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Old Long Since【 L-11 】

 

「…………」

 

 飛んだ。私は確かに長い距離を飛んだのだ。

 

「何故……っ」

 

 そして今。目の前で大地は途切れている。道も草原も空までも、全てが断絶している……“端”。

 その先に広がるは暗闇。否、厳密には闇ですらないようだが。確かにベルゼブブの言った通りだ。これは“虚無”。そこには何も存在しない、そこという場所も存在しない。ただの終わり、世界の本当の淵だ。何せ私が《掌握》できない空間なのだから。

 全て報告通りだった――“ある一点を除いては”。

 

 ……その後の私の行動は敢えて詳細を述べるまでもない。力を使って宮殿へ戻り、再び同じ道を飛び、“端”へと至る。丸一日をかけて往復すること二度。ひょっとしたら私が誤った可能性があるからだ。念のため確かめて、それでも……結果は変わらなかった。

 


 

「――ベルゼブブッ!!」

 

 またしても宮殿へと戻った時には既に日が沈む頃で。結局会議は一度休む羽目になってしまったが、そこはガブリエルが上手くやってくれているだろう。

 問題はそんな……そんな些末なものではないのだ。不躾とは思えど礼儀に構う余裕もなく、私は奴の部屋の扉を勢い良く叩き開けた。案の定、(くつろ)いでいたらしい天使が、机に足を投げ出した姿勢のままこちらを凝視していた。

 

「どういうことだベルゼブブ!」

「は?! お、おい、よくわからんが落ち着けって。どうし――」

「十だと、貴様は報告したな?!」

「十? 何?」

 

 ――どうして通じぬのだっ!

 苛々しながら部屋へと踏み入る。興奮で舌が回らない。出来る限りゆっくりと、分かりやすく言おうと努めてみる。

 

「山を、数えたと、言ったな」

「ん? あー、アレか。どうだ? 見て来たンだろ?」

「どうもこうもあるかっ!」

 

 思わず机を叩く。ベルゼブブが心底驚いたような顔で見上げてくる。

 

「ど、どうしたってンだよ?」

「十一だったんだ」

「……へ?」

「私が数えた山の数は“十、一”だったんだよ!」

「は――?」

 

 わからぬか、わからぬか。誤差の範囲か? 侮るなよ!

 

「言っておくが私の勘違いではないぞ。何度も確認したのだからな」

「んなワケ……!」

 

 立ち上がり呆然としている天使を目線で促しながら、私はすぐさま踵を返した。見た方が早い。本人もそうしたいだろうから。

 後ろからついてくる足音に、告げる。

 

「……全速を出せ。私は待たない」

「ヒャハハ、てめえの本気かよ……。いいぜ、めっちゃ必死に飛んでやらァ」

 

 ベルゼブブは顔をやや引きつらせながら笑おうと試みていた。本気、か。また今回も能力は使わないが、私が誰より速いことに変わりはないだろう。ベルゼブブなら或いはついてこられるだろうか? 私の《代理》だという彼なら。

 


 

***

 


 

 同じ方角、同じ道筋、同じ数え方。条件は全て同じ、以前と違うのは私達ふたりが観測しているという点。そして……

 

「嘘、だろ……!」

 

 ――数えることのできた山の数。すなわち、“端”までの距離。

 

「冗談じゃねェ……オレらが来た時は確かに十だった!」

「わかっている。私は今もお前達を疑っているわけではない。だからこそ問題なんだ……っ」

 

 観測時に誤ったのではなく。“観測対象が本当に変化した”としか考えられないではないか。

 往路と同様、ベルゼブブ達がここから宮殿へと帰ってくるまでには少なくとも三日、多く見て四日かかっている。そして私が訪れた時には山が増えていた。恐らくはその四日の間に何かがあったのだ。

 

「拡がってる、ってのか……?!」

「わからない……わからないっ!」

 

 ベルゼブブの呟きが現時点では妥当な解釈か。拡大だなんて如何に……如何に馬鹿げた、信じがたいものであれど。今はしんとして動かない境界を眺めて思う。こんなにも、我々は、無知だ。

 思わず口走る疑問。何が起きているのかがわからない。否、“私が知らなかった理由がわからない”。

 

「ああ……!」

 

 ――何故なのですか主よ! どうしてこれほど重要なことを私に教えてくださらなかったのです?!

 

「お、おい、ルシフェル」

 

 両手で顔を覆う。狼狽える友の言葉も遠い彼方。上を向いていないと何かが溢れてきそうで、込み上げる熱いモノに体内を侵食されているようだった。

 

「なあ、どうしたンだよ?!」

「私が、知らないことがっ、」

 

 荒れる心を宥めるのに必死で、それ以上の言葉が続かなかった。だめだ、冷静に、思考を。努めているのに体は言うことを聞いてはくれない。よもやここまで気持ちを掻き乱されようとは。それだけ私は主を、己を……

 ――落ち着け、落ち着け、落ち着け! 大丈夫だ、大丈夫なんだ。主は確かに自分を愛していると仰った、最高傑作だと仰った。だから自分はここに存在しているのじゃないか。《光》となり、主のために《世界》を照らすことが自分の存在理由なのだ。

