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Treason―Riddle


【謎】、なぞ、【穴だらけ】。闇の彼方でかなしむのは誰?



***

 


 ガブリエルは困惑していた。

 目の前で平和が崩れていく。当たり前が乱されていく。

 慣例。習慣。打ち崩され。

 先達。賢者。姿を眩まし。

 こんなことは今まで一度もなかった。一度だって、この“楽園”においてあってはならなかった。――天使長ルシフェルを筆頭に上級天使達が次々に行方知れずとなり、何者かにより《神軍》武具庫からは武器が盗まれ、おまけにミカエルのところには謎めいた予言までもたらされたというではないか。


 反乱を企てている天使達がいる、とルシフェルは言ったらしい。故に討伐に向かっているのだと。

 楽園の第一の守護者が言うのだから間違いないだろう。彼は強く、気高く、誰よりも聡い。その思考に、勘に、他の者が追い付かないとしても不思議ではない。

 が、彼はそれ以上に優しく仲間思いだった。同胞を不安に陥れるまでの単独行動はとったことがない。必ず何かしらの報告があるもの……少なくとも、ガブリエル自身は天界統制について“共に”尽力してきたと思っていた。


 それが、どうだ。

 唐突に消えた天使達も、盗まれた武器も。戦が勃発する状況は整いつつあるように見える。そして同時に“反乱者”の正体も炙り出されつつある。状況証拠、冷静な判断。自然と答えへと行き着いてしまう。

 

「……あり得ない」

 

 彼女はひとり首を振る。気晴らしにと宮殿の外へ出てみたが、暖かな陽光も爽やかに吹き抜けるそよ風も心に平穏をもたらしてはくれない。庭園にいる天使達もどこか活気がなく……平素より数が少なく見えるのは果たして気のせいなのか。

 

「あり得ないわ」

 

 再度呟く。言い聞かせるように。今回だけは皆の勘や予言が外れていても構わないのだ。

 新たに《神軍》統率者の座に就いた天使をふと思う。天使長の、最愛の弟。彼こそがいちばん参っているに違いなかった。兄だけでなく、メフィストフェレス、アシュタロス、ベルゼブブ、……。親しくしていた天使達が急にいなくなり、いくら捜索しても発見できず。ましてルシフェルが不在の今、そして天界全体が騒めいている今、軍事の全権を握る彼が実質的な“長”の働きをせざるを得ない。泣き言ひとつ洩らさずに、ひたすら兄の帰りを信じて責務を果たそうとする天使の姿を見ると、いつもガブリエルは胸が痛くなるのだ。


 どうして。何度も心の中で問うた。どうして、これほど、酷なことを。


 得意の“千里眼”も使えなかった。いなくなった天使の姿を映してくれと水鏡に願っても、何か壁のようなものに阻まれてしまうのだ。きっと結界のせいだろう、向こうにはあの《戦神》がいる。

 計り知れない“最高傑作”の想い。答えは彼自身の口から聞かなければわからないまま。

 だから彼女は今日も己にできることをするのみ。《水》の座を与えられた大天使として、《慈愛の天使》として、天界の一員として。

 

 今日も、帰って来ない。

 何度となく繰り返す落胆、慣れることはない。“異常”に慣れてしまうのは恐ろしい。

 だがその日は少し違っていた。踵を返しかけたガブリエルを呼び止める声があったのだ。

 

「ガブリエルさま!」

「ガブリエルさま!」

 

 ぴったりと重なるふたつの高い声。その主を知らない者は天界にはない。若き上級天使である双子。

 

「メタトロン、サンダルフォン」

 

 優しく微笑んだ大天使に飛び付く金髪の青年達。赤と青の襟巻きがそれぞれの首で揺れる。ガブリエルは両腕で彼らをぎゅっと抱き締めた。愛情を全身で伝えようとするかのように。これも“慈母”たる彼女の自然な動作であった。

 

「どうしたの? 外に行っていたの?」

 

「うん。あのね、ふたりで」

「もりのほうまで、いったよ」

 

 彼らの中身は外見に伴う気がないようで、それが彼らの“色”であることも上級天使達の間では周知のことだった。幼い双子にはこの異様な空気は伝わっていないと思っていたガブリエルだったが、彼らは彼らなりに感じるところがあるらしい。遊びに行っていたにしてはその声音は無邪気さに欠ける。むしろ機微に敏感なのは“幼い”からか、それともふたりが生まれ持つ“能力”ゆえか。

 

「森に?」

 

「うん、つかれたよ」

「とおかったよ」

 

「でしょう。どうして、また」

 

 双子は真っ直ぐにガブリエルを見上げた。

 

