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第4話:契約と悪魔と


 ――何故だ!

 どうしてこの時期に? 脱走の手助けをしたのは誰だ? 一体……ここで何が起ころうとしている?

 

「お前も、何か感じるか……」

 

 自分の下で疾駆する相棒に問うてみる。無論、答えは返ってこないが。

 私には軍馬達が向かった方向はわからない。だがこいつは知っている、わかっている。足取りに迷いがないから。

 真子がこいつに触れようとした時は焦った。煉獄の炎は生きた人間が触れていいものではない。それにいくら慣らしたとはいえ、私にもこの馬の気性の荒さを完全に御することはできない。“私”ならばあるいは脅しつけることは容易いかもしれないが……それに、おとなしくてはこれらの馬は役割を果たせまい。

 街の裏へ回り、森を抜け。谷のような場所を見下ろせる位置に来て、ようやく土煙を上げる黒い集団を見つけた。谷底を駆ける脱走馬。その前方にひとりの男がいる。

 

「アスモデウス!」

 

 馬上から叫べば、こちらを見上げた顔が輝いた。彼は馬の群れと一定の距離を保ちながら、猛スピードで後ろ向きに飛んでいるのだ。

 

「あ、ルシフェルぅ~!」

 

 アスモデウス。万魔殿幹部の悪魔。中性的な顔立ちではあるがれっきとした男であり、極度の女誑(おんなたら)しであり、というか好意の対象は女のみに留まらず――

 

「会いたかったよぉぉっ」

 

 ……この性格さえなければ申し分ないのだが。投げキッスは要らん。

 しかも今それどころではないのは一目瞭然。

 

「何をしている! 早く止めろ!」

「え~。こうしてずっと走らせてたら、きっとルシフェルが来てくれるんじゃないかと思って~!」

 

 ……阿呆が。ここまでくると呆れるしかない。晴れ晴れとした笑顔を見ていると、怒る気力も失せるというもの。

 

「大丈夫、ちゃんとひとがいない方に誘導したから!」

 

 確かに奴は器用に後ろへ飛びながら時折その手から電撃を繰り出し、道から外れそうになる馬の進路を調整していた。この力、別のことへ利用すれば良いものを。

 にしても、彼らはどこに向かって走っているのか――と、前方を見た私は思わず叫んでいた。

 

「止まれアスモデウス!」

 

 先には、何もない。本当に大地が途切れているのだ。……既に万魔殿の端に来ていたか!

 落下の心配はないが、むしろそれが(あだ)となる可能性に気付き心臓が跳ねた。万魔殿の端には結界が張ってある。そこへ突撃することは、いわば硬い壁へ身を打ち付けるようなもの。

 軍馬の最高速度と同等以上の勢いで衝突した場合、いくら頑丈な我々の肉体とて無事では済むまい。彼らを止めるべく力を発動させようと構えた私より先に、アスモデウスは空中で急停止。そしてそのまま突っ込んでくる黒い群れに向かって両手を突き出す。

 

「――《ブリッツクリーグ・ストレイフ》!!」

 

 凄まじい轟音と地響き。彼が得意とする技能――雷が馬達の足元を直撃する。さすがに私の馬も急に足を止めていなないたため、振り落とされないように手綱を引き締め脚に力を込めた。

 そう、アスモデウスには最初からこうして暴走を止めることは可能だったのだ。敢えてそれをしなかったのは本当に私の到着を待っていただけなのか、別の理由でもあるのか……それが理解できるなら、もう少し安堵感を味わうことができただろうに。

 やがて土煙が晴れると、谷底にたくさんの馬が横たわっているのが見えてくる。その前に立ち、気の抜けるような笑みを浮かべた悪魔は軽く手を払った。

 

「一丁あがり~」

 

 慎重に私も谷底へと降り立つ。……どうやら馬達は気絶しているだけのようだ。彼らの目と耳は大丈夫なのかは気になるが、まぁ並みの馬ではないのだし、と思い直すことにする。

 それよりも今は悪魔のことだ。どうせろくな回答も得られないだろうが、何もしないよりはましだからとりあえず尋ねるだけ尋ねてみようとした、が。

 

「アスモデ――」

「きゃーんルシフェルぅぅ!」

 

 ……ほら見ろ。

 

