Warfare (3)
「――シィッ!!」
鋼が打ち鳴らされる音に、時折混じる甲高い音色。
「んっ!!」
「はぁぁ!」
《炎の氷柱》、それは屈強な正義の剣士が振るう剣の名。
《焔の剣》、それは《地》の座に就く大天使が裁きを下すための武器。
二本の銘ある剣は互いにぶつかり鎬を削り、周囲へと熱波を散らす。巻き起こる赤い風は白衣に燃え移ることこそないが、見つめるには痛いほど鮮やかに耀き、ふたりの剣士の汗の飛沫など垂らす間も与えない。
その応酬に刈り取られぬようにしながらも、周囲の天使達も激戦を繰り広げていた。ここにあるのは主に近接戦らしい。せいぜい見られるのは中距離の槍、あとは全て鋼鉄の打ち合いがそこかしこで展開されている。血を流し鎧をひしゃげさせている者はいるが、見渡す限りの混戦と絶えることのない怒号。不安視された戦力差だったが一方的な戦というわけでもなさそうだ。きっと《戦神》も中にいることだろう。
ともかくも今、大天使ウリエルの相手をしている――否、ウリエルが相手をしているのはマルコシアスだった。振りぬかれた大剣の勢いを殺すように飛び退り、一度間合いを切って隙を伺う。
「お前も、そちらにつくとはなっ!」
喧騒に掻き消されぬようウリエルは叫ぶ。黒耀石の瞳で相手を睨み据える彼の鎧はほぼ無傷と言って良い。煌めく巨翼を外に出してはいるが、能力を行使するまでもない――《神軍》指導者として連ねた大天使の名は伊達ではない、といったところか。
「……っ」
対するマルコシアスも剣技の達人ではあったが、すぐには言葉も発することができないほどに息が上がっていた。受け流すよりは迎え撃つ。剛の剣を得意とする剣士の甲冑は所々が凹んでおり、それは彼の攻撃を大天使の攻撃の威力が上回っていることの証でもある。諸手で正眼に剣を構え直した彼だったが、その実、重い剣撃を受け止め続けた逞しい両の腕は僅かに震えている。
「……貴方はやはり、お強いですね、ウリエル様……っ!」
だがマルコシアスほどの力量がなければ、こうして切っ先を向けるべく剣を持ち上げ続けることすら難儀しただろう。同じく《神軍》指導者として正義の剣を振り続けた彼だからここまで保っているようなもの。
逆に言えば、それほどまでに大天使の力は頭抜けているということ。
「マルコシアス、お前は確かに強いが、俺には及ばん! 大天使を――ルシフェルを連れて来い!」
「それはできません!」
ウリエルもまた初めて見るくらいに昂ぶった感情をほとばしらせていた。その覇気を目の前にして尚、マルコシアスは一歩も退かない。主が長に光を託していたというのなら、今のマルコシアスはその長に責務を託された身。如何に不利な状況にあろうとも、勝機が彼方にしか見えずとも、ここで退くなど《猛将》の名が廃る。
貫くのは、互いの正義だ。信じるものが食い違う故に争いは起きる。
「おおぉっ!」
剣士は地を蹴る。彼が腰へ引き付ける《炎の氷柱》という剣は槍の先端だけを引き伸ばしたような、どちらかといえば円錐形に近い特殊な形状をしている。斬るというよりも叩く、突く。加速した勢いで体重を乗せ、赤い熱を帯びたそれを一息に突き出す。
「瞬撃――《燕刺》!!」
まずは全体重を、次に腕の力だけでねじ込む。二段階加速の突撃は腕力はもちろん、命中させるためには一瞬に懸ける集中と的確な判断力を必要とする技だ。相手が二段階目の軌道を目視することは困難を極める。
敵の動きを封じるための、“一点集中”。それは《神軍》の指導方針でもある。――だからこそ、大天使には見えなくとも判る。
「ふんっ!」
「――?!」
一直線に突き刺さるはずの氷柱が硬いものに阻まれる。異様な手応えを感じたマルコシアスが防がれたことに――その壁は《焔の剣》だったことに――気付いた時には、勢い付いた体は既にウリエルの射程圏内に入ってしまっていた。
大剣を地面に突き立て打突を防ぎきった大天使は、あろうことか己の武器を軸にして跳躍。そして空中で前方に一回転すると、回転の勢いと背筋を利用して再び剣を引き抜き、そのまま頭上から振り下ろした。
「甘い――《法月袈》」