 主は……そう、わざとなさったのだろう。少しの欠陥も全てはあの方の御心のまま。天界が拡大しているかもしれないという事実も、きっと最初は不要だと判断なさったから……だからなのだ。違いない、違いない! 現にこうして私は知った。こうなることをあの方はわかっておられたのだ。

 

「きっとよォ、こうなったのは最近のことなんだよ。天使も増えてンだしさ、天界がでっかくなるのは道理だろ? 大したことじゃねェ。そう気に病むな」

「あ、ああ……そうだな。取り乱してすまなかった……」

「いいってことよ、オレだってビビったしな。それより、一応コイツの影響も調べてみようぜ。まっ、大事ならてめえが知らねェはずはねェから一応だが」

 

 親指で“虚無”を指し示してベルゼブブが言う。この笑みと前向きな言葉に幾度救われただろう。自分の責任を思い出させてくれる友の励ましほど、沈んだ心を引き揚げてくれるものはない。

 

「……お前のそういうところ、私は好きだよ」

「んあッ?! いきなり何だよ……ま、まさかオレをそんな目で――!」

「お前な……」

 

 焦られても私の方が困る。……少し危機感を覚えてしまったではないか。私がこの身も心も全て捧げて愛するのは、主と我が弟だけだ。

 

「いや、ありがてェけどさ、てめえの声って時々みょーに背筋がぞわっとするっつーか……うへぇっ」

「失礼な奴だな。好きな相手に好意を伝えて何が悪い」

「だからっ! ……ったく、しゃァねェ野郎だな。ンなことだからミカエルがあんななっちまうんだよ。や、別にいいけどよー、お互いに素直過ぎだろ、てめえら。微笑ましいとか通り越して、もはやオレ的には苦笑いの領域だぞ」

「どうしてここでミカエルが出てくる。あの子を貶したら斬るぞ」

「早ェよ! 抜剣すンなよッ!」

 

 両手を上げるその慌てぶりに頬が緩む。笑うだけの余裕ができたということか。心中で感謝しつつ剣をしまう。半ば本気だったことは内緒だ。

 

「……戻るか、ベルゼブブ。落ち着いて整理する時間が要るかもしれない」

「ん、そーだな」

 

 このまま留まっていても何も得られまいと判断する。怠い、とボヤくベルゼブブに呆れつつも私は能力を行使し。ふたり分の“存在”を宮殿へと転移させたのだった。

 


 

***

 


 

 行きは半日、されど帰りは一瞬。改めて我が能力に感謝する他ない。ベルゼブブを労い、廊下で別れ、そして私はひとりで自室へと籠もった。

 私を気遣ってなのか、従者のひとりが差し入れてくれた飲み物を一口啜る。気を落ち着ける薬草入りだと言っていた。大方、いつかラファエルから譲り受けたものだろう。奇妙な香りだが慣れればどうということはない。熱い液体を口に含みながら、そういえばこのところまともに休養していないことを思い出した。

 休むか? 否、まだいける。

 机に両肘をつき額を乗せる。深呼吸をひとつ。心なしか身体中が温かい気がする。即効性の薬草か?

 

 まあ、良い。薬草のことはどうであっても。重要なのはあの“端”、“虚無”、及び天界の拡大だ。

 まったく知らなかった。まさかあんなことになっているとは、己が立つ大地が“生きている”ような真似をしていようとは。

 下唇を軽く噛む。一体、何刻(いつ)からだ? ベルゼブブと私の考えは同様、増える住民に応じて場所が拡大するのは当然だ。広くて我々が困ることはないのだから。私もそれが求められているのなら……全てを照らせば良いのだから。

 だが本当にそれだけか? 天界、地上、地獄。上から重なるように、いわば層状に形成されているこの《世界》の中、天界が拡大しているというのなら地上も、また地獄も拡大しているかもしれないと考えるのは自然だろう。確認するに越したことはない。

 《世界》は拡がり、拡がり、そして……最終的にはどうなる? 終わりなき空間で肥大し続けることは果たして、大した意味のあることではないと言い切れるか?

 主は何をお考えか――不安を感じる一方で、私の中の何かが抑圧する。疑うな。求めるな。信じていさえすればいいのだ、と。……一体どちらが私の本心なのだろうか。

 

 気が遠くなるような錯覚。ぼんやりとした意識が何度も閉じかけ、その度唐突に生々しい現実に夢想を打ち消される。思考を辿り、行き着く先は幾度繰り返しても霧の中。

 ――埒が開かない。

 悶々とした気持ちを抱えながら、とうとう私は諦めた。一度休むことにしよう。その方が案外頭が働くやもしれぬ。

 しかも……これは従者達からの伝言かもしれない。それが証拠に、あの薬草茶を飲んでから急激な眠さに襲われ始めたのだ。彼らの(はかりごと)か? 余計なことをしてくれる、と目蓋が下がるに任せながら緩くため息を吐く。思わず小さな小さな笑みが漏れた。自分の体もそろそろ限界だったのだろう。抵抗する気もないままに、温かな闇の中に身を委ねた。


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