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Warfare (4)

 双子は駆ける。戦場を駆ける。

 

「こっち!」

「うん!」

 

 時折頭上を掠める矢を避け、倒れた負傷兵の横をすり抜け、金色の双子は駆ける。

 あどけない顔も今は厳しく引き締められ、元は鮮やかな黄金の髪も白い長衣も、泥に汚れてくすんだ色。それでも彼らは戦場を駆ける。しっかりと繋いだ手と手。ふたりでなら何処へでも行ける。同じ炎から生まれた唯一の片割れは永劫共に。

 

「あの、けんに、きこう!」

「きこう!」

 

 息を切らし、駆ける。周囲に誰もいないことを確認すると、ふたりは傷ついた木の陰に素早く屈む。

 地面には折れた剣が無造作に一本。持ち主は恐らく“もう存在しない”。聖なる炎から生まれた霊体である彼らは死体を遺さない。ただ、“消える”。きっとこの剣は反乱軍の武器だ。《神軍》の剣が折れたりするものか。

 

「いくよ」

「うん」

 

 大きな幼子達はそっと剣に手を触れて目を閉じる。彼らの能力は《読む》こと。ふたりでひとつ。どちら一方が欠けても発動することはない能力だが、対象は生身の精神に留まらず、微かながらも物体への思いの“残滓(ざんし)”までも聞くことが可能だった。

 そして今、彼らが尋ねるのは。

 

「……!」

「みたって、いってる!」

「ルシフェルさまのゆくえ、」

「あっち……あっちの、やまのほうだ!」

 

 双子は駆ける。大好きな天使を探して。

 宮殿の外へは出るなと言われていたふたりだったが、混乱に紛れて抜け出してきた。戦闘能力はほとんどないのだからと押し付けられた留守役を放棄してでも、彼らには確かめたいことがあったのだ。

 ガブリエルが消えた。それはもちろん知っている。

 故に攻めに転じた大天使達だったが、双子の考えは少し違っていた。むしろ、何故あの優しい天使が敵だと判断されたのかがわからなかった。美しく、皆に優しく、すごく頭の良い偉大な天使。きっと何か考えがあってのことなんだ、悪いことをするはずなんてないんだ――そう思うと居てもたってもいられず、とうとう、言い付けを破りあの天使を探し始めたのだった。

 もうひとつ、彼らにはひどく気になることがあった。それはあの天使が行方を眩ます直前、たまたま見てしまった精神世界の住人のこと。もちろん双子はそこまではっきりと事態を予測していたわけではなかったが、ともかく直感的に嫌な感じがした“影”、あれを生み出したのは自分達が抱いてしまった疑問のせいではないかと、ずっと問いたくて堪らなかったのだ。

 曰く、「世界に端は存在するのか」と。

 彼は答えた、「それは確かに存在する」と。

 答えは出たはずなのに、彼の中に“変なもの”が生まれていた。そして何故、今こんな戦が起きているのか正直わからない。ただ問いたい、確かめたいだけなのだ。

 

 双子は駆ける。怒号と地響きを背中に山の方へ。

 見えるのは燃えるように赤い大地と、色を失った草木。そして灰色の空を見上げれば――

 

 天使が、いた。

 

「……ルシフェルさまっ!!」

 

 黒髪の美しい大天使が、その雄々しき翼を振り大地に降り立った。白磁の肌は汚れてくすんではいたが美貌を損なうには至らず、紅い双眸は鋭利な輝きに満ちている。身につけるのは簡素な防具。風に捲れた白衣の内側に、長い剣の柄が見えた。

 変わらない姿に双子は胸を震わせる。やっと会えた、ずっと探していた。思わず飛び出したのは、兄のメタトロンの方だった。

 

「ルシフェルさまっ、ぼくたち――」

 

 心情の機微に敏感な双子はしかし、幼かった。喜びに満ちた心では他のことを思う余裕はない。目の前に立つ大天使が無言である奇妙さも、まるで表情を動かさない不審さも。考えるより先に飛び出す。

 大天使は片手を挙げた。

 

「――メタトロン、だめぇっ!!」

「え――?」

 

 もうひとりの彼が飛び出す。視界を過る青い襟巻き。

 

 ぱちん。

 

 たったひとつの音。――消えるたったひとりの弟。

 今の今までサンダルフォンが立っていた場所。メタトロンがその向こうに見たものは、己に向けて能力行使を終えたばかりの大天使の姿だった。

 

「サン、ダルフォン…………?」

 

 一体どこへ行ったのか。かくれんぼなんてしていない、弟に姿眩ましの能力があるはずもない、……気配を、感じない。

 ならば。

 

「ル、シフェル、さま……?」

 

 まさか、まさか、まさか――。

 欠けた双子はゆらりと一歩を踏み出す。一歩、そしてまた一歩、何の表情もなく佇む天使に向かって。

 

「サンダルフォンが……ぼくの、おとうと、が……」

 

