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Old Long Since【 L-13 】


「まったく……」

「本当に……」

「何と言うか……」

 

 ガブリエル、ウリエル、ラファエル。再び《赤の谷》にて。力の強さ故か身分の高さ故か、どこか独特な雰囲気を醸し出す集団の横で私は言葉を継ぐ。

 

「甘え上手だな、ミカエルは」

 

 向こう。にっこりと笑う愛しい弟の傍ら、木箱を差し出されて戸惑ったように何か言っているのはベルフェゴール。“戸惑ったように”……色を、見せている。あの白銀の悪魔が。

 つい昨日まで怯える素振りさえ見せていたミカエル。その彼が、使節を見送る段になって「ベルさま!」と嬉しそうに駆け寄った時、私達は思わずぎょっとしたものだ。一体ふたりの間に何があった? 私でもベルフェゴールにあれだけ屈託ない笑顔は見せられないというのに。見事としか言い様がない。ミカエルは“氷壁”を崩したのだ。まああの子はこの上なく魅力的だから当たり前だが。……悔しくなんてないさ、全然。

 

「……ルシフェル」

「む?」

「力、入ってるわよ」

 

 おや気付かないうちにこんなにきつく拳を握っていたとは私としたことが。

 

「やきもち?」

「ははは。何を言っているんだガブリエル。そんなはずないだろう?」

 

 笑顔で振り向いたが苦笑で迎えられた。何故だ。あ、こら、退()がるなガブリエル。

 

「嘘はいけない」

 

 彼女の横で腕組みをしながら言うのはウリエルだ。

 

「ミカエルが土産を渡しにいくと言った時、渋い顔をしていたくせに」

 

 ……相変わらずよく気が付くな。黒耀の鋭い瞳に何でも見透かされそうに錯覚する。彼もまたどこか呆れ顔だ。

 

「兄馬鹿なのは皆よく知ってるんだ。今更誤魔化すことじゃないだろ」

「……む」

 

 素直にうなずくのも嫌で口を歪めてみせる。言い返したいが、何を言っても“負け惜しみ”に受け取られそうだ。

 現に私はあのふたりの側に“予防線”を張っていた。つまり具体的には、我が従者のひとりに《不可視の結界》の術をかけてミカエルの近くに置いている。妨げにならない程度の、しかし何かがあればすぐに飛び出せる距離。ベルフェゴールほどの悪魔ならばとっくに気付いているだろうが構わない。要は牽制になりさえすれば良いのだ。

 

「まあ良いじゃないか。友が増えるのは彼にとって悪いことじゃないだろう」

 

 どこかのんびりとした調子でラファエル。知識の探究者である時とはまるで違う。まあ基本的に彼は穏やかで、あまりがっついたような物言いはしないのだが。

 大天使に口々に言われた私は拳に込めていた力を緩め息を吐く。仕方ないな。確かにこれ以上みっともない姿を曝すわけにはいかない。

 果たしてどれだけ私はミカエルに依存しているのか、自分でも不思議なくらいだ。“私のものであれ”――初めて出会ったあの日から抱いてしまった願い。望むことは罪なのだろうか……。こうも想いの強さを自覚してしまうと、いつかラファエルに言われたように、彼には特別な何かがあるのかと疑いたくもなる。弟だという以外に、何か――。

 

 目を細め見つめる先で、純白の長衣を纏った彼が悪魔に向かって大きくうなずくのが見えた。興奮に上気した頬、満面の笑み。ちくんと胸が痛む。

 自ら土産の果実酒を手渡しに行った彼がこちらに戻ってくるのを確認し、私は背後の天使達に向けて静かに片腕を挙げた。整列の合図。元より隊列を作って並んでいた彼らは姿勢を改め、しんと静まり返る。楽隊が演奏の準備をして待機する。それに応じるように六名の使節も向かいに並んだ。いよいよ見送りだ。

 

「えと……、数々のお話、大変参考になりました。色々と至らない点もあったと思いますが、少しでも今回の滞在を楽しんでいただけたのなら幸いです。もしまた機会があれば、是非ともよろしくお願い致しますねっ」

 

 私の隣でミカエルが言う。対する悪魔もこちらを見据えて。

 

