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第3話:予兆


 《万魔殿(パンデモニウム)》という都はいつ来ても素敵だ。あたしの好きな場所のひとつ。

 巨大な宮殿を中心に石畳の街道が張り巡らされ、鬱蒼と茂る森有り、古風なアンティークショップ有り、壮大なコロシアム有り。どこか中世ヨーロッパを思わせるこの街が悪魔の住む地獄の一部だなんて、きっと誰にもわからないだろう。

 

 今日も万魔殿のメインストリートは黒衣の人々(?)や、人型の光――魂達で賑わっている。買い物を楽しむ者、道端で談笑する者等々。時折、黒塗りの馬車が通りを駆け抜けて行く。

 ここへ来たのはお呼びだしを食らったから……といっても、何も悪いことはしていない。《紳士同盟》の会長であり、地獄の一流ブランド《トロイメライ》の社長でもあるお茶目なおじさま、メフィストフェレスさんから、同盟主宰のティーパーティーに招待されてやって来たのだ。

 実はこれまでも何度かお茶会には参加したことがある。あまり人数は多くはない会だが、色々な堕天使さんや悪魔の皆さんと話すのが楽しくて、時間がある時にはこうして万魔殿へ二人で遊びに来る。

 二人。

 厳密に言えば最初に招待されていたのは、あたしじゃなくて堕天使長なんだけどね。

 

「……妙だな」

 

 隣で見上げたルシフェルは、地獄に出かける時用の真っ黒な堕天使の衣装。目立ちたくないからか、今日は銀刺繍の上着は羽織っていない。

 

「妙だ」

 

 彼は確かめるようにもう一度繰り返した。妙だ、って?

 

「どうしたの?」

「民が」

 

 わずかに柳眉をひそめて言う。

 何かわかるだろうかと、少し耳を澄まして会話を拾ってみる。

 

『――逃げ出して――』

『幹部の方々が――だから、』

『――――の通りはもう――』

 

 ……さっぱりわからない。

 そもそもあたしはここの住人ではないのだ。いくら頻繁に来ているとはいえ、そんな微妙な違和感を感じ取れようはずもない。

 

「宮殿に行けば何かわかるかもしれない」

 

 ルシフェルは道端に停まる馬車の方へ。お茶会はいつも宮殿の裏手にある林の中で開かれているから、ここからだと結構な距離がある。あたしはルシフェルのテレポート(と、言うと怒られそうだ)で運ばれてきたわけだけど、彼が直接林へと転移しないのには理由があって。

 曰く、「突然現れては不躾だろう」とのこと。さすがは《紳士同盟》出身者。一応、礼儀をわきまえてのことらしい。ま、毎回の馬車での道程も楽しくて好きなんだけども。

 

「今日はちょっと遠いね」

 

 今回はなんだか普段よりも目的地から遠い、気がする。宮殿の姿が少し小さく見えるのは気のせい?

 

「遠い、だろうか。うん、言われてみればそうかもしれないな」

 

 そう言って、ルシフェルは薄く苦笑した。

 


 

***

 


 

 仮面の地獄役人・レムレースさんが動かす馬車に揺られること暫し。見上げるほどの立派な宮殿の前へと到着。

 ……でも、いつもと違う。これはあたしにもわかる。

 

「門が……」

「開いている……?」

 

 固く閉ざされているはずの入り口の門が、開きっぱなし。おまけに門番のレムレースさん達もいない。

 

「構わない。出してくれ」

 

 御者台に座るレムレースさんも困っていたようだったが、ルシフェルの言葉に再びゆっくりと馬車が動き始める、

 やがて、何やら騒ぐ声が。

 窓からちょっと覗くと、宮殿の庭にダークスーツを着た大勢のレムレースさん達がいる。なんだか様子が変だ。

 

「ここでいい」

 

 ルシフェルは馬車を停まらせ、ひらりと席から飛び降りた。次いで、あたしも手伝ってもらって地へ降りる。

 レムレースさん達が駆け回る中に、一際目立つ白く長い髪が見えた。

 

「ベル!」

 

 ルシフェルが呼ぶと、その悪魔さんは思い切り不機嫌そうにこちらを振り返る。

 