 蹴る、蹴る、地面を。真っ直ぐに仇に向かって駆ける。

 

「かえして……おとうとを、かえしてよっ!!」

 

 憎い胸ぐらを掴もうとした手は空を握った。

 静かに、冷静に身を退いた大天使は、揺るぎない視線で幼い天使を射抜き、

 

「――来るな」

 

 一言だけ遺して消え失せた。

 


 

***

 


 

 長が前線に出るのは間違っているだろうか。

 

 ――そんなはずは、ない。

 

 背負うならば傍観は許されぬ。上に立つ者が安穏と指示を出し、部下の身を盾に終焉を待つのみではいけないのだ。

 それを教えてくれた天使は……もういない。

 ミカエルは歯ぎしりをし、剣を握り直す。“裏切り者”――理解しているのは頭の中でか? それとも与えられた使命に基づく? 未だその背を追っていることが、契った指の呪縛から逃れられない現状が、《神軍》統率者である彼の心をひどくかき乱していた。

 

 ――己は、どちらの側か。

 

 わかりきっているはずだと内心でわらう。義務を失えば彼らの存在は曖昧になる。ならば何故迷う。

 

 ――己は、何を守る。

 

 違うのだと彼の中の誰かが叫ぶ。“本当に守りたいのは、《これ》ではない”。

 

 ――馬鹿げている!

 

 苛立ち紛れに剣を振るえば、襲い掛かろうとしていた兵士が数名吹き飛んだ。気絶してくれさえすればいい、この道から退いてくれればいい。剣を交えるべきはただひとりだと彼は信じて突き進む。

 それが下った命だったか?

 何よりも悩んだ使命――その鎖から既に解き放たれていることに彼は気付かない。

 

「……卑怯者」

 

 その言葉が向けられたのは不意討ちを狙い背後に立った兵士と、

 

「恥を……知りなさい!」

 

 道を説いておきながら掟に背いた大天使。

 ミカエルは振り向きざまに一閃。背後の兵士の脇腹に鋼鉄を叩き込み動けなくすると、横から振り下ろされた別の剣を受け止めた。押し上げ蹴り飛ばし、半円を描くように地を踏み替え。次の兵士の足元を流れる動作で薙ぎ払う。

 勇壮に、華麗に。繊細にして大胆、無数の上に正確。ふたりの師から受け継いだ剛の剣と柔の剣、双方を巧みに操っては、無謀にも挑んでくる相手をひとりも漏らさず返り討ちにしていく。“愛された御子”の証を示していく。

 じりじりと後退する包囲網の中心。彼は些かも臆することなく顔を上げた。その澄んだ蒼い眼差しの強さに、反乱軍は更に後ろへと退がる。

 

「退きなさい。邪魔をするならば、容赦はしません」

 

 凛とした声、戦場にありながら威厳に満ちた態度。これがあの幼かった少年と同一だと、一体何名の天使が信じるだろう。状況は、責務は、運命は。ひとりの天使をここまで変えた。

 けれどミカエルは知らない。剣を構えたまま身動きを取れずにいる天使達が、彼の中に反乱軍の“長”と同じ《光》を見ていることを。若き大天使を前に震える彼らは“畏れ”を見出だしていることを。

 動かない天使達を見、ミカエルは再び剣を構えた。

 

「あなた方は不利過ぎる。私達の気が変わらぬうちに――」

 

 その時だ――ミカエルの視界の端に“蒼い”光が過ったのは。

 はっと空を仰いだ彼は見た。流星の如き光が二筋、戦場を灼き尽くすかのような火柱へと突っ込んでいく。かの火柱は《炎の剣》によるものに違いない、しかしあの蒼い光は。

 

「ラフィ……?!」

 

 ただならぬ大天使の顔色の変化に、兵士達も惚けたように頭上を仰ぎ。爆発音。蒼と白の流星。そうして一瞬だけ目を離した隙に……大天使は消えていたのだった。

 


 

***

 


 

 突如として頭上で響いた爆発音に、ウリエルは思わず顔を上げた。空中で戦闘を行っていたのは確か――。向こうも、終わったのか。そんなことを思ってはわずかな虚しさと焦りを胸に秘め、だが灼熱による“執行”は未だ終わっておらず、ただひたすら目の前の火柱に力を注いでいた時。

 

「――!!」

 

 凄まじい速さで迫ってくる光があった。ウリエルにはわかる。力の強大さ、その色。よく親しんだ仲間の力の揺らぎが――ふたつ。

 ひうっ、と空気を切り裂く音。それらの光はウリエル達のすぐ傍の地面に激突して地を震わせた。周囲で戦っていた兵士達も混乱のうちに逃げ惑う。

 ウリエルは何事かと剣を向け身構えた。黒耀の瞳で土煙を睨む。

 まず飛び出してきたのはぼろぼろの白衣を身に纏った、ベルゼブブ。巨大な翼を一振り、後退しながらも片手を土煙に向けて攻撃の用意。怯えているかのようなその表情。体勢は攻めの形でありながら、ベルゼブブは如何にも逃げ腰であるようにウリエルには見えた。