「抱きつくな変態」

「いいじゃないか、僕の大大だーい好きな《ルーク》っ」

 

 ――だからこいつは苦手なんだ。

 そうやって呼ばれると、自分の中に土足で踏み込まれているようで気分が悪くなる。地上でも奇妙な呼び名をつけられてはいたが、人間相手ならば支配され得ないが故に、名に手を出されたとて平気だった。

 支配。《名前》はすなわち存在を定義付ける鎖。この私が掌握されるはずがない、そう思う一方で、無遠慮に触れられるのを厭わしく感じる己がいることもまた事実。私の大事な証。せめてここにだけは、ずっと“あの方”の期待を負っておきたい。

 悪魔の手が腰の付近を滑り、思わず息を詰める。こちらが顔をしかめていることに早く気付いてくれないだろうか。

 

「離してくれ。仕事がある」

「仕事?」

「この馬達を私の能力で、」

「いらないいらない! レムレースの到着を待とう? それまでは保つくらい強力なのをお見舞いしておいたんだから」

「しかし」

 

 尚も言いかけると、奴はすっと離れて私を見つめた。

 

「――いらないよ。君、今は力を使っちゃいけないんだろう?」

 

 くるりと虹色の輝きが回る、その金眼に一瞬見惚れる。

 こいつは妙なところで勘が鋭い。ベルには悟られていないようだったから安心しきっていたのだが。

 

「……お前は聡いな」

「ふふ。愛する君のことなら、なんだってお見通しなんだよ」

 

 奴は珍しく自ら手を離すと背を向けた。嫌な予感がする。

 

「この間、万魔殿に地震があってね」

 

 ゆっくりと語る声を、私はただ聴くしかない。

 

「本当に小さな揺れだったんだけど、ほら、あの地震を操る堕天使……アガレスといったかい? 彼に尋ねても、原因がわからないと言ったそうだよ」

「……」

「おかしいよね、そんなこと」

 

 アスモデウスは大地の端へ近づき、そこでようやく足を止めた。

 だから何だ――訊けるはずもない。彼は恐らく、気付いている。

 

「ねぇルシフェル」

「……」

「君、かなり無理をしているんじゃないかい?」

 

 息を呑む。覚悟していたことではあれど、どこかで否定したい気持ちが残っていたに違いなかった。

 咎める気配はない代わりに、こちらを見つめる表情にいつものふざけた笑みもない。淡々と問われて怖気を感じてしまったのは目の前の悪魔に恐怖したわけではなく、自分の責任を思い出したせい。

 無理、だなんて絶対に認めないけれど。それでも少しだけ――ほんの、少しだけ――私は迷いを感じていて、過去は蘇りかけていて、恐らくそれがこの都の異常に繋がっていることは事実だった。

 だからこそ思うように力を行使することもできない。人間の少女にさえ訝られるくらいに。

 これ以上万魔殿に何か異常があれば、私は玉座から降ろされてしまうに違いない。仲間を犠牲にしてまでせっかく得た席――責なのに。“あの方”のために、ようやく信じられた私の役割を果たせる場なのに。

 

「まだだ……まだ私にはできるから、だから、」


 ――奪わないでくれ、この都を、私の存在意義を。


「まっ、僕には大好きな君を裏切るつもりなんて毛頭ないけど……」

 

 言って奴は穏やかな表情で肩をすくめた。だが何よりも私の目を奪ったのは。

 

「地獄は実力社会だからね。力が衰えた者はいつ退場させられるとも限らないよ」

 

 ――風、が。

 

「ねえルシフェル。僕が何も考えずに、ただ追いかけっこをしてたと思う?」

「な、ぜだ……」

 

 ――吹くはずのない、風が。

 

「何故そこに“在る”――?!」

 

 大地の端に立つアスモデウスの金色の長い髪。それが下から吹き上げる風になびいている。

 目の前の現実を受け入れることができない。だってこれは……手遅れの証じゃないか。

 

「あり得ない……」

 

 自ずと体が震え、ぐらりと視界が揺れる。血の気が引くとはこういうことなのか。

 

「あり得ない! 私は完璧だった!」

 

 アスモデウスは何も言わず、ただ手を伸ばす。結界で弾かれるはずの“端”の向こうに。静かに伸ばされた腕は何の抵抗を受けることもなく、滑らかな動きで世界の“外”の空間を掴んだ。