「殿下!」

「お帰りなさいませ!」

 

 レムレースさんが頭を下げる中、白髪の彼だけは、その冬空のような瞳で堕天使長を睨み付ける。

 

「この忙しい時に来おって、間が良いのか悪いのか……あとその名で呼ぶな殺すぞ」

「す、すまない。一体どうしたんだ? ベルフェゴール」

 

 ベルフェゴールさん。それが彼の名前だ。いつも憮然としているのがもったいない、端正な顔立ちの悪魔さん。まるで女性みたい……と言ったら本気で殺されかねないのだが。彼はこの都の幹部のひとりでもあり、いつも寒々しいくらいに苛烈な空気を纏っている。

 

「門が開いたままになっていたが、何があった?」

「何だと?」

 

 すぐさまベルフェゴールさんの怒号が響く。

 

「衛兵! 何をしている、早く行って門を閉めろ!」

 

 慌てて走って行くレムレースさん数人を見やり、ベルフェゴールさんは小さく舌打ちをした。かなり苛立っているみたい。

 

「ルシフェル、貴様、何も知らずにここへ戻ってきたのか。人間まで連れて」

「別の用事があったんだが、街の様子がおかしかったからな。皆、浮き足立っていたというか……どうかしたのか」

「どうもこうもない」

 

 顔をしかめて示された先。そこには、これまた大きな木造の小屋のようなものがあった。厩舎、みたいだけど。壁が壊れているしぼろぼろだ。おまけに……中が空っぽ。

 

「……逃げた、のか?」

 

 呆然としたようにルシフェルが呟く。

 

「らしいな。レムレース達によると、馬共は急に暴れ出したらしい。そしてそのまま厩舎の壁を突き破って脱走した」

「まさか! そんなこと、」

「“あるはずがない”。そうだその通りだ……くそ、何がどうなっている」

 

 地獄の馬って、馬車をひいているような馬達だろうか? 脱走ってかなりまずい、気がする。しかも厩の規模から考えると一頭や二頭じゃない。それが猛スピードで暴走するなんて危険どころの話ではないはず。

 当然のことながら、ルシフェルの顔にも焦燥感が伺える。それでもパニックを起こさないのは流石というか。比べてあたしが取り乱さないのは、単に実感がないからだが。

 

「被害は。皆は無事なのか」

「幸い、街とは反対方向へ向かったようだ。怪我人の報告もまだ入っていない。今アスモデウスが止めに行っている」

「ひとりでか?! 早く応援を――」

「わかっている! だがあの馬に普通の馬の足で追い付けると思うか?!」

 

 ルシフェルが焦るほどにベルフェゴールさんは苛立ちを増していくようだ。自分でも熱くなり過ぎたと思ったのか、極寒の悪魔さんはひとつ深呼吸した。

 

「……それに。いくら奴らが暴れたとはいえ、この厩舎には鍵がかかっていた。弱いものだが結界も張ってあった。誰かが手を出さねば、脱走などそう簡単にできるものではない」

 

 二人の後について歩き近くで見た馬小屋は、遠くから見るよりもはるかに悲惨な状態だった。ただの木片と化した壁、ひしゃげた柵、そこらじゅうに散らばる木端……相当な事態だったらしい。

 と、あたしはふと、小屋の片隅に“あるもの”が居るのを見つけた。

 

「下手に魔力を使って街に被害が出るのは避けたい。奴らを追うのはアスモデウスに任せ、俺はここの調査を――」

「ルシフェル! ベルフェゴールさん!」

 

 思わず遮ると、ベルフェゴールさんは苦虫を大量に噛み潰した顔で振り向いた。ごっ、ごめんなさい。

 

「あの、この子……」

「なんと」

 

 惚けたように呟いたのはルシフェル。ベルフェゴールさんはまたしてもため息。

 

「そう、こいつのことも言おうと思っていた。貴様が丁度ここへ来たから」

 

 あたしが見つけたもの。それは――馬、だった。大破した小屋の片隅に、柵がないにもかかわらず逃げようともしない一頭の黒馬。

 美しい馬だった。全身は艶々とした漆黒の毛並みに包まれており、たてがみと尾は蒼白くてまるで焔が燃えているよう。更に(ひづめ)にも蒼い光を纏っていて。何より美しいのはその目。本物の宝石みたいな、サファイアブルーをした目がじっとこちらを見つめていた。