「ガブリエルさま、ぼくたち」

「ルシフェルさまをさがしていたんです」

 

 双子を撫でていた手が止まる。無垢な四つの瞳の中には美しい光が満ちていたが、同時に、成長して知る悲痛さも伺えた。それを示すかのように、小さな手がガブリエルの白衣を強く握りしめる。

 

「ぼくらのせいで、ルシフェルさまがへんになっちゃったんだ」

「ぼくらがルシフェルさまをこまらせたから、いなくなっちゃったんだ」

 

「それは……どうしてそう思うの?」

 

「だってぼくらが“せかいのはじっこ”なんて」

「おかしなことをきいたから」

「そのあとでルシフェルさまは」

「こころのなかに、へんなやつをすまわせたの」

 

「世界の端……」

 

 彼女はいつかの彼の言葉を思い出した。あの時も彼は宮殿を留守にしていたが、出る時に一言言い置いてくれたはず。

 しかし結局報告はうやむやになっていたような気が、今更ながらした。彼はその“世界の端”とやらを見たのだろう、恐らく。だがきちんと結果を伝えられないまま、彼は自分ひとりの中に収めてしまった。何せ当時は地獄の使節が来訪するとかで、とても忙しかったために聞き出すこともできなかったのだ。


 ――もしそれが今回のことに関係あるとしたら?


 ガブリエルは身を強ばらせる。いや、それよりも。

 

「ルシフェルの心の中に、何かが住んでいたということ? 詳しく教えてくれるかしら」

 

 同じ顔を見合せる双子。先に口を開いたのは、兄のメタトロンだった。

 

「ぼくら、いっかいだけ、こっそりルシフェルさまのなかをみたの」

 

 “中を()る”。それが双子の能力だった。兄と弟、ふたりで同時に触れた相手の心を視たり、奥底に眠る記憶を引き出したりすることができる力。

 

「ぎゅうって、されたときにね、」

「ルシフェルさまにはだまって、みてみたの」

 

 弟のサンダルフォンが続ける。

 

「そしたら、へんなのが、いた」

 

「変って、どういう意味?」

 

 要領を得ない感はあるものの、実際彼らもどう説明したものか迷っているようだ。

 

「まっくらななかでね、ずうっと、うなってるひとがいるの」

「だしてくれって、くるしそうにほえるの」

「でも、うごけないんだ」

「うん、からだが、まだもやもやしてたから」

「ちゃんとできあがってないのに、すごくおこってた」

 

「…………」

 

「だからねっ、だあれ?ってきいたんだけど」

「さわるな!って、とってもこわかった」

 

 真剣な顔で身震いしたふたりを見れば、どうやら全て事実であるらしい。心の中に何かが住む――視えないガブリエルには想像しにくい部分はあるが、仮にそれが単なる比喩であったとしても、“彼”は変わってしまったと双子が認識しているのだけは確かだ。そう思わせるだけの何かをふたりは感じ取った。

 

「ぼくら、こわいの」

「こわいの」

 

「怖い……?」

 

「ルシフェルさま、ばらばらになっちゃう」

「ルシフェルさまは、あのへんなやつに、きづいていないから」

「もしかすると、なかから」

「たべられちゃうんじゃないかって」

 

 恐ろしい、それは恐ろしい事態のようにガブリエルには思えた。中から、食べられてしまう。気付かないうちに。


 でも、彼が誤ったことなんてなかったのだ。

 そんなに恐ろしいものが中に住み着いているのなら、双子が怯えるほどのものが見えるのなら、表に何かしらの兆しが現れはしないだろうか。“この状況”が兆しならば或いは、しかし彼はこれまでに一切そんな素振りを見せたことがない。他者への敵意など……せいぜい弟を溺愛するあまりの嫉妬程度しか。

 ガブリエルは誰かに牙を剥く彼の姿を見たことがなかった。だから今にも泣き出しそうな双子を、もう一度強く抱き締めた。

 

「大丈夫よ。彼はとても強いのだから、変な奴に負けたりなんかしない。それに貴方達は何も悪いことをしていないわ。泣かない、泣かない」

 

 ぐす、と。これまた見事に同時に鼻をすする音。

 

「じゃあルシフェルさま、どこにいっちゃったの……?」

「なんでいなくなっちゃったの……?」

 

 この双子も、実によく彼に懐いていた。当然彼の側もたっぷりの愛情を注いでいた。

 

「……今はルシフェルを信じましょう。貴方達の大好きな天使長は、きっと帰って来るわ」

 

 信じることしか。大天使である彼女にもそれしかできない。弟も、双子も、彼女のような同胞も。


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