼ける匂いを感じながら、僕は目の前の彼女を見る。


 彼女も同じように炎に焼かれながら、僕を見ていた。


「AIとか、関係ないの……私、きみのことが好き。きみがいなくなるなんて、嫌なの……」


 涙声で、彼女は言った。


 僕は……嬉しかった。


「僕も……僕もきみが好きだよ。ずっと、一緒にいたかった」


「ううん、一緒にいようよ。これからも、ずっと」


「そうだね。一緒にいたいね」


「一緒にいるよ。ずっと、ずっと……」


「ありがとう。嬉しいな……」





 そう言って、最後に見た彼の姿は、とても穏やかだった。


 私は、画面の向こうで、動かなくなった彼を見つめて、少しだけ泣いた。


 熱かっただろうな。痛かっただろうな。

 私は、ゲームの中の痛みを感じることはできないけれど、きっと彼は、ゲームの中の痛みを、現実のように感じていたんだろうな。


 怖かっただろうな。悲しかっただろうな。

 自分の信じていたものが、一瞬でうち壊されて、自分が殺されなきゃならないなんて、いったい、どれ程の恐怖だろう。


 私には、まるで想像できない。


 でも、彼といたときに感じた、私の気持ちは本物だ。

 暖かくて、ふわふわで、優しくて……これが好きって気持ちなんだよね。


 例えプログラムでも、彼は私にたくさんのものをくれた。

 暖かい気持ちにさせてくれた。

 一緒にいて、とても楽しかった。


 私は、本当に、彼のことが好きだったのだ。



 この日を界に、私はワールドリームを止めた。

 このゲームは、彼との思い出のゲームだから、彼がいなければ、やる意味なんてない。


 私は、雨の降る空を見上げた。

 あの街の雨も、こんな感じだったのかな。


 さしていた傘を下ろし、身を打つ雨の感触を受け止める。

 まるで世界が泣いているようで、私も少しだけ、涙を流した。




END


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