 人間界の馬とは全然違うし、馬車をひいていたようなただの黒馬とも違う。ビロードにも似た毛に触れてみたくて、思わず手を伸ばし――

 

「触るな!」

「!」

 

 ルシフェルの鋭い声に、びくっとその手を引っ込めた。

 急いで寄ってきた彼はあたしの手首を掴んで下ろさせる。怒っているのかとびくびくしてしまったけれど、その丁寧な力加減で、心配してくれているのだとよくわかった。

 

「触ってはいけない。火傷をする」

「火傷?」

「気をゆるしていない者がたてがみに触れると、皮膚が焼け(ただ)れてしまうんだ。この軍馬の炎は“煉獄”の炎だから」

「ルシフェル!」


 咎めるようなベルフェゴールさんの声も気にならなかった。

 ――軍馬。

 再び漆黒の馬を見る。何事にも動じない、凜とした姿。これは……戦をするための馬なのか。

 

「お前は、残っていたんだな」

 

 馬に歩み寄ったルシフェルが何か、呪文のような聞き慣れない言葉を小声で言う。たった一言、短い息吹。

 

「わっ?!」

 

 そしてサファイアブルーの瞳でルシフェルを捉えた途端、黒馬は大きないななきと共に後ろ足で立ち上がる。その迫力に圧倒されてしまう。

 

「行くのか、ルシフェル」

 

 腕組みしたまま語尾を下げてベルフェゴールさん。ルシフェルは無言で鞍と手綱を厩舎から引っ張り出して用意し、手際よく取り付けた。その間も馬は、蒼く燃える蹄で地面を蹴っている。

 

「……同じ軍馬であれば、追い付けるだろう」

 

 ようやく口を開いたルシフェル。あたしに注意したにもかかわらず、軽やかに軍馬に飛び乗った。たてがみにも触れている。ということは、つまりこの馬は。

 

「真子を頼むぞ、ベルフェゴール」

 

 それだけ言うと彼は馬の腹を蹴った。鋭い鳴き声をひとつあげ、黒馬はあっという間に門の方へと駆けて行ってしまった。

 

「……頼む、と言われてもな」

 

 彼らが去った方向をぼんやりと見ていると、珍しくベルフェゴールさんが困惑したように見下ろしているのに気付く。ぽかんと顔をあげたら一瞬で戸惑いは威嚇の色に変わってしまったが。

 

「あの、ベルさん」

「貴様は魂として地獄へ来たいのか」

「す、すいません」

 

 怖っ。視線だけで人を殺せちゃいそうだ。

 

「ベ、ベルフェゴールさん」

「……なんだ」

「さっきの、ルシフェルの馬なんですか」

「そうだ」

「……」

「……」

「……」

「……チッ」

 

 舌打ちした!

 

「これだから人間の相手は……」

 

 何やらぶつぶつ言いながらも、ベルフェゴールさんは説明を付け加えてくれた。黒いブーツが小刻みに苛立ちのリズムを刻んでさえいなければ、もう少し落ち着いて聞けるのに。

 

「さっきあいつが言っていたように、無闇にあの馬に手を出せば怪我をする。普通ならその辺のレムレースでも慣れれば乗れるはずが、あの馬は変に気難しくてな。あれに乗ることができるのはルシフェル、ただあいつだけだ。忌々しいことだが」

 

 へぇー……。だから誰もあの馬を使って追いかけられなかったんだね。一頭だけ残っていたのもすごいけど……やっぱり堕天使長の愛馬は特別なのかもしれない。

 でもこんなトラブル、これまでにもあったのかな。ベルさんは「あり得ない」とまで言っていたし……。

 

「気が済んだなら中に入っていろ。俺には仕事がある」

「あ、はい。ありがとうございました」

「……別に。貴様が煩そうだから答えてやったまでだ」

 

 ベルさんって、意外と面倒見がいいよね。素直じゃない感じもするけど。

 そんなことを考えているうちにレムレースさんが来て、あたしは宮殿の中でルシフェルの帰りを待つことになった。


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