 そして煙が消え失せて。

 

「――ラファエルっ!!」

 

 やはりそこにいたのは《蒼氷》であった。地面に叩きつけられた拍子にか羽根は無惨に散らばり、すぐには立つことさえままならないのか、唸るように空中の敵を見上げていた。

 だが最もウリエルの目をひいたのは、ラファエルが手で覆った顔半分……そこから滴る紅い液体だった。

 

「ラファエルっ、お前――!」

 

 駆け寄ったウリエルに向けられた端正な顔は苦痛に歪んでいる。片手で押さえてはいてもぼたぼたと溢れる生命の液。近くで見て、ようやくわかった。

 

「……目、か……?!」

 

 仲間が瞳を潰されたと知りウリエルはベルゼブブを睨み付ける。構えを解くこともないベルゼブブは、目を見開きラファエルを凝視したまま肩で息を繰り返す。

 

「貴様ァ――!」

「やめろ、ウリエルっ」

「だが!!」

「これは、彼の攻撃じゃない。これは、矢……流れ矢が、」

 

 流れ矢。ただの武器ならば彼に当たるはずもない。彼がここまで絶望的な表情をするはずがない。

 

「ま、さか……《神軍》、の……!」

 

 ラファエルがうなずいたのを見て、ウリエルは知らずぶるりと身震いした。天使の命を削る《神軍》の武器。それはラファエルの《治癒》でさえ太刀打ち不可能なのだ。

 ウリエルが動けなくなると同時、空から言葉が降ってくる。それは全てを見ていた敵の言葉。

 

「違う……オレじゃ、ねェ……!」

 

 首を振り、必死に。

 

「ラファエルが勝手に……味方の兵士を庇ったんだ……それでっ」

 

 彼は唯一目撃していたのだ。戦闘の最中に突然進路を変えた大天使が、たったひとりの負傷兵を庇うために身を挺したところを。瞬間、彼の翠の片目を貫いた金色の光も、放出されていた蒼の光が微かに揺らぎを見せたのも。

 

「オレは――!」

「ラフィっ!!」

 

 鋭く飛んだ高い声。

 黄金の気配に、ある者は体を強ばらせ、ある者は胸を撫で下ろす。つい先程までは何もなかった空間に突然現れた大天使。彼の能力を理解しているがゆえに、怪我人に駆け寄る天使のためウリエルは警戒心もなく身を引いた。

 

「ラフィ……ラフィっ……!」

 

 今にも泣き出しそうな天使は素早く片手を傷ついた瞳にかざす。暖かな金色の光が傷を覆い……しかし血は止まらなかった。

 

「……まだだ、まだ終わっていない……」

 

 ラファエル当人はミカエルを見てはいなかった。残された瞳が見据えるのは、未だ宙に浮かんだままの反乱者。

 その強すぎる眼差しに、固すぎる意志に、ベルゼブブはまたほんの少し狼狽を見せる。

 

「馬鹿な……そんな身体でこれ以上は、」

「この期に及んで手加減など!」

 

 ばさりと羽ばたかせた翼の状態を見れば、もはや彼に十分な力など残っていないのは明らかだった。よろめきながら立ち上がった蒼の天使を両側から引き止める仲間達。特にミカエルはまるで縋りつくかのように懇願して。

 

「もういい、やめてラフィ! 一旦ここは退きましょう。これ以上は危険です!」

「ならばせめて、負傷兵の治療を……」

「だめ、だめです、力を使っては。お願いだから、主のもとへ――」

 

 言い掛けたミカエルを振り払ったラファエルの目の色が変わる。また、力が揺らいだ。

 

「俺の“役目”を奪うなッ!!」

「やっ役目、なんて……!」

 

 続かない、続けられない。この、今言わんとしているこの言葉……真に掛けるべき相手は、もしかすると――。

 


 ――“ラファエル……っ”

「っ?! 兄さま?!」

 

 ミカエルは、ふと背後の空を仰ぎ見る。懐かしい声が、切望した気配が、そこにある気がしたのだ。絞り出された微かな声に、弾かれたように身を返して。

 されど蒼眼に映るのはただ灰色の空。燃える大地。いつかあの美しい天使に見せられた景色とそっくりな戦場。

 

「ああっ……!」

 

 そういうことなのか、ミカエルは思う。失意は枯れることなく溢れてくる。

 彼は戻らないのだ、二度と。

 

「もう、いい……」

 

 何もかも。或いは自分が少なからず招いた事態を。

 ミカエルはラファエルを押さえつけていた腕を、力なく落とした。俯いた顔をふたりの大天使が覗き込もうとした、刹那。

 

「もういいッ!!」

 

 空へ向けた叫び。黄金の煌めきが辺りへと発散され、そして世界は凍り付いた。


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