 

「万魔殿の外には何もない……“無”が広がっているはずだよね、ルシフェル」

「……」

「そこには何も存在しない。世界はこの端で終わっているはず。それなのに」

「……」

 

 無。何もない場所。ただ万魔殿だけがそこに存在する。ただこの都で世界が完結する。“私がそのようにつくったはずだった”。

 

「結界を保っていたのも、君だったね」

「…………」

「でも今は。僕ぐらいの力を持つ者なら結界を破ることができる。これが何を意味するか、賢い君ならとっくにわかっているよね?」

 

 全てこの都市を保っていたのは私だ。私の精神、そして私の存在自体がこの都――否、世界の要だった。

 役割を果たせない者は、与えられた責を背負いきれない弱者は、ただ捨てられる。

 遠い過去の恐怖を思い出した瞬間に無意識に口をついて出たのは拒絶の言葉。「いやだ」、溢れ出す感情を呟けども声は出ない。もう見捨てられるのは嫌なのに、“あの方”に相応しい完全なる最高傑作にならねば、特別の座を保たなければ、私の愛は届かない!

 確かに“あの方”は私を不完全にした、それは正しいことだと仰った。愚かな私を今でも見守ってくださる。――しかしもしもこの先“完全”なものが創られたなら? 私に、一体誰が愛情を注いでくれる?!

 私は唯一でありたい。最高でありたいのだ。

 

「忘れちゃいけないよ、ルシフェル」

 

 金糸が、また揺れた。闇から吹き付ける風に。もう見たくないというのに否でも脳裏に焼きつくその光景。

 ――忘れるものか。それどころか、そもそも……私にとっての過去の記憶とは、堕天前後の記憶ばかりなのだ。それ以外が曖昧な理由は、対価として、“悪魔”に差し出したから。

 だが。最近、失ったはずの思い出が蘇りかけているのだ。時に夢を通じ、またふとした単語に反応して、さらにある時は彼女の向こうに。しかも少しずつその周期が短くなっているような気さえする。ちらつく金色の影の正体、私はもうすぐ思い出してしまうのだろう。それは対価としては認められぬ。そうなれば“悪魔”との契約も無効になる。そして私は……消える、はず。

 つまりこの状況は……彼女のこと、過去の自分のこと、世界のこと、内側に眠る“悪魔”のこと――全てを御しきれていないから、か? だから契約を途中で無効にすると?

 ――馬鹿に、するな。

 契約破棄、あるいは“悪魔”にとっての目的達成の予兆がこの状況であるなら、嘗めた真似をするものだと思う。この私に無理だと? こんなに簡単に結界が破られるはずはない。私が展開したのだ、ならば何としても私が保ってみせる。

 

「忘れちゃいけない。君が堕ちた理由を。この都市が存在する理由を。君は何のために栄光を捨てたの? 何のために仲間を裏切ったの?」

「私は……!」

「迷いが揺らぎをもたらすのなら、君が諸々の感覚を捨ててしまうのも一つの手だろう。ただの人形になっても僕は君を愛するさ。だけどもしも彼女が原因なら、解決する方法は実に簡単だ」

 

 ――彼女が、原因なら。

 そうだ、契約を一方的に破算にするなど許さぬ。抗議は、実力で。力を見せつければあの“悪魔”にだって勝てるだろう、最高傑作の座を守り続けることができるかもしれない。決裂の証を叩き付けるのは向こうではなく、私だ。

 

「わかるよね」

 

 決断を迫る顔には、笑み。こいつはつくづく悪魔なのだと、半ば思考を放棄しかけた頭の隅で思う。これほど残酷な選択を容易く突き付けてくるとは。

 

「そう……そうだな」

 

 けれど何故だか私も笑えてしまった。そうか……本当に残酷なのは、私じゃないか。こんな思考をしていること自体、天使ではあり得ない。

 アスモデウスの言う通り、実に簡単な話だ。命の数、私の過去、その重さ。彼女と世界。二つは天秤にかけるまでもない。もしこの世界が崩れる可能性があるのなら、何を迷う必要がある。答えはもう決まっている。


「期待しているよ」


 悪魔の言葉にうなずいた。転移のために手を掲げ、向かうのは少女が待つ宮殿。何もかもきっと、原因を“消してしまえば”済む話なのだ。


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