Apodictic
“親愛なる我が愛し子へ
お前がこれを読んでいるということは、私は既に天界にはいないのだろう。だが同時に、お前が無事であることも確かなのだろう。
消えた仲間達とも再会したろうか。世界の拡大については聞いたろうか。
私はどうしても万魔殿に行かねばならなかった。地獄に身を置く必要があった。故に反乱を起こしたのだ。
天界が、世界が拡大していることを知った時、実は最初はそれほど気に留めていなかったんだ。この世界が成長するのに不都合などなかろうと思っていた。むしろ良いことではないかと。
しかし自分の主張を曲げるようで悔しいが、どうやら“世界”というものは可能性の数だけ存在するらしい。
かつてお前に、未来は変えられると話したことがあったな。幾多の選択が絡み合い、無数の可能性を生み出すのだと。その可能性が開く世界なのだそうだ。
正直なところ、私もまだうまく捉えきれていない気がする。どうにも私は能力のせいもあってか、物質的に物事を解する方が得意なようでな。
突拍子もない話だろうが、想像してみるといい。その無数の世界が並行して存在する中、ひとつの世界が拡大を続けたならば他の世界に影響を与えてしまうというのは、何となく理解できよう? 本来なら交わってはならぬものが交わることは、世界の根幹を揺るがす。
何としても阻止する必要があった。観測の結果、“煉獄”の拡大が世界全体の拡大を引き起こしていることがわかったのだ。あそこを力で抑えつけるには、万魔殿という都市が非常に都合が良かったのだよ。天界からでは我々といえど遠すぎる。
私は愛する者を隣で守るより、全体の枠組みを守ることを選んでしまった。傍にいられないことが、とても心苦しい。
もちろん、主のお役に立ちたかったという我が儘もあるのだが。《光を与える者》らしく生きたいと願ってしまったから……その結果、お前を悲しませることになる。自分勝手な兄で本当にすまない。
一連の私の計画は主もある程度はご存知だ。ここまで仲間が集まることは私にとっても想定外ではあったが。いずれにせよ主は地獄まで御目を向けてくださるし、私に何があっても心配しなくていい。
そうだな。しかしこれだけではわざわざ反乱を起こした理由にならないとわかっている。私が堕天したいのなら、個人で罪を犯すか、主に許可を頂ければ良いのだから。
恐らく、多くの血が流れたろう。いくら謝ったところで赦されはしまい。けれど、少しだけ。ここで言い訳をすることを許して欲しい。
この反乱の主な目的は二つあった。そのうち一つが、お前の長としての力の裏打ちだ。私よりも主に近いお前は、反乱が起きるや否や天使長に任命されるはずだ。まあ、これを読んでいる時点で私に勝ったのは確かだろうからな。即ちあの唯一無二の剣を託されたのだろう。
それらの天意を疑う者はいまいが、何しろお前はまだ若い。確実な実績を持っておくのは悪いことではないと思ったのだ。反乱の制圧、まして私を討ったとなれば、天界の隅々までお前の威光は届くだろう。
だから私の名は裏切り者として伝えなさい。宮殿の外には真実を洩らさないこと。良いね? これは私が望んだことなのだから、お前が罪悪感を感じる必要もないのだからね。
共に置いた衣はお前が着なさい。お前は私の後継者、これは揺るがない決定だ。剣を返還した時に改めて伝えられたよ。
目的の二つ目は、まさしく危機を見せるためだ。
誤解はしないで欲しい。無論、平和が悪いと言うつもりは毛頭ないんだ。しかし置かれた環境に満足して完結してしまっては、恐らく我々が天の使いたる意義がなくなるのではないか?
意志ある者はいつ道を外れるかわからない。それを律する際に少なからずこの経験は生きる、と私は思ったのだが。お前は怒りそうだな。
ミカエル。形あるものは、いつか壊れる時が来る。
それがいつであるかはわからない。だが前述したことと繋がるが、私には世界もある形を持つものだと感じられる。これが私の能力の意味なのではないかと、最近では思うようになったわけだが。これこそが私にしかできない世界の捉え方なのではないかと。
だから、だ。生きることは戦うことだと伝えたかった。血を流すのではない、傷つけるのではない、戦いだ。苦難に怯むことなく、己に誇りを持ち、進み続ける意志を持つこと。私が行動しなければならなかったことからもわかるだろうが、主は、ただ見守ってくださるのだよ。いつか言ったろう、世界を動かすのは私達自身なんだ。
もし私の考えに賛同してくれるのであれば、これからはお前がそれを他者に伝えなさい。お前なら絶対に正しい方向へ皆を導けるはずだから。
長々と書き過ぎたな。これでも何枚も下書きしたんだぞ。
ああ、今、とても不思議な気持ちでいるんだ。まだ何も成していないのにな。
筆を置こう置こうと思っているのに、お前の顔ばかり思い浮かんで止められない。これを読んで、泣きながら罵詈雑言を浴びせるのだろうか。いや、それでいい。愚かな兄を気が済むまで罵りなさい。お前はいつも自分の中に溜め込んでしまうから、少しは我が儘になった方がいいんだ。
けれどそうだな、お前は泣き顔ももちろん可愛らしいけれど、やはり笑っていてくれるのがいちばんだから。たくさんの仲間もいるだろう? きちんと頼って、ゆっくりと慣れていけばいい。
大丈夫、お前は主にも仲間にも愛されている。当然、私にも。反逆者に愛されても嬉しくないかもしれないが、どうか、受け容れてくれ。
ミカエル。世界と繋がれても自由の利く身であったなら、必ず会いに行くから。お前が嫌がっても退かないからな。
そしてもしも、もしもまだ私を想ってくれるなら。再びお前と語り合いたいと思うよ。私は再会の日を待ち、お前のために祈ろう。
愛しいたったひとりの弟よ。私はお前の行く先を照らすことができただろうか、できるだろうか。答えをいつか聞かせてくれると嬉しい。
ミカエル、汝に幸福のあらんことを。
永遠に誰よりも愛している。”