「有意義な時を過ごさせていただき、厚く御礼申し上げる。いつか地獄にも来ていただければ」

 

 怜悧な悪魔は無表情のままだったが、来た時とどこか違うような印象を受けた。今回の使節交換で影響があったのは我が弟ばかりではないらしい。

 ベルフェゴールは挨拶の最後に何事か呟いた。口を動かすのが見えただけで、あまりに小さな声で聞き取れなかった。だが。

 

「それでは……互いの発展を祈り、これにて失礼する。またいつか」

 

 広がる漆黒の翼、羽ばたき。器楽の音色と谷底からの風に包まれて彼らが飛び立った時、ふと大気に銀色の軌跡が描かれた。それが何であるか確認するより先に、風と共に舞う銀粉は下草に露を纏わせ、光を反射しては霧散し、そうしてひんやりとする空気を遺していく。背後のどよめきと隣の感嘆。“凍てついた風”……美しく幻想的な置き土産、その仕掛人に気付いたのは私だけではあるまい。

 “氷壁”達はあっという間に谷底へ急降下し、あとには赤い花の香りが、冷やされた大気の中でより鮮やかに抜けるのみだった。

 

「……兄上」

 

 曲が止んでも香りが消えかけても、彼は動こうとはしなかった。共に並んでいた私も然り。

 

「地獄は、遠いのでしょうか」

 

 ぽつんと漏れた呟きには暗い響きはなかったけれど、答えを求めていないこともわかっていたから。蒼い瞳と同じ先を眺め、私はただ黙って、重荷が下りたはずの華奢な肩を抱き寄せた。

 


 

***

 


 

「悪魔さまの翼は兄上の髪みたいに美しい黒色でしたね! 触ってみたかったです」

「ふふ、さすがにそれは許可してくれないだろうな」

「ですよね。そういえば、万魔殿の仕組みは天界とは全く異なるのですね。世界は広いなって、思いました」

 

 興奮が収まらない様子のミカエルに相槌を打ちながら、私室へと続く廊下を一緒に進む。漸く一大行事が終わったのだ、今日は休養日にしたって構わないだろう。会議も休み。

 目をきらきらと輝かせ、堪えきれない様子で見上げてくるミカエル。彼が幼かった日々を思い出し、私は思わず微笑んだ。どうやら良い刺激になったよう。それも含めて接待は大成功と言っていいだろう。

 

「厳しい方でしたね、ベルフェゴールさま。でも従者の方々は怒鳴られても嬉しそうでした」

「それだけ気にかけてもらえているということだろう。悪魔は概してそうなのだろうか……少し興味深いな」

「はい。兄上は他の悪魔さまにお会いしたことがありますか?」

「そうだなぁ……ベルフェゴールの前にレヴィアタンという女性の悪魔が使節として来たんだ。そのふたりしか向こうの幹部とは面識がないよ」

「レヴィアタンさま……じゃあ、レヴィ、ですね!」

「だな」

 

 一瞬だけ笑顔が引きつりかけた。正直、あの女悪魔との思い出はあまり良いものではない。いや、嫌いとかではないのだが。話が分かる悪魔だったし、公式な場での礼節はきちんと尊んでいたし。

 

「女の幹部さまだなんて、まるでガビィみたいです」

「んー、それは……」

 

 頬を掻く。だってうなずきにくい。私は妖艶な女悪魔の囁きを思い出した。

 

 ――“ね、アタシがイイコト教えてあげるわ”

 

 今回と同様に設けていた宴の席で、きめ細かな素肌を惜し気もなく晒した彼女は耳元に紅唇を寄せてきたのだ。その時は“イイコト”の意味がわからず、私が彼女に問うてそれっきりになったが。初めて経験するような艶めかしい吐息、肩にのせられた手の感触。今でもはっきり覚えている。

 

「そういえば兄上、そのガビィが何か怒っていました」

「怒る? 何に?」

「“あの悪魔ったらルシフェルをたぶらかして”……とか。多分、あの悪魔というのはレヴィさま? のことだと思うんですけど。“たぶらかす”、って、何ですか?」

「げほっ!!」

 

 な、な、なに?! たぶらかす?!