翼など使わなくともしなやか且つ強靱な一撃。最も有効な体の使い方、力の込め方を理解している者だからこそ為せる動きだ。
声を上げる間すらない一瞬の出来事。視界に紅い飛沫が映ってはじめてマルコシアスは斬り付けられたことを知る。すぐに追い付いてきた激痛に、さしもの剣士も片膝を着く他なかった。そうでなくても彼の肉体は限界寸前だったのだ。先の《燕刺》に懸けたつもりが――。彼は剣を支えに全身で息をするが、しかし青い目は眼前の大天使を見上げ続けたまま。
「お前は俺に及ばない」
惨いまでの冷酷さで以て、ウリエルはマルコシアスを見下ろし同じ言葉を繰り返した。哀れな子、堕ちた戦士。“裏切り者”を見下ろす目は冷たく、どこか悲しげでもある。
「何故、忘れた」
主の愛を、己の役割を、敷くべき正義を。
「何故なんだ……っ」
ウリエルが手にする大剣が燃えるような光を放ち始めても、マルコシアスはただ大天使を見上げていた。一点の曇りも迷いもない強い眼差しは、ウリエルが覚悟したはずの決断をほんの少しだけ揺らがせた。
戦士の真っ直ぐさは以前とまるで変わらないように見える。正義を愛する天使にこんなにも身を捧げさせる彼らの行動理由は何なのか。ウリエルにはそれがどうしてもわからなかった。問うたところで口を割らないであろうことは、アシュタロスとのやり取りで充分に学んでいる。強いて彼の変化を挙げるとするなら、大切な剣を杖代わりにしているというような点だろうか。彼の堕落の兆しだと解するのは強引かもしれないし、或いは“道”など構っていられないほどの覚悟だったのか、それすら判然としない。
「残念だ……マルコシアス」
漏れた呟きは彼の本心。それでも、彼にはやるべきことがある。大天使として、守護者として。
マルコシアスがこの戦いに至るまでに多くの天使を傷つけてきたことは事実。その事実を罪と呼ばずして、一体何を断罪せよと言うのか。
「《絶対捕縛》――加護と、光明を」
マルコシアスのいる場所を囲むように、地面に円形の紋章が浮かび上がる。絶対の牢獄。結界と対を成すかのような隔離は、《地》の意志に従い対象を灼く。
だが《存在干渉》とは次元が違う。消せぬ大天使の得物と、消えぬ炎の御子。下手な丈夫さのせいでその焔に灼かれる痛みは計り知れない。
紋章が大剣と同じように赤く発光する。
「《楽園》を穢した罪の重きを知れ。――さらばだ、マルコシアス」
天空を貫く激しい光。戦場に灼熱の火柱が上がった。
***
くるりくるりと軽やかに。風に舞い踊る白衣は、捉えたと思った瞬間にそこにはない。
援護と呼ぶには強大な力。立ち向かう兵士達は幻術に惑わされて戦意を喪失し、どこから現れるかわからない“紳士”の空間操作技術に翻弄されていた。
非力な味方を庇いながらの進撃は容易ではない。それでもメフィストフェレスは善戦していたと言えるだろう。
それにしても、と遠くで上がった火柱を見上げて、彼は煤で汚れた眉をひそめる。
彼自身が周囲へ気を配っていたせいもあるだろうが、最初と比べて明らかに――人数が減っている。
《神軍》が減ったのならそれは撤退命令か、作戦変更と見るのが自然。だが、こちらの人数まで減少しているのはおかしな話。指揮官からの命令は下っていないはず。
そして先程から気になっていることが一つ。軍団を率いる元上級天使、そのうち一名の姿をぱったり見かけないのだ。負傷したという報告もない。混乱している兵を杖で殴って昏倒させつつ、メフィストフェレスは考えを巡らせる。
そもそも。はじめからメフィストフェレスは、あの仲間のことを信じ切ることができていなかったのだ。崩れることのない笑顔の裏で何を考えているのやら知れたものではなかったし、鉄壁の詭弁のおかげでどうやっても丸め込まれるのが常だからまともに会話をしたこともない。
万が一の可能性を思う。――彼が本当の“裏切り者”だったとしたら?
しかし疑念だけでは行動することは不可能だった。同時、証拠が立てられるようになってからは手遅れであることもわかっている。
戦闘の合間にいくら視線を走らせようとも、そこにベリアルの姿を見ることは叶わなかった。