 軽く首を傾けるミカエルの愛らしさに、逆に言葉に詰まった、というか吹いた。今の私にそれを上手く説明する自信はない。

 

「ミカエル、それは知らなくていい言葉だ。忘れなさい」

「え、でも……」

「忘れなさい、頼むから」

 

 ミカエルは不思議そうにしていたが、やがて「兄上が言うなら」と素直にうなずいてくれた。……後でガブリエルにはよく言っておかねば。ああ焦った。

 ほっと胸を撫で下ろし、そのまま廊下を進んでいると。

 

「……おや」

 

 そろそろ部屋に着こうかという時。立ち止まった私につられたようにミカエルも足を止める。私の部屋の前に、ひとりの天使が立っていた。

 

「お疲れ様です、ルシフェル様、ミカエル様」

 

 さほど長くはない衣を着た彼は私達に深々と頭を下げる。その手には巻物。

 

「ザドキエルの、使者か」

「左様にございます」

 

 毎朝の会議で伝令役を務める天使と同じ出で立ち。彼はやや恐縮するような素振りを見せながらも、くるくると紙を広げていく。ミカエルは隣で目を瞬いている。

 

「不躾とは存じますが、緊急性の高い連絡事項とのことでしたので、何卒ご容赦を」

「構わないが……ずっと待っていたのか?」

「はい。ザドキエル様がそうするようにと仰いましたので」

「それはまた……」

 

 苦笑する。悪いことをしたな、結構ゆっくりと歩いてきてしまった。

 しかし一体何なのだろうか。会議は休みだから伝えるべき機会がなくて仕方ないのはわかるけれども、普段ではあり得ないその緊急性はこちらにも緊張を強いる。まして主の御言葉をこんな中途半端なところで……。せめて、と私は背筋を伸ばして姿勢を正した。

 

「了解した。聞こう」

 

 ありがとうございます、と待ちくたびれていたであろうに彼はまた一礼。す、と掲げられる書。紡がれる絶対の言の葉。

 

「以前からの通達にあった“新たな種”の誕生が定まった、その《祝福の儀》について連絡があるから明朝、天使長ならびに大天使は《天意の間》へ集まること。――以上です」

「ああ、あのお話ですか」

 

 私もミカエルと同じ気持ちだった。そうだ、こちらはまだ終わっていなかった。

 新たな種。軽視していたつもりはないし忘れていたとまでは言わないが、最近は使節交換の方にすっかり気が向いてしまっていたから。新たな生き物。我々天使に姿形が似ているという噂の。

 

「しかし連絡事項があるならば、何も直接あの部屋にお招きにならずとも……」

「兄上」

 

 疑うような発言は不謹慎だったか。やんわりと諫める声に口をつぐむ。

 だが、あまりに不自然だ。今までこんなことはなかった。最初に話を受けてから整うまでこんなに時間がかかったことも、全ての大天使がひとつの《祝福》について召集されることも、仰々しいまでの段取りが行われることも。何か今回は特別な気がしてならない。“特別”――あまり、好かない。

 

「ザドキエルはそれだけを?」

「はい、申し訳ありません。私もここまでしか……」

「そうか」

 

 忙しさは心地よくはあれど、正体のわからぬ胸騒ぎがした。大きな何かが起きようとしていることだけは、漠然と感じられる。

 何にせよ明日になればわかるか。考え過ぎるのはよくないかもしれない。

 

「……承知した。他の面々にはもう?」

「はい、つい先程」

「そうか。ご苦労だったな。戻ってゆっくり休みなさい」

 

 労い、帰す。去って行く使者を見送っていると、ふと下からの不安げな視線に気付く。

 

「兄上……」

「大丈夫だよ。全ては主の御心のままに、な」

 

 微笑んで金髪をくしゃりと撫でてやる。完全に疑問符は消失していなかったが、私の意識は半ば別の方向へ向かいつつあった。今日はどうやってこの子と過ごそうか――そんな無上の楽しみ。

 きっと何も心配することはないのだ。どんな事態も私は、私達は乗り越えられるはず。これまでも、そしてこれからも。

 どこか鬱屈した気分を吐き出すようにそっと深呼吸。私はミカエルを促して再び歩きだした。

 


 

***

 


 

 その日。陽が沈んでから、ベリアルが、宮殿へと帰って来た。


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